百人一首ものがたり 99番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 99番目のものがたり「八大地獄」

人もをし 人も恨(うら)めし あぢきなく
世を思ふ故(ゆゑ)に もの思ふ身は

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「いよいよ、院でござりますね」心寂房がこう言うと、定家は無言で頷いた。

第99番目のものがたり 「八大地獄」 )

  日本海の冬風が鍛冶場の板戸を荒々しく叩いている。鍛えあげた大刀の波紋が炭火の灯りに鮮やかに反射する。菊花紋の毛彫りが目映い・・・

『隠岐に流されてから多くの刀を鍛えたが、これほどのものは初めてだ』

 切っ先から手元まで伸びる刀身はいかなる城門もひと突きで破れるほど鋭く、薄刃の切っ先は花に飛ぶ蝶の羽を百にも切り裂くことができるように思えた。

『この刀と、あの、失われた宝刀と、どちらが優れているであろうか』

 後鳥羽院は吹き込んでくる海風を気にもとめず、美しい波紋に見入っていた。と、鋭く光る切っ先の上を、何者かが歩いてくるのが見えた。剃刀よりも薄い鋼の刃の上を、裸足の男が頼りなく歩いてくる。・・・誰だ・・・刃の上を人が歩くとは、そんなはずはない・・・幻影だろうか・・・いや、確かに、誰かが渡っくる。烏帽子直垂をつけ、沓も着けず裸足でよろよろと歩いてくる。今にも倒れそうな足取りで、こちらに手を伸ばしている。いったいこれはどうしたことだ・・・。

 驚愕している間に烏帽子の男は刀の半ばまでさしかかった。と、背後からこれもまた烏帽子直垂の公卿たちが四,五人、必死の形相で走ってきた。公卿たちの顔は土のように乾いている。唇をぱくぱくと開け、大声で叫んでいる。後から鎧を着た大勢の武者たちが追いかけてくる。鎧が鍛冶場の炎にきらきらと光る。先頭の烏帽子の男が走り出した。研ぎ澄まされた刃が足を切り裂いた。男はアッと悲鳴を上げたがその首は刃に触れて、ザックリと切れ、火の中に落ちた。

 血まみれの首が、炭火の中に転がっている。よく見ると・・・葉室光親の首だ。光親の首は炎に照らされて真っ直ぐにこちらを見ている。

「そなたは、そなたは」院は刀を取り落とした。隙間風に炭火が炎を吹き上げる。光親の首は恨めしげに院を凝視している。

「そなたは・・・取り殺しに来たのだな」院は後ずさりしながら、呻いた。「私を殺すつもりであろう」

「無論、そうですとも」と首は言った。「院は、私をお裏切り遊ばされましたね・・・側近であるこの私を、承久の乱の張本人として北条義時に差し出されました」

「・・・」

「院は義時宛に書状を書き送りました。そこにこう記されておりました。

『この度の乱の首謀者は私ではない。葉室光親である。北条義時追討の宣旨は光親が藤原信能ら六人と謀り、勝手に発したものである。私はそのことを知って直ちに宣旨を撤回し、葉室光親らを追討すべき旨の宣旨を出した。この度の乱は私とは何の関わりもない。首魁は葉室光親とその一味である』

義時に宛てた文の内容はこのようでござりましたね。なぜあのようなひどい偽りを記されたのですか」

「・・・そなたは・・・何故ここに・・・」

「なにゆえとは何のことでございますか・・・それよりなぜ帝はあのような嘘を義時に書き送ったのですか」

「・・・朝廷を守るためであった・・・」

「愚かな帝を信じた私が恨めしい・・・私たちはただひたすら、院のご命令に従って死にましたものを・・・このままでは地獄に堕ちても気が済みません、どうか私と共においでください」

 首は院の足下まで迫ってきた。後鳥羽院は恐怖し、逃げようとした。と、その戸の向こうから、激しく叩く音がした。

「この戸をお開け下さい。鎌倉軍は宇治・勢多の要害を破り、我が軍は総崩れとなりました。かくなる上はこの四つ辻の御所に籠城し、最後の一戦を構える他に術はありません。どうか、この戸をお開け下さい」

 あの声は三浦胤義。北条義時の軍勢に破れ、御所に逃げてきたのだ。追いかけてきた関東武者の怒号が空に響いている。逃げまどう何万の兵、子ども、女、下人、坊主、遊女・・・断末魔の叫びが空にも地にも満ちている。

 院は両手で耳を覆った。鍛冶場の戸板が激しく揺れている。

「この戸を開けて助けて下さい」

「いいや、ならぬ」

「どうかお開け下さい・・・院は、私たちをお見捨てになるのですか。あなたさまの為に戦った者共をお見捨てになるのですか。院はご自分で始め戦いから、ただ一人逃れようとするのですか」

「その声は、山田重忠、それから・・・小野盛綱、藤原秀康、みな逃げてきたのか。頼み甲斐もなく」

「何と申されます。院こそ先頭にたってお逃げになられた。そのため総崩れになったのです」

「逃げたのでない。立てなおすためであったのだ」

「お恨みもうしますぞ。院がそれほど臆病者だったとは・・・我らは院に騙されたのですか・・・ああ何という事だ。昨日までは錦繍の香りを楽しんでいたというのに、院の野望のために全てを投げ打って戦に召し出された。そして今、院にまで裏切られ、御所から閉め出されて憂死するとは・・・この恨みは来世までも、決して忘れませぬぞ」

 突然激しい風が吹き上げ。風は嵐となり、粗末な御仮屋は今にも吹き倒されそうにぎしぎしと音を立てた。

 やせ衰えた後鳥羽院の病床に歌書が積み上げられている。枕元で、「遠島歌合」を詠み上げる声が響く。「遠島歌合」は都の藤原家隆に命じて在京の歌人十五人に十首ずつ歌を詠ませ、これを隠岐の島に届けさせて後鳥羽院が十首を加えて百六十首とした歌合である。

病床には白拍子上がりの伊賀の局亀菊と元北面の武士の西蓮法師藤原能茂が付き添っている。能茂は歌合の一番「朝霞」につけた後鳥羽院の判詞を低い声で読んでいる。

 亀菊がアッと小さな声を出した。能茂は後鳥羽院の顔を見た。院のお顔が苦しげにゆがんでいる。

「また白昼夢をごらんになっておられます」

「どのような悪夢に魘されておいでなのか・・・」

 巨大なものがのし掛かってくる。身動きできない。

「助けてくれ、私はここだ・・・葉室・・山田重忠、私はここだ。誰もいないのか・・・」

 息が苦しい。これは何だ。私を押さえつけているのはいったい何なのだ・・・

 見上げると、巨大な足が腹の上に見える。逃げようとすると、巨大な足はますます力を増して寸毫も動けない。

 虚空から木の葉が散ってくる。その葉には文字が記されている。一枚の葉には「仁王経」そして「守護国界陀羅尼経」「仏母大孔雀明王経」

 どこかで経文を読誦する声が響く。

「お前は誰だ、私をここから救い出せ!」苦しい息の下から呻くと雷鳴のような声が轟いた。

「お前は最早動くことは叶わぬ」

「そ・・そなたは、誰だ」

「私は降三世明王」

「何だと、明王。人を守る明王が何故に私を苦しめる」

 後鳥羽院が叫ぶと明王の口から経文が渦を巻いた。

 

  月日めぐりて年経るとも

 大火ありて汝が身を焼かん

 汝痴人にして悪をなせり

 いま何をもって悔いを生ぜん

 これ天・修羅・健達婆

 竜・鬼のなすにあらざるなり

 自業の羅(あみ)に

繋縛(けばく)せられたるなり

 人よく汝を救うものなし 

 もし大海の中にして

 ただ一掬(きく)の水をとらんに

 この苦は一掬のごとく

 後の苦は大海のごとし

「私はこの国の天皇であり、上皇でもあったというに、その私を、海のような苦しみが待っているというのか」

「無量の業苦が待ちかまえている。鬼・閻魔大王たちがお前の到着を待ちかねている」

「・・・」

「お前はこれから阿鼻地獄へ引き立てられるであろう。獄卒は六十四の目を持ち、夜叉の口でお前を引き裂くであろう。十八本の角を持つ牛はお前の腹黒い腹を突き刺し、五億匹の虫がお前の見難い身体をくまなく食いつくすであろう。しかしお前は幾たびも生き返って、焼けただれた鉄鎖に繋がれ、引き立てられて、焼燃・極焼燃・遍極焼燃地獄の業苦に責め続けられるであろう」

「止めろ!・・・うそだ、嘘だ・・・そのような虚言は私には聞こえぬ・・・私は隠岐に渡る時に出家し、ここに来てからのちは歌道と仏道に精進の日々を送っている。それに、私は弘法大師直筆の浄土三部経を書写し、読経して日々を過ごしているのだ。それを何故に地獄へ堕ちるということがあろうか」

閻魔王罪人に告ぐ

 わずかなる罪も我よく加うることなし

 汝自ら罪をつくりて今自ずから来る

 業報自ら招いて代わるものなし

「お前の苦しみは、お前の悪行が招いた果実である」

「私はこの島に流され、十八年もの辛苦の日々を送ってきた。罪はすでに償われたはずだ。このような責め苦に遭わされる謂われはない」

妻子も珍宝もはた王位も

 命終わる時に臨んでは随う者なし

 ただ戒と施しと不放逸とは

 現世と後世の伴侶となる

 「お前は長年王位にありながら、戒を守らず、施しもせず、日夜放逸に耽り、都を戦乱に巻き込んで無数の人間の命を奪った。この罪は無量億劫の時を重ねても晴れることはない」

「それは違うぞ・・・私は二十八度も熊野に行幸し、数知れぬほどの布施をした。また数十度の歌会を催し、新古今和歌集を勅撰して歌の道を守り通した。これはスサノオが出雲で歌をお詠みになったときから続いてきた日本国の要石。これを功徳といわずして何であろうか」

才色・門閥・博識を有すといえども

 もし戒・智なくんば禽獣のごとし

 

 お前のようなものが桓武・嵯峨天皇の築かれた京の都の支配者となったことこそ滅亡の種であった。お前は保元平治の乱で朽ちかけた日本国を繕うどころか、鋭い刀で引き裂いた。怒濤にもてあそばれ沈みかけた船の帆柱を折り、嵐の中に放り出した。

 弘法大師がお前を見たら何と言って悲しむであろうか

もし王が非法を行い

 悪人に親しみ近づき

 正しい理法をもって治めなければ

 この国は衰え滅亡するであろう

 たとえ正しい理法によって王となっても

 その正しい理法を行わなければ

 国の人々はみな破滅する

 それは例えば象が蓮池を踏むようなものである

  国土が飢饉に襲われるといことは

 国王が理法を捨てたためである

 そこで王位は安定せず

 諸天は怒り、恨む

 諸天が怒りを抱くことから、

 その国は破れ 滅亡するであろう

 お前は自分に定められた正しい役割を忘れ、遊興にうつつを抜かし、あげくの果てはお前の兄・安徳天皇と共に西海に沈んだ天叢雲剣に代わる剣を自分の手で造ろうとして、こともあろうに、内裏に鍛冶所を造らせ、鍛冶職人を真似て刀を鍛造した。これが非法でなくしてなんであろうか。

 天叢雲剣はスサノオが八股の大蛇を退治してその腹を割いて取り出した宝剣。スサノオはこれをアマテラスに献じ、爾来、八咫の鏡(やたのかがみ)・八尺瓊(やさかに)の曲玉と共にこの国を一つにまとめる三種の神器として継承されてきた。神器である天叢雲剣が西海に沈んだのは、白河・鳥羽・崇徳・後白河と代々の帝王が非法を犯し、平家・源氏らの武将を操り、権力闘争に明け暮れたからである。その故、諸天が帝位から剣を取り上げたのだ。安徳天皇の後継者として皇位継承したお前はこの日本国開闢以来、宝剣を持たぬ最初の天皇となった。そしてどうやらその事がお前にとって密かな悩みになった。

『宝剣を持たぬ天皇は、真の天皇たり得るのか』

 愚かにもお前は疑念を抱いた。お前の魂は歪んでいたがため、諸天がこの国に宝剣を持たぬ天皇を育てようとしていたことに思い至らなかった。剣を必要とせぬ国、戦のない国、それこそが、宝剣を西海に失った国の行くべき道であると諸天は望んでいた。何故に諸天はそれを渇望したか。その理由は、お前が桓武・嵯峨天皇の末裔であるからだ。

 平安の都が平城上皇の野望によって生じた薬子の乱の余震に震えていた時、嵯峨天皇は鎮護国家・天下太平・七難除滅・増長宝寿を祈り、弘法大師空海に命じて内裏に壇を築かせて修法させ、詔勅をもって全国七道に百の説法の座を設け、八百の比丘を招いて日に二度「仁王護国般若経」を念誦させ、国の安寧を願文した。

嵯峨天皇は神世の昔から続いてきた内外の闘争の桎梏からの脱却を心から念願した。その願いは神仏に通じ、爾来四百年の太平の世の礎となった。お前はまさに、この願文を継承すべきであった。保元・平治の乱でどれほど国が疲弊しようと、必死の願文を立てれば、救いの道は残されていた。ところがお前はどうであったか。

願文を立てるどころか、痴人の所行に明け暮れた。お前は仏法僧を国の宝とする代わりに、佞臣を重んじ、自らの力を過信し、地位に酔い、諸天の願いを蔑ろにして、自らの手で宝剣を造ろうとした。故にこの国から正しい法は失われ、破滅への道を歩み、魑魅魍魎の跋扈する世となったのだ」

「・・・」

「お前は北面の武士に加え、西面の武士を置き、鎌倉との戦に備えた。そればかりではない。愚かにも白河御所に最勝四天王院なる寺院を建立し、修験道の僧・法印尊長に命じて関東の調伏・呪詛を祈祷させるという邪道に手を染めた。

この国の命あるものの全ての安寧のために弘法大師空海に帰依し、仁王護国般若経を全国の僧に念誦させた嵯峨天皇と、妖しげな修験僧に呪詛を命じたお前と、何という違いであろうか。

 天皇が役割を正しい忘れ

 正しい法によって国を治めなければ

 災害変事は尽きるところがない

 彗星がしばしば現れ

 二つの太陽がともに現れ

 日月の光は薄れ

 国を大切に思う大臣は狂って死に

 方々に兵乱があって

 悪鬼が国に入って疫病は流行する

 諸天は怒り、恨み、

 その国は破れ 滅亡するであろう

 お前はこの国に滅びをもたらした。故に、お前は八大地獄をくまなく経巡るのだ。お前は膝を没する熱い埋み火の中を彷徨い歩かねばならぬ。一歩歩くごとにお前の皮膚も肉も血も溶けただれるであろう。余りの苦しさに足を上げると、めりこんだもう片方の足は煙を上げて焼かれて溶けて行く。だが、二本の足はまた生えるであろう。そこを通り抜けると、目の前には鉄野干食処・雨・黒土処・山聚処が待ちかまえている。このように、お前は無限地獄をあてどなく彷徨うのだ」

 怒りに満ちた降三世明王の目が暗黒の中からこちらを見下ろしている。後鳥羽院はあまりの恐ろしさに卒倒した。

「どうなされました」言いながら亀菊は院の顔をのぞき込んだ。

「・・・お顔が真っ青です。よほどひどい夢を見られたのですね」

「夢ではない。降三世明王だ。明王が、私を踏みつけ、地獄へ連れてゆこうとしている」

「・・・」

「恐ろしい明王だ。あの姿は忘れもしない・・・弘法大師空海が東寺に建立した降三世明王だ。三浦胤義らはあの寺に逃げ込んだ。戦に敗れ四条の辻の御所に逃げ込もうとしたが、私が追い払うと、三浦等は私を恨んで東寺に陣を敷き、鎌倉軍に最後の戦を挑んで死んだ。その恨みが降三世明王に乗り移って、取り殺そうとしているのだ」

「・・・」

「西蓮、どうか、私のために仁王護国般若経を読んでくれ。私の悪行を許してくれるように祈ってくれ。私は取り返しの突かぬ悪行を重ねてしまった。何万の人を戦に駆り立て、命を奪い、数知れぬ人々を路頭に迷わせた・・・

桓武・嵯峨の帝が築いた平安の都を灰燼に帰してしまった。この罪はいかに後悔しても償えるものではない。だが、どうか・・・

・・・どうか・・せめてもの慰めに、私の菩提のために仁王護国般若経を読んでくれ。そして弘法大師がお書きになられた浄土三部経を、枕元で読んでくれないか」

 西蓮法師は震える手で経文を手に取った。しかし読経の声が響く前に、後鳥羽院は突然息を引き取った。延応元年二月二十二日。享年六十歳。

 西蓮法師藤原能茂は後鳥羽院の遺骨を首に掛けて都に戻った。後鳥羽院の遺骨は后修明門院の手で大原の野に葬られた。

  ひともおしひとも恨めしあじきなく

世を思う故にもの思ふ身は