「閻魔庁の籔医竹軒」 第一話 弁明
藪医竹軒はこの世にもはや思い残すことは一つもないと、そう思って死んだのだが、ふと気がつくとあたりは真っ暗。どこに自分は来たのかと、あたりを恐る恐る見回すと、何と鬼共がうごめいている。その中の一匹が竹軒に近寄って、
「ここは地獄の一丁目、その先ゃ地獄の釜の中さ。」
と笑ったから、竹軒はぶるぶる震えて声も出なかった。そこへ青鬼がやって来て「閻魔庁から呼び出しだ」という。聞けばかつての病人が、竹軒を詐欺罪で訴えて、そのお裁きがあるというのだ。竹軒は鬼に付き添われて閻魔庁のお白州に引き出された。隣にいるのは訴人らしい。その顔をよくよく見ればこの男、確かに二三度かかかりに来たが、だましたことなど一度もない。まして詐欺なんぞはもってのほか、そんな言いがかりで裁かれるのかと、歯ぎしり噛んで竹軒は、ため息つくばかり。とその時唐突に、頭の上から閻魔大王の大音声(だいおんじょう)、暗闇奥から響き渡った。
「藪医竹軒とはお前のことか。貴様はこの男に不老不死の薬と騙(かた)らい、葛根湯を飲ませたというではないか。もしそれに違いなないなら、その二枚舌を引っこ抜き、その身丸ごと櫛差しにして、焦熱地獄で焼いてやろう。だが訴人のいう事ばかり、信じて裁くのはよろしくあるまい。貴様にもしも言い分あれば、一から十まで語るがよい。だが弁明を聞く前に、一つ条件を言い渡す。閻魔庁で裁きを受ける者、みなみなそろって泣きながら「私に罪はございません、何かの間違いでございます」と涙を流して泣き喚く。その言い訳は聞き飽きた。お前が無罪と申すなら、葛根湯の生薬に韻を踏ませて弁明せよ。もしそれが出来ぬとあらば、お前の行く先、はや決まった」
閻魔大王の命令を、聞いて竹軒は腰が抜け、舌が張り付き、胸は高鳴り動悸して、とても出来ぬと思ったが、無実の罪で焦熱地獄、思って見れば如何にも口惜しい。たとえ無益と分かっても、言うだけ言おうと震えつつ、葛根湯の生薬を、韻を踏んで申し上げ、自己弁護にこれ勤めた。
「あやにかしこし閻魔様、この男の申し状、全く根拠など無い嘘八百。この男は来るたびに、肝臓、心臓、腎臓に、はては膀胱、肛門と、あらゆる臓器の苦しみ病(やまい)、日々言い立ててはその度に、薬を欲しがるその有様、あたかも子供がむずかって、玩具(おもちゃ)をねだる姿にて、どうにも始末に負えぬ故、葛根湯をば処方して、これは頭痛に喉痛み、咳にも痰にもすぐさまに、効能たちまち現れて、苦しみ逃れることこれ必定。故にこの葛根湯こそ何あろう、不老長寿の妙薬と、手渡したところ、この男、目を三角にして声荒げ、
『騙されねえぞ藪医者め、こんなふるびた粉薬に、効能なんぞあるものか、どうせそこらの出がらしの、茶っ葉によもぎなんざ混ぜあわせ、胡麻といっしょに磨りつぶし、元手は一文もかけねえで、売る時ゃ百文二百文、薬九層倍とは良くいった。』
と、この私を見下ろして、声を荒げて叫ぶ故、これほど狭い了見の、者にゃあ天の妙薬も、少しも効き目があるまいと、そう思ったがこの竹軒、生まれながらの医者の性、つとめはおさおさ怠るまいと、葛根湯をば手にのせて、
『この有り難い妙薬の、中身といえばまずはカッコン、これにタイソウ・マオウを加え、更にカンゾウ・ケイヒ、シャクヤク、またその上にショウキョウと、これらをくまなく混ぜながら『病逃散・病逃散(やまいちょうさん)』とこの竹軒が、祈りを込めてこしらえた、神の処方にさも似たり。とりわけマオウ・カンゾウは、この日本には神世から、手に入らぬもの故に、唐の国から取り寄せし、秘薬の中の長寿の薬、その生薬があるからは、効かぬ道理はありませぬ。そなたの病はたちどころ、雲散霧消すること疑いなし。』
と、噛んで含めて教えたに、この男には馬耳東風、着物を腰までまくり上げ、『黙って聞いてりゃいいことに、唐天竺から取り寄せた長寿の薬とは片腹痛い、月が雲から落っこちても、そんな話を信じると、思っていたのかこの籔医者め、口八丁、手八丁、目やにと耳糞でこしらえた、偽薬を患者に飲ませた上に、嘘八百並べたからは、閻魔様に舌引っこ抜かれる、この罰は免れぬ、ざまあみろとはこの事だ』と啖呵を切って見えを切り、薬代を一文も、払いもせずに葛根湯、その懐にねじこんで、戸をけ破って表に出たが、通りかかった旗本の、額に戸板が突き刺さり、真っ赤な血が川の如、登城の衣服を汚したため、お供の侍抜刀し、肩から胸へ唐竹割、倒れたところにのしかかり、とどめを刺されてこの男、絶命したのも運の尽き、骸は無縁仏の土の下、思い出す者もなかったに、閻魔庁の裁きの場で、この悪党に訴えられたとは、何たる因果。
確かに己は薮医にて、過ぎにし世では人並みに、時には嘘も方便と、使ったことはあるけれど、患者ばかりはひとたびも、欺したことはありませぬ。どうか積もり積もった閻魔帳、その帳面のいずこにか、仮にも大罪見つかれば、籔医竹軒のこの舌を、引っこ抜いてもかまいませぬ。だがもし罪なしと分かったその時は、焦熱地獄ばかりはご勘弁、この通り竹軒お願いいたします。」
斯くの如くに弁明すると、閻魔大王、真っ赤なまなこを見開いて、薮医竹軒をハタと見下ろし、
「藪医の名のその通り、しばしば見立てを誤った、その事ばかりは確かにて、閻魔庁に記載が見える。だが貧者富者の分け隔て、一切これなく診察し、日夜看護に勤めたる、その生涯は見事なり。閻魔庁の裁判を一手に任されたこの閻魔、虫けらにも劣る罪人の、苦し紛れの出任せに、かりそめにも欺かれ、そなたを詐欺罪で裁くなど、劫に一度もあるものか。ただこの濡れ衣を、口達者な医者として、世間に知られた薮医竹軒、いかに弁明するであろうかと、退屈紛れに聞いてみた、ただそれだけのこと。ぐすぐずするな赤鬼共、この罪人をひっくくり、地獄の釜へたたき込め。」 閻魔大王が命じると、この時を待ちかねた、鬼共は、喉も裂けんばかりに泣き叫ぶ、その男に飛びかかり、焦熱地獄の炎の中へ、真っ逆さまに突き落とした。