「閻魔庁の籔医竹軒」 第十二話  鳥獣戯画(15番・黄連解毒湯)

 若い男だ。しかも美しい。そして何かに取り憑かれているような眼差し・・・誰かに似ている。誰だろう・・・ラファエロ・・・そう・・・彼はこんな顔だったかも知れない・・・だが、外国人ではない・・・日本人だ・・・何を考えているんだ・・・地獄で国籍など何の意味がある・・・しかしそれにしても・・・

 竹軒は男を見ながら、果たして自分は夢を見ているのか、それとも、現実に、といっても地獄に現実というものがあればの話だが、夢ではなく、確かにその男を見ているのかと、しばし考えた。というのも、先日も先々日も、その前も、ずっと昔から(竹軒は自分が死んだのは今となっては昔も昔、大昔にしか思えないのでそのように錯覚するのだが)、百年、千年、千五百年前の人間や鬼と付き合っていたので、洋服を着ている人間がなぜ自分の目の前に現れたのか、とっさに理解ができなかったのだ。しかし男はこちらの思案など少しも頓着せず、

「とにかく直ぐに治してもらいたいんです。何しろ急いでいるんです」

「なぜそんなに急いでいるのですか」

「蛙にならなければなりません」

「蛙になるとは?・・・何のことですか」

「蛙は蛙です。古池や蛙飛び込む水の音、まさか知らないとは言わせませんよ」

「・・・あなたのようなお方が・・・蛙と何か関係があるとでも?」

「大ありです・・・しかし、説明してもお分かりにならないでしょうから、ともかくその前に病気を治してもらいたいんです」

「要領を得ませんな。つまり、あなたは、蛙になりたいから、私に病気を治してくれと、そうおっしゃるのですか」

「そうですとも。しかしその前にこのイライラとのぼせを何とかしてもらわないと、蛙にしてくれるように閻魔大王に掛け合うことも出来ませんから」

 どうもこれは私の手には負えそうもない、竹軒は困惑したが、目がひどく透明過ぎるのも気に掛かる・・・ともかくも診るだけはみよう、そう考えて、

「それほどのぼせてイライラするのでは、よく眠れないでしょうね」というと、

「まさしく、眠れないのです」という。それに時々鼻血が出るし、ドキドキする。それから体中が痒くて仕方がない、などと訴えて、

「どうです、治りますか」と迫るので竹軒は、

「あなたの訴える症状と、見た目による望診とはまるで別人のように異なっていますからどうしてよいやら困惑しますが、しかし、あなたの訴えの方を重んじるとすれば、おそらく黄連解毒湯が効くのではないかと思われます。黄連、、黄柏の三黄に山梔子を混ぜればいいんですから、さして難しい処方ではありません」

「ではすぐに調合して下さい」

「しかし効くかどうかは保証できませんよ」

「効くに決まっています。どうか早くして下さい」

 若い男はひどくせかすので、竹軒はそれならと、薬研の中に生薬を入れて磨り始めた。男は竹軒が薬研を動かしている間も待ちきれない様子で、うろうろと庵の中を歩き回っている。そこで竹軒は、

「いくらせいてもいい加減な薬を作るわけにはいきませんが、ただ待っているのも辛いでしょうから、さきほどあなたが言っていた蛙の話をもう少し聞かせてくれませんか」

「私の蛙・・・つまり、取引というわけですね」

「そうですとも。私は薬を作る。あなたは蛙の話をする。どうです」

「もし話をすれば、薬代はただにしてくれますか」

「もちろん、初めから薬代などいただくつもりはありません」竹軒がそう言うと、男はこんな話をしたのだった。

「私は死ぬ直前までは普通の人間でした。大学を出て、一流の大企業に期待されて入ったんです。そこで猛烈に働きました。朝から深夜まで、ぶっとおしで働いたんです。何しろ一週間が一秒ほどで過ぎましたからね・・・しかも、土曜日は奉仕です。無給ですよ。即ち、ボランティア・義勇兵の精神です。もっとも本来のボランティアには『国家に正義を』というくそまじめな理想と目的がありましたが、私の時代には企業の営利の為に命を賭ける事を求められたんですから、いやはや・・・まあそれはともかく、ようやく日曜になると、一日中目が開かない。ですからここ何年も妻や子の顔をしみじみ見たことはない。目を開けると月曜になっていて、また一秒ほどすると、もう日曜なんです」

「・・・」

「それである日計算してみました。すると驚くべきことが判明しました。たった数分のうちに、三年もの年月が過ぎていることが分かったのです。そしてその間、自分が何をしていたのか、一つとして記憶がない。浦島太郎でも時間の感覚がちゃあんとありましたし、乙姫様との夢物語の記憶をはっきり保っていたのに、私にはまるでその記憶というものがないのです」

「・・・」

「それよりもっと驚くべき事実は、銀行通帳の残高を久しぶりに見たら、たったの二十七万しかない。私は二千七百万円の間違いではないかと思い、日曜日に眠い目をこすりながら銀行に行きました。すると、銀行には人が一人もいなくて、機械が置いてある。そこで通帳を入れると最新の残高が記載されて出てきた。十二万五千三百円・・・嘘だろう、と思いました。すると私の挙動に不審を抱いていた妻が側に現れて、『月々のマンションのローンと教育費と生活費を引かれるからそれで正しいのよ』・・・これを聞いて、私は悟りました。悪魔がいるんです」

「そうですとも。妻は大層な美人です。日本人離れしているというか、まるでスペインの貴族のような、それでいて、エロチックな気配を漂わせている危うい女ですが、その女が私を欺して、早くマンションを買えとそそのかし、五千五百万円ものローンを組ませて、私を奴隷にしたんです。アダムとイブに禁断の木の実を食えとそそのかした蛇同然の、悪賢い悪魔に取り憑かれた妻は、私にローンという毒を食わせて自由を奪い、三十年の禁固刑にしたんです」

「しかし・・・それはあなたも承知でそうしたんでしょう」

「承知したなんて・・・悪魔は妻を洗脳したんですし、妻は私が彼女の意向に絶対に逆らえないという事を百も承知でそうしたんです。というのも、彼女を失うのは恐怖であり、死そのものですから。しかし、そのお陰で私は楽園から追放されたアダムのように、自由に空気を吸う幸福を盗まれてしまいました・・・でもそれは私の罪です。自分の弱さがそうさせたんですからね。私はあきらめて働きつづけました。と、そんなある日、妻がポツリと言いました。『退屈だわ、一日が長くてたまらないの。海外旅行をしても温泉に行っても少しも胸がときめかない。もう退屈で死にそうだわ。一週間が一年に思えるほど長いのよ』」

「・・・」

「私は愕然としました。これはひどい差別だ。私が一週間を一秒で過ごしているのに、妻は一週間を一年にも延長して生きている。これこそ格差の最たるものだと認識しました。・・・そんなある日の朝、会社のビルの玄関を入ろうとしたら、奇妙な鳴き声がする。何だろうと探してみると、樹に蛙が張り付いて鳴いている。同僚が横から通りがかりに、

「雨蛙さ」と言う。

 それで私はこれは可笑しい、と思ったから、

「蛙は池がなけりゃ蛙じゃないんじゃないか」と反論しました。同僚は笑って、

「雨蛙は樹に宿るのさ。今時古池なんぞあるわけがないだろ」

 私はこの言葉によって目が醒めました。それまで私は無重力空間に漂っていたのです。足が地面についているわけでもなく、日の光を裸体に浴びてうっとりとした時を過ごすこともなかった。ただ、法則通りに明滅する信号機の光のように、目標も感情も理想もなしに空しくエネルギーを浪費していたんです。鳥が落ちないために夢中で羽ばたくように、妻を失いたくないという欲望とローンに追いかけられて必死で走っていたんです。ところが、蛙は、そうじゃない」

「蛙が・・・何がそうじゃないんです」

「だって蛙には水に飛び込んで泳ぐ喜びがある。気持ちがいいと感じる恍惚の瞬間がある。なにより、必死で泳がなくても、手足を動かさなくても、沈むことはない。池の流れに身を任せてうっとりしていればいい・・・全身を干物のように伸ばしてプカプカと浮いていても、あるいはそのまま眠ってしまっても、生きていられる・・・そして時々椿の花が水面にぽたりと落ちてくる。というのも、古池の周りには山椿の樹はお似合いですからね。

 手近な岩に上って飛び込んでみることもある。飛び込めば、水の音がする。飛び込まなければ音はしない。しーんとして、時々風が葉ずれの音をざわざわと言わせて、それからまたシーンとする。突然静寂を破って鳥が鳴く。その声を目を閉じてうっとりと聞く・・・なんとすばらしい世界でしょう。そうは思いませんか」

「・・・さあ・・・」

「あなたは気の毒にも医者という職業に囚われて蛙という生物の存在に思いを馳せることが出来なくなっているようですね・・・私が思うに、蛙は理想です。というのも、蛙は古池を金で買ったわけじゃない。ローンが蛙を縛って泳ぐのを禁止するなんてことは絶対にあり得ない事実です・・・古池には月も映るでしょう。雨の滴も落ちるでしょう。花びらも浮かぶこともあれば、風で水面が波立つこともある。そんな美しい水面を、好きな時に好きなように自由にできる。つまり蛙は自由なんです。自由を満喫して、ときどき眠くなって、あくびをするんです」

「・・・蛙があくびを?・・・」

「あなたは蛙があくびをしてはいけないと言うんですか」

「いけないとは言いませんが、しかし、あくびというのは精神を持つ者だけがする行為です。蛙がするとはとても思えませんがね」

「そりゃあ偏見です。医者馬鹿というものです」

「そうでしょうか」

「そうですとも・・・だって鳥羽僧正の蛙は猿と遊んだり、兎と相撲をとるぐらいですから、退屈すれば、当然あくびをするんです」

「なるほど、鳥獣戯画の中では確かにそうですが・・・」

「それで私は、自分も、蛙にならなければならない、とそう思いました。古池や蛙飛び込む水の音、そうだ、水だ・・・私は無性に水の音が聞きたくなって、洗面所に行くと、勢い良く蛇口をひねりました。ところが、これは水の音じゃない。工場のエンジンの音と同様です。トイレの水を流してみても、同じようなものです。それで私は会社を辞めて、古池を探して歩くことにしたんです」

「辞めた・・・奥さんは反対しませんでしたか」

「知りませんよ、そんな事」

「それでは奥さんや家族が困るでしょう」

「困っているのは私です。他人じゃないんです。ゴーギャンが画家になろうとして家族に宣言したと同様の心境ですよ」

「・・・で、どうしたのです」

「一時間ばかり電車に乗ったら畑が見えたので駅から歩きました。そして野道を歩いていると、見事な麦畑があるので、畑に分け入って昼寝をしました」

「・・・それで」

「突然男が叫んでいるんです」

「何と叫んでいるんですか」

「この野郎、ここはひと坪二百万五千円だ、そんなところに無断で入ってただですむと思ってるのか」そう叫びながら、額の汗をぬぐっているのです。

「・・・」

「それで私は、この男は論理的矛盾を述べているな、と分かりました。ひと坪二百万と五千円であるということが本当ならば、広大な畑の所有者であるこの男は間違いなく無限数の金を保有している。つまりもはや人間界を逸脱するほどの人物なのです。それほど偉大な人物が、なぜ額に汗しているのか。額に汗をするのは、高貴な精神の持ち主ではなかったのか。

 これほど広大無辺の美と富に埋まりながら、猪八戒のように浅ましい顔をして、論理的矛盾にみちた言葉を発しているこの男は、やがて蝦蟇口に変身するのだ、と私は直観しました。でも、私が探し求めているのは本物の蛙であって、蝦蟇口の化物などではないのです。この男は自らが蝦蟇口そのものの格好をしているというのに、まだ人間の言葉を吐いているというのは実に滑稽です。

 恐らくこの男はつい最近まで純朴な農夫であり、日々畑を耕すことに喜びを見いだしていたのでしょう。ところがある日突然、ひと坪二百万五千円という呪文のような言葉を聞いた途端、醜い蝦蟇口に変身したのです。私は男の顔を見ているうちに、蝦蟇口に呑み込まれてしまう危険を察知しました。そこで、君子危うきに近寄らずという格言通り、『さようなら』と叫んで、逃げました。」

「・・・それで」

「それでとは、なんですか」

「何でとはないでしょう。それからあなたはどうしたんです。蛙の話です。蛙は捕まえたんですか」竹軒が訊くと、男は笑った。

「蛙は飛び込むものです。捕まえるものじゃありません。でも、どうしても現場を見たいという衝動はありましたから、どんどん歩いて行きました。するとあたりはいつの間にか田圃が広がっていました。そして幸運にも、あぜ道を歩くと蛙が鳴いていたのです。あたり一面の田圃の、いたるところで蛙は鳴いている。しかし、無論、そこが私の求める場所ではないことは十分承知していました。田圃は人間の食欲を満足させるために作られた場に過ぎませんから、そこで鳴く蛙の世界観は古池の蛙のそれと本質的に相違しているはずです。・・・しかしそれでも田圃の蛙は鳴いている。では、蛙は何のために鳴くのか。それは、多分、遠路はるばるやってきた私の為に鳴くのでしょう」

「・・・」

「ところで、あなたはカーツワイツという人物を知ってますか」

「知りません」

「それは気の毒です。彼はあと四十年足らずで特異点に達すると予言しているのです」

「特異点とは何のことです」

「ロボットの知能が、全世界の人間の知能を合わせたよりも上回る時点を言うのです」

「となると、何が起きるというのです」

「世界をロボットが支配するようになるのですよ」

「馬鹿な」竹軒は笑った。男も笑った。それから急に鋭い目をして、

「あなたの笑いは馬鹿笑いに過ぎません。しかし、私が笑うのには根拠があるのです。それは、もしロボットが人間の知性を凌駕するのであれば、当然そのロボットの方が蛙よりも優れているだろう。つまり、気持ちのよい声で歌うようになるに違いない。しかし、どう考えても、それはまさしく、狂気の沙汰だとは思いませんか。田圃で歌う蛙は天使そのものです。

 月夜の田圃でヒョロロ、ヒョロロ、ヒョロロヒョロヒョロ鳴く声は あれはねー あれは蛙の銀の笛 ささ銀の笛・・・

 蛙は天使に成り代わって、銀の笛を吹きながら鳴いているのです。

 その天使である蛙にロボットが勝るとしたら、ロボットは万能の神と同じであるということになります。つまり、天国も地獄も創造可能であると豪語することと同様なのです。そんなことを、神々が許すわけはありません。ロボットは、ゼウスの雷に打たれて死ぬに違いないのです」

「・・・」

「私は、あぜ道を歩きながら、ロボットやパソコンに征服出来ない世界が厳然として存在することに満足しました。無論、人間は蛙にはとても及びません。パバロッテイもドミンゴも、カレーラスだってあれほど上手く歌えるとはとても思えないのです。私はあれこれ考えながらどこまでも歩いて行きました。というのも、人間は考える葦ですし、我思う、故に我在り、というごときものですから、私は考えずにはおられなかったのです・・・あなたは私が何を考えたか、お分かりですか」

「さあ・・・」

「蛙は何のために鳴いているのか、という先程来の哲学的難問です・・・何よりはっきりしている事は、蛙たちは、私以外の人間のために鳴いているのではないという事実です。それというのは、見渡す限りの景色の中に、ひとつとして人影は見えないからなのです。月が夜空に輝き、田圃の水に美しい光を映し、淡い光の中で無数の蛙が鳴いている・・・これほどの美的空白はめったに存在しないのですが、驚くべき事に、この美しい景色を、私の他には誰一人見ていないのです。ということは、この地上の人間はよほど美意識が欠如しているか、それとも感覚が退化してしまったか、そのどちらかにちがいありません。もちろん私は人間が日々の生活を営むためには莫大な労力と時間を消費しなければならないという事情は熟知しています。私と同輩の秀才として名の通った奴等は、私が勤務していた企業に負けず劣らず、深夜まで四角い部屋に閉じこめられて平らな画面にくっついているんですから。彼らはあまりにも脳みそが退化してしまったので、月を見て歌を詠むこともないし、女と恋を語る言葉も知らない。それどころか、月の存在も忘れているのです」

「・・・」

「あらゆる町、あらゆる空間に無数の人間がひしめきあっているのに、月や夜空の星を見上げて広大無辺の宇宙と無限小の生物をこの世に送り出した造物主に畏怖し、夜もすがら虫の音に耳を傾けて、名月に陶然として池を巡ろうなどという、そうした心を持ち合わせている者は絶えて久しくなってしまったのです」

「・・・」

「あなたは巨大ドームや遊園地をのぞいたことがありますか。今は驚くべき仕掛けが遊園地を支配していますよ。ローマの支配者は人々を支配し易くするためにコロッセウムを造り、酒池肉林の極みを尽くし、猛獣と人間を戦わせて悦に入らせ、人間を愚かな生き物として飼育するのに成功しましたが、現代の遊園地にはその百倍もの仕掛けがあります。そこにあるのは欺瞞に満ちたびっくり箱なのです。人間共は欺されることに慣れ過ぎて、自分で月を見たり、蛙の声を聞いたりする能力を捨ててしまったのです。すなわち、こうした事実から推論するに、田圃の蛙は人間のために鳴いているとは考えられぬということは明白です。すると残る可能性は、蛙は他ならぬ、この私のために鳴いているのかという疑問が残りますが、そうでないことは、彼らは私がいなくても鳴いているのですから、明らかなことです。とすれば、彼らは何のために鳴いているのか。蛙は、蛙自身のために鳴いているのか。それとも、蛙以外の何物か、神というような存在を喜ばすために鳴いているのだろうか」

「・・・」

「もし蛙が神を称えるために賛美歌のような歌を歌っているのだとしたら、これは一大事です。というのも、哲学者は『神は死んだ』と宣言しましたし、我々庶民も、昔のように、朝夕に太陽に向かって頭を垂れて柏手(かしわで)を打ったり、八百万の神に敬意を払うようなことはしなくなりましたから、このような人間の堕落を神が怒ったら、ノアの時と同様に、神は蛙だけを除外して、残りの生物全体を全て滅ぼすでしょうから・・・しかし、蛙が神のためではなく、蛙自身のために鳴いているとすると、これはまた重大な発見です。それというのは、自分のために鳴くということは、蛙には自己があるということです。自己があるということは自己自身の存在を認識しているということですし、認識という働きはカントによれば悟性を伴うという事を意味しますから、これは確かに思考という概念に値します。つまり、蛙は思考しながら自己のために鳴くということになるのです。とすれば、これはたいへんな事実である。なぜなら、「蛙は考える蛙である」という発見につながることを意味するからなのです」

「・・・あなたはいったい何を言いたいのですか・・・」

「何を言いたいって、・・・つまり、私は、蛙の歌声を聞いているうちに、大いなる歓喜が全身を満たすのを感じたのです。というのも、カーツワイツは二千四十五年に特異点が来て、その時に、ロボットの知能が全人類の知能を上回ると予言しましたが、蛙たちは、既に、人間の知能どころか、美意識も五感も上回っているということが判明したからなのです」

「・・・」

「それに、カーツワイツはデカルト同様に、人間存在を過大評価している傾向があるのです。というのも、デカルトは人間が存在することの条件は、考えるということにあると述べました。「我思う、故に我在り」。これが真理だとすれば「考えるから人間だ」ということになり、「考えない人間は人間ではない」という結論に達します。一日中テレビを見て、新聞を読んで、誰かの評論やらなにやら聞いて、それが自分の考えであると錯覚して、洗脳されてしまい、自ら考えることを中止した人間はよほど多数にのぼりましょうが、そうした方々は人間ではないということになる。私も、パソコンに向かって一心不乱にデータを睨んでいた時は、無心でしたから、何も考えない。私は何者かなどということを考えていたら、仕事はできませんからね。しかし、考えないで存在するものは、デカルトによれば、「ひとでなし」ということになるです」

「・・・」

「しかし現実は、政治家も、官僚も、大衆も、大方は川の流れに浮かぶウタカタのように何も考えずに流れているだけなのです。独自の哲学、独自の理念、論理に基づいた思考など欠片ほどもありません。つまり、「我思う、故に我在り」ではなく「我思わず、故に我在りとも思わず」というのが現実なのです。そうしたわけですから、この世にはひとでなしがずいぶんとはびこっている。しかし、そのようなことを公言すると大いに物議をかもして生命が危険にさらされることになるやも知れません。しかしあるいはそうではなく、いかに真実を叫んでも馬耳東風と見向きもされないかもしれません。いずれにせよ、何を言っても無意味なのです。だから私は口を閉ざしているのです」

「・・・それでは、あなたは何をどうすればいいと言うのです?・・・」

「つまり、話はこうなのです。もしも蛙が考えるということになると、蛙という生き物は、人間以上の存在であるということになります。勿論、反論はありましょう。・・・蛙が考えているとしても、何を考えているのかが明らかにされないかぎり、考えていることの証明にはならない、と主張するものもあるでしょう。しかしそれは屁理屈というものです。それというのは、人間だって何を考えているかまるでお互いにわからないではありませんか。先生は、患者の考えている事を何もかもお見通しですか。まさか・・・」

「・・・」

「人間は全て同様です。その証拠に、私の妻は私の考えを何一つ理解することが出来ません。私は会社を辞めようと考えた時、いつもあれこれと迷い、寝ている間にも考え続けていたのですが、妻は私の考えているという事実にも気づきませんでした。彼女はいつも携帯電話を持ち歩いていて、便所に行くときも、飯を食べるときも耳を兎のようにとがらして、掛かってくるといそいそとおしゃべりを始めるのです。それが思考という概念に値するかどうかは、私の関知するところではありません。ともかく、人間は身近に生きている者同士でも、まったく何にも分かっちゃ居ないのです。だから、蛙が考えているかいないか、そんなことを詮索する能力は、人間は持ち合わせていないという事なのです」

「・・・」

「しかし・・・蛙は何を考えて鳴くのか・・・私はどうしてもそれが知りたい。そこで彼らの話を聞いてみようと思いました。そして田圃に行って近付いてみたのです。すると彼らはたちまち沈黙してしまう。そして私が遠ざかると、面倒な奴が行ってしまってああ良かったとばかりに、実に朗々と声を張り上げて鳴くのです」

「あなたはいったい、正気で蛙を理解しようとしたというのですね」

「そりゃあそうですとも。蛙を理解するまでは止めやしません。そして終に分かったのは、彼らは実に平和的心の持ち主だという事実です。というのは私が蛙の団らんの合唱の世界に侵入しているにもかかわらず、なんらの暴言も吐かずに黙って私の通過を許してくれるのです。もしこれが人間世界の出来事だったら、ただではすみません。見知らぬ人間の屋敷に無断で入って行ったりしたらたちまち家宅侵入罪で牢獄入りです。昨今のアメリカだったら即座に射殺されて一巻の終わりです。ところが、蛙は私に飛びかかって小便をひっかけるということすらせず、遠く近くから妙なるささやきを交わしているだけなのです」

 男はここまでしゃべると少し口が渇いたのか、白湯をゆっくりと口に含んだ。

 遠くから石臼の音が響いている。薄気味の悪い音だ。・・・ゴロゴロゴロ・・・あれは・・・そうだ・・・強欲な者どもが、自らの骨を轢く音だ。金のために人間であることを放棄した者共が罪滅ぼしに己の骨を石臼で轢いているのだ・・・あの者たちは、生きている時はまったく正気で、自分こそが社会の成功者だと自負していたし、世間もそのように認めていたのだろう。しかし彼らは恐らく、地獄に来てみて、その判断がとんでもない間違いだったという事を思い知らされているというわけだ・・・竹軒はそう考えると、男が狂気に囚われて口から出まかせを吐いているのではないように思えてきた。

 男は湯を飲み干すと再び口を開いた。

「私は蛙の声に誘われて夢心地でどこまでも歩いて行きました。もう夜で、月が出ていました。こんもりとした林があり、その中に池が見えます。あたりの石は苔むし、朽ち果てた大木が若木の間に横たわっている。その有様はまるで素戔嗚尊(スサノオノミコト)に退治された八岐大蛇(ヤマタノオロチ)のような見事な死にざまなのです。水際に松の大木が伸びています。何百年生きてきたのか想像もできません。幹は亀の甲羅のようにひび割れて苔が生え、月に向かってどこまでも梢を伸ばしています。

   たちわかれ 因幡の山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰りこむ

 中納言在原行平が詠ったのは、まさしくこの松ではないかと思われるような松なのです。では、その松は誰を待っていたのかといえば、勿論、この私なのです」

「・・・」

「枝が水面に向かって伸びています。その先端がいまにも夜の水に接触しそうで、その有様は初々しい乙女が小舟の上から水面の波を触ろうとして白い手を伸ばしているような風情です。これほど年老いた大木の枝に、かくのごとき若やいだ風情があるとは、実になんとも不思議です」

「・・・」

「ふと見ると、松の根方に大きな岩がある。岩といっても、全体がいちめんに見事な苔で覆われているので、その内部にはたして岩が存在するのかそうでないのか見ることはできません。ただ、その岩があまりにも堂々として夜の気配に静まっているので、私はもっと近くで見たいと思う誘惑から、そろそろと近づきました。と、まったく驚いたことに、苔の上に大きな蛙が鎮座していたのです・・・蛙は月明かりで私をじろりと見たのですが、身動きもしませんでした。私は蛙の辺りを払う威厳に圧倒されて胸がどきどきしました。夜風がちらちらと水面を吹き、松の枝が音も立てず、かすかに揺れ動いています。私は緊張して息が止まりそうになりました。というのも、今こそ私が求めていた世界の真実が見られるように感じたからです。何が真実か、ですって、もちろん、古池と蛙の真実ですよ」

「・・・」

「現代というこの時に、こうした絶対の場に居合わせることが出来るのは、私の他に誰もいません。即ち、これは失われた世界であり、その幻影が現実となって現れた完全な一瞬なのです。私はめまいがして倒れそうになるのをやっとの思いで立っていました。そして蛙が飛び込む瞬間を待ちかねていたのです。というのも、その時こそ、芭蕉の世界と同化できる時なのですから」

「・・・」

「しかし、いくら待っても蛙はいっこうに飛び込む気配を見せません。それどころか、ときどき目を閉じ、瞑想に耽ける様子を見せたかと思うと、やがて・・・これはいくらお話ししても信じてはもらえないでしょうが・・・膝を崩してあぐらをかいたのです」

「蛙が、あぐらをかいたのですか」

「そればかりか、腕組して天を仰いで瞑想しているのです」

「・・・」

「私はうれしいような、それでいてたまらなく待ち遠しいような、奇妙な感情に支配されて立ちつくしていました。その一瞬が、現代の虚偽の一切を暴いてくれるような、そうした期待に私の胸は膨らんでいたのです・・・何時間もの時が過ぎました。夜風が林の梢を眠たげにゆらし、雲は月明かりに輝いて白鯨のようにゆったりと泳いでいました。でも私は身動きもせずに待っていたのです。というのも、その時が来るのは必然的な事実であると思われましたから・・・ところがそうではありませんでした」

「・・・そうではないと・・・」

「蛙は腕組をしていたのですが、突然大きな口を開けてあくびをしたのです・・・大あくびをしてから私を見て、『おまえはいつまでそこにいるのだ』と尋ねました。私はもう少しで池に落ちそうになるほど驚きました。蛙が口をきくなんてことはアリストテレスでさえ観察しなかった現象です。こんなことはいかなる動物全書、哲学書にも記されていないのです。私は驚きのあまり口をきくのを忘れてしまいました。しかし蛙はこっちの精神状態などには頓着なしに二三歩歩み寄ると、苔の端に格好の場所をみつけて、

『まあ、おまえもそこらに腰を下ろしたらよかろう』と横柄に命じました」

「蛙が人間に命令したのですか」

「そうですとも。しかも蛙は私に『その古木は座らぬ方がよい。乾いていて、なめくじなどもいないつまらぬ樹だ、そっちの石にするんだな』と言ったんです。どうやら蛙は私に気を使ってくれているらしい。ということは、この蛙は私を無視しているというわけではなさそうです。私は嬉しくなり、岩に腰を下ろしました。 

 蛙はこう言いました。

『わしは、おまえから何を聞かずともちゃんと分かっている。何を求めておまえがここに来たのか、そんなことは百も承知なのだ』

 蛙はどこからか煙管を取り出してぷかりと一服ふかしました。

『おまえは、わしがここから池に飛び込むのを見たいのだろう』蛙はまた一服うまそうに吸い込むと、鼻の穴からすうっと紫の煙を吹き上げました。そこで私は正直に答えました。

『まったくそうなのです。池に飛び込むのを見たさにここまでやって来たのです』

 これを聞くと、蛙はふふんと笑いました。

『わしは、飛び込まんよ』

『でも私はあなたが飛び込むのを見にここまで来たんです』

『それは知っている。だが、見てどうする』

『蛙と古池の真実を実感します』

『お前は滑稽な奴だ』

『・・・滑稽とは、どういう事ですか』

『お前がこの古池に真実があると、そう信じていることが滑稽なのだ』

『そんなことはありません。私が暮らしていた世界は、空しい器です。何もない。命も、時間も、楽しみも、月も、業平が恋したような女も、狂おしい過去も、夢見る未来も・・・でも、ここには詩がある。歌がある。静寂がある。そして、あのように、はっきりと月が見える。だとしたら、こちらの世界が真実であり、向こうの世界が虚であるということは、確かではありませんか』

 私がそう言うと、蛙はまた笑いました。

『この世には、あれが真実、これが虚というようなものは何一つない』

『・・・』

『どこにいても、いつの時代に生きても、もしも、その者が、天地万物と一体であれば、全ては真実だ。いかに美しい場所にいても、月を眺めても、天地と我が渾然一体となっていなければ、単に、対象物にしか過ぎぬ。すべては心のありようじゃ・・・しかし、お前の言いたい事も良く分かる。お前が暮らしていた世界には、命を尊ぶ気配が微塵もない。美を愛でる心もない。蚊帳の中に横になって月明かりを朧に感じながら抱擁する恍惚もない・・・天地宇宙はいたるところに美が充ち満ちているというのに、誰一人実感するものがない。これは病じゃよ・・・救いのない病じゃ。重い病に罹った病人には、花の色も月の光も香炉峰の雪も見ることはできない。欲に取り付かれているお前の世界は、空を行く雲の気持ちや、鳥が枝を渡る楽しみや、雨にあくびする猫の心など何一つ分からない。そこにあるのは、無限数という、魔物。そして無限数の魔物に踊らされている愚かな人間共の欲望だ。故に、お前がそこから逃れて、この山奥に迷い込んだというのも、故無きことではない。だから私は、お前を少しは見込みのある奴だと思って、待っていたのだ』

『では、飛び込みを見せていただけるのですか』

『・・・お前は、池に飛び込むという行為だけが、天地宇宙と一体になる術だとそう思うのか』

『・・・ではそれ以外にも』

『やめよ・・・天地は美に満ちている。あらゆるものが天地の現れなのだ。囚われぬ心を持っておれば、それが自ずと分かるであろう』

『・・・確かに、お話をお聞きしているうちに、次第に心が解けて、楽になって行くようです』

 遠く近くで虫が鳴いている。夜風がさらさらと渡る。蛙は煙管をタバコ入れにしまい、ちょっと私を見ました。

『お前はわしを芭蕉と取り違えているようだが、わしは芭蕉ではない。宗鑑じゃよ』

『・・・』

『芭蕉を遡ること百年ほど前に生きていたこともある連歌師じゃ。だが、世の中が戦争に明け暮れるようになったので、あほらしくなって人間世界からおさらばした。その時の辞世は、

 宋鑑は 何処えと 人の問うならば ちと用ありて あの世へといえ』

『では、あなたは自分からあの世、つまり、地獄へ行ったのですね』

『勿論、行きたくて地獄へ行ったのさ。生き地獄より本物の地獄の方が愉しいことがあるだろうと期待していた。ところが見事に外れた。大方の知り合いは黒縄地獄や阿鼻地獄へ堕とされてしまったし、わずかな善人は極楽へ行って、いない。そして肝腎のこの私は審議未了でいつまで待っても行き先不明のままだ。それでなんとも退屈になってな、閻魔大王に願い出た。

『どうか、判決が下るまで、元の世界に戻していただけませんか。いえ、人間として戻ろうなどとは願ってはおりません。人間はもうこりごりですから、何か気楽に歌でも歌って昼寝のできるような動物にしていただければありがたいのです』

 すると大王は笑って、

『極楽の蓮の葉の上で俳句を捻るというのはどうだ』と言う。それでわしは手を横に振って、

『お釈迦様などは迦陵頻伽(かりょうびんが)や天人の歌に酔いしれているでしょうから、私の歌など見向きもなされませんでしょう。ですから、どこかもっと面白いところへお移し願いたいのです』こう言うと、大王はちょっと考えていたが、

『それでは願いを叶えてやろう。いま丁度蛙の席がひとつだけ空いている。それでよかったらおまえに与えよう』とこう申されるのでわしは涙を流して、喜んで蛙にしてもらった。それから閻魔大王は百年ごとに鬼を遣わして『そろそろ地獄へ戻る気にはなれぬかな』と声を掛けてくれるのだが、そのたびにわしは『いやまだまだ行く気にはなれませぬ。この池こそ天地宇宙の中で唯一の極楽ですのでな』と、こう言って、地獄へ引き取られるのをようやく引き延ばしてもらっているのだ』

「これを聞いて私は心底驚きました。閻魔大王に掛け合って、蛙の身分を確保したとは前代未聞です。如何に偉大な人間でも出来るものではありません。

 私がうっとりとして宗鑑蛙を見ていると、

『お前は、私の俳句を聞く気持ちはあるかね』と訊きました。

『ぜひ』

『では詠むとしよう。だが、わしが詠むのは誰のためでもない、天地自然を言祝ぐ(ことほぐ)ために詠むのだ・・・天、地、風、水、閻魔、鬼、そのほか、あらゆるもの、この世の現象のすべてを支えているもの、目に見えぬ根源的なもの、それらすべてにわしの歌を捧げるのだ』

 

宗鑑蛙は苔の上に両手を突き、寂びのある堂々とした声で歌いました。

   手をついて 歌申し上ぐる 蛙かな

 月明かりがちらちらと宋鑑蛙のいぼだらけの背中に落ちました。夜風が枝を揺すっています。私は呆然としてその場に座っていました。古池の歌は聞けなかったけれど、そんなことはどうでもよかったのです。

 夜が明けると、宗鑑蛙はいつの間にか姿を消していました。私は池を眺めていました。そして、気が付かないうちに、池に飛び込みました。そして溺れて死んだのです」

    

 男は言い終えると立ち上がった。

「どこへ行くつもりです」と竹軒は訊いた。

「閻魔大王に面会するのです」

「何故」

「私を、蛙にして下さいと、頼むためです。蛙になって、あの池に戻り、宗鑑蛙の弟子になりたいのです。そうすれば、私にも、この世界に生きている意味が分かるようになるでしょうから」

 男はそう言い置いて、ひっそりと出て行った。 <第十二話・終わり>