「閻魔庁の籔医竹軒」 第十八話 蓬莱(ほうらい) (108番・人参養栄湯)
駒下駄の音が岩道に響く。いつも薬研を磨りながら足音を聞いている日々を送っているので、どのような人なのかおおよそ見当がつくようになったが、どうやら和服姿の女の人のようだ。足音が上品で下駄の音がいかにもさわやかに響く。はて、こんな足音をさせて歩けるのでは病人ではなさそうだが、竹軒がそう思っていると、「ごめん下さいませ」としっとりとした声がして、髪を島田に結い、朝顔模様の着物を着た中年の女性が庵戸から入って来た。
「お仕事中もうしわけありません」
「いや、患者が切れたものですから、暇つぶしに生薬を磨っていたところです」
「でも、お邪魔では」
「いいや、私は無趣味な男ですから、暇というものがあっても手持ちぶさたでどうにも身体の置き場がありません。物書きなら何か考えて作品でも書くのでしょうが、私はその才もないので、こうして薬研を相手に薬と話しをしているのです」
「まあ、お薬とお話しを・・・私の夫も同じようでございます」
「では、医者でござりますか」
「いいえ、物書きなのですが、いつもいつも机にしがみついて、夢中で書いているのです。来客が来てもまるで相手にしないので、お客は怒って帰ってしまいます。書いてなければ室内を歩き回って考え事をして、それは病気の時でも横になっていることはできないという人なのです」
「それはそれは・・・で・・・御主人は何と申される方でござりますか」
「小泉八雲と申します」
「・・・では、あなた様は、いつぞやおいでになった一雄君のお母様ですか」
「はい、その節は一雄が大変お世話になり、お陰様ですっかり元気になりました」
「これは、どうも、お訪ねいただいて光栄でござります。で、どうかなさいましたのでしょうか」
「夫のことでご相談に参りました」
「お具合がお悪いのですか」
「・・・主人は心臓発作で五十四の歳に亡くなりましたが、こちらへ参りましてからも始終心臓が気になっておる様子なのです。それで夫は是非先生の漢方薬を飲んでみたいと申すのです」
「・・・それは光栄なことでござりますが・・・」
「以前お世話いただきました一雄は生前から扁桃腺を病んでおりましたが、いくらお医者にかかっても治りませんでした。それがここに来て、薬をいただきましたらすぐに元気になって、あれから熱を出したことは一度もござりません。それで夫も是非先生にご処方いただきたいと申しまして」
「なるほど」
「ですから、本来なら、夫が自分で先生をお訪ねすれば良いのですが、何しろ書き物に熱中しておりまして、時間が惜しくてたまらないのです。生きている間もそうでしたが、こちらに参りましてからも一時も休もうとしません。それで仕方なく私がお願いに参りました次第でございまして・・・」
これを聞くと竹軒は夫人に椅子を勧め、自分は診察椅子に腰を下ろして、
「医者というものは患者の様子を拝見して、それから診断、処方というのが順序でござりますから、薬だけを差し上げることは困難なのですが、私も小泉八雲先生のお気持ちは十分に理解できます。ですから奥様が今現在の先生の様子をお聞かせ下されば、処方することも出来るかもしれません」
竹軒がこう言うと、小泉夫人は少し伏し目がちになって、
「私が一番心配しておりますのは、食欲がひどく無くなったと言うことでございます。それに、いつも身体がだるい、肩が痛い、書くのが辛いと申しまして、心臓あたりをさすっておりますので、私は『そんなに肩や体が痛いのは書いてばかりおいでになるからです。少しお休みになられませ』と申すのですが、『ここは地獄だから再び死ぬことはありません。漢方をいただければすぐに治ります』と屁理屈を言い立てて少しも言うことを聞いてくれません。ほんとうに困ってしまいます」
「なるほど・・・では、寝汗をかきますかな」
「毎晩のようにしっとりとかきます。手足が冷えているのに、どうして寝汗などと思うのですが」
「では咳もでるでしょうな」
「はい・・・それから、亡くなる数日前から『私はこの頃余りにも心を痛めましたから、新しい病を得ました』と申しておりましたが、今もそうおっしゃるのです」
「新しい病とは」
「心の病だと自分では申しております」
「ふむ・・・心の・・・」
「夫が心臓発作を起こしたのは『日本』という本を書き上げた時でしたが、それ以前から夫はとても怒っておるのです」
「怒っておられる?・・・それは何を」
「主人は古い日本が好きでした。松江にはじめて来た頃、日本には昔ながらの良い神が沢山住んでいると、それはそれは夢中になって楽しみました。私も古風な家に育ちましたから古い日本が好きで、縁あって一緒になったのでこざいます」
「・・・」
「あの人の一番好きなのは、夏、海の景色、田圃の蛙の声、虫の声、夜の闇、亡霊が居そうなお墓、浴衣を着た子ども、白足袋を履いた子どもの下駄の音、それから昔のおとぎ話は大好きで、特に浦島太郎が一番お気に入りでございました」
「・・・」
「それから夕焼け、蜻蛉、歌・・・子どもの歌は大好きで、夕暮れ時になるとペンを置いて外に出て、夕焼けの空を待っているのです。そして段々夕焼けが出てくると、私や子どもを大声で呼びます。私は子どもたちと大急ぎで駆けつけますが、それでも『一分遅れました。夕焼け少し駄目となりました。なんぼ気の毒』などと申しました。でも晴れ渡った空に夕焼けがいっぱいに広がった時などには、子供らといっしょに『夕焼け小焼け、あした天気になーれ』と歌ったりしました。それから横浜の海岸では子どもや大人といっしょになって、『開いた開いた何の花開いた、蓮華の花開いた・・・』を歌いながら遊戯をしたりしたこともございます」
「・・・私も昔、子どもの時分よく唱いましたが、すっかり忘れておりました・・・」
「夫は何でも書き留めて置くのです。そして私たちに唱ってみなさい、とおっしゃるのです」
「なぜ八雲先生はそのように書きとどめておこうとなさったのです? 日本の歌がよほど気に入っていたのでしょうか」
「それもありましょうが、夫の気持ちはもっと複雑なものでした。ある時難しい顔をして書き物をなさっておいでなので、私が机の隅に茶を置いて下がろうとしましたら呼び止めて、『節子さん、あなた、昔の子守歌を覚えていますか』とお訊ねになるので『少しなら』と申しますと、『じゃあお聞かせ下さい』とペンを構えておっしゃる。それで、祖母の歌っておりました出雲の子守歌を小声で歌いました。
ねんねこ! ねんねこ! ねんねこや!
寝たらお母へ 連れて行(い)なあ!
起きたら ががまが とって噛まあ!
私が歌いましたら夫は目を見開いて、『それは面白い、今、あなたは ががまが とって噛まあ! と歌いましたね』
『はい』
『ががまというのは、きっとお化けのことでしょうね』
『お化けはお化けでも、地獄の醜女(しこめ)のことだそうでございます』
『地獄の醜女?』
『イザナミ様が地獄に堕ちて鬼となった時、その姿を見て驚いたイザナキ様は逃げ出しました。そのイザナキ様を捕まえようと追いかけたのが醜女でござります』
『それはますます面白い。日本の国をこしらえた男神を、ががま共が追いかけたというのですね・・・これは必ず物語に書かなければなりません』夫は上機嫌でそうおっしゃいましたが、すぐに真顔になって、
『節子さん、あなたは現在の日本にいくつの小学校があると思いますか』とお聞きになる、それで私が『存じません』と答えますと、
『二万七千です。これは大問題です』
『・・・何が問題なのでしょうか』
『第一の問題は、教育の伝統が消滅することです・・・私がはじめてこの国に来た頃、子どもたちは祖父母たちに日常の教養を学んでおりました。着物の着方から礼儀作法、手習いや箸の上げ下げの仕方まで、昔の伝統に則って老人達がこどもたちに教えておりました。それから、子どもたちは街路や寺の境内で互いに教え合いました。数え歌や古い伝統のある歌を縄跳びやお手玉や遊戯をしながら覚えたのです。ところが今は、全て学校で教えます。西欧の音階によって書いた譜面に合うような歌だけを教えるのです。ですから、私が最初に聞いたような歌はもう聞くことはできません。そこで私は失われようとしている子供歌を集めて凡そ六項目にわけてみました。
一・天気と天象との歌
二・動物に関した歌
三・種々な遊戯歌
四・物語の歌
五・羽子突歌と手鞠歌
六・子守歌
私はこれらの歌を翻訳しようとしましたが、とても難しい。というのも、こうした歌は子どもたちがお寺や神社の境内に沢山集まって、気持ち良い晴れやかな声で歌うから良いのだし、それに小鳥が囀るように巧みで短い節回しや脚韻のない奇妙なリズムがなんとも言えず心を引くのです。私は何度か唱ってみましたがうまくゆきません』
そう申しますので、私は夫が書き留めた文字を頼りに唱いました。というのもそれは出雲の遊戯歌でございましたので・・・。
こな子よい子だ、どこの子だ? 問屋八兵衛の末娘!
何とよい子だ、器用な子だ! 機巧(きよう)に育って来たほどに、
親に十貫、子に五貫、せめておばばに四十五貫。
四十五貫のお金を何にする? 安い米買うて船に積み、
船は白金、艪は黄金、あさあ、押せ押せ、都まで!
都もどりに何もろた? 一にかんざし、二に鏡、
三に更紗の帯もろた! 絎(く)けてくだされ、おばばさん!
帯に短し、たすきに長し、
山田薬師の鐘の緒に!」
「そのような歌を、出雲では詠って遊んでおりましたのか」と竹軒はふと尋ねた。
「はい、私は松江でござりますが、出雲は隣でござりましたからよく聞いておりました」
「何とも言えぬ味がある歌でござります・・・それにしても、親には十貫お土産にやろうというのに、祖母には四十五貫とはどのようなことでござりましょうか」
「それは、子どものことはすべて祖父母に任されておりましたので、親よりも婆さまへの心遣いは大切なものでござりました」
「なるほど・・・それにしても、八雲先生は大変な資料を集めておいでだったのですな、驚くばかりです」
「夫は古い日本の美が限りなく好きだったのです。それが西欧から悪い思想や宗教が入って来て、何もかもメチャクチャにしてしまいました。蓬莱(ほうらい)の大気を、西の国の邪悪な風が穢している、その悪い風のために、古い日本は切れ切れになってしまった・・・と今でもひどく嘆いております」
「・・・八雲先生は、古い日本には蓬莱があると信じておられたのですか」
「はい。夫はよくこんな話を呟いておりました・・・
・・・蓬莱には不思議な物がある・・・それは蓬莱の大気である・・・そのために蓬莱における日の光は、どこの光よりも白い・・・乳のような光ではあるが、目をまぶしくさせることはない。驚くほど澄み渡っているが、はなはだ柔らかである・・・この大気は私ども人間の時代のものではない。それは非常に古い・・・それは全く空気でできているものではない・・・それは精霊、幾万億の霊魂・・・私どもの考え様と少しも似ていない考え様の人々の霊魂の本質が混合して一つの大きな半透明体となった物である・・・
蓬莱では邪念の何たるかを知らないから、人々の心は決して老いることはない。蓬莱の婦人の心は鳥の魂のように軽いから、言葉は鳥の歌のようである。そして戯れに乙女の袖の揺れる時は悲哀の外、隠される物は何もない、恥ずべき理由はないからである。それから盗みはないから、鍵はない。恐れる理由はないから夜も昼も同じく、どの戸口にも閂はさされない。それから人々は・・・不死ではないが、神仙であるから、蓬莱にある一切の物は竜王の宮殿を除いて、すべて小さくて奇妙で奇態である。そして、この神仙の人々ははなはだ小さい椀で御飯を食べ、甚だ小さい盃で酒を飲む・・・・
この蓬莱に、西の国からの邪悪の風が吹き荒んでいる・・・霊妙な大気は哀しいかな、薄らいでゆく・・・今はただ日本の山水画家が描く風景の上の長い雲の帯の如く、切れ切れとなり、帯となって僅かに漂うている。その帯と切れの下にだけ、蓬莱はなお存在している。しかし、外にはない。蓬莱はふれることの出来ないまぼろしという意味の蜃気楼とも言われる。そしてこのまぼろしは、ただ絵と歌と夢のうちでなければ、再び現れないように消えかかっている・・・・」
竹軒は夫人の口元を見つめた。古い日本の一切の美は、この唇の中にあり、新しい邪悪な日本は、唇の外いっぱいに漂って、口の中に残された最後の蓬莱をも駆逐しようとしているのかも知れない。
竹軒はおもむろに薬研にジオウ・トウキ・ビャクジュツなど十二種の生薬を入れ、黙々と磨り上げると、夫人に向かって、
「これは人参養栄湯ともうします方剤です。八雲先生は、古い日本が失われてゆくのを悲しむ余り、脾が衰えて胃が不調になり、気虚になったものと思われます。また、その悲しみが肝を刺激して、残り少ない陽気をかき立て、怒りを生んでいるものと思います。この人参養栄湯は衰えた気を養い、胃を整え、倦怠、動悸、寝汗を癒やし、手足の冷えにも大いに効きまする。どうぞ、これをあなたさまの心であたためて、日々三度ずつ飲ませていただきたい」
竹軒がこう言って手渡すと、夫人は薬を大切そうに風呂敷に包んだ。それから深々と頭を下げると、
「いずれ、時がまいりましたら、先生を是非ご招待いたしたいと存じます。夫も先生の薬を飲めばきっと良くなるに違いありませんもの」
そう言って、下駄の音を響かせて岩道を戻って行った。
<第十八話終わり>
参考引用文献
「小泉八雲全集」
「小泉八雲著作集」 「小泉八雲 田部隆次著 北星堂出版」