ひさかたの中なる川の鵜かい船

          いかに契りて闇を待つらむ   藤原定家

 川は真っ暗だ。松明の光が波にゆらゆらする。船端に立って見ていると、めがまわりそうになる。ざぶん、音がして、隣に立っていた奴が暗い水に飛び込んだ。すると、他の仲間も次々に飛び込んだ。水の中の光が火の粉のように飛び散って、すぐに暗くなった。

「何をぼやっとしてるんだ、貴様」頭巾を被った顔の大きな男が篠竹を持って僕を見下ろしていた。「さあ、飛び込め」

 頭巾の男は篠竹で今にも僕の頭を叩きそうな気配だ。どうして僕を殴るんだ。首をすくめて小さくなっていると、水の中からギャアとという声が聞こえた。

「何をしているんだい、君は、早く来いよ。ぐずぐずしていると、殴られるぞ」

 見ると隣にいた男はいつの間かに鵜になって水の中に首だけ浮いている。

「どうしたんだい、そんなところで」

「君こそなんで飛び込まないんだ。そんなところにいたら、明日は絞め殺されて食われちまうぞ」

 振り返ると、頭巾の男は今にも僕を絞め殺そうとして睨んでいる。男の後ろには十人ばかりの男女がお酒を飲みながら騒いでいる。あんな下品な奴らが船の中で楽しんでいるのに、なんで僕が水の中に入らなければならないんだ。さっぱり分らなかったけれど、ますます頭巾の男の顔が赤黒く松明に光るので、僕はたまらずに飛び込んだ。

「ここはどこなんだい」僕は隣で泳いでいる尻尾が少しちぎれた鵜に聞いてみた。すると尻尾の切れた鵜は「どこって、川の中さ」とあっさりという。僕はじりじりして、「だから、何という川なんだ」と大きな声で叫ぶと、喉の奥からギャアとい音がでて、僕はびっくりしてがぶりと水を飲んだ。

「そんなところで声を出していると、魚が逃げるじゃないか」と頭の大きな鵜が目を尖らせて言った。

「魚だって?何のことだい」

「馬鹿だな。鮎じゃないか。お前の目の前に鮎が泳いでる。そいつをくわえるんだ」

「なぜ」

「なぜって、それが俺達の役目じゃないか」

「くわえてどうするの」

「船に上がって、吐き出すのさ」

「吐き出す。なぜ」

「お客に食わせるんじゃないか。馬鹿だなあ。お前みたいに妙な鵜にあったことがない」

頭の大きな鵜は笑って、その口が閉じないうちに、見事に大きな鮎をバクリと飲み込んだ。目の前をササッと鮎が通り過ぎる。すると僕の嘴がひとりでに動いて、パクリと飲み込む。鮎が喉の奥で騒いでる。

「君は僕をどうするつもりなんだ」と泣きわめく悲痛な声がした。どうやら僕の中で叫んでいるらしい。僕は当惑して、

「どうもこうも、君は自分勝手に飛び込んだんじゃないか」

「そうじゃない、僕は川の中が楽しくて、体がぴくぴくと飛び跳ねるものだから、波の下をすいすいくぐって泳いでいたんだ。そして気がついたら、君の喉の中にいるんだ。出してくれ!」

「どうやったら出るのかな」

「吐き出せば僕が飛び出すよ」

「吐き出したら、君は喜ぶね」

「そりぁあもう、ほんとにうれしい」

「じゃあ、僕には何かいいことがあるかなあ」そういうと鮎はちょっと黙って考えていたが、決心したように「もし助けてくれたら、いいものをさしあげましょう」

 いいものって何だろう。僕はちらつと考えた。川の中をすいすい泳いでいる鮎だから、何か素敵なものに違いない。それで助けてやろうという気になって吐き出し方を考えていると、突然首が苦しくなった。男が僕の首に巻き付けた縄を力任せに引っ張っている。ああ死にそうだ、気がついたら船の中に引き上げられていた。頭巾の男が僕の喉から鮎を取りだしている。

「駄目な奴かと思ったら、案外にいい鵜じゃないか」と客の一人が笑った。

「へえ、それはもう、わっしの鵜は天下一品ですからねえ」頭巾の男は僕の首を放すと、また水の中に放り込んだ。ああ、せっかく鮎がいいものをくれるって約束したのに、駄目になってしまった。あいつは今頃七輪で焼かれて、僕を恨んでいるだろうなあ、そう思うと悲しくなって、僕はまたギャアと鳴いた。 こうして僕は一晩中水の中で鮎を追いかけ、くたくたになった頃、船の中に引き上げられた。客はひとりもいない。

「ああ、僕は何のためにこんなところにいるんだろう」ため息をつくと、頭の大きな鵜は目をとろんとさせて、「それゃ決まってるさ」

「何が決まっているんだ」

「そりゃお前、人間を喜ばせるためじゃないか」

「喜ばせて、それからどうなるんだい」

「また、喜ばせる」

「それから」

「また喜ばせる」

「ふーん、お客ってのはずいぶん喜ばせなければならないんだね」

「そうだとも、お客はみんなそうなんだ」

「それで、お客は喜んでからどうなるんだい」

「お酒を飲んで、芸者と遊んで、あくびをして、帰るのさ」

「そんな奴らのために僕はこんな目に遭っているのか。僕たちに捕まった鮎なんてどれほど悲しいと思っているだろう」

 僕が言うと、「どうでもいいじゃないか」と頭の大きな巣はあくびして眠ってしまった。

 松明がパチパチと闇に燃えてる。波がとろりとろりと光っている。目を覚ますと、船の天井がやけに黒い。

「気持ち良さそうに眠っていたわ」

女がうっすらと笑って僕を見ている。

「あれ、君、いつ戻ってきたんだい」

「もうだいぶ前。急いで帰ってきたら、他の客はみんな帰って、あなただけが眠ってた。漁師さんにチップをあげておいたわ。寒くない?」

 女はそう言って僕の頭を膝に乗せた。

「大きな頭。この頭でどんな夢を見ていたの」

「変な夢だ。鵜になっていたんだ」

「まあ」

「僕は君がちょっと用足しに行ってくるからって船を下りたから、つまらなくなって、船端に肘をついてぼんやりしていたのさ。そしたらいつの間にか鵜になって鮎を追いかけていたんだ」

「まあ、鮎って、他の女の人のこと」

「馬鹿いうんじゃないよ。本物の鮎だよ。鮎が僕の口の中に入って、助けてくれって頼んだんだ。それで僕は口から吐き出そうとしたんだけれど、漁師が横取りしたんだ」

 水の上で松明が光ってる。女は目を細めて火の粉を見つめていたが、「じゃあ、鮎の代わりに私がいいものをあげる」と僕の耳元でささやいた。

「君がいいものをくれるって」

「そうよ。鮎がくれるものよりもとってもいいもの」

「鮎の贈り物よりもいいものか」

「そうよ」

 女の肌から香りがする。それはなぜかぴちぴちした鮎の肌から発しているようで、僕はうっとりして波に揺られていた。