「閻魔庁の籔医竹軒」 第八話  無可有の郷

 眠っていると思っていたが、気がつくと五、六歳の子どもと母親が庵の入り口に立っていた。

「あなた方はどこから来たのです」

「あちらの岩山を三つ越え、賽の河原を渡ってまいりました」

「それは大変なご苦労でしたでしょう。で、どうなさりました」

 竹軒が尋ねると母親は子どもを前に押し出して、

「この子は生まれた時からひ弱で夜泣きがひどく寝小便も毎晩でしたので、育てるのに苦労いたしました。始終喉を腫らして熱をだしたかと思えばゼーゼーと苦しそうな息をして、これではとても育つまいと思っておりましたので、仏さまに『どうか私の身に変えて、この子の病を治して下さい』と祈り続けましたら、その祈りが届いたのでしょうか、私が喘息になり、この子はすっかり治りました。ところが疫病が流行って、せっかく治ったというのに、この子は死んでしまい、私も同じ時に死んだのでござります」

「それはお気の毒であったが、この子はまだ胸の病があるのですか」

「はい、生前ほどではありませんが、やはりひ弱ですぐに風邪をひき、寝汗もかきますしおねしょもしばしばいたします」

「それはお困りであろう。のう、お前の名は何と申すのかな」

「正太郎」

「良き名じゃ。では正太郎、舌を見せなさい・・・どれ、なるほど、舌にひどい苔が生えているぞ。これではごはんもまずかろうのぅ」

「うん」

「それではな、おじさんが良い薬をこしらえてやろう」

 そう言いながら竹軒は薬研にサイコ・ハンゲ・ニンジン・タイソウ・ショウキョウ・オウゴン・カンゾウの七種の生薬を入れて磨り、小柴胡湯を作ると、

「これはの、お前を丈夫にする薬じゃよ。脾胃が弱っているのをよくしてくれるからな、飲み続ければきっと鬼の子とも遊べるようになるぞ」

「ほんと」

「嘘は言わぬ、さあ、飲ませてやりなさい」と母親に手渡すと、子どもは喜んで白湯と共に飲み下した。

「では今度はお母さんに神秘湯をこしらえるとしよう」竹軒はマオウ・キョウニン・コウボク・チンピ・カンゾウ・サイコ・ソヨウを薬研に混ぜながら、「あなたは子どもが病弱なので神経過敏になっておるようじゃ。それがために胸のうちが穏やかでなく、気が立って肝の陽気が過剰になり、喘息のような病気になっておる。その時には神秘湯はとてもよく効く」そう言って飲ませると、母親はほっと安心したように明るい顔になって、「もし子どもがまた苦しくなりました時には参りますので、どうぞよろしくお願い致します」と頭を下げて出て行った。

無可有郷を飛ぶ仙人

墨絵 佐賀純一 画

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 竹軒が二人を見送って薬研を拭いていると、人の気配がする。振り向くとボロをまとった仙人のような男が笑って見下ろしている。

「あなたはどなたですか」

「わしは東海鼈(べつ)というものじゃ」

「・・・聞き慣れぬお名でござりますが・・・私に何かご用ですか」

「用というようなものはないのだが・・・通りがかるとそなたが疫病で死んだ親子を治療しているのが見えたので、無用なことをしていると思ったまでじゃよ」

「無用とは・・・如何なることでしょうか」

「そなたは生前医者であったのであろう。そして死後も、医者であることがわざわいして無用な仕事を繰り返している。何とも気の毒ではないか」

「・・・」

「過ぎし世、そなたは生涯を患者の治療に精力を費やしたのであろうが、病人は少しも減らず、逆に何倍にも増えたではないか。そして死んでからもまた同じ過ちを繰り返して地獄に病人を増やしている」

「・・・」

「やめよ、やめよ。古(いにしえ)の真人は、生を喜ぶこともなかったし、死の世界に入ることを拒むこともしなかった。そうしたことを知らずして医術のみに時を費やすことは無益だ。そなたは功徳を施しているつもりであろうが、仁術をもって人に接すれば、人はそなたにより多くの仁術を求める。名声が高まればますます多くの病人が押し寄せるようになり、寝る間もなくなり、くたびれて時には処方を誤るであろう。また時には治療をしても死ぬ者も出るであろう。すると世間の者はお前を“薮医者!”と罵り、閻魔庁に誤診の訴訟をするであろう。またいくら苦労をしてこしらえた薬であろうと“この薬の災いで死んだのだ”と怨むであろう」

「・・・」

「あやういかな、危ういかな。徳をもつて人に接し、仁術をもって病を治そうとすることは」

「・・・では、あなたはどうすべきだとおっしゃるのですか」

「真っ直ぐに伸びた大木はたちまち伐られ、宮殿の柱にされたり船に作られたりする。灯火の油はなまじ役立つために、我と我が身を焼いて尽きる。桂の木はその根が有用であるために根こぎにされる。人間も同じ事。なまじ才があると、世間にこき使われ、楽しみも知らず、真実も知らずに、死んでしまうという憂き目を見るのだ」

「しかし、病んで居る者が訪ねて来た時に、知らぬふりをして苦しむままに放置しておくことなど出来るわけがありません」

「では仮に、さきほどのような母子が十人きたとしよう。すると十倍の薬草が必要となろう。そしてその効能によって病が治ったとすると、噂を聞いて百倍の患者が訊ねて来るであろうが、その時は今の千倍の薬草が必要となろう。するとどうなるとお思いか」

「・・・」

「太古の昔、南海に(しゅく)という帝王が居り、北海には忽(こつ)という帝王が居り、中央には渾沌(こんとん)という帝王が居った。と忽が渾沌の土地を訪ねてきたので、渾沌は手厚くもてなした。これに感激したと忽は『われわれ人間には七つの穴があって、これで見たり聞いたり食ったり息をしたり排泄したりしている。ところが渾沌にはそれがない。どうだ、ひとつ渾沌にも穴を開けてやろうではないか』。そこでと忽は毎日ひとつずつ渾沌に穴を開けていったが、七日目になると、渾沌は死んでしまった」

「・・・」

「と忽は人間の尺度で渾沌という自然を量り、人の基準で自然を改良しようとした。彼らの欲望は尽きず、一つの穴は倍になり、十倍、千倍、万倍になって、渾沌は死に、やがて、人間も滅びるのだ」

「・・・」

「医術も人間の欲望に過ぎぬ。千倍の生薬が必要となれば、山も野も荒れ果てるであろう。人間はどこまでも自然の富を追い求め、これを使い尽くすまで追求を止めぬであろう。人間にとって善であることは、自然にとって悪であるかも知れぬ。人間を病から救うことは、自然を殺すことにつながるかも知れぬ」

「・・・」

「捨てよ、捨てよ・・・何もかも捨てて、真人になろうと努めることだ。万事自然に委ねて計らいを止めよ。そうでなければそなたを待っているのは、後悔だけであろうよ」。

*

 東海鼈が言い残して立ち去ろうとすると、庵の入り口に人影が立って出口を塞いだ。

「どうやら貴殿は荘子の思想を信奉しているようですな。荘子は『自然に因りて、生を益(ま)さず』と申しているし、先ほどの渾沌の死も『荘子』に記されている。天が人間を造り、生命を与えたのだから、天の命じるままに生き、死ぬ時が来たら死ねばよいというのが荘子の考えだ。そして貴殿もまた、彼の思想に共鳴して、自然に生きることが真人の生き方であり、死すべき人間を助ける医術は自然天命に反していると主張する。そうなのだね」と男は言った。

 男の眼光は炯々として百里の彼方まで見通してしまうような気配を放っている。東海鼈は男の出現に一瞬戸惑った様子だったが、気を取り直して次のように反論した。

「万物は根源から生じ、根源に戻ってゆく。故に、そこから生まれた者は、一切の出来事をあるがままに肯定すべきなのだ。青年期の楽しみは良し、また老年も良し、生も良し、死もまた良し、万物は無限の変化をするが、そこには何の区別すべきものはない。これを良しとし、あれを悪とする立場に立っている者は真実に生きることはできない」

 これを聞いて男は微笑すると次のように言った。

「貴殿は根源の境地に立って人間を見下しているようだ。それはあたかも大鵬が天空から人間を睥睨し、軽蔑し、哀れんでいる姿をも想像させる。だが、人間は地べたに生まれ、地べたで食い、地べたに死ぬように生まれている。大鵬のように宇宙を飛ぶことはできない。竜のように雲を駆って嵐を楽しむことも出来ぬ。その小さな人間に、君は自然という途方もないものを突きつけて、これを模範にせよ、と迫っている。これは愚かなことではないか」

「・・・」

「貴殿は、人間は自然に生きるべきだと言すが、果たしてそうか。もしも人間が自然のまま野放しにされたらどうなるだろうか。人間は真人になるのだろうか・・・・とんでもない。過去の歴史を見れば、人間の正体がはっきりと見える。・・・・誰も承知しているように、古代中国には偉大な王と賢人と思想家がきら星のごとく現れた。そして、どうなったかね・・・真人の国となったのかね・・・その反対だ。人間共は、猛獣もあきれるばかりの闘争と陰謀、戦争と屍の山を築くことに明け暮れた」

「・・・」

「人間が如何に愚かであるかについては一々申すまでもないことだが、折角だから一つだけ良い例を見ることにしよう。

 秦の始皇帝が大陸を統一する以前、多くの国々が覇権を争っていたが、斉は天才的政治家管仲の智恵によって急速に強大になった。しかし管仲が死の床についたので、斉公は誰を自分の後継者にすべきかを管仲に尋ねた。というのも、斉公には十余人の子があったからだ。管仲は斉公の推薦する王子たちを良からずとしたが、公は管仲の意見には従わなかった。

 管仲が死ぬと斉公は愚かさをむき出しにして、身近にどん欲な者共を数多く侍らせた。その筆頭は易牙だが、彼はもともと料理人で、王の機嫌を取るために己の息子を殺して食肉にして献上したような人非人だ。このような輩に取り巻かれて斉公は堕落したが、やがて斉公も死ぬと王子たちの中の有力な者五人が勢力を争って内戦状態になった。そのため、宮中には斉公の遺骸を納棺する者がひとりもいなくなり、屍は六十五日も放置され、宮殿の中から虫が這い出てくる始末だった。ある太子は自分より先に王となった者を殺害して自らが王に即位したが、彼も暗殺され、殺した者も暗殺された。暗殺と復讐の連鎖は果てしなく続き、戦乱は民衆を巻き込んで、ついに斉は国威を喪失した。

 このように人間は抑制がなくなると、互いに欲望を達成しようとして親兄弟も女子どもも殺し、足を切り、八つ裂きにし、釜ゆでにして権力を奪い、またその恨み故に殺戮が起きるのだ。古代中国では秦が統一を果たすまで乱世が五百年余りも続いた。そして統一後も独裁と虐殺の歴史は留まることを知らなかった。故に、人間は抑制されず、自然のままに放置されると、こうなるという見本が山ほど見られる。そのような人間に向かって、自然に生きよ、というのは、死ねというに等しいと思うのだが、貴殿はそれでも自然に生きよと主張するのかね」

「では、こちらからもお訊ねするが、あなたは人間には理想はない、つまり、理想の存在としての真人の存在は無意味だと申されるのですな」

「いいや、否定はしない。一切を放棄し、国家をも放擲して無に帰れという荘子の教えは耳に快く響く。だが、人間は残念ながら無可有の郷(むかゆうのさと)に悠然と過ごすことはできない。なぜなら、造物主が人間に欲望を与えたからだ。老子や荘子は欲望を捨てた真人なのかもしれぬが、そんな人間は暁天の星よりも少ない。後に残された浜の真砂ほどの人間は欲望の海に溺れている。それらの人間を少しでも楽に生きられるようにする為には、国家に独裁者が生まれぬように定める法がなくてはならず、また、そうした国家の法を支える哲学と宗教が緊急の要であろう。それらの学問を定め、運用するのが優れた人間の役目だ。人間世界に真人や聖人は無用なのだ・・・朝廷の官僚は人民の安寧のために国家を治め、医者は苦しみから患者を救うために医術を施す。これは人間にとっては必然の成り行きだ。

 竹軒先生は目の前に苦しんでいる者が来たらその者を助ける、それは人間が生きて行くためには有用な行為であり、善ではないか。それとも貴殿は、病人は苦しむのが自然だからと言い聞かせて、七転八倒して死んでゆく病人を平然と見ているべきだと主張するのかね」

 男がそう述べると、東海鼈は笑って、

「君の理屈には一理ある。しかし、と忽の同類であることには変わりない。やがてそのような人間の欲望は渾沌を殺し、自然を殺し、人間自身もまた破局を迎えるだろう」と言い残して、飄然と立ち去った。

*

 竹軒は男の学識と威力に恐れ入って庵の隅に立っていたが、東海鼈が出て行ったので、白湯を汲んで男に近寄ると、

「私の無力をお救い下さいましてお礼の申しようもありません。しかし、私は、あなた様を閻魔庁で一二度チラリとお見かけしただけでお名前を存じ上げませんが、もしよろしければお聞かせいただけませんでしょうか」と訊ねた。男は白湯を飲んで目をつぶり、やがて口を開くと、

 わたの原 八十嶋かけて こぎ出ぬと 人には告げよ あまの釣舟

と口ずさんだ。これを聞いて竹軒は、この人物が、生きている頃からあまりの天才故に、現世と地獄の間を往復している、と噂された小野篁(たかむら)であることを知ったのである。

 篁は白湯を飲み終えると意外にも「先ほどの東海鼈の言葉にも真理がある、特に無可有の郷の話は魅力ですな」と呟いたので竹軒は、

「それはどう言う意味でござりますか」と尋ねると、

「私は宮廷で参議を努めた。しかし家柄や有職故実に制約されて身動きができなかった。自由に生きられたらどれほど楽しかろうと常に考えていた。その時読んだのが『荘子』だ。そこに無可有の郷のことが書いてあった。巨大な大木がある。しかし瘤だらけだし曲がりくねっているので何に使うこともできない。人々はこれを見て、でかいばかりで役に立たぬつまらぬ木だと罵った。しかし荘子は『役に立たぬことは良いことだ。この大木を無可有の郷に移して、その傍らで彷徨ったり夢うつつの無為に過ごして、木陰で昼寝をしたらどれほど愉しいか。役立たずの木は斧で伐られたり危害を加えられることもない。無用のものがあるからこそ、世界はすばらしい』と言ったという。面白い話ではないか」

「・・・」

「しかし哀しいかな、我々は荘子が述べているようには生きられぬ。人間が世間に生きる限り無用・無能では食っては行かれぬ。では有能なら楽しく日々が過ごせるかといえばさにあらず、日々こき使われ、苦労も多い。私はそのような年月を過ごしてきたのでな・・・もっとも、今となってはそれも遠い昔のことではあるが」

 篁はそう言って目を半眼に閉じた。

「昔とは、いつの頃でござりますか」竹軒は白湯にニンジンを入れて沸かして茶碗に入れて勧めながら尋ねた。

「・・・大昔・・・私が嵯峨上皇にお仕えしていた頃の事だった。閉門を命じられ、やがて島流しになったのもその頃の事だ」

*

 承和五年、嵯峨上皇は藤原常嗣を遣唐大使に任じ、小野篁を副使として遣唐使を送った。奈良時代はしばしば遣唐使が派遣されたが、平安になってからは二度目、すなわち桓武上皇の御代・延暦二十三年、空海、最澄を伴って唐に渡った藤原葛野麿以後、三十三年目にしてようやく実現した国家の総力を挙げての大事業だった。比叡山からは大任を帯びて、最澄の弟子・円仁が加わり、選ばれし者は六百に上った。

 事件は出航後間もなく起きた。大使(藤原常嗣)の船が風波によって破損したのだ。大使は小野篁の船が無傷であることを知って、嵯峨上皇に自分の船と篁の船を取り替えていただきたいと上奏した。上皇は意見を容れ、篁にその旨の勅を下した。

「朝廷に仕える者は勅とあらばこれに従うのは当然だ。他の者なら黙って従ったろう。しかし私は我慢ならなかった。嵐に遭っても無傷だったのは私の指示が正しかったからだ。大使の船が破損したのは常嗣の指示が間違っていたからだ。その功罪を問わず、無傷の私の船に大使を乗せ、私には破れた船に乗れと命じる事は、常嗣に死なれては困るが、篁なら死んでも良かろう、というに等しい」

「・・・」

「私は勅を無視して勝手に下船し、邸に閉じこもると『西道謡』という漢詩を書いて嵯峨上皇の遣唐使政策を批判した」

「それはどのような歌でござりますのか」竹軒が尋ねると、篁は懐から矢立と紙を取り出して書き付けた。

  紫塵嫩蕨人拳手 碧玉寒蘆錐脱嚢

「それは・・・しちんのわかきさわらびはひと手をにぎる 碧玉の寒き蘆は錐ふくろをだっす、と読むのでござりまするか」

「いかにも、ではその意味は」

「さ、それが分かりません」

「それはの、表面は、早春の慶びと草木のいきおいよく生まれる様を歌ったもののように見えるが、実はそうではない。錐嚢を脱すという言葉は、『史記』の平原君伝にその言葉が見られ、意味するところはこうだ・・・。『それ賢士の世に処るや、たとえば錐の嚢中にあるがごとし。その存在は、時を経ずしてたちどころに現る』

 つまり、ここに云う賢士とは、平原君であると同時に私自身であり、錐とは、錐のように鋭い才能を備えている私自身の事である。そして嚢とは、その才能を包み隠すもの、世に出ることを妨げているもの、つまり古くさい国家そのものである。つまり私は、宮中をはじめ、律令制によって運営されている日本の国をずたぶくろにたとえ、鋭い錐のような才能をもつ私はそのずたぶくろの中に閉じこめられているのに耐えられず、切り裂いて飛び出そうとしている、と、こういうことを歌ったのだ」

「・・・何とも危険な詩でござりまするな」

「上皇は一読されるや激怒し、違勅の罪で小野篁を死罪にせよと命じた。しかし取りなす者もあり、上皇も私の才を殺すのは惜しいとお思いになったのか、罪一等を減じ、官位を剥奪して庶人となし、遠流に処すと決した」

「・・・」

「私は何の後悔も罪の意識もなかった。むしろ云いたいことを云ってさばさばしていたから、屋敷の縁に酒壺を出し、夜空を見上げて詩を口ずさんだ。

  人更に若いことなし 時すべからく惜しむべし

  年常に春ならず 酒を空しくすることなかれ

「ハハハ、だが、島流しの罪から朝廷に戻されると、また同じように勤めた。つまり私はいつも表の私であることに終始し、本当の自分、裏の自分であることは出来なかったのだ。だから・・・さきほどの東海鼈の話は良く分かる。しかし、我々はどこまでも人間であって真人からはほど遠い。それ故地獄に来てもまだ人間を引きずって、私は閻魔庁の役人のようなことをしているし、竹軒殿も医者を続けておられる。人はどこまで行っても人の世からは抜けられぬ。だが、無可有の郷の夢は忘れたくはないものだ。夢の中だけでも、何物ものにも囚われず無心に遊びたいからな」

 小野篁はそう言いながらニンジンの香りを楽しんでいた。竹軒はこれを聞いて、これまで自分の生き方に不平を漏らすことはあってもさほど深く思いを巡らすことはなかったが、やはり、世の中には優れた人というものはいるものだと改めて悟った。

『・・・無可有の郷・・・そのようなところに住むことができたら、どれほど素晴らしいだろう、今の今、何もかも捨てて出られたらどんなに愉しいだろう』竹軒はあれこれと思いめぐらせて湯を飲むのも忘れていた。すると不意に声がしたので、ビクッとして顔を起こすと、小野篁がこっちを見ていた。

*

「東海鼈との話に気を取られて忘れておった。実は竹軒殿に頼みがある」

「なんでござりますか」竹軒は夢から覚めたようにぼんやりと篁を見つめた。

「秦広王のために薬をこしらえてほしいのだ」

「・・・ご病気なのですか」

「秦広王は二千五百歳と聞いて居る。その年のせいか、最近は疲れやすく、特に下半身が痺れ、腰痛や冷えがひどいようだ」

「これは驚きましたな」竹軒はようやく我に帰ると

「秦広王までが病に罹るとは、想像もいたしませんでした・・・聞くところによれば、秦広王様の実体は不動明王であられるとか。そのように偉大な仏が如何なる因縁で病に罹るのでござりましょうか」

「疑念を抱かれるのも無理からぬ事である。だが、閻魔庁の十王とて木石ではない。五体を持ち、地獄で日々その役割を果たしている。十王たちは何千年という間、休むことなく罪人を裁いておられる。そなたたち医者も、日々病に冒された病人ばかり診ているのだから気の毒な職業ではあるが、十王はその何万倍もの罪人を裁かねばならぬ。というのも、人間は無限の欲があり、故に、無限の罪を背負って堕ちてくるから、閻魔庁はいつもごった返している。そしてそれら罪人は、十王の判断一つで刑罰の重さが決まる。役割の重大さに耐えかねて、時には寝込まれることもある。そうした時には十王の代わりをこの私が務めることもあるのだ」

 これを聞いて、竹軒はようやく医者の本能が目覚め、六味丸をこしらえようと、ジオウ・サンシュユ・サンヤク・タクシャ・ブクリョウ、ボタンピを混じて薬研で磨っていたが、磨りながらまたあれこれと思い出し、過ぎにし現世でも地獄でも、苦しんでいるのは人間ばかりではないのだな、仏でさえ無可有の郷で遊べぬとは・・・竹軒は秘かにため息をついた。

 薬を作ると、袋に入れ、篁に手渡した。篁は袋を受け取りながら竹軒の顔をつくづく見つめた。

「私の顔が、どうかしましたか」

「いや、あまりに真面目なお顔をなさっておられるのでな」

「・・・それは心外でござります。こう申しては何ですが、あなたさまのお顔の方がよほど真面目でござりまするぞ」

「アハハハ、確かに、おっしゃる通り。私は閻魔庁に仕えておる身、不真面目な様子は見せられませぬ。しかし、先ほど申したように人には表と裏があるのでな」

「それはまた、いかなる意味でござりましょう・・・」

 竹軒がこう言うと篁は表情を崩して「さあ、これ以上先生に薬を調合してくれなどと無粋なことは頼みませぬ・・・まず、お座り下され」とそう言って竹軒を囲炉裏端に座らせると、懐から酒壺を取り出した。

「白湯と薬湯ばかりの日々ではあまりにも殺風景で気の毒でなりませんので、持参しました」

「どこにこのような酒があったのですか」

「酒は命がある処、どこにでもある。鬼の里だとて例外ではありません」

 篁は竹軒の盃に並々と注いで、ささ、と勧め、自分の盃にも注いで歌謡った。

  一杯の酒は 百の心と信仰に値し

  一口の酒 支那の国に値する

  紅の酒の他に この世に何があろう

  千の甘い命に値する この苦さ

「変わった歌ですが、それは篁さまの歌でござりますか」

「私のような愚かな者にはこのように抜けた歌は作れぬよ」篁は笑ってまたひとつ、

  神のように天空をわが手につかめたら

  こんな天空は根こそぎにしてやろう

  新たにこんな天空を作ろう

  気楽で思いのままになるような

「まるでさきほどの東海鼈殿の世界のようですが」

「まことに・・・」篁は笑い、杯を干すとまた歌った。

  夜ごと乱れるわが心

  わが頬につたわるは涙

  狂える頭は充たされない

  逆さの酒杯が充たされぬよう

「それは・・・いったいどなたの歌ですか」

「同じ地獄の住人ですよ」

「お名前は」

「大宛国の西、ペルシャ帝国のオマル・ハイヤーム」

「ペルシャの・・・オマル・ハイヤーム」

「私より二百歳ほど年下ですが、天文学・数学・医学、あらゆる学問に精通している。だが今は何もかも忘れて酒を飲んでいますよ。そのうち先生にもお引き合わせしよう」篁はそう言い残して、歌うたいながら去って行った。

  春が来て 冬が去り

  人生の頁は繰られてゆく

  酒を飲め 悲しむな 賢者は言った

  世を悲しむは毒 酒こそそれを解く薬・・・

<第八話 終わり>

【付記・参考資料】 「世界の名著 老子 荘子 」中央公論社

「筑摩世界文学大系 司馬遷」筑摩書房 「筑摩世界文学大系 インド・アラビア・ペルシャ集」筑摩書房