高瀬川の端をぶらぶらと幾度も渡り路地裏の柳の大木が夕風にふらふらと揺れているのを見るともなしにみて、食堂やら居酒屋が建ち並ぶ路地を歩いていると、格子窓に紙が貼り付けてある。「季節の魚あります」ただそれだけの文字が無造作に書き付けてある。紙の端が夕風に揺れている。
この類の店には一度も入ったことがないのに、彼女は何のためらいもなしに暖簾を分けて入り口の戸をそろそろと開けた。
人の気配がして、髪の毛のつやつやとした男が女を見た。
「お一人ですか」男はちょっと警戒するような顔つきで女を見つめたが、「はい」と答えると、「どうぞ」と案外親切に窓際の椅子を勧めてくれた。
ガラス戸の下に高瀬川が流れている。桜と柳の並木が夕闇に重い蔭を落としている。
「何にいたしましょう」とたったひとりの店の主人男がカウンター越しに尋ねた。
カウンターにも小さな紙が貼り付けてある。ぐじ、鯛の兜煮、イカ刺身・・・
女が決めかねていると、突き出しを出しながら、
「この店にはどなたかにお聞きになっておいでになられましたか」と聞く。
「いいえ、、、ただ、買い物帰りにちょっと歩いていましたら、お店の格子に素敵な文字で『季節の料理』とあったものですから、つい誘われて」
これを聞くと、男はそれまでののっぺりとした表情とは打ってかわってうれしそうに微笑して、
「あの文字が目に入りましたか」
「はい」
「では、書道でもおやりなのですか」
「いいえ、子どもの頃にやったきり、忘れておりました」
「ははあ、、不思議なことがありますなぁ、実は、一昨日もこれは京都でも有名なお坊さんでしたが、あの文字が面白いと言って入ってこられて、ずいぶんと楽しそうに話をしてゆかれました。でも、、、その坊さんよりもあなたは余程運が良い方です」店の主人はそういいながらちらっと店の奥に目をやった。カウンターの隅に中年の男が座っている。それまでそんな客がいるとは少しも気付かなかったのは、まるで亀のように身じろぎもせずにじっとしていたせいかも知れない。
「あの人ですよ」囁いた。
「・・・」
「あの文字を書いたのは、あの人です」
「・・書家の方ですか」
「書家、、、そんな類の男じゃありません。ただ、私もあの人の文字が好きでしてね、時々書いてもらうんです。風に破れると、頃合いを見て書き直してくれるんでね、便利ですよ。書家なんぞに頼んだらいくら取られるか知れやしませんから」
男はカウンターに寄りかかるようにして、目の前の皿を見つめている。皿の中には鯛の兜煮が盛りつけてある。鯛と牛蒡の香りが何とも言えず調和して、遠くから見ているだけで、彼女は思わずごくりと唾を飲んだ。しかし男はまるで禅僧がそうするように、半眼を閉じて、じっとしたまま、皿の上の兜煮に見るともなしに、視線を送っている。あんなにおいしそうなのに、何故箸を付けようとしないのかしら、彼女が気になっていると、
「何にしましょうか」とカウンターの向こうから真面目そうに主人が訊く。
「初めてですので、何を食べたら良いのか分かりませんので、どうしようかしら」彼女が迷っていると、
「それじゃ、あれと同じ兜煮にしましょうか」
そう言って、主人はもう料理を始めた。
ガラス戸が開いて、二三人の外国人が「ok?」と言いながら背中のバックをおろそうとした。
「クローズ、クローズ」
主人は両手をバッテンの形にして「すんません、今日は終わりですわ」と言った。外国人たちは「そうですか」と日本語で言って出て行った。すると入れ違いに日本人の男が二人、「いいかい」と入って来た。
「すみません。今日は品が切れてまして、もうしまいですわ、女房も孫の世話でいませんしな、勘弁してください」
「そんならしゃあないな、じゃあ、またくるでな」言い残して、男たちは出て行った。
客はあのカウンターの隅っこの男の人と私しかいない。材料だって売れ切れという筈がないのに、なぜ断ったりしたのだろう、そう思っていると、
「私は性分でしてね、気に入った料理を造っている時に、邪魔されるのがきらいでしてね」そう言いながらチラッと笑った。
男はいつの間に箸を持っていた。でもまだ食べ始めようとはしない。何か考えながらじっと見ている。
「ビール、お飲みになりますか」と主人が包丁を動かしながら訊いた。
「はい、いただきます」
主人は包丁をまな板に置いて、冷蔵庫からキリンのラガービールを取りだして栓を抜き、彼女にグラスを渡すとビールを注いだ。
なんておいしいのかしら、彼女は久しぶりにこんな味を味わった新鮮さに軽いめまいを覚えた。
男はまだ箸を構えたまま兜煮と向かい合っている。何か、勝負でも始めようとするかのような気配がする。彼女はビールをゴクリと飲んだ。
「あの人はね、どこから食べるのが一番美しいか、考えているんですよ」と主人が自分でもビールを飲みながら囁いた。
「一番美しい?」
「そう、どう食べたら美しいのか、それが彼の悩みの種なんです」
「悩みながら食べるのですか」
「彼はね、そんな男なんですよ」
見るともなしに見ていると、男は箸を鯛の目の回りに突き刺した。そしてあっと言う間もなく目の玉を飲み込んでしまった。
「目玉を食べるなんて」彼女が驚いていると、男はふっとこっちを向いて、
「こいつがね、私をにらみつけているんですよ。俺のような高貴な存在を、お前分際で食えるものか、そう言っているものだから、そうかい、食えるものかどうか、見ているがいい、と思って、まず目玉から食べることにしましたよ。にらまれるのはきらいでしてね」
男はそう言って箸を持ち帰ると、まるで包丁で魚の身をそぎ取るように素早く食べ、食べ終わると、お皿をカウンターの上に指しだした。
皿の上に鯛の骨が恐竜の見本のようにひとかけらの肉も皮も残さずに美しく立っている。骨がこれほど美しく、見事な構造をしているなどと、想像もしたことがなかった。それはまるで、骨だけでこの世に稟として空を見上げている奇妙な怪物のようだった。
「失敬」男は立ち上がった。彼女はドキリとした。これでこの人は帰ってしまうのだな、と思うと、奇妙な空洞が体の真ん中にぽっかりと空いてしまったように思えた。しかし、そうではなかった。男は入り口に近いトイレに入って、間もなく出てきた。そして背中の向こうを通り過ぎながら、
「失敬、私は、どうも頻尿の癖がありましてね、一時間に一度はお手洗いに立たなければ生きて行けないんです。あなたのように上品な方がおいでなのに、こうしてトイレに行かなければならないのは全く失敬な奴ですが、私の頭がそうさせているのじゃない、私のある部分がそうせざるを得なくさせているのですから、どうぞ、許してやって下さい」
そう言い残して、彼はまたカウンターに腰を下ろした。
「後は何にしましょうか」と主人が訊いた。
「何がある」
「そう、白子なんぞはどうです。いいのが入りましたよ」
「じゃ、それにしてもらいましょうか」
男はそう言ってから「お酒を一本つけてくれません」と言ってちらっとこっちを見た。
表に出ると、めまいがするようだった。今見た世界は、いったいほんとうにあった出来事だったのだろうか。橋を渡ると、青葉が街頭の灯りに繁り、その葉の先にあの店のガラス戸が見える。あんなに小さな店に、あれほど素敵な空気が閉じこめられているなんて。
彼女はまた明日も来たいという衝動に襲われた。しかしすぐに、明日の夕方までには戻らなければならない自分を取りもどした。夫は九州の学会から八時には戻ってくる。だから五時までに家に帰らないと夕食の支度には間に合わない。でも、それまでは自由なんだわ。
時計を見ると、十時を過ぎている。四時間もあの店に居ただなんて、信じられない思いでもう一度腕時計を見ると、矢張り、針は十時十分を指していた。
翌日、目が覚めると全てを忘れてしまい、化粧が終わるとすぐに大阪に戻る気持ちになった。昨日の晩の出来事は遠い彼方に消えてしまい、ホテルから見る京都の空は六月の太陽がまぶしく降り注いでいた。
タクシーに乗って腕時計を見ると、十一時だった。今戻っても誰もいない。息子は現役で東京の大学に入ってくれたし、長女は結婚してOLとして働いているから、年に二度ばかり顔をみせるだけだ。
お昼を食べてから帰ろうか、そう思いながら、タクシーの運転手に「どこかおいしい店はありますかしら」と訊くと「そりゃあいくらでもありますがね、時間があるんなら、折角ですから、弘法市においでになったらいいでしょう」
「あら、今日は弘法さんなの、子どもの頃、父に連れられて来たことがあったけれど、まだあるの」
「まだあるとは驚きましたね。あるもないも、たいへんな賑わいですよ。千軒からの店が押しくらまんじゅうでもしているみたいに軒を並べて、何でも売ってます。特に最近はすごい人気でね、全国からお客が来ます。子どもの頃おいでになったんなら、是非行ってみたらいかがです」
奨められるままに行ってみると、門の入り口から人があふれている。小さな店が所狭しと品物を広げて、売り声が飛び交っている。瀬戸物、下着、植木、骨董品、反物、薬味、薬、、、、。
人混みに押されて見ていると、大きな口の女が墨を山のように積み上げて大声で客引きをしている。中国の墨だそうだ。
「そこのご婦人」と女は彼女に声を掛けた。「この墨で書けば、今までよりも十倍はうまくなるよ」
「私、書はやりませんの」
「やらなけりゃ日本人じゃないよ。手紙を電話で済ませるようじゃ、堕落しているくんだよ。この墨で手紙をお書きなさい。そうすれば、思いが電話より百倍も伝わりますよ」
確かにそうかも知れない。手紙なんて、年賀状以外に書くこともなくなった。昔はあれこれと考えながら鉛筆をなめていたこともあったけれど、でも確かに筆で手紙を書けたらいいだろうな、彼女は本心からそう思う。あれほど無我夢中で育てたのに、娘からも息子からも、感謝の手紙一通もらったこともない。手紙か、、、『手紙を電話で済ませるようじゃ、堕落しているくんだよ。この墨で手紙をお書きなさい。そうすれば、思いが電話より百倍も伝わりますよ』
女の声が耳の中で鳴っている。でも、私は誰に思いを伝える必要があるのだろう。もう誰一人いなくなってしまった・・・・。
雑踏に押されてゆくと、不思議な旗が目に留まった。
『恋文屋』
足がひとりでにそっちに向いてゆく。外国人が二三人、店の前に陣取って品物を見ている。何と書いてあるのか、と一人が質問している。でも、英語で質問しているのだから、店の主人も困るだろう、そう思って女が立ち止まると、
「これを見ていただければわかります」と男の声だ。
あれは、昨日の兜煮の人。彼女は人混みをかき分けて店の横に回って中の様子を窺った。確かに昨日の人だった。
外国人が見ているのは優雅な手になった書だ。緑色の和紙に流れるような文字が記されている。
恋すてふわがなはまだきたちにけり人しれずこそ思いそめしか
歌に続けて、文が書いてある。小さな文字なので読めない。すると男は英語で説明し始めた。
「若い時に恋をするというのは誰でもできる。でも、ある年齢になって、人を見目も出来る、恋も経験した、でも、まだ人生が終わったわけじゃない。もやもやした気持ちで日々を送っているときに、ふとあなたは女に出会う。マジソン郡の橋でカメラマンが出会った女のような人に。でも、何も言えない。現実は映画とは違う。だから、いくら心に思っていても、口に出すことはできない。そうしている間に時が過ぎてゆく。でも、男は我慢出来ずに、恋文を送る。すると、女からも密かに文が届く。ああ、 こんな夢のようなことがほんとうにあるなんて、男は女に会える時を思って、文を書き続ける。と、まだ逢いもしていないのに、男と女の噂は世話に広まって、風のように人々の口の端を漂っている。その風を留めよとしても、どうしようもない、風はきままに吹いてゆく、あたかも、男がほんとうの恋に浸って恍惚としているかのように人々の耳目をうばいながら、どこまでも吹いてゆく・・・・そうしたことが書いてあるのですよ」
「それがこの歌の意味ですか」
「そのままではありませんがね、私は恋文屋ですから、恋の歌をこうして文に書き換えているのです」
「そうですか、、、ところで、これはいくらですか」
「一万円です」
「いちまんえん、それは高いです。もっと負けてくれませんか」
「恋文に値引きはありませんよ。負けたら、恋に負けますよ」
「しかし、一万円は高いです」その外国人はポケットの財布を触りながら他の仲間の顔を見ている。
女はつくづくとその恋の歌を見ていた。この人はこんな仕事をしていたのか。恋文屋、なんて素敵な響き。でも、生きて行けるのかしら。
気付くと、外国人たちは引き上げていた。彼女は前に回って男の顔を見つめた。男は女を見て、ちょっと驚いたようだった。
「昨日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ、失敬しました」
女はその失敬という言葉に、狭いトイレを思い出していた。
「あの外国人、買うと思っていましたのに、買わなかったからほっとしました」
「え?」
「これ、どこからか仕入れたのですか」
「いいえ、私は商売人じゃありません。看板通り、恋文屋です」
「では、あなたがお書きになったのですか」
「そうですとも、ここには百枚ばかり持ってきましたが、全部私が書いた売り物です」
「まあ、少し見せていただいてもよろしいでしょうか」
「どうぞ、気の済むまでご覧になって下さい・・・しかし、こんな時に何ですが、ちょっとお願いがあるんですが」
「私に」
「はい」
「何でしょう」
「実は、私は、頻尿の癖がありまして、さっきから我慢ができなくなっているのですが、店番を頼めるような仲間が今日は誰もいなくて困っていたんです。申し訳ありませんが、二三分、留守番をしていただけませんか」
「ここで、品物の番をするのですか」
「はい、もちろん、客が来ても待たせていただければ結構です。どうせ来やしませんが、すぐに戻ります」
男はそう言い残すと、人混みを走るようにかき分けて姿を消した。
「あきれた男だ」と墨屋のおばさんが大声を出した。「客に店番をさせるなんて、なんて恥さらしなんだろう。あなた、あの男をご存知ないんでしょう」
「ええ、いえ、少しだけ」
「それでも、あの男には見込みなんて有りませんよ。だって今朝から一枚も売れてないくんだから。今時、恋文なんぞ誰が買いますかね。あんたも、騙されて買ったりしないほうがいいですよ」
家に戻ると、まだ誰もいなかった。彼女は自分の部屋に買ったばかりの恋文を張った。でも、なんとなく秘密めいた行為にやましい気がしてきたので、ダイニングの壁に貼って料理をしながら眺めていた。
『恋に浸って恍惚としているかのように人々の耳目をうばいながら、どこまでも吹いてゆく・・・・そうしたことが書いてあるのですよ』あの男の声が耳に響いている。
ただいま、という声がして、夫が戻ってきた。
「総会はいかがでしたか」
「どうもこうもないさ、くだらない発表が多くてね、専門医の点数稼ぎが見え見えだ」
「お風呂に入りますか」
「いや、疲れすぎた。飯が先だ。テレビ掛けてくれないか。サッカーはまだやってるだろう」
「ナンチャンネルですか」
「どこでもいいさ、ぐるぐる押してれば出てくるだろう」
男は食べながらテレビを見、ビールを飲んで、ソファーに横になった。
「お風呂に入ると疲れが取れるのに」
「後にするよ」
夫はあくびをしながら靴下を脱いだ。それからふと壁に貼った緑色の文字に気付いて、
「あれは何だい」
「弘法市で買ったんです。きれいな文字でしょう」
「そうかね」
「恋の歌ですよ」
「恋とはな、古い話だね、ところで僕は明日は東京で学会だ。議長をしなけりゃならんから、七時には家を出なけりゃならない。夜は懇親会で、土曜日までは帰れない」
「土曜日までですか、じゃあ、私もたまには東京に出てみようかしら、息子にも会いたいし」
「それは君の勝手だけど、僕は仕事だからね。それに大学に入ってのんびりしているのに、やたらと母親が尋ねてきたら迷惑だろう」
「迷惑だなんて」
「そんなものさ」
「じゃあ、私はどうしていればいいんですか」
「どおって、好きにしてればいいじゃないか、僕は君に携帯電話を持たせて行き先を確認するような馬鹿な亭主じゃないからね」
夫を見送ると、彼女はあの歌を畳に広げてつくづくと眺めた。いままであくせくしていた自分が嘘のようだった。
書棚を探したが、歌集は一冊もない。身支度を調えて本屋で古今集と百人一首を買った。
壬生忠岑 三十六歌仙の一人。天徳四年、内裏歌合に出詠した時、平兼盛の歌と合わされて敗れ、これが元で死んだという話は有名。
なんて素敵な話かしら。彼女は幾度も歌を口ずさんだ。次の弘法市までなんてとても待ちきれないと、彼女は思った。
高瀬川沿いのあの店に寄ると、ご主人は手持ちぶさたに窓の外を見ていた。
「おや、おいでなさい」
「ごめんなさい。食事は後からまいりますけれど、教えていただけないでしょうか」
「はあ、どんなことでしょうか」
「あの・・・先日、あのカウンターの端で鯛の兜煮を食べていらした方、あの方と弘法市でお目に掛かったんです」
「そうでしたか、毎月あの人は店を出しますからね、それで何か買いましたか」
「はい。百人一首の歌を買いましたが、是非、他の歌も見せていただきたいと思いまして」
「他のね」
「それでお教えいただきたいのですが、あの方の店の住所はお分かりでしょうか」
「そりゃ、わかりますよ。この近くですから」
「まあ、ご近所なんですか」
「そうですよ」主人は表に出て指さしながら、「ここをまっすぐに行って、橋を渡って突き当たったら、東に、、」
と説明していたが「面倒だからお連れしますよ」
「でもお店は」
「どうせまだ時間が早いから誰も来ません」とさっさと歩き出した。主人は下駄をはいている。下駄の歯の音がなんとも心に響く。
橋を渡り、路地を入るとたばこやの隣に小さな看板が下がっている。
「恋文屋」素通しのガラス戸の奥に二畳敷きほどの店があり、香袋や千代紙が重なっている間に、男が座って書き物をしている。
「精が出ますな」と料理やの主人は戸を開けた。
「君か」男はいいながら彼女を見つめた。
「いや、さっきな、この方が見えて、お前さんの店を教えて欲しいというんでお連れしたのさ。それじゃ、気が向いたらまた、帰りにでもお寄り下さい」と主人は下駄の音を響かせて戻つて行った。
店の奥で人の気配がする。奥様かしら。そう思っていると、男は、
「あれは生徒なんですわ」
「生徒さん」
「書を教えてます。恋文を売るだけでは食ってはいけませんから、書を教えてます。と言っても、茶道や華道のようにはいきません。みんな外国人です」
「外国人」
「そうですよ。日本人は文字の美しさには鈍感になりました。若い人なんぞ、筆文字なぞ見向きもしません。ところが外国から日本へ来ると、これが日本だというようなものが欲しくなる。まずそれを買う。次に、自分でも書きたくなる。それで生徒になるというわけです。一週間の即席の生徒ですが、それでも、何もしないよりましですからね」
上がって見物したらいかがです、というので、奥に上がると、五人ばかりの外国人の若い男女が懸命に歌と取り組んでいる。どこからか香の香りがする。