午前一時、階段に足音がして浪人中の甥の世三が入ってきた。「電気がついているからまだ描いているのかなと思って」彼は机の上をのぞきこんだ。世界美術大全集(小学館)が広がってる。「ずいぶん痩せた人ですね」

「ミケランジェロの最後の作品。ロンダーニのピエタだ」

「ピエタってなんですか」

「磔になったキリストを抱いて嘆いているマリアの姿を主題にした芸術作品のことだよ。ヨーロッパにはいたるところにピエタがある。でもこれは他のピエタとは違う。痩せた男が女の人を背負ってよたよた歩いているみたいだろう。普通のピエタはマリアがイエスを抱いているのに、これは逆なんだ。この時彼は八十九才」

「八十九才だって」世三は驚いて僕を見た。

「死ぬ六日前まで彫っていたんだ」

「ほんとかな」

「確かなことさ。問題は彼がなぜこれを彫ったかということだ。」

「?」世三は荒削りの彫像を見ている。

「恋だよ」

「恋。恋愛ですか」

「そう。彼は六十才になる少し前から、カバリエーリというローマ貴族の女性に恋をした。その情熱は激しく燃え続け、沢山の作品が生まれた。あの有名なシステイナ礼拝堂の天井画「最後の審判」にも、カバリエーリのために描いたデッサンが多くの場面に取り入れられている」

「とても信じられませんね」

「僕も信じられないけれど、いろいろなデッサンや研究書を見ると、確かなんだ」

「もしそうなら、最後の審判ではなくて、恋の審判ということになる」

「世三。言うね。すばらしい。その通りだ。ミケランジェロは自分が恋の罪人であることを絵の中で告白している。審判をするイエスの下で、聖バルトロメオがナイフを持って人間の皮を剥いでいるが、この皮を剥がれた男がミケランジェロ自身だと言われているよ」

「いやあ、面白い」

「面白いだろう。しかし、彼の思いは遂げられなかった。愛を失ったミケランジェロはこんな詩を書いた。

 『私の人生はいま港にたどりつく、

 はかない小舟で荒海を渡って

 虚しくもうれしかった恋の思い

 わたしが二度死ねばそれも何が楽しかろう 最初の死は確かなら、第二の死が脅かす

 もはや絵画も彫刻も魂を静めてくれず、

 魂は神の愛へと向い、

 愛はわれわれらを迎えんと

 腕を十字架に広げたもう』

「二度死ぬって」

「恋を失った時が、最初の死だ。でも、彼は最後の日まで愛を背負って行きたかった。その思いが、このピエタを彫らせた。二人がここでは一体になっている。ミケランジェロは人間が最後にたどりつくほんとうの姿を、どうしても彫りたかったんだ」