「閻魔庁の籔医竹軒」 第七話 耳塚
王義之の千字文を手習いしているうちにいつの間にかうとうととしていたが、どこからか数え歌が聞こえてきた。ああ、子どもたちの声だ、数え歌とは懐かしい。私も昔は歌いながら遊んだものだ。耳を傾けていると、大勢の子どもが何かを蹴飛ばしながら数えているのだろう、カラカラと転がる音がする。どんな子どもが遊んでいるのかと外に出て見ると、向かいの山は濛濛たる黒煙に包まれ、煙の中に火柱が立ち上がっている。火山が爆発し、溶岩が噴煙と共に吹き上げられているようだ。不気味な轟音が轟く中に、数え歌が続いている。奇妙な節回しで、何を歌っているのか分からない。
歌を聞いてみたいという誘惑と、噴煙の恐怖のはざまを逡巡していると、不意に巨大な鬼が現れ、竹軒を毛むくじゃらの腕に掴んで、どろどろと煮えたぎる噴火口の上に連れて行った。燃え上がる溶岩と黒煙の間から、無数の剣が見える。数万・・・数十万本の剣が、火花を散らしながら車輪のように回転し、凄まじい音を立てている。
「お前をあの中に突き落としたら、どうであろうな」と鬼は薄気味悪く笑った。
「まさか・・・閻魔大王は私にそのような罰を与えたのですか」
「アハハハ、これほどの罰に値する罪を、どうして田舎の藪医者が犯せようか」
「では、誰が」
「見てみろ」
噴火口のすべすべした急斜面を、肉のたるんだ小さな裸の男が鬼に追い立てられて、よろめきながら下りてゆく。火山弾が容赦なく降り注ぎ、男は悲鳴を上げて逃げようとするが、鬼は燃えさかる鉄棒で脅して火口へと追い立てる。火口の底には剣の車輪が回転して、鋭い音を立てている。
「さあ、あの中に飛び込むか、それとも耳と鼻を削いで身代わりとするか」と鬼が詰問すると、小さな男はぶるぶると震えながら、
「勘弁してくれ! 許してくれれば、大判十枚をやろう」
その声が噴煙と共に巻き上がって、はっきりと聞こえる。
「貴様はそれほどのもので許されると思っているのか」
「では、大判二十枚ではどうじゃ」
「黄金を百枚千枚積んだとて、許すわけには行かぬ。あの剣は、お前が幾十度の合戦で殺した頭数だけそろっている。九十九万四千二百四十二本だ」
「・・・」
「あの中には、お前の甥の分も入っているぞ。お前は甥・秀次に関白職を委ねながら、信長の姪の淀という愚かな女に息子・秀頼が生まれると、秀次を自殺に追い込み、関白の妻子、家臣たちを捕らえさせ、三条河原に引き立てた。京の町は女房たちの悲鳴と哀願の声で氷雨が降るほどであったが、お前は笑って『殺せ、殺せ! 皆殺しにせよ!』と命じて、ことごとく磔に曝された。そうであろう」
「・・・」
「その罪業は免れがたい。すぐさま、あの剣の中に飛び込め」
「助けてくれ!」
「それほど助かりたいか」
「どうか助けてくれ」
「そうか、それほど命が欲しいのなら仕方がない。・・・命だけは助けよう。だが、その代わり、貴様の耳をそぎ落とし、車輪の中に投げ込むのだ」
「この耳を・・・」
「ぐずぐずするな」
鬼に急き立てられて、男は我と我が耳を削ぎ落として剣の車輪の中に投げ入れた。
「右耳一枚では許されぬ、左の耳も削ぎ落とせ」
「ああ、地獄の鬼とはなんと恐ろしい・・・」泣きながら男が左の耳も削ぎ落とすと、
「今度は鼻だ」
「何と、わしの鼻を削げと・・・それは血も涙もない言い草。鼻がなければ、良い香りもかげぬ、女共もわしが誰だか分からなくなるではないか」
「うるさい奴だ」
鬼は針のような毛の生えた指で男の鼻をつまみ上げると、あっと云う間もなくむしり取って、剣の中に投げ込んだ。
「ああ、わしの鼻が・・・」
男が号泣していると、もう一人、痩せた男が引き立てられてきた。男は尊大な顔と引き釣った目をして鬼を睨んだが、炎の鉄棒で撲られて、剣の車輪に微塵に砕かれてしまった。
*
噴煙の中から子どもたちの歌声が響いている。
この世で一番悪い者、その筆頭はお猿さん、
天下とってもまだ足りず、天に聳える城を建て、
金の茶室をこしらえて、己を見下す利休をば、
死に追いやって、その次に、関白秀次一族を、
皆殺しにして気が触れて、唐(から)朝鮮に兵送り、
敵の耳鼻切り取って、塩漬けにして送らせて、
一枚一枚数えしが、その秀吉は阿鼻地獄、
己の両耳削ぎ落とし、鼻もぺろりと切り取って、
業火にあぶってスルメにし、それを己が食っている、
大悪党とは秀吉よ
二番目に悪い者、それはうつけの信長よ、
桓武の御代に建てられた、国家鎮護の叡山を、
戦火に掛けてもろともに、僧侶も尼も首刎ねて、
「何という恐ろしい歌だ・・・だが、秀吉という奴は、最後まで何と醜い・・・」
「そうとも、あの者は日本国最大の極悪人の一人故、己の耳と鼻を削ぎ取って、耳塚ほどの高さになるまで積み上げねばならぬ」
「耳塚・・・」
「いかにも耳塚だ。秀吉は己の野心と狂気故に文禄・慶長の役を起こし、朝鮮・明国を我が物としようと誇大妄想に取り憑かれ、数万の兵を送り込んだ。当時は敵を殺した時に、その戦功の徴として首を斬り取って功名を得たのだが、朝鮮から何万という首を持ち帰ることは出来ぬ故、敵の鼻や耳をそぎ落とし、塩漬けにして送らせた。その耳と鼻が山のように積み上がったのを見て、秀吉は大いに満足し、塚を築かせた。それが京都鴨川のほとりの耳塚だ」
「・・・」
「このような無惨きわまりない蛮行の報いによって、彼奴は病に罹り、日ならずして死んだのだ。だが、これほどの大罪を犯しながら、死んだからといって、全てが終わりというわけにもゆくまいて。それ故、太閤秀吉は、地獄の火口で己の耳と鼻を削ぎ落とし、山と積み上げるまで業苦に苦しまねばならぬ」
「・・・しかし、我と我が身で削ぎ落とした耳は、剣の車輪でバラバラ斬られ、噴煙に吹き上げられている・・・あれでは、いつまでたっても塚にはなりますまい」
「そうとも、それ故、彼奴は未来永劫、己の耳鼻を削がねばならぬのだ」
三番目に悪い奴、それは北条の餓鬼政子、奈良平安の都をば灰にして、
己の子どもを暗殺し、親の時政追い払い、重臣たちを皆殺し、
とうとう天下の尼将軍、則天武后そのままよ、
その罰を見よ、政子のありさま、日々猛火に身を焼かれ、鉄鍋油で煮詰められ、
口から焼けた血液を、ドックドックと飲まされる、
政子はあまりの苦しさに、恨みの眼差しで獄卒に、
何故お前はこれほどに、この私をば容赦なく、
憐れもなしに攻め立てるや、
これを聞いて獄卒あざ笑い、
汝生涯欲痴のために、無数の者の命を奪い、
花の都を灰燼に帰したる罪は千万劫年、許されることはなからじと、
政子を槍で突き刺して、針の山に投げ捨てたり、
四番目に・・・
聞いているうちに竹軒は全身に悪寒がしてきたので、逃げようとしていると、枯れ木の下で鬼の子たちが輪になって手をつなぎ、数え歌を歌いながら蹴鞠をして遊んでいる。・・・よくよく見れば蹴鞠と見えたのは誤りで、なんと人の骸骨だ。
「あれは誰の骸骨ですか」と竹軒が震えながら聞いてみると
「日野富子という婆の首だ。足利将軍義政の正室でありながら山名宗全と結んで応仁の乱をたきつけて、花の御所を灰にして、関所を設けて銭を取り、米相場や金貸しで、山ほど財を積みながら、室町幕府を操って、京の都を浅茅が原にした極悪婆だ」
*
数え歌はまだ続いているが、竹軒は聞く気にもなれず、心が重たくて幾度もため息ついていると、
「大事な患者がいるから来てくれ」と鬼が云う。はて、これほどに恐ろしい業罰を与える地獄に・・・大事な患者とは、いったい誰かと思いつつも、薬箱を小鬼に担がせ、ひと山越えて枯れ木の山に入って行くと、大勢の鬼どもが庵の前で合掌している。案内されて中に入ると、僧侶が二人と従者のような侍が数人、竹軒を待っていた。外で小鬼たちが唄っている。
家康様は偉い人、百年続いた戦国を、
見ん事きれいに止めさせて、合議制度で国治め、
焼け野が原に町建てて、川を引いて田を作り、
焼き尽くされた一万の、寺院伽藍を修理して、
日本の国を人の住む、豊かな国に導きぬ。
その心には第一に、
空海・最澄の教えなる、曼荼羅こそが住み着きぬ。
曼荼羅とは一口に、全てこの世に在るものは、
神仏の命と心得て、ひとえに尊崇する教え、
たとえ卑賤の者とても、また皇族貴族に生まれても、
猿や狐や鬼神とて、曼荼羅世界の一員にて、
和合こそが肝腎ぞ、曼荼羅世界には隔てなし、
唐天竺も高句麗も、新羅百済も日本も、
同じ曼荼羅の命にて、国に違いはあるものか、
互いに争うこともなく、友誼こそがその絆、
良き教えを分かちつつ、永久の平和を生きるこそ、
空海・最澄の教えなり、そのお二人の御教えを、
天海和尚に頼みつつ、家康公は日本の、
荒ぶる民を従えて、聖徳太子の理想をば、
この世に広く伝えんと、高き望みを胸に秘め、・・・
歌声はいつ尽きるともなく続いている。やがて一人の威厳に満ちた僧侶が、
「貴方が近頃まいられた竹軒先生ですか」
「はい」
竹軒はあたりの気配に気圧されてグビリと生唾を飲み込んだ。僧侶は竹軒を凝視して、
「竹軒殿、お話したいことがござりますので、私と共に別室においでいただけませんか」
導かれたのは寺の方丈のようなところだが、天井がない。青空を雲が流れ、鳥の声が聞こえる。
「地獄に来て鳥の声を聞いたのも、青空を見たのもこれが始めてです」と竹軒が云うと、
「あの空の彼方に極楽があると聞いています・・・ところであなたは聖徳太子の憲法をご存知ですか」と訊くので、竹軒は恥じて、
「最初の一行しか知りません」と答えると、
「それをご存知なら十分です。しかし他の条文も大いに重要です。たとえば十条には次のように記されています。
いきどおりを絶ちいかりを捨てなさい。人が従わないことを怒ってはなりません。人には皆それぞれの心が有ります。各人それぞれは自分の心の思いに囚われがちです。心が異なるのですから、彼は我では無く、我は彼ではありません。
我という存在は必ずしも物事の道理に通じた者ではありませんし、彼も必ずしも愚か者では無いのです。共に凡夫な存在なのです。人間全てが凡夫であるというのが道理であり真実なのです。
人間はお互いに道理に通じた者でもあり、同時に愚か者でもあるのです。まるで金輪に端が無いように、私たちの存在は限りがあり、しかも、堂々巡りをするのが常なのです。
彼が人を怒る事があっても、その人の愚かさを嘲笑う前に、自らを顧みて我がしくじりが無いかどうか、心配しなければなりません。自分一人が適任と考えても、その考えは正しいとは限らないのですから、皆に合わせて同じ様に用いなさい。
「聖徳太子のこのような教えが権力者や民衆にくまなく行き渡っていたら、戦乱は起こらず、貧窮して餓死するような者もないでしょう。しかし人間は悲しい。偉大な先人の教えは一文字も読まず、聞こうともせず、ただ、己の欲得を満足させようとして、他人を踏み潰し、財を山のように積み上げて更に高い山をと望み、万人に塗炭の苦しみを与え、自らは死んで後、阿鼻叫喚地獄で炎に焼かれるという愚かさを、繰り返しているのです」
「・・・」
「人間は何故これほど愚かな生き物なのか、私には分かりません。がしかし、時には信じられないほど素晴らしい人物も生まれるのです。それは丁度蓮の花が泥の中に花咲くように、屍の山に希望をもたらす人物が生まれるのです。そうした人物のお一人に、私は出会いました」
「・・・」
「そのお一人とは、徳川家康公です」
「家康公・・・ではあなた様は・・・もしや、天海僧正様」
「はい・・・如何にも天海です。しかし私は家康様に長く仕えながら、大御所を病から救うことが出来ず困り果てています。生前から胃の腑に病が巣くっていたのですが、それが地獄へ来てからも再発して、今は粥もすすれず、とてもお苦しみの様子、困り果てていたところ、名医の噂をお聞きし、ご来駕いただいた次第」
天海和尚の話では、現世にあった頃から耳鳴り肩こりに悩まされておられたが、最近は顔が紅くなり、ゲップがしきりに出て、食欲もなく、時には悪心、嘔吐があるという。
「このままでは衰弱するばかり、何とか出来ぬものだろうか」と天海僧正は大いに心配な様子だ。
竹軒は一体全体自分のような者に家康公の病が治せるであろうかと思い、また、もしも地獄で衰弱して死んだら、その先はどうなるのだろうと考えたが、地獄の先のことなど一向に分からない。これこそ「鬼神は語らず」と孔子が述べたように、分からぬことは山のようにあるものだ、とは思ったが、そんなことはどうでもよい、他に医者がいないとなれば仕方がない、何とか処方してみようと決心してその旨を打ち明けると、天海僧正は喜んで竹軒を病室に案内した。
竹軒が懼れながらと近付いて、御腹を診察すると、明らかに胸脇苦満がある。しかも顔は逆上せて赤く、肌が黄ばんでいる。竹軒はこれを見て、常日頃書きしるしている書き付けの一文を思い出していた。
「太り気味にして、肩こり・耳鳴り・悪心嘔吐があり、加えて肌が黄ばみ、胸脇苦満があるならば、これ大柴胡湯用うべし。まずはシャクヤク・サイコにハンゲ、オウゴン・タイソウ・キジツに加え、ショウキョウにダイオウを混うべし」
そこで竹軒は鬼が担いできた薬箱から生薬を取りだして、薬研で混ぜ合わせ、磨り上げた薬を白湯で溶くと、
「これは大柴胡湯と申す薬でござります。きっと効くものと存じます」と差し上げると、それまで半眼を閉じて身動きもしなかった家康公は、ゆるゆると目を見開いて竹軒を見つめたが、半身を起こして茶碗を受け取り、一息に飲んだ。
飲み終えると気持ちよさそうに莞爾と微笑んで、
「真にそなたは地獄第一、他に並ぶことなき名医ならん」と竹軒を讃え「このような所ではお礼の品といっても思うようなものは何もないのだが、ただ一つ、生前から慈しんできた鳳凰の香炉がある。この香炉の香りを聞いていると、古き良き頃の日本が思い出されてな、それで我が身から離したことはなかったのだが、竹軒殿にこれを差し上げよう」と申されたので、竹軒は恐懼して、
「私は医者の役割をわずかに果たしたに過ぎません。また、そのような品をいただいても、我が身のような者には過ぎたるものにて、香炉に押しつぶされる夢を見てうなされるに相違ござりませぬ。どうか、こればかりはご容赦くださりませ」と申し上げたので、家康は楽しそうに笑って竹軒を見送ったのだった。
<第七話 終わり> 注:「耳塚」は京都市東山区、豊国神社前に祀られています。インターネットで「耳塚」と入力しますと、詳細を知ることが出来ます。<著者記>