百人一首ものがたり 96番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 96番目のものがたり「落陽」

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは 我が身なりけり

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 北山別邸の西園寺に太政大臣公経を訪ねて邸に戻ると、心寂坊が待っていた。過日据えた灸の跡がひどく腫れてなかなか退かないのを心配しているらしい。
「いかがでござりますか」と心寂坊が尋ねるので、
「これも老病の一つとあきらめておりますから気にもしておりません。それより西園寺家を尋ねましたら殿上人の姿はまるで見えず武家の髭面ばかり打ち揃っているので早々に立ち返りました」
 西園寺とは藤原公経の事である。後鳥羽上皇が隠岐に流されて後、飛ぶ鳥を落とす勢いを得、公経を措いては何事も決まらぬほどの威勢を振るっている。ちなみに公経が西園寺と呼ばれるのは、公経が北山に豪壮な別邸を建て、そこに西園寺という寺院を建立したので世の人々がそのように呼ぶようになったのである。
「公経の祖は藤原兼家の兄弟の公季です。公季は臣下として日本で初めて摂政太政大臣となった良房の父藤原冬嗣の邸宅である閑院殿に住んだので、閑院大臣と呼ばれ、その子孫は閑院流と呼ばれておりますが、公経は公季から数えて九代の末裔にあたり、私の妻は公経の姉ですから、公経と私は義兄弟ということなのです」
「・・・」
「後鳥羽院の承久の乱の後、ほとんどの公卿家は滅亡しましたが、公経とその一族は逆に隆盛の一途を辿りました。と申しますのも、公経は九条兼家様などと同様に、源平合戦によって平家が滅び、源氏の世となった時、これから後は公卿も武家と共に生きねばならぬ世が来ると考え、頼朝と努めて情誼を通じるように心がけましたし、頼朝も朝廷に手がかりを求めている頃だったので、同床異夢と申すべきか、頼朝の妹・坊門姫の女が九条家良経の妻となりましたので源家と九条家は縁戚となりました。公経もまた良経と同じく坊門姫の娘・全子を妻としたのです」
「西園寺様の北の方はそうしたお方でしたか」
「まぎれもない坊門姫の孫なのです。しかも、頼朝が急死し、頼家、実朝が相次いで亡くなると、鎌倉側には最早源家の後継は一人もなく、かといって北条の者が将軍になるなど鎌倉の御家人でさえ承知しないことは明らかでしたから、鎌倉幕府は窮して、後鳥羽院に『院の皇子を将軍としていただきたい』と懇願いたしました。ところが後鳥羽院は鎌倉討伐を心に決めておりましたので、皇子を敵の手に渡す事など到底出来ず、鎌倉の願いを素気なく拒絶しましたので鎌倉は皇子の代わりに、公経の孫にあたる頼経を将軍に求めました。こうしたわけで、頼経はたった二歳の時に鎌倉に下り、征夷大将軍の地位についたのです」
 定家は良経の時に示した系譜に似たものを広げて見せた。

「幾度拝見しましても入り組んでおりますが、聞けば為家様の義父である宇都宮頼綱様は危うく殺されるところであったやに伺っておりますが・・・」
「宇都宮頼綱の妻女と北条政子とは腹違いですが、・・・兎も角も頼綱殿は時政の婿ということになりますから、当然鎌倉でも重きを為しましたが、北条時政は妻のお牧方と謀って娘婿の平賀朝雅を将軍に立てようとして頼家を修善寺で殺し、実朝まで手に掛けようとしましたので、政子と義時は時政とお牧の方を伊豆の国へ押し込めました。この時宇都宮頼綱もまた陰謀に荷担したとの疑いを掛けられて討伐の兵を差し向けられることになったのです」
「・・・」
「頼綱殿は大いに驚き、剃髪し、法然の門を叩いて弟子となりましたので、どうやら許されることになりました」
「法然の弟子になられたのですか」
「それより他に生きる手立てはありませんでした・・・しかしその後、反逆の疑いも晴れましたので、家督を泰綱に譲り、自らは風月を友として生きようと歌道の道に目を開きましたので、ある人から紹介されて私と知り合うようになり、自ずと縁が深まり、頼綱殿の娘を為家の嫁として迎えることになったのです」
「では、為家様が北条と縁続きになりましたのは、宇都宮頼綱様が出家されて後の事だったのですか」
「そうですとも。承久の乱の後の事です。頼綱殿は各地に寺院や念仏堂を建て、貧民を救済しましたので、その功徳でしょうか、今も息災で長生きしておいでになられるのは有り難いことです」

第96番目のものがたり 「落陽」 )

  目を覚ますと桜の花が満開だ。花びらが病床の枕を埋め尽くすばかりに散っている。風が花びらを舞い挙げる空を見上げると何とも遠い。空がこれほど遠く見えるとは・・・。

 暮れの雲が空に溶けて淡く浮かんでいる。琵琶の音が聞こえる。なにやら歌っているのは、今様だろうか。

海には万劫亀遊ぶ 

蓬莱山をや戴ける 

仙人童を鶴に乗せ

太子を迎えて遊ばばや

 亀のような形をした巨大な石が数十頭の牛に引かれて都大路をゆらゆらと通る。何百という人足が石を引く牛の周りを取り囲んで進んでゆく。ある者は石の後ろに取りすがり、あるものは牛の手綱を引き、またあるものは仲間と声高にしゃべりながら、行列はぞろぞろと北山の方角へ進んでゆく。

 何千という見物人が取り巻いている。見物人の目は大きな牛に引かれてゆく巨大な石の上に注がれている。大石の上には緋毛氈が敷かれ、その上に冠をつけ、目の覚めるような狩衣を纏った貴人が琵琶を抱えて今様を歌っている。人々のざわめきをよそに、貴人の声は風にのって都の甍の上をゆったりと流れてゆく。

御前の遣り水に

妙絶金法なる砂あり 

真砂 砂の真砂の半天の

巌とならむ世まで 君はおはしませ

「あれは太政大臣藤原公経さまの嫡子だぞ」

「何という豪奢な行列であろうか」

「北山に別業を造っているらしい。」

「御堂関白道長様がお造りになられた法成寺をもしのぐというぞ」

 壮大な松が池のほとりに聳えている。池には四丈五尺の滝が清冽な水を落としている。池の正面には本堂があり、阿弥陀如来のお姿が池の水に金色に映えている。池に渡した石橋の袂には五大明王を祀った五大堂がある。築山を越えると成就院があり愛染明王の秘法を唱える僧侶の声が密やかに響いている。

「太政大臣は公卿たちに屋敷を埋め尽くすばかりの桜の木を進上させたというではないか」

「何という驕り高ぶったありさまであろうか。それほどまでに珍石瑠璃でうめつくした庭に、またもやこれほどの大石を運び込んで、いかなるものを造るつもりなのであろう」

 あれは私であったのだろうか。それもと誰か見知らぬ者の仕業であろうか。病み衰えた公経の目に、大石に乗って琵琶を奏でている男がぼんやりと見える。男は得意げな微笑を浮かべ、今様を悠然と奏でている。

このごろ都にはやるもの

  柳黛髪々似而非鬘(りゅうたいかみがみえせかづら)

しほゆき近江女女冠(おふみめをんなかじゃ)

 長刀持たぬ尼ぞなき      369

 突然恐ろしい声が響いた。千軍万馬が都大路を埋め尽くしている。公卿たちが狩衣の上に鎧兜をつけ、槍を持ち、あるは太刀を佩き、胡簶(やなぐい)を背に負っている。どうしたことだ、この有様は、公卿が戦支度をしているとは。

 突然目の前に、真っ赤な母衣の下に金の甲冑を着た入道が現れた。見れば何と、尊長入道ではないか。尊長は公経に斬りかかろうと身構えている。公経は恐れ仰天して、

「尊長、そなたは、私を殺す気か」

「そうとも。そなたは後鳥羽上皇様を裏切り、鎌倉と通じて都を乗っ取ろうと企んだ。上皇様の軍勢が鎌倉方の軍勢にかくも易々と破れたのは、偏にそなたの通報があったからであろう。源頼朝の妹婿の一条能保の娘をめとり、その身は帝の側にとどめながら、心は鎌倉の東夷に通わせ、その武力によって帝位を奪い、この国を覆さんとする裏切り者、そのような輩はこの手で無限地獄へと送り届けてやらねば気が治まらぬは」

「そうだ、すぐさま切り落とせ」と周りの者が叫んだ。

 尊長は抜刀して公経の首を切り落とそうとした。と、どこからか声がした。

「殺してはならぬ。その者は鎌倉との取引に使わねばならぬ」

「黙れ!我らはこいつのため破れたのだぞ」

「早く首を取れ」

 五六人の者が公経を蹴倒した。尊長は公経の顔を足で踏みつけて首を引きちぎろうとした。公経は苦しさに悲鳴を上げたが、その声は不思議に、ホトトギスの声だった。

 五月の叡山の森にホトトギスが盛んに鳴いている。後鳥羽院に率いられた朝廷軍は鎌倉三十万の軍勢にもろくも崩れ去り、敗残の兵は上皇に従って叡山へ逃げ上ろうとしていた。上皇に従うものはわずかに一千。叡山の麓は鎌倉の兵に埋め尽くされ、もはや上皇には逃げ道はなかった。

「みなみなここで死ぬより他に道はないぞ」

「我らが死ぬ前に早く公経を殺せ」

 尊長は太刀を取り直し、公経の首を切り落とそうと身構えた。と、嗄れた声が弱々しく響いた。 

「殺してはならぬ」

 上皇の第一の近臣藤原光親である。光親は公経を睨んで呻くように言った。

「憎い。殺しても飽きたらぬ。だが朝廷軍が破れたからには公経は命の綱じゃ。殺してはならぬ」

「しかし」

「公経を殺せば、鎌倉との和睦の話が成り立たぬ」

「・・・だが、公経は、われわれの動きを逐一幕府へ通報していたのだぞ」

「それを今更申しても詮無いこと。帝は敗れたのだ。我らには飢えて歩くこともままならぬ僅かな兵が残っているばかりだ。公経は関東申次の任にある。公経を殺せば鎌倉幕府はわれらを容赦せぬであろう。帝の命を守ることも出来ぬようになるやもしれぬ」

「では、むざむざこの公経を」

「やむを得ぬ」

 ホトトギスがしきりに鳴く。早馬が蹄の音高く通る。

「ええい、公経一人殺せぬのか」尊長は喚き声を上げると、数人の武者を従えて雲霞の如き鎌倉軍目がけて走り去った。

 公経は後鳥羽上皇の御前に引き出された。上皇は渇いた目で公経を見つめた。

「そなたは名だたる歌詠み、この場で聞きたいものである」

 公経はかしこまり、瞑目して歌った。

  ほととぎす猶うとまれぬ心かな

汝が鳴く里のよその夕暮れ

(ほととぎすよ、昔の歌には、おまえが鳴く里はたくさんあるので疎ましく思われるよと歌っているけれど、この夕暮れに、都ではないこのよその里で鳴くお前の声を聞いていると、しみじみと哀しいばかりだ。それはこの私たちが本来暮らしているべき都を離れ、いる場所ではないこのような見知らぬ里でお前の声を聞くからであろうか、血を吐いて鳴き、死を告げるというお前の声が、心にしみて聞こえることだよ)

 公経が詠うと、上皇は目を閉じ、深くため息をついて黙っていたが、仮の御簾の中に身を隠された。

 桜の花が散っている。空に高く舞い上がって、風に吹かれてどこまでも流れてゆく。何もかもが夢だ。十五歳で平家の滅亡を見、都の終わりを見た。

宮廷に集っていた迦陵頻伽のような乙女たちも、透垣に囲まれた真砂の庭で蹴鞠をする上達部の姿も、歌合いに備えて化粧する殿上人も、何もかも消えてしまった・・・

何十万という人間が阿鼻叫喚の血の池や劫火に焼かれて死に、天地には未曾有の干天飢饉が満ちあふれている。そしてその廃墟に、私は錦繍を纏って佇んでいるのだ・・・これは幸運と言うべきか。

 

 公経は枕に吹き散る桜の花びらの中で目を閉じた。

何もかもが空しい・・・王朝の日々は・・・全て・・もうない・・・。

   花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり