「閻魔庁の籔医竹軒」 第十四話 遊女と忠度(ただのり)
竹軒が二度目に北斎の長屋を訪ねた時、六軒長屋は病人だらけだった。
「どうも困っちまった。阿栄がそっちこっちから病人を連れてきて居候させてるもんだから、俺は隅の方に小さくなって、ろくろく絵も描いてられねえ」と北斎が言うと、阿栄が「だってほってはおけまいよ。この子は親もいないんだからね・・・先生、他の病人はともかく、この子を診てやってくれませんか、肌が赤むくれになって臭いんでね・・・かわいそうに、まるで体全体が腐った魚みたいになっちまった・・・」
竹軒は皮膚病の男の子の肌を診た。まるで強い火勢の薪を押しつけられたように真っ赤に爛れ、膿汁が流れている。
「これでは辛いだろう。だが安心しなさい。きっと治してやるぞ」
「ほんと?」
「嘘など言うものか。万が一嘘など言ったら、たちまち閻魔大王に舌を引き抜かれるからな・・・こうした病には特効薬がある。消風散じゃよ」
竹軒は大きめの薬研を取り出すと、セッコウ・ジオウ・トウキ・ソウジュツ・モクツウ・ボウフウ・チモを入れて混ぜ合わせ、更に、カンゾウ・クジン・ケイガイ・ゴボウシ・ゴマを加え、その後にゼンタイを砕いて入れ、磨り続けた。
「先生、今、最後に入れたのは、蝉の抜け殻ではありませんか」と阿栄。
「いかにも蝉の殻、ゼンタイじゃよ」
「そのようなものが、薬になるんですか」
「まあ見てなさい」
竹軒は磨り上げると子どもを起こして「さあ、一口飲みなさい。よいか、おまえの身体は如何なる因縁のためか、火山の溶岩のような熱さが血熱となってたぎっている。その熱が皮膚を溶かし、焼いて居るのじゃよ。セッコウはこの熱を冷やし、他の生薬は爛れた皮膚を優しく包む膜を造るのに役立つ。ためらわず、飲んでごらん」
竹軒がこう説明すると、男の子は湯と共に磨り上がったばかりの消風散を一息に飲み干した。
「どうじゃ」
「おいしい!」
「それはよい。きっと効くじゃろう。しかしすぐに治ると思ってはならぬぞ。これまでになるにはそれなりの因縁があったのじゃからな、当分飲み続けなさい。さすれば必ず治る」
竹軒がこう言うと、男の子は「うん」と肯いたが、その顔はひどくうれしそうだった。
「まあ、こんな顔は初めてだ。お前はきっと治るよ、よかったねえ」阿栄が男の子の着物を着替えさせている間に、竹軒は鼻垂らしの子どもには小青竜湯を、膝が腫れて痛がっている女には防已黄耆湯を、吐き気のある娘には小半夏加茯苓湯をこしらえてそれぞれに与えた。
一区切りついて竹軒がほっとしていると、この有様を煙草を吸いながら見ていた北斎は、
「さすがは先生、たいした腕だ。しかし病人の面倒はそれぐらいにして、気晴らしに俺の画を見ませんか」とそう言って鼻から煙を吐きながら、冊子を畳に拡げた。
「これは見事な鯉ですな。乗っているのは仙人のようじゃ・・・となると、これは琴高仙人ですかな」
「いかにも・・・こっちの冊子はちょいと曰く有りの話でね。というのも、つい先日団十郎が弟子を連れて尋ねてきて『今度の出し物に「娘道成寺」をやりたいんだが、何かこれまでと違う趣向にしたい、ついてはその下絵を描いてくれまいか』とこういう。で、『考えておきましょう』と返事して描いたのがこれだ。まあ見ねえ」
北斎が投げ出した絵を見ると、若い坊主が山道を逃げて行く。後から女が必死の形相で追いかける。女は右の手を男の方に伸ばしているが、その指の先が鋭い棘に変わっている。女の足も蛇になって、藪の中をぬるぬると這っている。男の顔は恐怖で真っ青だ。
「俺は自分が描いた絵を見ながら、これじゃ当世流と大してかわりゃしねえ。さて、どうしたものかとため息をついた。それでしばらく放り出しておいたらまたちょいと描きたくなって、それで描き上げたのが「遊女と忠度(ただのり)」さ。描き上がったら、これがなかなかの出来だ。それで団十郎が取りに来たからこいつを見せたら、『北斎さん、いくらあなたの絵でも、安珍・清姫をそんな風に描き変えられたら芝居にならない。ちゃんとした絵が欲しいんです』なんてぬかしゃがるから、「それじゃこっちをもっていけ」と最初のものを手渡した。そしたら大喜びで十両も置いていったが、そのお陰でこっちは残ったんだ」
北斎はそういいながら表紙をめくった。と、そこは何と、白砂青松の海辺で、年若い僧侶が呆然と彼方を眺めている。これはどうしたことだ、波が渚に打ち寄せる音までが聞こえるではないか・・・
「どうだい、いい景色だろう」
「・・・それはそうですが、しかし、あの坊さんは何者ですか」
「何者って、そんなことを俺がしゃべっちまったら面白くもなんともありゃあしねえ。紙芝居を見てりゃ分かるこった」
「しかし・・・これは・・紙芝居どころか、本当の景色じゃありませんか」
「そこが俺の絵の面白いところだ。まあ何が起きるかお楽しみだね」
北斎がそう言う声も虫の音ほどにか細くなり、目の前には芝居の場面さながら、物語が始まっていた。
※
<旅の僧の独白>のどかに波打っている青海原・・・沖には遠く海士人の小舟が浮かび、春風が波頭をゆるかに吹いている。こうした景色を見ていると、何もかもが夢のようだ・・・私の生涯を天地ほどにも変えてしまったのは確かにこのあたりなのだが・・・槍刀を振りかざし馬蹄の響きも勇ましく駆けめぐったのはこの砂地だったか・・・それとも老い桜が枝を笹に垂れているあたりだろうか。
僧侶が記憶をたどってそこここと探していると、どこからか女の声が聞こえてくる。
はて、こんな寂しい須磨の浦の夕暮れに、女が一人歌を詠んでいるとは奇態なことだ。おお、あそこに見えるのは白拍子、桜の木をめぐりながら小声で歌っているぞ。
わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩垂れつつ 侘ぶと答えよ
白拍子は松を巡りながら独り言をつぶやいている。
<白拍子の独白>その昔、中納言行平様は罪に問われて須磨に流され藻塩を焼きながら想う人の顔を思い描いて涙を流したと伝えられているけれど、私の想う方は無惨にも殺され、首は鎌倉殿の陣営でさらし者にされたと聞く。平家に歌詠みは星の数ほどあるなかで、俊成卿に才を愛でられ、千載集にまで名を留められたほどのあの方が、東戎(あずまえびす)の刀にかかり、光源氏の君ゆかりの浜でお果て為されようとは。せめて源氏の君が植えた桜の花の下で最期を遂げたという人の噂が心の救い、今日こそ歌に詠まれた桜を訪ね当て、回向せずには浮かばれまい。
そこへ五、六人の従者を引き連れた武者が通りかかる。
<武者>あれ、見よ、老松の茂る林の陰に被り物をした見目うるわしい白拍子が行くぞ。今夜は海女の家にでももぐりこみ、塩臭い女と手枕を交わすしかないものとあきらめていたのだが、夕暮れの春の浜辺であれほどの白拍子にお目にかかれるとはもっけの幸い、すぐさまここへ引き連れてまいれ。
従者共はすね当てを砂地に翻して松林に駆け込み、白拍子を担いで騒ぎながら騎馬武者の元へ走ってくる。
<武者>これはこれは白拍子、よくぞまいった。俺はこのような旅先で鎧直垂(よろいひたたれ)も埃にまみれ、自慢の太刀も黄金の色を失ってはいるが、先の合戦では公達首(きんだちくび)を四つも上げ、鎌倉公には手ずから黄金を授かった下野の住人、後藤四郎というものだ。今夜はお前の口からはやり歌の一つも聞き、その背に負った琵琶の音にも耳を傾けて、ゆるりと甘い一夜を過ごすことにしよう。なーに、そのように恐れることはない。むくつけき従者どもには指一本差させはせぬ。おい、どこかに仮寝の宿を探してまいれ。
従者たちが走り去ると、武者は馬を下りて白拍子の顔近くに髭ずらを寄せ、女の顔をしげしげと見つめる。
<武者>これはなんとも驚いた。俺はあちらこちら転戦して、数え切れないほどの女と共寝をしたが、おまえのような女に出会ったことはない。何と今夜は幸いなことだ。海の上には月も出たし、春風が海辺に吹き渡る。このような宵に出くわしたとは、どれほど前世の因縁がよかったものか。
武者が小手の紐を手荒くほどき、女の手を握ろうとすると、女は少し狂気じみた眼差しで男の顔を睨みながら手を振り解いて、小さな声でこう詠った。
いとどしく 過ぎゆく方の 恋ひしきに うらやましくも かへる波かな
<武者>それはどういう歌だ・・・答えぬか・・・この俺が歌の道に疎いことを知って嘲ろうというのか。言え、言え、言わぬか。ええい、白拍子の分際で、少しばかりの物知り顔が心憎い。見ろ、この手はな、長刀、弓、大槍で何十の敵を打ち殺した手ぞ。お前ごときにあなどられる後藤の四郎ではないわ。
武者が白拍子の両手を握り、今にも押し倒して抱こうとすると、松陰から旅の僧が現れる。
<旅の僧>げに世を渡るならひとて、かく憂き景色に出会うとは、塩汲まぬ身にも袖は涙に濡れ、心は怒りに燃えたぎる。どれ、ひとつ武者殿にご挨拶をせねばと思う。
これこれ、そこなる武者殿、須磨の浦の夕暮れにそれほどの女性に出会って心奪われたのはせんなきこと。しかしこの源氏の君ゆかりの浦で、手籠めにせんとは、もののふの恥、この僧に免じてどうかその手をお放しなされ。
<武者>何と、汚き姿の乞食僧が、鎌倉にもその人ありと知られた後藤四郎に手を離せとは、命が欲しくないと見える。この手はすでに地獄の鬼にも優る数の首を切り落とした手。坊主首をとっても手柄にもならぬが、邪魔立てすると、月の渚の貝殻のごとく、髑髏になること必定だぞ。だが俺も坊主を殺して後の世に悪縁を残したいとも思いはせぬ。直ちにこの場を立ち去れば命だけは助けてやろう。笹風が吹いている間に、さっさと立ち去れ。
<旅の僧>いやいや今宵は旅の僧もおとなしくは引き下がれぬ。というのも、その女人はさきほども歌を詠んでいたが、あれは在原の業平様の歌。
いとどしく 過ぎゆく方の 恋ひしきに うらやましくも かへる波かな
何もかもが過ぎゆく中で、人はいかに恋しくても昔に帰ることは出来ぬ。だが、目の前の浜辺に寄せる波は、大海原に呑み込まれてはまた返す。ちょうどそのように、その白拍子は昔を思い出して苦しみを胸に秘めているに相違ない。そのような女の心も知らで、夜伽をさせようとは、あまりにも無粋な心なき者と笑われようぞ。
<武者>黙れ、どうやら糞坊主はよほど命が惜しくないと見える。女を抱くに説教などききたくもない。そのそっくび、切り落としてやるから覚悟しろ。
武者はいいざま、大太刀を馬の鞍から引き抜き、砂を蹴立てて、坊主に詰め寄った。ちょうど戻ってきた従者共も、武者の後ろから坊主を取り巻いてつかみかかろうとする。旅の僧は武者と髭面の従者たちを見渡して、ため息をついた。
<旅の僧>何ということだ。あの無惨な戦いで、わしらが何をしたのか、今あらためて思い知らされる。あの時わしは、丁度お前たちのその姿そっくりだった。浜辺の風に思い思いに枝を伸ばした桜の陰も、世に名高い花の宿も、何も見えず、何一つ知らず、ただ目指すは黄金の兜を被った公達の首。その公達がいずれのおん方か、何をなされるお人なのか、名も知らず、ゆかりも知らず、ただ阿修羅となって飛びかかったのだった。その時のわしの姿がそなたにある。何と恐ろしい因縁だろう。地獄の裁きをこの世で見ているようだ。
<武者>言わせて置けば笑止なことよ。垢と泥にまみれた乞食坊主が、公達首の話をするとは、気が触れたとしか思えない。月も上がり、渚には海女の夕餉の煙が流れている。ぐずぐずするな、坊主を縛り上げ、女を連れて行け。
武者の声に、五人の従者は手に手に獲物を持って坊主を取り巻き、まず一番の大男がなぐりかかった。ところがいかなることが起きたのか、誰にも分からぬうちに大男は砂にまみれて気をうしなっていた。そこで他の四人が一斉にうちかかったが、たちまちうち倒されて、苦しげにうめいている。武者はこの光景に怒り心頭に発し、太刀を振りかざして打ちかかった。すると旅の僧は手に持っていた金剛杖で太刀を易々と振り払い、相手の脛を打ったので、武者は足を折られた蟹のように砂の中に倒れてしまった。
<旅の僧>塵の浮き世の芥川を心静かに歩もうと決意をして須磨の浦にやってきたのだが、憂き心にはあだ夢となってしまった。どうやらわしにはまだまだ前世の悪縁がつきまとっているらしい。だがしかし、白拍子の命を守れたことだけが救いというものじゃ。これこれ、白拍子、醜い争いを目の当たりにして、まことに驚いたであろうが、わしはこの世を捨てた身、決して危害を加えるようなことはないからどうか安心していただきたい。このままここに仮寝するわけにもゆくまいから、どこかに宿をお探ししようと思うのだが、いかがであろうか。
旅の僧がこう言うと、白拍子ははらはらと涙を流した。
<白拍子>私はごらんになられるような身の上の女。しかもこの須磨の浦は昔の面影は何一つなく、渚の砂を掘れば貝殻よりも髑髏が現れ、松の陰には折れた刀やさびた鏃が棘のように足を刺そうと窺っている。そのようなところに女一人が尋ねてまいったのでございますから、危うい目に遭うことも覚悟の上でございました。でも、このあたりは私のいとしい方が最後を遂げたゆかりの場所と人づてにお聞きして、今宵をあの方を忍ぶ命日と定めて身をつつしみ、心ゆくまで回向(えこう)しようと気持ちを固めてまいりました次第。白拍子の身の上に降りかかりました災難を、命をかけてお救い下さいました上人様に、心よりお礼申し上げます。
白拍子がこう言うと、旅の僧は女を見つめていたが、やがて、
<旅の僧>あなたのお言葉の端はしに、平家一門の憂いの陰が見え、しかもこの浦陰に一方ならぬ縁を持つお方と見えるのだが、差し支えなければ、あなたが身の危険も省みず回向しようとお思いになられているお方の名を教えてはいただけまいか。
<白拍子>いいえ、私は平家とは縁もゆかりもないものにございます。ただ、私は以前平家のお屋敷に呼ばれて琵琶をお聞かせしたりしたこともある遊び女。それが一ノ谷やら壇ノ浦でご一門が滅亡し、恩義に預かったお方も海の藻屑となったと聞いて、人の影に隠れて生きる身の上の私にもあまりに情けない今の昔に思われて、思し召しを授けて下さっておられた方にだけでも弔いをしたいものと、こうして渚の風を慕ってまいったのでございます。
<旅の僧>これは奥ゆかしい白拍子殿のお答え。身は貧しい生まれにありながら恩を忘れず供養に訪れたとは、世を捨てた数多くの僧たちの心の糧に聞かせたいもの。だが、私の目にはそなたの言葉が全てとは思えない。というのも、業平様の歌を詠みながら松の林の中を尋ね歩く様は、まさしく恋しい方の面影を追う、恋する人の姿そのもの。いや、お隠しあるな。この度の合戦に勝利した鎌倉方は、敵の武将のみならず、平家にゆかりのある者は女子どもにいたるまでことごとく命を絶てと、厳に命じられている故に、どこの誰とも知らぬ者に、そなたは平家ゆかりのものではないかと尋ねられ、“はい、左様でございます”と答える愚か者は世に一人もおるまい。だが、今のわしには源氏も平家もない。あの無惨な合戦までは最前の武者のごとき阿修羅ではあったが、ある人の最期を見届けてからというもの、全てが浮き世の出来事と見定めてしまった。どうか差し支えなければ、お尋ねの方のお名をおあかし下され。
旅の僧がこう言うと、白拍子はじっと唇をかみしめていたが、ふと傍らの石に目を止めると、突然真っ青な顔になってブルブルと震えた。旅の僧はその様子を訝しんで“どうなされた”と声を掛けたが、女は硬直したように砂に半ば埋もれた石を見つめている。丁度人の頭ほどの大きさで、松の枯葉がへばりついている。
<旅の僧>どうなされた、何か心に掛かることがござりますのか。
<白拍子>ああ、恋しいお方・・・そのようなところにおいででしたか。
<旅の僧>これはどうしたことだ。砂に埋もれた石を抱いて泣いているぞ。
<白拍子>あなた様が一ノ谷で殺され、その首は都に運ばれて他の公達首と共に往来を引き回されたあげく、鴨川の河原に晒しものにされたと聞いて、私はただ悲しくてこのまま死にたいと幾度も思っておりました。今日もあなた様が果てられた浜辺を尋ね、波間に入って死のうと思い定めて来ましたものを、こんなところであなた様にお目に掛かることが出来るとは、何という定めでございましょう・・・
<旅の僧>何と・・・石を恋しい人のように抱きしめておるぞ・・・
僧が呆然と眺めていると、白拍子は石に耳を寄せて何か聞いているような気配であったが、やがて鋭い眼差しで僧を見つめると、
<白拍子>私は最初からこれは縁深き旅の僧と拝見しておりましたが、まさしくあなた様こそ、私の恋しい方の首を打った源氏武者でござりましたな!
<旅の僧>何と、これは理不尽な。何を以て、この私と。
<白拍子>あの方が、これこのようにそう申しておりまする。
<旅の僧>あの方・・・それはただの石ではござらぬか。
<白拍子>いいえ、よくよくご覧下さい。これは紛うかたなきあの方の首。
<旅の僧>・・・しかし、いったい・・・では・・・あなたの恋しいお方とは、どなたでござりまするのか。
<白拍子>そうまでお訊ねなら教えましょう・・・私の恋しい方は、平清盛の弟にして、藤原の俊成卿の歌の道の弟子、定家様の友人である薩摩守忠度(さつまのかみただのり)さま、その人でござります。
これを聞いて、旅の僧は顔面蒼白となった。まさか・・・白拍子の恋人が、あの・・・薩摩守忠度殿とは・・・
僧侶がようやく立っていると、不思議や、砂の中から大小の骸骨のような形をした石が浮き出して、口を揃えて語り始めた。しかもそれはまるで岩穴に風が吹き通る時の悲鳴に似ているではないか。
<骸骨の唄>この世は浮世、前世後世、その中宿と知りつつも、憎っくき源氏の侍に、須磨の渚で逢おうとは、月夜も闇に見えにけり。我らは栄耀栄華の夢はてて、砂に埋もれて幾年月、風に吹かれ、波に打たれて転がりて、無惨な日々を涙して、この時ばかりを夢に見つ・・・
<旅の僧の独白>恐ろしや・・・何百という数の石が私を呪っているようだ・・・それもこれも仏縁であろう・・・何もかも話してしまうことにしよう。
もし、白拍子殿、どうか、心静かにお聞きあれ。確かに私は、そなたの申す通り・・・岡部の六野太忠純・・・平清盛の弟、薩摩守忠度殿の最期を見届けた源氏武者、でござる。
<白拍子>・・・
<旅の僧>そなたが私をどれほど憎んでいるか、その胸の内をおもんばかる事はとうていできぬことなれど、そなたが忠度殿を回向しようと私の首を供えたければ、今この場でさしあげよう。しかし何事か聞きただしたいことがあるのなら、覚えている限りをお教えいたそう。
旅の僧は砂地にあぐらをかき、目を半眼に閉じて深々とため息をつくと、月は渚の波に砕けて、僧の頭を淡く照らした。
<白拍子>忠度さまがどのように果てられたか、今さら聞いてもよしなきことでございます。一の谷の合戦の後には、須磨の海の波が真っ赤に染まり、血の紅葉が谷を埋め尽くしたと聞き及んでおりましたが、こうして今宵、忠度様のお首を抱きしめておりますと、何もかもが過ぎたる事、恨み言も忘れ果ててしまいました。
<骸骨の唄>逆立つ心は今はなし。月の光を宿しつつ、仏の世界に揺られたり。阿修羅の世界も今は昔、光明遍照十方・・・光明遍照十方・・・仏の祈りぞ貴けれ、悲しみ深き人の世に、慈悲の光ぞ降り注ぐ・・・
<旅の僧>どこからか救いの声が聞こえてくるぞ。光明遍照十方・・・光明遍照十方・・・
<白拍子>光明遍照十方・・・光明遍照十方
<旅の僧>ああそなた様は私を許して下さるか・・・何とも有り難きそのお言葉・・・それにしてもこれはどうしたことだろう。遠い昔の事のように朧になってしまっていた記憶が、まるで昨日今日のことのように思い出される・・・あれ、あれを見よ・・・あれはまさしく薩摩守忠度殿・・・紺地に錦の直垂をつけ、黒糸威(おど)しの鎧に黄金の兜を被り、黒雲の稲妻に光る栗毛の馬に、金銀の漆で飾りたてた鞍置いて、あれあの渚を悠然と駒を進めておられるではないか・・・
<白拍子>ああどうか、そのような偽りをお話しくださいますな。私の目には何も見えませぬ・・・あの方の首を抱いているだけで気が触れそうになるのをようやくこらえておりますものを・・・
<旅の僧>いかにも申し訳ないことをいたした。たしかに、それと見えたのは幻のようでござる・・・見ればただ夜の浜辺に波が打ち寄せるばかり・・・ただ、あなたが波の光るのをごらんになられて、「光明遍照十方世界」と唱えられたのをお聞きして不意に身震いを覚え、見えないものが見えたのでござりましょう・・・いや、そうではない、あれ、ご覧下さい・・・忠度様は馬を下り、砂地にあぐらをかき、兜をとって砂地に置き、何か語られておられるではありませぬか・・・
<白拍子>たしかに・・・忠度様のお声が聞こえます。
<忠度の亡霊>今こそ私が最後と心得たり、岡部六野太殿、そこのきたまえ、仏が貴き手を広げてわれを待ってくださっておられる。西方浄土を拝まん・・・光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨・・・
<白拍子>ああ、なんと恐ろしい因縁。私にはあの方の声が聞こえます・・・光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨・・・。
旅の僧、白拍子に会わせて念仏を唱える。
光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨
光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨
松の色はいよいよ黒く、月の光は銀の矢のように一面に降り注ぐ。忠度の亡霊、不意に見えなくなる。
<白拍子>念仏を唱えたためでしょうか、心が少しなごみました。今となってはこれ以上あなた様とここにとどまっておりましても何の供養にもなるまいと存じます。これでお別れいたしたく思います。
<旅の僧>如何にも、貴くも恋しいお方の首打ったる卑しい東夷(あずまえびす)の姿など、一刻たりとも見てはいたくもありますまい。これでお別れいたします。しかし、二度とこの世ではお目にかかれまいと思うにつけ、一つだけ申し上げておきたいことがございます。それは、あの方の最期は世に伝えられているようなものではなかったということでございます。
<白拍子>それはいかなることでしょうか。
<旅の僧>一の谷の合戦は頼朝殿の弟、九郎義経を大将として鵯越えの逆落としから始まり、世に喧しくもつまびらかに伝えられ、忠度殿の最期についてもいかにも見たように人々の耳に聞こえておりますが、あれは偽りでございます。
<白拍子>何が偽りと申されるのか。
<旅の僧>忠度殿は西手の総大将、私が従者共を引き連れて攻め込んだ時には百騎あまりの武者を指揮して戦っておられた。ところが私があれこそ総大将と見定めて、南無三、何としても平家の大将の首をこの手に上げさせ給えと、大声で唱えて遮二無二攻めかかると、さしもの陣も総崩れとなり、忠度殿を守る強者共は秋の木の梢の葉のごとく、一人残らず散りぢりに逃げてしまったのでございます。
<白拍子>・・・逃げてしまわれたと・・・
この時不意に、忠度の亡霊、再び現れる。旅の僧と白拍子は呆然としてこれを見る。
<忠度の亡霊>・・・いかにも、一ノ谷の合戦が、岡部六野太殿の申す通りであったというのは口惜しいことだ。都を落ちて須磨の海辺まで落ちたことも無念なれど、敵の姿を間近に見て、一戦も交えずに逃げるとは、何たる恥辱・・・私はあまりの不甲斐なさに驚き怒って、馬の鞍を叩いて大声で叫んだのだった。
「見よ、人の心はいかにもこの渚に見るごとくである。東国に源氏の流人頼朝なるものが反逆の兵を挙げたと聞いた時、我が兄清盛公はただちにこれを撃てと命じられ、惟盛(これもり)殿に従った強者は十万余騎、山野も川も轡の音に雷鳴の如く轟き、刀槍が天に立つ様は葦の穂よりも数多い有様であった。ところが安徳天皇を奉じ奉り、福原の内裏に火をかけて、空を紅蓮の炎に染めて西海の浪に身を任せた時には、お守りする兵は七千にもみたず、あれあそこに見えるは味方の船よと、船端かたむくばかりに寄りかかって眺むれば、それは彼方に浮かぶ島影と青い雲。御坐船を取り巻く軍船も、風波にもまれて散りぢりになり、源氏の兵が浜辺に旗靡かせて罵る声を聞いても何事もできぬ。安徳天皇は三種の神器を帯しておられるとはいってもあまりに幼く、神風は吹かず、雲海沈沈として、公卿も女御も、浮かぶは涙ばかりであった。故にこのたびの合戦に陣を張りはしたものの、それは平家一門が弓箭馬上に命するもののふの習いとして戦に臨んだまでに過ぎず、敵の姿を見て蜘蛛の子を散らすがごとくに逃げてしまった・・・せめてこの私だけはこの汀に踏みとどまり、源氏の強者と太刀を交えて冥土へと旅立とうと、そう思い定めて敵を見れば、目の前に現れたは、鍬形打った兜をかぶった屈強の強者。これこそ良き敵に巡り会ったものと喜んだものであった」
忠度の亡霊の言葉を聞いて旅の僧ははっと我に返り、
<旅の僧>いかにも左様でござりました。私は直ちに馬を攻め、忠度殿の栗毛の馬に突進し、南無三と遮二無二突き当たると、忠度殿は太刀を抜き、十合ばかり渡り合いましたが、忠度殿の太刀は折れ、この私の剣も折れてしまった。するとあなた様は馬を下り、「もうこれで思い残すことはない」と申されて砂地にあぐらをかき、「さあ、首打って手柄にせよ」と両腕を組んだ。これを見て私はすぐに馬を下り、膝をついて忠度殿に申し上げました・・・岡部六野太は源氏にその人ありと知られた猛者にはあれど、元を正せば田舎武士、公達首を頂戴しようと岡部の山奥から勇んで出てきたものでござる。しかしいかに黄金の兜首ほしかろうとも、砂地にあぐらをかいて瞑目している敵将を撃ったとて、何の高名ありましょうや。もし弓馬の心得有る平家の公達の名を汚したくないとお考えあれば、いざ、立たれよ、いざ組まん・・・私はこう忠度殿に申し上げました。するとあなた様はさも面白げにうち笑いなされましたな・・・
<忠度の亡霊>いかにも、そなたの申しようがあまりにも正直な故、つい面白く思われて笑ったのだ。そうして私は六野太殿にこう申した・・・これは源氏にも天晴れな心の持ち主のあるものかな。木曽の義仲が倶利伽藍峠を疾風の如く押し渡り、都を阿鼻叫喚の巷と化した後は、源氏武者共は人に非ず、阿修羅か餓鬼畜生鬼夜叉ばかりとそう思っていたのだが、そなたを見ていると、忠度は死に際によい武者に会ったものよとうれしく思う。これも仏の御加護であろう。そなたが高名ほしくばくれてやろう、いざ、太刀構え給え・・・と・・・
<旅の僧>まさしくそのようにおっしゃられました。そしてあなた様もまた馬の鞍から黄金の太刀を引き抜いて構えられましたが、ふと振り返ると、汀に白い水鳥が十羽ほども群れて魚をとっている。これをごらんになって、あなた様はため息をつかれた。
<忠度の亡霊>いかにも左様であった。と申すのも、人という者の哀れをあの時ほど感じたことはない。それゆえ私はこう申したのだ・・・岡部六野太殿、ごろうじあれ、源氏と平家は花も紅葉も美しい須磨の浦で太刀をとって争っているが、あの小さな鳥たちはのどかに水くぐりをして遊んでいる。天の原の下、山川草木、生き物の数は星の数にも余りあるのに、ただ一人、人間だけが骨肉あい食んで争うとは、如何なる因縁なのであろうか・・・名誉、富、権力、欲望は尽きることなく、争いは果てしなく大きな戦となり、とうとう花の都を灰燼にしてしまった・・・このように罪深い人間が来世に極楽浄土をと願うのは滑稽の極みではないか・・・
<旅の僧>そうでござりましたな。そして忠度殿は歌を詠われた。
名にしおはば いざこととはん 都鳥 わが想う人は ありやなしやと
ところがその時の私は、今から思い出すのも恥ずかしいことでありましたが、それが在原業平公の歌とは寸毫も知らなかったのです。思えば、あなた様はあの白い鳥をごらんになられて、都にある恋しい人をお思いになられていたに違いない。兜からざんばら髪が波風に渦巻いて、目には涙が光っていた・・・だが、わが郎党は待ちきれず、やにわに、おうっと叫んであなた様にうちかかった。すると、あなた様は公達とは思えぬ太刀さばきで郎党の太刀を打ち落とし、「願うことなら、六野太殿、最後にそなたと太刀打ちして死のうと思うのだが」とおっしゃる。そこで私は“心得たり”と打ちかかると、三度まで交わされて、その度に私の首鎧まで刺し通されたが、そのまま突き入れようとはなされずに、「そなたの鎧は藁屑のようじゃ」とからからとうち笑われた。と、その隙を見て、一人の郎等が背後から忍び寄り、大太刀もってあなた様の右手をばっさりと打ち落とした・・・手に握っていた太刀が血砂にまみれた。するとあなた様は、太刀が砂にまぶされていては気の毒な、とおっしゃられて、左手で太刀を拾い、斬りかかる郎等を投げ飛ばして、
「いざ、六野太殿、平家の武将としての私の役割はこれまでにしたいと思う。ついては、首をとってもらいたいのだが、いかが」と申されるので、「如何にも承りましょう」と申し上げて、太刀を直垂でぬぐい、首を打ち落とそうと構えたのです。
<白拍子>・・・お首を・・・
<旅の僧>・・・如何にも・・・だがその時ふと見ると、紅葉に錦のいろいろ威しの鎧に背負った箙(えびら)に、なにやら白いものが結びつけてある。短冊であろうか。目を近づけてみると、確かに短冊に歌が記されている。が、血濡れて読めない。そこで私は、
「忠度殿、箙の短冊は何であろうか」とお尋ねした。すると、あなた様は右手の付け根から血が山の滴のように流れるのをこらえて振り返られて、
「それよ。よくお聞き下された、これこそ私の辞世の歌、六野太殿がいずれ和歌の道に通じた方にお目にかかる時があったら、お届けいただきたい」と申される。そこで私は、
「命にかけて必ずお守りすることを約束いたします。しかし、この短冊は血濡れて文字がしかとは読みとれませぬ。何と歌われているのでしょうか」こう尋ねると、あなた様は次第に白くなってゆく額を月明かりに向けて、「矢立を」と申されるので、すぐさま従者にいいつけて、馬の鞍から紙と矢立を取り寄せて、筆に墨を浸して左手に持たせ、私が短冊を両手で支えると、あなた様は、「旅宿花」と題を記されてから、夜目にも鮮やかに、
行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし
と記された。私は歌の心など分からぬ者ではあったが、その文字を見て身がすくみ、涙があふれて何も見えなくなって号泣した。
なぜこれほどのお方の命を、私のように卑しいもののふの手で断たねばならぬのか、この方はいまわの際に立たれながら、なぜこれほどいさぎよく美しいのか、私はこみ上げる涙を堪えることができなかった。
「忠度様、お願いがございます」私は涙を籠手でぬぐって申し上げた。
私はあなた様がいまわの際で記された短冊を、命に代えてお守りし、必ず歌の道の名人のもとにお届けいたします。そして、鎌倉殿の耳にも、これこそ平家の公達の誉れよとお伝えいたしましょう。しかし、もしお許しいただければ、箙についた血染めの歌は、この私にいただけませんでしょうか。私はこの世に生まれてから、何一つ人の道というものに触れずに生きてまいりましたが、この須磨の浦の合戦で、初めてこの世にあることが何のためであるかということを垣間見たように思います。私に命がある限り、あなた様に教えていただいた道を学び、人にも語り、子々孫々に伝えたい、そのように思うのです。どうか、叶うことなら、箙の短冊をいただくこと、お許し下さい」
私がこうお願いすると、あなた様は黙って頷かれて、最後にこう申された。
「我が歌の師、藤原俊成殿の嫡男、藤原定家殿は見事な歌詠み、先年百首歌詠みなされ、その中に、
天の原 おもへばかはる 色もなし 秋こそ月の 光なりけれ
という歌があった。生きていた頃、私はこの歌の意味が分からなかった。だが死に臨んだ今はよく分かる。私は保元平治の乱から今日の平家の滅亡にいたるまで、人の世のありとあらゆる出来事を見て参ったが、これほど恐ろしく悲しい日々を生き抜いてこられたというのも、他ではない、歌の道があったればこそだ。歌は人を慰め、愛の尊さを教え、花や月を友として楽しむことができる。遠い昔、物部氏と蘇我氏が争ったが、勝った蘇我氏も瞬く間に滅び、数百年の栄華を築いた藤原氏も今は見る影もない。そして源氏平家と争いを繰り返し、まず平家が滅び、やがて源氏も滅びよう・・・人の世は空しい・・・歌のみが真実・・・どうか六野太殿、次の世には太刀で組み合うのではなく、歌合わせの会でお会いしようぞ」
<白拍子>あなた様はそのようなお約束を忠度さまとお交わしになられたのですか。
<旅の僧>・・・いかにも。
<白拍子>世の噂では、あなた様は忠度様の首を打ち落とし、その首を太刀の先に貫いて、空高くさしあげ「日頃、平家の御方にきこえさせ給ひつる薩摩守忠度殿をば、岡部の六野太忠純がうち奉ってるぞや」と大音声に呼ばわったと伝えられています・・・もしもその通りなのでしたら、私は地獄の底に落とされても、あなたをお恨み申そうと思っておりましたのに・・・あの方の最期をそのようにお送り下されたとは・・・
<旅の僧>・・・忠度様のご最期はそれは見事なものでござりました。
<白拍子>では、世の噂は根も葉もないことだったのでしょうか・・・
これを聞いて旅の僧が黙っていると、忠度の亡霊が口を開いた。
<忠度の亡霊>人の世の噂を信じるでない。岡部六野太殿は名誉の武将。私の首を打ち落とすと、首を錦の衣に包み、短冊のついた鎧と遺骸を駿馬につけて、義経の陣屋に率いて行った。そして一部始終を義経にご報告された。ところが義経自身はろくに歌は知らず、また義経の陣屋には歌に秀でた者などただの一人も居らなかった故、何のことが記されているのか読むことさえ出来なかった。義経は大いに怒って『死に際にこのような戯れ事をするとは、平家の公達は女も顔負けの腑抜けであるわい』とさんざんに罵って短冊を床に投げつけた。
<白拍子>忠度様の歌を床に投げたと・・・
<忠度の亡霊>その通りだ。しかもそれがあまりにも浅ましい姿だったので岡部六野太殿は短冊を拾い上げ、義経を睨み付けて陣屋を飛び出したのだ。
<旅の僧>まさしく私は怒りの余り前後の見境もなくなり、ただ亡くなられた忠度様に恥ずかしく、そのままにしておくことはできぬ故、軍目付の梶原景時殿の許しを得て鎌倉にまいり、源氏の総大将頼朝殿にお目通りを願い出ました。鎌倉公は直ちにお許し下され、自ら私を御坐所にお呼びになり、旅宿花の短冊をつくづくとごらん遊ばされて、
『その折の一部始終を話して聞かせよ』と申されましたので、ありのままをお話し申し上げますと、頼朝公は首うなだれてはらはらと涙をお流しになり、瞑目されておられましたが、やがて『そなたの振舞い、源氏の名を汚さぬ天晴れなものであった』と仰せられました。
私はその後剃髪し、こうして平家ゆかりの土地土地を歩いては回向申し上げておりますが、今宵、あなた様にお目にかかったのも、仏のお導きと存じます。なにとぞ、私の所行をお許し下されますように。
旅の僧がこう言うと、白拍子は涙で袖をぬらしていたが、ふっと我に返って、
<白拍子>もしや、六野太様、あなた様はあのお方の短冊を頼朝様にお渡し為されたと申されたが、血染めの短冊は、今もお持ちになられておられるのではありますまいか・・・
と尋ねたので、旅の僧は頷いて、
<旅の僧>私は何に替えてもこれだけは放すまいと肌身離さず持っておりました・・・
そう言って衣の中を探り、分厚く巻いた布きれを取りだして紐をほどいた。中から血染めの短冊が現れた。
行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし
白拍子は月の光に血染めの短冊をみつめていたが、琵琶をとって静かに弦を奏でた。琵琶の音に合わせて、忠度の亡霊が歌を詠った。
さざなみや 志賀の都は あれにしを むかしながらの 山桜かな
砂に埋もれた無数の骸骨が、波のように忠度の声に合わせて歌っている。
さざなみや 志賀の都は あれにしを むかしながらの 山桜かな
須磨の浦に夜の浪がゆれている。女の声は浪に吸い込まれ、やがて忠度の亡霊も、骸骨の声も、月の闇に吸い込まれて聞こえなくなった。
※
海辺も女も僧侶の姿もない。北斎の長屋も消えている。いったいこれはどうしたことだろう・・・竹軒が狼狽していると、「俺の紙芝居は面白かったかね」とどこからか北斎の声がした。しかし姿は見えず、竹軒は見慣れた松林の庵近くにぽつんと立っていたのである。
<第十四話終わり>
付記・この話は『平家物語』第七巻「忠度都落」、第九巻「忠度最後」並びに、『謡曲百番 忠度』を参考に創作したものです。