佐賀純一 講演録「未来に伝えたい日本の心」

 ご丁寧なご紹介、ありがとうございました。こうして会場を拝見させていただきますと、実に蒼々たる方々がそろっておいでになっておられる。中には僕が日頃親しんでいる知人の方々も見られます。そうした中で僕が何事か講演させていただけるということは、ほんとうに光栄なことであると改めて実感している次第です。

 今日の演題は「未来に伝えたい日本の心」というものですが、日本という国を知るためには世界の現状は絶好の時期のように思えます。というのは、世界が激動し、混沌として、未来がどうなるか分からなくなっているからです。世界中で独裁政権が強烈な批判にされ、革命の嵐が多くの国々で吹き荒れています。チュニジアからはじまった独裁政権打倒の嵐はエジプトの二九年間続いたムバラク政権を崩壊させ、アルジェリア、リビアなど北アフリカ全土から中東全土に広がり、中東のバーレーン、サウジアラビアなどを揺るがし、中国にまで危機が及んでいます。中国共産党指導者は危機感を募らせ、胡錦濤国家主席はフェイスブックなどが国家基盤を揺るがす可能性があるとして、インターネットの取り締まり強化を命令しました。中国政府は100人以上の集会を禁止し、民主化指導者を拘束しました。地中海を隔ててエジプトの対岸にあるイタリアは難民の洪水のような襲来を恐れ、非常事態を宣言しました。

 これから中国や中東で起きている事がどうなるのか、世界をどのように変えていくのか、日本はその中でどうなるのか、これは重大問題でありますし、政治家だけでなく、国民それぞれが真剣に考える必要に迫られています。

 現在世界を震撼させている出来事は、日本の経済にも影響を及ぼさずにはおかないと思われますが、国家の本質にはほとんど影響がないだろうと僕は思っています。というのも、こうした激動の嵐は古代から現代にいたるまで常に引き起こされていた大問題でしたが、日本はすでにこうした独裁と国家の問題を神話時代に解決してしまったと思われるからです。

 この事は今日のタイトルである「日本の心」という主題と深い関係がありますから、そのあたりからお話したいと思います。

 アフリカ、中東、中国で連鎖的に発生している革命と民主革命を起こそうとする運動の標的となっているのは、申すまでもなく独裁政権です。独裁国家の共通するところは、国家の全ての権力が一人の人物あるいは家族、少数の特権階級に集中しているということです。エジプトでもリビアでもそうですし、サウジアラビア、バーレンなども王族が全権を握り、その他の国民は半ば奴隷のように命令に従わなければならないという状況にあります。

 中国は経済的には世界第二位のGDPを誇っていますが、政体は共産党独裁ですから、自由はありません。

 では日本はどうかというと、百家争鳴、政権は極めて不安定ですが、革命が起こっている他の国々とは全く事情が違います。

 では日本の政体はどうして現在のようになったのでしょうか。それは日本が太平洋戦争に負けて、アメリカが主導して作られた平和憲法によって、否応なしに設立され、その延長上に現在があるのでしょうか。

 それとも、現在の日本の政体は、外国の圧力によるものではなく、日本の心、日本人の精神と深い関わりを持つ中で育まれてきたものなのでしょうか。

 そうです。現在の日本の政治体制は、アメリカによって押しつけられた戦後体制の延長にあるからではありません。私たちの現在の姿は、私たち自身が支えているのです。なぜかといえば、それは日本人が古代から受け継いできた日本人の心、精神が、それをよしとしているからなのです。戦前の一時期、軍事独裁政権が樹立され、議会は大政翼賛会となって事実上、自由は死滅しましたが、敗戦と共に独裁政権は消滅しました。それは、日本が戦争に負けたからというネガティブな原因によるものというより、古代から日本は独裁を受け入れない国家だったのです。

 では、いつ頃から日本は独裁国家ではなくなったのかということですが、僕の考えによれば、それは神話の時代からそうだったのです。

  「一は良くない。ひとりは、この世に存在することができない。この世は、二から始まる」という思想です。

 こうした思想は古事記にはっきりと示されているのです。

 この事はとても大切な事であり、日本の心そのものですから、少し詳しくお話することにします。

 日本を生んだのは創世の神のイザナキ・イザナミです。つまり日本はイザナキという男性の神一人がこしらえた国ではなく、またイザナミという一人の女神が生んだのでもありません。古事記日本書紀には、イザナキ・イザナミの二人によってこの世に生まれたと記されています。

 実は、イザナキ・イザナミの二人の神々がこの世に現れる前に、数多くの偉大な名を持つ神が幾人も姿を現しました。

 古事記はその事を次のように記しています。

 天と地が初めて現れたときに、高天原に成った神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシ)、次に高御産巣日神(タカミムスビ)、次に神産巣日神(カミムスビ)。この三柱の神は、いずれも独神として成り、すぐに姿を隠した。

古事記

 これらの神々が否定された理由は全て「一人神である」という一事です。

 一人神は存在できない。という存在の哲学によって、これらの立派な名を持つ神々は日本の創世の神とはなれなかったのです。

 日本はこうして二人の神々・イザナキ・イザナミによって豊かな国土を得ました。

 ところが、イザナミは、文明の誕生にとっては欠かせない、火之神によって焼き殺され、死んでしまいます。

 残されたのはたった一人になったイザナキと生まれたばかりの火之神でした。妻を失ったイザナキは、嘆き、狂乱して、自分の息子を殺します。

 つまり、一人きりになった時、神であるイザナキが為した行為は、自分の息子を殺すという恐ろしい悲劇でした。

 たとえ創世の神であっても、一人きりになると正気を失い、大切な息子さえ殺すというような恐ろしい犯罪から逃れられない、という事をこの神話は示しています。

 一人ではこの世界を治めることはできない、というこの思想は、古事記全編を貫く強い思想として記されています。

 そしてその思想はスサノオ・天照大神・大国主命の物語によって大きなドラマとして発展してゆきます。 

 しかしその物語とその意味を語る前に、振り返って見たいことは、こうした神話の思想は世界においては格別なものであるという事実があることを見逃してはなりません。

 聖書の神話をみてみましょう。この神話が生まれたのは現在のシリアやレバノンあるいはイスラエルあたりではないかと思われますから、今、民主化の動乱のさなかにある場所といえます。

 聖書の創世神話にはこのように記してあります。

 つまり、世界はたった一人の神によって生まれたとされているのです。

 この思想はキリスト教より数千年前に生まれたユダヤ民族のエホバの神の概念と似ています。

 メソポタミア文明の中心は現在のイラクですが、その首都バビロンの主神は、マルドゥクでした。(エレミヤ書 )

 ギリシャ神話の神もまた一人神が全権を握っています。

 最初に現れたのはウラーノス。

 息子クロノスに殺される。

 クロノスは自分の王座を息子たちに襲われ殺されるのを恐れて、次々に殺しますが、妻のレダは最後の息子が殺されるのを恐れて隠します。こうして密かに育てられたゼウスは、クロノスを殺し、全世界の神々の頂点に君臨することになります。

 このように地中海と中東に生まれた神話は一人の神によって世界は支配されるという思想です。

 インドは多くの神々がおり、中東などとは全く異質の神話を持っていますのでここでお話することは不可能です。というのも、数千年の間に数多くの神話がうまれ、それらが別々の神々を世に送っているからです。インドの神々とその神々の日本に及ぼした影響について僕は大いに啓発され「歓喜天の謎」という書物を描きましたが、短時間でお話することはとても出来ませんし、インドに話を及ばさなくても日本の精神についてはお話できますので、今回は言及せずにおきましょう。

 では中国はというと、これはインドとは全く異質の文明です。何よりその異質性を証明しているのは、中国には神話というに値するものがほとんどありません。

 万古神話・ジョカ神話などは断片的にありますが、インドと比較すると千分の一にも満たないものです。

 中国の思想を支配しているのは、天帝の思想と儒教です。

 古代から近代に至るまで、中国という強大な国家を支配したのは皇帝でした。皇帝は天子とも呼ばれて、天子は天の唯一神である天帝から帝国を支配する王権を授けられたと信じられました。ですから、皇帝が徳を失い、民心が離れると、これは天帝が見切りをつけたと見なされ、革命が起きて、王はその座を追われることになります。これが易姓革命であって、この革命理論を明らかにしたのは、孔子と並んで儒教の盟主とされている孟子です。古代から近代に至るまで、中国大陸では36回も王朝が交代したとされています。

 すなわち、中国では、天帝から選ばれた一人の天主が国家の全権を握り、その国家が崩壊すると、その支配権をめぐって大陸全土が戦乱状態になります。

 中国の映画「三国志」や最近の「レッドクリフ」はその模様をドラマチックに描いていますが、結局は、誰が国家の独裁者になるか、という権力争いをドラマにしたに過ぎません。

 中国は1912年に清王朝が倒れて中華民国になってから、皇帝の独裁は無くなりましたが、皇帝に変わって、現在は中国共産党の幹部が独裁権を掌握しています。こうした状況は中国4000年の歴史が生み出したものですから、現在吹き荒れている民主化の嵐がたとえ中国に影響を及ぼして政体が揺らぐことが万が一あったとしても、また同様の独裁政権が生まれる可能性が高いと思われます。

 それなら、日本はどうかと見ると、現在の政体はもちろん、古代に於いても、日本は中国とは完全に異なった国家政体を選んでいたのです。

 しかし、日本は遣隋使の昔から中国の影響を深く受けています。遣隋使は聖徳太子の時代の話ですし、遣唐使は舒明天皇の630年からほぼ200年間におよそ二十回派遣されました。

 その間、どれほどの文化文物制度技術が輸入され、利用され、また国家経営に役立ったか、ここで述べることはできません。我々は今もその恩恵に浴して、漢字を日常に欠かせないものとして使っていますし、僕が専門としている漢方医学もまた、遣隋使に先立つこと数百年前、応神天皇の時代に後漢の霊帝の子孫である阿智王が日本に亡命する際にもたらされたと伝えられています。

 こうしたわけで、日本は、中国から大きな影響を受けて歴史を重ねてきたことは否定できない事実です。そしてそのような歴史的事実から、非常に大きな誤解も生じました。

 それは、日本は全てを中国から真似たものであって、日本独自の文化はない、というものです。

 現在は中国がさまざまな分野で日本を模倣していると報道されたり、時には非難されたりしていますが、少し前までは、全く反対の見方が世界では為されていたのです。

 日本の心、という主題を考えるためにも、日本と中国の関係に関する論議は欠かせないものですから、少し寄り道に入った印象を抱く方もおられるかもしれませんが、成り行き上、お話をしてみたいと思います。

 ここにおられる方々の多くは僕よりも1世代若い方々が多いようですから、あるいはご存じない方もおいでかも知れませんが、日本文学の研究の第一人者にドナルド・キーンという人物が居ります。現在89才ですが、日本文学のあらゆる分野に通暁して、世界に日本を紹介した功績によって文化勲章を受章し、今もなお現役で著作活動を続けています。インターネットで調べればどれほどの人物かすぐさま分かりますが、今こうしてお話していることにも関係することですので少しばかりお話しますと、彼はコロンビア大学在学中に中国に惹かれて中国語を学び始めました。この事は「日本との出会い」という著書に記されていますが、現在の中国と世界の関係を知っている私たちには信じられないような事が記されています。それはどういうことかと言いますと、彼の友人たちがびっくり仰天したというのです。本文には次のように記してあります。

『私が中国語をはじめた事がわかると、友人たちはほとんどみな私の気が狂ったのではないかと思った』

 今の世界に占める中国の存在の大きさを知っている私たちからするとこのような話はとても信じられない事ですが、ドナルド・キーンがケンブリッジに居た頃、つまり一九五〇年代の欧米の文明に生まれた人間にとって、中国はとんでもなく遠いところであって、研究に値する国や文化であるとは全く思われていなかった、そうした事実があったという事をこの文章はあからさまに示しています。

 ドナルド・キーン氏はそれから三年後、こんどは日本語を学び始めたのですが、その当時、日本語を読み書きできる人間はアメリカ全体で50人ほどしかいませんでした。そしてちょうどその頃、真珠湾攻撃がきっかけとなって、彼は海軍の語学学校に入って訓練を受けた後に、アメリカ海軍が入手した日本軍に関する機密文書の翻訳作業に従事したのです。

 そうして戦争が終わるとドナルド・キーンはイギリスのケンブリッジ大学に行って日本語を教えることになったのですが、その時の様子を次のように書いています。

「私が日本文学を教えているというと、反応はいつも『日本人は何もかも中国人からもらったんじゃありませんか?彼らは結局のところ、猿まね人種なんでしょう』

 さきほど、今の中国は日本を模倣していると思っている人がずいぶん多いとお話しましたが、ドナルド・キーン氏によれば、イギリス人は日本人を中国の猿まね人種と軽蔑していたと言うのです。

 しかもそうした嘲笑や侮蔑の言葉が、無教養な人々ではなく、イギリスの名門、ケンブリッジ大学の友人や知人たちの言葉だったという事実が、とてもショックです。当時のイギリスのインテリたちは日本はごくつまらない矮小な人種で、中国もつまらない国だけれど、それ以上に研究に値する国でもないし、独自の文化を持っている国民ではない、と見下されていたというわけです。

 このような誤解とも軽蔑とも言えぬ状況を生み出した責任は、歴史学者たちにあります。その歴史学者の名は、他でもありません。世界にこの人ありとその名を知られた歴史学者たちの日本に対する認識の過ちが原因だったのです。

 トインビー博士は20世紀に活躍した最も著名な歴史学者ですが、彼はその名著「」の中で次のように述べています。この書物は世界の名著にも入っていますから、決して見逃してよい書物ではありません。世界の知恵として収録されているほどの名書なのです。そしてそこに、そのように記されているのです。

 また、ドイツの歴史学者、シュペングラー、この人は「西洋の没落」の著者として非常に有名な学者ですが、彼は日本について、次のように述べています。

 これほどの歴史学者たちが日本に対して誤った評価を下してしまったので、欧米の人間は、「日本というのは、独立した文明・文化ではなく、中国の光の中にようやく浮かんでいる月の光のようなものなのだ」と誤解するようになってしまったわけです。

 イギリスばかりではなく、フランス人も似たり寄ったりの評価をしてました。

 1962年・昭和37年、池田勇人首相がヨーロッパを訪問した際、フランスとの首脳会談の際にシャルル・ド・ゴール大統領から「トランジスタラジオのセールスマン」と揶揄された事は当時大学二年だった僕もよく記憶しています。

 ところが50年後の現在はどうでしょう。たとえば、国内総生産高GDPをインターネットのウキペデァで見ますと、2009年のイギリスのGDPは2.2兆ドル、フランスは2.5兆ドル、ドイツは3.3兆ドルですが、日本はというと、5.4兆ドルですから、イギリスとフランスを会わせても日本には及ばないわけです。池田勇人首相のフランス訪問から50年したら、日本はこれほどに大きくなったといえます。

  この事実は、次の事実を教えてくれます。それは、

「この世の存在は、すべて変容するものである」ということです。常に同じ助教が続くことは決してあり得ず、個人も、国家も常に変転しながら動いてゆくということです。

昔から「おごる平家は久しからず」という言葉がありましたし、また僕たちは鴨長明の方丈記を中学校の時に学びました。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、 またかくの如し。

 鴨長明の言葉は、世界全体の状況にもそのまま当てはまるということなのです。すべては常に変わらぬものがあるのではなく、何もかもが移り変わってゆく、だからこそ、私たちは過去を学び、未来に大切なメッセージを伝えてゆく必要があるのです。

  そこで、ここから話を元に戻して、「日本の心の本質は何か。中国の精神と日本の精神はどのように異なっているのか」、という事をお話したいと思います。

 すでに申し上げた通り、日本は中国から多大の影響を受け、文化か文物を数百年にわたって輸入してきました。それが現在の使われている漢字文化であり、また、古代においては法律、行政組織も中国を模しましたし、建築、書道、絵画などの文化も受け継ぎました。それなら日本の根底を形成している精神も中国から輸入されたものなのか、と言えば、それは違います。

 日本は中国からの文化・行政制度・芸術などを極めて注意深く選択して入れているのです。あるものは中国に於いては極めて当たり前の事として何千年と用いられ、国家運営の基礎を成していた制度、あるいは日常生活を支配していた基本的な社会習俗、そうしたものであっても、日本は一つ一つ吟味して、入れてはならないものはこれを断固として入れようとしなかったのです。

 政治形態としては、中国は皇帝の独裁政権の政体を紀元前2000年の昔から樹立しては崩壊するという事を繰り返してきましたが、日本はこうした独裁政権を輸入しようとしませんでした。

 これは神話の昔も奈良平安時代も同様でしたが、これについては後にご説明したいと思います。

 日本が中国から制度や文物を輸入する際、それが自国にふさわしいかどうかを吟味したという事実を明確に証明している事実があります。それは、纏足と宦官制度です。

 纏足は古代中国から20世紀、清王朝の滅亡まで広く中国に普及していた女性の習俗で、王侯貴族の女性はもちろん、上流社会の婦人はみな纏足であることを強いられました。楊貴妃はもちろんそうですから、白楽天の長恨歌に詠われている「雲鬢花顏金歩搖」という一説は彼女が自分の足では歩くことが出来ず、両側から支えられて歩行していた様子が目に浮かびます。

 近代までそれが行われていたという事実は、ノーベル賞作家であるパール・バック女史の「大地」に記されていますからまだ目にしていない方はご自分で確かめていただきたい。

 つまり、纏足は、女性を男性の性の奴隷にするための最も有効な手段として延々と続いてきたのです。

 宦官制度もまた古代中国から清帝国まで四千年も続けられていた宮廷の制度であって、日本の隣国の朝鮮の王国はこの制度を宮廷に導入しました。その事実は、韓流ドラマを見れば一目瞭然で、王様の近くにはいつも「内臣」が侍っていますが、彼らはみな宦官です。

 宦官とは男性の性器・睾丸を摘出した去勢の男子で官吏となった者であって、漢王朝から唐王朝・近代の明・清に至るまで数千年の間続き、皇帝の側近はほとんど宦官でした。つまり、男でもない、女でもない、去勢した人間が宮廷にはびこっていたのです。楊貴妃をくびり殺した高力士も宦官です。

 遣唐使はこうした制度が中国という国家には不可欠の制度であるという事をはっきりと見ていたはずですが、それを日本に入れようとはしませんでした。多くの制度を輸入しながら、宮廷で最も重要な役割を果たしていた宦官制度や纏足を入れなかったのか。

 それは、日本人が、「これは良くない」と考えたからであり、「良くない」と判断する基準が、中国の制度や思想が輸入される以前からしっかりと根を下ろしていたからなのです。

 思想や哲学の輸入も無差別に入ったのではありません。古事記や日本書紀によれば、孔子の「論語」は応神天皇の時代に百済から王仁によってもたらされたと記されています。応神天皇 (ちなみに応神天皇元年は270年とされています)の皇子である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ、生年不詳 – 壬申年(312年)は王仁に師事して論語に通暁したとされていますから、当時、既に漢籍や漢字に通じている官僚や知識人は多くいたのでしょう。しかし、論語・儒教は古代の日本には取り入れられませんでした。というのも、儒教には易姓革命論が記されている事、また、論語の思想は男性社会の倫理道徳としては優れていたかもしれませんが、女性にとっては無意味とも思える内容だったからです。

 中国では論語が支配的思想でしたが、応神天皇から数百年経っても日本にはその思想は根付きませんでした。そして聖徳太子の時代になると、中国を経てインドからもたらされた仏教が国家宗教として取り入れられたのです。

 こうした事実からしても、日本は中国の猿まねなどではなく、独自の思想・哲学に基づいて、入れるべきものは入れ、排除するべきものは絶対に輸入しない、と厳格に選択していた事は明らかです。では、その取捨選択の基準となった思想・哲学とは何か、という事ですが、それはまぎれもなく、古事記に記されている思想であり、哲学です。

 古事記は今から1300年も昔に編纂された日本最初の国書ですが、現代に生きる私たちが長い日本の歴史の中で獲得した最高の宝物として誇りにするに値して余りある書物です。これは神話であり、歴史書であるとともに、思想書であり、日本人の存在論を明晰に解き明かしている哲学書でもあります。

 古事記の全てをここで開陳することは不可能ですが、未来に伝えたい日本の心というタイトルにふさわしい内容に限定していくつかを上げるとすれば、

 独裁の否定。世界は一人ではなく、男女という二人が世界の存在と不可分である。

 この二つについては既にお話しました。

 そこで第三は何かといえば、この世に存在するものは、「変容する」という思想です。イザナミは女神から鬼になったのですから、これは大変な変わりようです。その夫のイザナキは、地獄から戻ってくると、多くの神々を生み、最後に天照大神・スサノオ・月読命を生みます。

 つまり、夫・男であるイザナキは、女神のような働きをする神に変容したのです

 日本の神は変容する、という事は、現代の日本にもそのままあてはまります。日本という国は、国家そのもののが、ある時を境にして全く異質の変容を幾度も遂げているのです。

 しかし他の国は変容しません、幾百年・幾千年経っても自己同一性を保っています。イスラエルは紀元前数千年前から同じ精神を保ち、同じ宗教を頑なに守っています。アラビアもしかり、多くのキリスト教国も同様です。

 ところが、日本は違います。ある時、このまま行くと国家が破滅する、と悟ると、それまでとは全く正反対の方向に国家全体が変容し、動き出すのです。

 その姿を間近に見るのは戦国時代から徳川時代、江戸時代から明治維新、戦前の軍国主義・帝国主義日本から、戦後の自由・民主社会の日本。

 こうした国家進路の急展開は、日本人には当然の選択とも思えるのですが、歴史学者によれば、こうした国家は他に例を見ないのです。

 「菊と刀」の著者であるルース・ベネディクトは次のように述べています。

「88頁」

  間違いを犯した時、これを改めるという教えはどこから当然のことのようですが、これが国家的過ちであった場合、取り返しのつかないことになり、国民は困窮し、国家は疲弊しますから、当然のことながら、国家方針を誤った指導者は極刑に伏されるでしょうし、もしそれが神であれば、誰もその神をあがめることはなくなるでしょう。

 ところが、驚くべき事に、日本はそうした常識とは全く違う神話と歴史の国でした。その事実を明白に証明している場所と神が今も存在します。

 それは何でしょうか。他ならぬ伊勢神宮です。

 伊勢神宮は日本人にとってかけがえのない大切な社であり、そこに祀られているのは国家の最高神・天照大神です。ですから日本には八百万の神々が全国に祀られていますが、天照大神は八百万の中心にある神聖な神であるとされています。

 ところが、それほどすばらしい神であったら、どのように偉大な力を持っていたのだろうかと、そう思って、天照大神に関する記紀の記述を見ると、驚くべき事が明らかになります。天照大神は実に生涯を通して、大きな過ちと敗北を繰り返しているのです。

 敗北と失敗を繰り返している神が日本の最高神であるという事は真実なのでしょうか。

 事実です。その事は天照大神に関する古事記・日本書紀の記述を見れば明白です。しかしいくら僕がそうは断言しても、信じられない方々も多いでしょうし、これほど重大な事について勝手な解釈をすることは許されませんので、古事記に記されている記述を正確に箇条書きに書き出してみます。

  • スサノオとのウケイの際の過ちと敗北。
  • 天の岩戸に閉じこもった時、神々がおもしろおかしい場面をこしらえ、それにつられて天照大神が見ると、光り輝く神が見えたので、自分の他にもこのような神がいるのかと驚いている隙に岩やから連れ出された事。つまり、彼女は自分の姿を鏡に見ていることに気づかず、まんまと神々のはかりごとに填められたこと。
  • 天の岩戸から出たとたん、彼女は大国主の支配する出雲国の繁栄に目がくらみ、これを征服しようとして、独断で長男・正勝・・・に攻撃を命じるが、たちまち失敗すること
  • そこで次男を遣わすが、彼は行方不明になること。
  • そこで今度は八百万の神々に相談して三度出雲に出兵するが、天照大神が期待した天若彦は彼女を裏切って大国主の娘と結婚してしまうこと。
  • 手詰まりになった天照大神と高天の原の神々は、遠い常陸の国の神であるタケミイカヅチノオノカミ 建御雷男神の助力を要請して、ようやく和議に持ち込むことに成功すること。
  • 出雲の帰属をめぐる争いは、「戦争は避けるべきである。和議による国譲りこそが最も望ましい」
  •  これは神話だけでなく、現実の政治に生かされている。
  • 江戸から明治への開幕となった「大政奉還」
  • シュペングラーの評価

 このように、天照大神は、絶対神ではありません。それとは正反対です。他の神々の知恵と力を借りなければその存在を保つことが出来ない神なのです。

 その神が、日本の最高神なのです。これは大変な事。

 そのメッセージとはどのような事なのか。

 一人の権力者は、それが選ばれた神てあったとしても、過ちを犯す。

 権力は分散されなければならない。

 国家の進路は、合議で決定されるべきである。

 国家の方針がひとたび過ちであると分かった時には、過去にとらわれず、国家の進路を速やかに変更しなければならない。

 国家の進路を導くのを誤った最高指導者の責任は、国家全体の責任であるから、指導者が権力の座から追放されることはない。

 天照大神は繰り返し過ちを犯し、敗北しましたが、最高神の座から追われる事はなく、その孫が天孫降臨して日本国を支配することになったのです。

このような思想は、果たして神話にとどまるものでしょうか。

 そうではないことが日本のすばらしいところです。

 天照大神の思想は、聖徳太子の憲法という形になって古代から現代にまで大きな影響を与えています。

       夏四月の丙寅の朔戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)作る。

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝はとは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。

三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下…(略)

四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)

六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)

七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)

八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)

九に曰く、信は是義の本なり。(略)

十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)

十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)

十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)

十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)

十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)

十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)

十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)

十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)

 先日のテレビニュースで、宇宙飛行士の若狭浩一さんが宇宙ステーションの船長に選ばれた事が伝えられれました。その時、若狭さんは「どのような船長になるつもりですか」という質問に「日本の和の心をもってその任務に当たり合いと思う」と答えました。宇宙ステーションの運営に、神話から生まれた思想がそのまま生きているということは、何とも表現できないほど偉大な出来事ではないかと、思うのです。

 ですから、日本が平和を守っている時は独裁者が支配する時ではありませんでした。奈良平安時代は合計すると500年の平和が続きましたが、そこで取られていた政治形態は天皇独裁ではなく、左右の大臣・大納言・中納言・参議などの合議制でした。

 江戸時代も将軍独裁ではなく、全ては老中の合議によって決定されました。

 戦国時代の悲惨な有様は、信長の狂気の独裁に象徴されています。

 ところで、徳川時代が明治に移るとき、大政奉還が行われましたが、これは天照大神が大国主命との和議によって平和を取り戻したという神話に則ったとみなすこともできます。

 日本人は大政奉還を「そんな事もあったな」と何気なく思うかもしれませんが、これは世界史的に見ても皆無に等しい奇跡なのです。

 シュペングラーは「西洋の没落」で次のように記しています。

 さて、ずいぶん長い時間、日本の神話とその心を見て来ましたが、最後にもうひとつ、日本に神話時代から今日まで脈々と伝えられてきた独特の文化についてお話させていただきたい。それは、和歌、これこそが日本の心を象徴しています。

イザナキ・イザナミという男女の愛の言葉が、和歌の始まりでした。日本の国が何を措いても第一に誇りにすべきことは、男女の関係が全ての源であると古代から伝えられていること。そしてその関係から生まれた歌が、和歌となり、文学・芸術として後世に花開いて、現代にまで大きな影響を及ぼしているという事です。

およそ世界には多くの国家がありますが、国家が国民の読んだ歌を勅命によって選び、勅撰集として作り上げている国は日本の他にありません。万葉集は勅撰集ではありませんが、およそ4700の和歌を集め、これに続く古今集から新古今和歌集に至る八代集には詠み人知らずの和歌を含めて約9400の和歌が収録されています。

 イザナキ・イザナミの褒め合いに始まった言葉が、和歌となって今日まで続いているということは、これまた不思議としか言いようがありません。

 私は今、「百人一首ものがたり」を漢方医薬新聞に月に二回連載していますが、これは藤原定家が撰集した百人一首の一つ一つの和歌を物語にして、多くの方々に親しんでもらおうという意図から創作した作品です。

 神話に始まった神々の言葉が、万葉集・古今和歌集となって花開き、そして千年後の今日、カルタ取りの行事ともなり、さまざまな文化芸術の主題にもなっているということは、なんともすばらしい出来事であると思います。 こうした事を是非とも若い方々にも認識していただき、未来へその心をつなげていただきたいと願って、この講演を終えたいと思います。