「閻魔庁の籔医竹軒」 第二十話  マキャベリ    (本日休診 処方なし:審問見物のため外出)

  道のべの 野原の柳 したもえぬ あはれ嘆きの 煙くらべに

 薬研を磨りながら竹軒はあれこれと考えていた。この歌が原因で定家卿は後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、閉門蟄居を命じられて、それ以後お二人の関係は破綻したという。この歌がそれほど上皇の気に入らなかったのはなぜなのか。また、定家卿ほどの歌詠みならば、これを内裏の歌合わせに提出したりすればどのような結果を招くか、分からぬはずはない・・・聞くところによれば、定家卿は他の者に比して官位が低いことに憤懣を抱いていたので、それでこのような恨みがましい歌を詠んだのだ、という。また別の者は、この歌会が催された日は母・美福門院加賀の遠忌にあたっているので、母を述懐する心を詠んだ歌であるのだから、官位昇進の遅滞に対する恨みなどではない、と言う者もある。またある者はもともと定家卿は上皇の日頃の行いに批判的な見方をしていたので、腹立ち紛れにわざと上皇のご機嫌を損ねる歌を詠んだのだという・・・。

 さて、いずれの説が正しいのやら・・・竹軒が薬研を押していると戸口に人影が見える。

「・・・おお、これはこれは、心寂房殿、つい今し方、定家様の事を考えていたのです。不意のお出では、もしやお具合がよろしくないのではありますまいか」

 竹軒がそう訊ねると、心寂房は

「いやそうではありません。これから閻魔庁で興味深い審問がありますので是非竹軒殿をお誘いしたいと申されております」

「はて、特別な審問とは?」

「それが異人でしてな、西欧の政治家であるとの事です」

「西欧の政治家・・・何故定家卿はご興味があるのでしょう」

「詳しいことは分かりませぬが、この男は国家を治めるための真理の書物を書きしるしたと豪語しているとの事です」

「国家統治の真実を書き留めたとは、また、たいした自信でござりますな」

「それがまことであれば、この世から戦争も陰謀もなくなり、平安の世が花開くということになりましょう。それ故、定家様は興味をお持ちなのでござりましょうぞ。詐欺師、高利貸し、悪逆非道な政治家共の裁判は見飽きましたが、それ程の人物の審理とあらば是非とも傍聴したいものです」と語るうちに定家卿の庵に着いた。定家は二人の到着を待ち兼ねていたので早速出かけることにしたのである。

 閻魔庁に近づくと、聞いたこともない声が聞こえてきた。どうやら西洋の歌らしい。地獄の闇が朗々たる歌声に震えている。鬼たちもその声の見事さに吃驚仰天して閻魔庁の方に駆けて行く。三人は大勢の鬼に立ち混じって急いだ。

 閻魔庁に足を踏み入れると、歌声はますます輝きを増し、百人の迦陵頻伽が雲上菩薩の琵琶の音に合わせて歌ってもこれほど甘く高貴には響くまいと思えるほど美しい歌声が天をも地をも満たしている。閻魔庁の役人たちは聞き惚れてうっとりしている。ところがこれほどの歌を歌うのは誰なのか、見ようとするのだが見えない。鬼たちが十重二十重に立ち見の見物をしているので垣間見る隙もないのだ。竹軒は我慢できず、背の高い鬼に向かって、

「何が起こったのか教えて下さい」と頼んだ。鬼は、

「近頃ある男が死んで審問を受けるためにやってきたが閻魔帳には《この男は現世で歌手として高名を馳せていた》と記してあるので『歌って見よ』と閻魔大王が命じたところ、このような有様になっているのだ」

「いったい誰なのです?」竹軒は尋ねたが鬼はそこまでは知らぬという。知らぬとは情けない、審問の場に行けば分かるものを、竹軒は無理矢理鬼をかき分けて行くと、定家と心寂坊も後ろからついてくる。ようやく前に出ると、大王が判決を言い渡しているところだった。

「ルチアーノ・パヴァロッティ、そなたは輝くばかりの美しい歌声で世界中の人々に夢と幸福をもたらした。よって天国へ昇ることを許可する」

 大王の声と共に暗黒の空に天国の門が開かれ、虹色の光に包まれた黄金の馬車が何千何万の天使に囲まれて花吹雪を降らせながら降りてきたかと見る間に、背に白銀の羽を持つ女神が現れてパヴァロッティの手を取って馬車に導き入れた。馬車は壮麗な音楽とともにふんわりと浮かび上がり、雲間から水晶のように透明な歌声を響かせながら遠ざかっていったが、やがて聞こえなくなり、天国の門も閉じられて、気がつくとどこもかしこも暗黒の闇に包まれていた。

 呆然とする暇もなく、閻魔庁では次の審問が開始されようとしていた。よほどの人物が裁かれるのか、裁判の場には閻魔大王だけでなく五官王、都市王など十王が顔を揃えている。尋問役には小野篁(おののたかむら)が立ち、その前に痩身の男が座っている。男の顔は紫色を帯び、鋭い目は蜥蜴のように油断なくあたりに気配りしている。あたかも全身を目に見えぬ論理の鎧で武装し、小野篁の姿にはゆったりとした中にも威厳があり、向かい合った二人の周囲にはビリビリとした敵意が漂って、

「マキャベリ殿、あなたが生前に公言されていた言説・諸説は、貴国ばかりでなく、他の国々にも同様に当てはめることが出来ると主張されるのですな」

 質問を受けたマキャベリという男はあたりをゆっくりと見回し、軽く咳払いをしてから、

「国家には、国民を抑圧し、統治する絶対的支配者が不可欠であるという私の主張は、洋の東西を問わず、また古今を通じて、普遍の真実であることは論を要しない事であります」と答えた。篁はすかさず、

「マキャベリ殿、あなたの主張する絶対的支配者とは独裁者に他ならないが、なぜ独裁者の存在が国家には不可欠なのか」と問うと、マキャベリは、

「もし全権を掌握した統治者が存在しなければ、そこには限りなき闘争が果てしなく繰り返され、その国家は必然的に破滅するということは歴史的事実として何千何万回と証明されている。人間が権力欲、支配欲、所有欲、色欲、生存欲を持つ限り、人間は野放しにしてはならず、従って、私の『君主論』『政略論』は真実を述べているし、その真実は、洋の東西、時代を超越した真実であることは間違いない事実である」

 篁とマキャベリの討論はいきなり佳境に入ったので、閻魔庁に集った面々は二人の対決に息を飲んで聞き入った。

<篁>「では訊く。あなたはイタリアルネッサンスという特殊な時代に生まれ、しかもフィレンツェ共和国の議会を率いる地位も経験している。ところがそのあなたが独裁者の存在を歓迎するというのは矛盾ではないか」

<マキャベリ>「国家というものは固定的に存在するものではない。常に外敵と内敵の関係によって揺れ動く。共和制はそのような一時代の産物である。しかしこれはうまく機能しなかった。ドイツ・フランス・イギリス・トルコなどの大国はすべて独裁者の支配下にある。イタリアが弱国であったのは英雄的独裁者が出現しなかったからだ。私がフィレンツェの共和制を認めたのは妥協に過ぎない」

<篁>「では、あなたは貴族や人民の合議による国家の運営よりも、独裁制のほうが優れていると主張するのですな」

<マキャベリ>「いかにも。これは西洋世界ばかりでなく、イスラム諸国にも共通している真実である。西欧世界と対立関係にあるイスラム世界には多くの思想家が輩出したが、その中で抜きん出た思想家にイブン・ハルドゥーンが居た。彼はその著『歴史序説』に於いて、

『人間は本質的に互いの権利侵害や確執といった動物的性質を持っているために、誰でもが、必要なものは何でも手を伸ばして取ろうとするし、他の者は自分の財産が脅かされることに怒りと恨みを抱き、そこから憎悪と敵意が生じ、戦いが始まる。こうした状態は無政府状態であるが、人間はもともとそのような欲望に満ちた存在であるから、放置すれば滅亡する運命にある。しかし神は人間の滅亡を望まず、人間が生き延びるようにと定めた。統治者はそうした神の意志を受けてこの世に生まれたのであるから、統治者が人間の欲望を抑圧するのは神の意志である』とイブン・ハルドゥーンはこのように述べている。

 西欧諸国とイスラム国家はあらゆる意味で相容れぬ存在であるが、国家に於ける権力者の必要性に関しては一致している。故に、私の言説は、西洋の一国家、一時代にのみ適応する理論ではなく、時代を超越し、国家を超えて適用できる真理である」

 マキャベリの言葉はよどみなく、その態度はあくまで自信に満ちている。小野篁は苦笑して、

<篁>「では訊くが、あなたは国家の権力者・統治者には適切な者とそうでない者とが存在するとして多くの例を著書に記しているが、最も模範とすべき君主はヴァレンティーノ公、俗称、チェサザーレ・ボルジアであると『君主論』に記しているが、異存はないだろうか」

<マキャベリ>「無論、その通りだ。彼は君主として具えていなければならない資質は全て備えていたし、強力な意志と行動力と、強運を兼ね備えていた。故に彼は戦乱と陰謀の渦中にあっても、多くの敵から身を守る事が出来たのだし、民衆から愛されると共に懼れられ、兵士は命令に従い、古い制度を改革して新しい制度を作り、軍隊を最新鋭のものに整備した。これらをもってしても、模範とするに足る君主である」

<篁>「しかし、彼は血も涙もない陰謀家としての名も高いが」

<マキャベリ>「それは君主には付き物のつまらぬ中傷に過ぎぬ」

<篁>「中傷であるか否か、それについては君の『君主論』に書き記してある記述をもとに、十王にご判断いただくことにしようと思うが、マキャベリ殿にご異存はござるかな」

<マキャベリ>「異存はない」

<篁>「『君主論』には次のような事実が記されている。チェサザーレ・ボルジアはフィレンツェの東のロマーニャを侵略し、占領したが、そこには暴力とありとあらゆる残虐行為がはびこっていた。そこで彼は自分の補佐役・レミルロをロマーニャの宰相として派遣した。レミルロはあらゆる権限を駆使して叛乱を抑圧し、民衆を取り締まって治安を取りもどした。こうして政府に反対する暴力行為は静まったが、実はこうした冷酷な手段を講じたことに対してロマーニャの人民は深い恨みを抱いた。叛乱の芽は地下に潜ったのだ。こうした状況の報告を受けたチェサザーレ・ボルジアは、ある手段を講じることにした。それは民衆の恨みをレミルロ独りの責任にして、自身は民衆の側に立っていることを示すことだった。そこで彼はある朝、兵士の一隊を差し向けてレミルロを捕らえ、町の広場に晒し者にし、レミルロを真っ二つに切り裂いて、死体の傍らに木の板と血刀を置かせた。その木の板には『レミルロは有能な人物であったが、ロマーニャの人民に苦しみを与えた罪は免れがたい。よってチェサザーレ・ボルジアはこの罪人を処刑した』

 これを見て民衆はチェサザーレ・ボルジアを褒め称えたが、同時に深く懼れたという。あなたはこうした行為を認めるのか」

<マキャベリ>「やむを得ぬ戦略だ」

<篁>「側近を道具として使い、残虐な死に追いやっても、仕方がないといわれるのだな」

<マキャベリ>「如何にも」

<篁>「では、次の条項はどうであろうか。チェサザーレ・ボルジアはロマーニャを自分の領地とするためにはローマ教会の承認を得なければならないが、ロマーニャには彼と覇権を争う貴族が存在した。彼らは数百年に亘りその領地と深い関係にあったので、ローマ法王庁の枢機卿たちの多くはそれら貴族がロマーニャを支配すべきであると考え、チェサザーレ・ボルジアの支配には好意的ではなかった。そこでチェサザーレ・ボルジアはある手段を取ることにした。その第一は、自分の奪った国の君侯の血統をことごとく根絶やしにする陰謀である。これには毒殺、暗殺なども用いたが、妹のルクレチアを王侯と結婚させ、彼女に夫を殺させたこともあった。しかも、チェサザーレ・ボルジアはルクレチアと近親相姦にあったというが・・・」

<マキャベリ>「ロマーニャを支配するためには貴族を抹殺することは必要な手段であった」

<篁>「では、彼がとった第二の手段は如何。これは、チェサザーレ・ボルジアに反対する勢力の口封じをするために、枢機卿たちを毒殺したという行為、これは正しいのか」

<マキャベリ>「ローマ教皇はメジチ家に秘かに金を貸し、メジチ家はその金を各国に貸し付けて莫大な利益を貪ってローマに儲けさせていた。従って、ローマ法王庁の堕落は明らかである。たとえそれが法王庁であうと、堕落した者は排除されてしかるべきである」

<篁>「しかしボルジアの父、アレクサンデルはローマ教皇の地位にあり、枢機卿候補から莫大な金を貢がせ、しかもひとたび枢機卿になると次の候補から金を取ることが出来なくなるため、枢機卿を毒殺したと記されているが、これは犯罪ではないのか」

<マキャベリ>「個人の利益のために行えば犯罪である。しかし国家のためであれば、容認されるべきだ。チェサザーレ・ボルジアの父であるアレクサンデル教皇は個人のためではなく、カソリック王国のために金儲けをしていたのだから当然容認されるべきである」

<篁>「ではボルジアの計画第三・・・領土保全を図るため、近隣諸国を攻撃するための軍備を整え、速やかに軍事的に制圧すること、これも国家にとっては良いことであるのか」

<マキャベリ>「当然である。チェサザーレ・ボルジアはトスカーナの支配者となるべき人物であったから、素早くペルージアとピサを攻略し、次の侵略に備えていた。もしもアレクサンデル教皇が思い掛けない死に会わなければ、チェサザーレ・ボルジアはフィレンツェの君主となっていたであろう」

<篁>「しかし、そうはならなかった。アレクサンデル教皇は、先ほども私が陳述したように、気に入らない枢機卿を次々と毒殺したが、誤って、毒薬の入ったワインを自身で飲んでしまい、あっけなく死んだ。しかもチェサザーレ・ボルジア自身、毒入りワインを飲んで、ひと月もの間苦しみ、その果てに死んだという。これはあまりにも愚かな暴君の最後と言うべきではなかろうか」

<マキャベリ>「運命が彼にほほ笑まなかったのは不運であった」

<篁>「では、マキャベリ殿は、チェサザーレ・ボルジアという人物が非難にあたいするどころか、全ての君主にとって模範とすべき人物として推薦するという意見は、あくまで正しいと申されるのですな」

 小野篁がこう訊ねると、マキャベリはそのように当然のことは訊くまでもないであろうと言いたげに無言で横を向いた。

 竹軒は話を聞きながら、チェサザーレ・ボルジアという人物が戦国時代の武将・織田信長と酷似しているのに驚いた。織田信長はあらゆる手段を用いて敵を攻略し、制圧した。妹を政略の道具として駆使し、酷薄非道な政略を推し進め、何十万もの人の命を何のためらいもなく奪った。これは紛れもない歴史的事実である。しかもこうした行為を行って天下人となろうとした信長を、理想的英雄と評価する者が少なくない事実を考慮すれば、チェサザーレ・ボルジアを理想の君主とするマキャベリという人物の理論も全くばかげているとは言えぬのかも知れぬ・・・しかもその死に方も興味深い。チェサザーレ・ボルジアは敵を殺そうとして仕込んだ毒薬入りのワインを飲んで死んだのだし、信長も、本能寺に護衛兵も置かずに宿泊し、それまで顎でこき使ってきた明智光秀にむざむざと殺されたのだから、その滑稽な死様もどことなく似ている・・・竹軒は思わず苦笑したが、審理はまだ続くようだ。

 小野篁はいささかの疲れも見せず、次のようにマキャベリに質問した。

<篁>「マキャベリ殿、あなたは『政略論』に於いて『国を奪われた人間を国内に生かしておけば、簒奪者は安泰であり得ない』と述べ、国を奪われた者あるいはその血族はどれほど恩恵を施されても何の役にも立たず、復讐の時を狙っているものだと述べているが、それはいかなる時にも正しいとお思いか」

<マキャベリ>「まさしくその通りである。我がイタリアのみならず、フランス、イギリス、スペインでは陰謀反逆は日常茶飯事であったから、王であるものは、王位継承権を持つ者を根絶やしにする事は必要にして善なる行為だった。私が生きていた頃のイギリス国王はヘンリー八世だったが、彼はチェサザーレ・ボルジアに優るとも劣らぬ才能の持ち主だった。

 ヘンリー八世は自分の身を危うくする者には酷薄非情を通し、側近、近臣を次々と殺し、六人妃のうち二人を獄死させた。なかでも二番目の妃、アン・ブーリンとは大恋愛の末、先の妃キャサリンと離婚してまで結婚したのだが、その際、ローマ教皇庁のクレメンス七世はこれを認めなかったので、ヘンリー八世は教皇庁を離脱してイングランド独自の国教を建て、アン・ブーリンと正式に結婚した。ところが彼はやがて彼女を疎んじるようになったので、姦通罪・近親相姦・魔女などの罪をでっち上げてロンドン塔で斬首刑に処した。エリザベス一世女王はその子だが、彼女は王位を安定させるため、王位継承権のある女王メアリーを斬首した」

<篁>「それらは国家を保つためには当然であったのだろうか」

<マキャベリ>「いかにも、それが正しい行為であった事は、古代ローマが冒した過ちを見れば明らかである・・・タルクィニウス・プリスクは古代ローマ五代の君主だったが、先代の王の子たちを根絶やしにしなかったので、果たして、先代のアンクス王の子たちに殺された。また、六代目の王、セルウィウス・トリウスはタルクィニウス・プリスクの子孫に殺された。というのも、タルクィニウス・プリスクの孫はセルウィウス・トリウスの娘と結婚していたのだが、娘は自分が王妃になりたいという欲望に囚われ、夫をそそのかし、実の父であるセルウィウスを殺して夫を王位に就け、自分は王妃となった。これを見れば、王となったからには、近親も子も心を許してはならないことは明らかである」

<篁>「それは恐ろしいことではないか」

<マキャベリ>「王位とはそのようなものである。聞くところによれば、貴国に於いても、同様の出来事は日常茶飯事であったのではないか。鎌倉幕府は源頼朝によって開かれたと史書に記されているが、調べてみると、源氏の血統は三代で絶えている。しかも二代目の頼家とその子一幡、三代目の実朝は北条氏の手で暗殺されている。また、頼朝の重臣たちも次々と根絶やしにされ、残ったのは北条氏独りである。この独裁を確立したのは頼朝の妻の政子と弟の義時だが、彼らは戦略と陰謀に長け、比企、梶原、畠山など鎌倉政権樹立の際の大功労者であった一族を政敵と見なし、そのことごとくを根絶やしにしたので政権を安泰にすることが可能になった。その意味に於いて、北条政子・義時という姉弟はチェサザーレ・ボルジアに匹敵する有能の支配者と言える」

 マキャベリがこのように述べ立てるので、小野篁は一瞬瞑目して唇を噛んでいたが、やがて瞼を開くと、

<篁>「あなたはその著書に於いて『国を奪われた人間を国内に生かしておけば、簒奪者は安泰であり得ない』と書きしるし、それがイタリア・西欧ばかりでなく、日本に於いても真実であるとして、北条氏の行為を正当化した。つまり、あなたの説は、単なる一国、一時代にあてはめることの出来る理論ばかりではなく、普遍的真実であると、このように主張されているようだが・・・」

<マキャベリ>「いかにも、支配者が国家を支配するためには、不可避な行動であり、正当な行為である」

<篁>「では、もしあなたの申されることと正反対の事実の存在を証明すれば、あなたの理論は真実ではないということになりますな」

<マキャベリ>「それは如何なる意味か」

<篁>「すなわち、あなたは『国を奪われた人間を国内に生かしておけば、簒奪者は安泰であり得ない』と述べ、日本に於いてもそうした時代があったと指摘したが、しかし反対に『国を奪われた人間を国内に生かしておいても簒奪者は安泰であり得た』という事実を示すことが可能であったら、あなたの理論は必ずしも普遍的真実ではない、ということが証明されたことになるのではないか」

<マキャベリ>「もしもそれが単なる机上の空論ではなく、また取るに足らぬ小国の一時の出来事ではなく、大国に於ける歴史的事実として証明されるなら、貴殿の申すことにも一理あるだろう」

 マキャベリがこう述べたので、小野篁は次のような歴史的出来事を開陳したのだった。

<篁>「天武天皇の皇系が支配した奈良王朝が終わり、八世紀には天智天皇の皇統を嗣ぐ平安王朝が成立したが、その実質的な初代は桓武天皇であった。当時、イタリアでは古代ローマ帝国は疾うの昔に滅亡し、イタリアは支離滅裂、弱肉強食の戦国時代となっていたようだが、平安時代は殺戮復讐とは無縁の栄華の時だった。栄華の種は、権力の座についた天皇が復讐の権利を自ら放棄したことに始まったのだ」

<マキャベリ>「全く信じられぬ」

<篁>「あなたには信じられぬであろうが、事実であるから、お聞きあれ。桓武天皇が身罷(みまか)られると、第一皇子が平城天皇となった。しかし四年の後、彼は自ら退位して上皇となり、奈良の都に移ることになった。平城天皇の退位を受けて、弟が即位して嵯峨天皇となった。こうなると貴族たちはみな嵯峨天皇に従い、平城上皇が公卿達に奈良に移るようにと命じても思うようにならない。上皇が憤懣やるかたない気持ちで鬱々と日々を過ごしていると、寵姫の薬子が、『何をお迷いになっている必要がありましょうか。弟を退位させ、もう一度天皇の地位にお就きになれば良いのです』と嗾(そそのか)したので、平城上皇はその気になって反乱軍を起こした。ところが嵯峨天皇は機先を制して、坂上田村麻呂ら歴戦の将軍に命じて上皇軍の行く手を遮断した。これによって反乱は完全に鎮圧され、嵯峨天皇は名実共に絶対的権力の座に就いたのです。この事件は世に『薬子の乱』として伝えられている事実です」

<マキャベリ>「なるほど、そうした事は当然起こりうる」

<篁>「では、こうした経緯をたどった『薬子の乱』の後、もしもあなたが勝利した絶対君主の側近であったら、どのような処分を具申しますかな」

 小野篁がこう訊くと、マキャベリは苦笑して、

<マキャベリ>「それは問われるまでもないことである」

<篁>「ということは、反逆者を根絶やしにすべきであると言うことでしょうか」

<マキャベリ>「いかにも左様、草の根を分けても皆殺しにすべきでしょう」

<篁>「では、あなたが嵯峨天皇の側近であったなら、平城上皇は勿論、その子であり皇太子であった高岳親王、阿保親王も死罪にすべしと上奏したでしょうな」

<マキャベリ>「当然の処置でござろうよ」

<篁>「あなたが権力者の側にいたら間違いなくそうなさったであろうし、チェサザーレ・ボルジアやヘンリー八世などの君主だったとしてもそうしたに違いない。しかし、日本の場合、あなたの処置とはまるで違う判決が下ったのです」

<マキャベリ>「それはどういう意味か」

<篁>「この謀反によって死罪となった者は誰一人いなかった。張本人の平城上皇は奈良の都にそのまま安泰に暮らすことを許され、嵯峨天皇はしばしば兄を見舞いに奈良まで訪れたほどです」

<マキャベリ>「・・・真実とは思われぬ・・・」

<篁>「これが真実であることは、いかなる史書にも記されている事実ですからご覧になられればよいでしょう・・・皇太子高岳親王は皇太子の座こそ解かれましたが、弘法大師空海の弟子となり、高僧となって、仏教の真理を尋ねて大陸に渡りました。阿保親王は皇族として宮廷に留まり、その子、在原業平、行平兄弟は日本文学史上不朽の名作となる和歌を残し、特に業平は伊勢物語の主人公として日本人には最も愛される人物となったのです」

<マキャベリ>「それは・・・真実にあった事か」

<篁>「ここは閻魔庁でこざりますからな、真実以外の何物も申すことはできますまい」

<マキャベリ>「では、平城上皇の子もその孫も、王権を狙って陰謀を画策したことはなかったのか」

<篁>「ありません。それどころか、阿保親王は承和の変の陰謀を未然に防ぐために働いているのです。そして、それよりも注目すべきは、嵯峨天皇の政策です。あなたはもしもこのように血族の中に陰謀が巡らされ、現実に反乱寸前になったという事実があったなら、その防止策としてどのような政策を立案されますか」

<マキャベリ>「・・・それは既に『政略論』に書いたが、具体的にはチェサザーレ・ボルジアの方策であろう」

<篁>「なるほど・・・しかし嵯峨天皇の策は全く正反対でした」

<マキャベリ>「ということはどういうことか」

<篁>「弘仁格式という法律によって死刑を廃止したのです。それ以降、日本には武家が台頭するまでの三百四十七年間、死刑がありませんでした。正規軍も桓武天皇の時に解体され、西洋のような軍隊は平安末期まで存在しなかったのです」

<マキャベリ>「徴兵も、志願制による兵力の整備もしなかったのか」

<篁>「地方豪族は小さな武士集団を抱えていましたが、それは戦争のためではなく、治安維持のためでした。王宮のあった京都には近衛兵の軍団は存在しなかったのです」

<マキャベリ>「近衛兵なくして王権が守れるはずはない・・・天皇個人の傭兵がいたのであろう」

<篁>「平安末期に至って独裁的上皇が現れ、北面の武士と呼ばれる一種の傭兵のような者が警護にあたりましたが、それまでの三百年間は傭兵など一兵も存在しませんでした」

<マキャベリ>「・・・」

<篁>「あなたはあなたの『君主論』『政略論』は普遍的真実であると述べられた。しかし、部分的には適合する事実はあるにせよ、普遍的事実ではないことが証明されたと思いますが、これを認めますか」

 マキャベリは沈黙した。

 小野篁が尋問を終えると十王は次のような判決を下した。

《独裁者の存在を肯定し危険な書物を流布させた罪によって、マキャベリを阿鼻地獄へと落とすべし》

 

 判決に従ってマキャベリは鬼共に引き立てられ、真っ赤な炎が吹き上げている穴の中へ投げ入れられた。彼が最後に挙げた悲鳴は、パバロッテイの天上の歌声とは正反対の絶望に彩られた絶叫だった。

 帰る道々定家と心寂坊、竹軒の三人は黙々と歩いたが、ふと竹軒が、

「もしもこの日本にもマキャベリのような人物がいたとしたならもっと多くの独裁者が現れたでしょうか」と尋ねると定家は、

「古今東西を問わず、独裁者は否応なしに出現するということは確かなことですが、独裁者の存在を肯定する理論は幸いにも日本にはありませんでした。そうした理論は日本の神話の思想とも、律令の議政官制度とも相容れぬ思想ですからマキャベリのような思想家は日本には現れぬと思います。しかしそれでも時には恐ろしい過ちによって独裁者が出現することがあるのは確かなことです・・・私は後鳥羽院に長く仕えておりましたが、その言動は聖徳太子のような優れた支配者とは天地ほどの相違がありました。ですから、承久の乱は必然時に起きたのでしょう」

 これを聞いて竹軒は、定家様が『道のべの野原の柳』の歌を詠んだのは後鳥羽上皇との縁を切るためだったのだ、と納得したのである。

<第二十話終わり>

付記・引用参考文献 

 ・世界の名著 マキャベリ 中央公論社

 ・人類の知的遺産 イブン・ハルドゥーン 講談社

 ・人物叢書 藤原定家 吉川弘文館  ・日本歴史大系 一 山川出版