百人一首ものがたり 78番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 78番目のものがたり「明石入道」

淡路(あはぢ)島 かよふ千鳥の 鳴く声に
いく夜寝覚めぬ 須磨の関守(せきもり)

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 室町殿(関白道家)が風邪を引いて床に伏せっていると聞いて見舞いに訪れると心寂房が呼ばれて治療に当たっていた。そこへ大府卿爲長殿が見えたのでしばらく雑談して退出する時に、『良き物語が出来ましたぞ』と心寂房の耳に囁いたのでそのまま邸に同道することになった。昨日降った雪が軒の下に積もって凍っている。これを見て心寂房が、
「雪と溶くる凍み身にしだく笠さきの道ゆき難き足柄の山 と西行様が詠んだ和歌がございますが、都の雪道でさえ歩きにくいものを、東国の雪山を越えて行かれたのかと思うとただ驚ろくばかりです」と言うと、
「若い時に仕えた左大臣頼長が保元の乱で戦死してしまったのですから、雪山を越えるよりも辛い苦しみが激しい旅をさせたのでしょう」と定家は述べて、「この和歌も《凍み》を取り上げていますが余情は全く異なっていますよ」と示した和歌は、

 夕暮のみぞれにしみやとけぬらん
垂氷(たるひ)づたひに雫(しずく)落つなり
「知らぬ和歌でございます」
「これは永久四年(1116)に詠進された『永久百首』に見える源兼昌の歌です。この方は勅撰集に七首ほどしか見えませんが、須磨を舞台に良い歌を詠っておりますよ」そう言って冊子を広げたのだった。

第78番目のものがたり 「明石入道」 )

 皇后宮大進の職を辞して出家して後、各地を旅して歩いたが、いつしか瀬戸の浜の須磨の辺りを歩いていた。砂浜のあちらこちらに苫屋が見え、煙が雨の空に靡いている。
 松島の海人の苫屋もいかならむ
須磨の浦人しほたるる頃
(こちらにまいりました私は須磨の浦に涙の日々を送っておりますれど、松島の海人の浦人のあなた様の海人のお住まいはいかがなのでしょうか 源氏物語)
 恋ひわびてなく音にまがふ浦波は
思ふかたより風や吹くらん
(須磨の浦に押し寄せる波の音は恋しさに悩み苦しんで泣く声に似ているけれど、あれは私を想っている人のいる方角から風が吹いてくるためだろうか 源氏物語)
 
 松林に庵がある。兼昌が戸口に近づくと、
「どうぞ、お入り下さい」と声がした。庵の奥に僧形の翁が竈の前に座っていた。
「旅のお方ですかな」
「はい」
「私はご覧の通り老い先短い者ですが身よりもなく、毎日退屈しております」
 翁は粗末な茶碗に湯を注いで兼昌に手渡した。隅の文机に書物が重なっている。
「浜の松原で暮らしておりますと、晴れた日には関吹きこゆる須磨の浦風も聞こえますし、朝霧のかなたには島隠れゆく海人の舟ものどかに浮かんで、良き風情でこざいます」
 老人の額や頬には深い皺が寄り、背は少し曲がっているが手足は太く、指はごつごつとしていかにも力がありそうに見える。いったいどのようなお方なのであろう。兼昌がいぶかっていると老人は竈の横の棚から海草の束を取って差し出した。
「思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむ
ひじきものには袖をしつつも
(私を想ってくださるお気持ちがありさえすれば、どんなに貧しいあばら屋でもかまいません。あなたさまとふたりきりで、袖を重ね敷いて共寝をいたしましょう。伊勢物語)
 この和歌に詠われているひじきですよ。口の中に入れてなめていると、海の薫りが染みてまいります」
 老人はひじきをひとつまみ椀に入れ、湯を注いで兼昌に手渡した。すすってみると、潮の香りが口にほんのりと広がる。兼昌はふと心が和むのを覚えて、
「申し遅れましたが、私は源兼昌と申す者にございます。三年ほど前までは朝廷にお仕えしておりましたが、わけあって出家し、名所旧跡を訪ねて旅して参りましたが、このように暖かいおもてなしをいただきお礼申しあげます」
 これを聞くと老人は、
「朝廷にお仕えしていたお方が出家なさるとは、並々ならぬ事情かおありなのでございましょう。しかし私もまたその昔同じような境遇にございまして、妻子と別れ、都を出てあてどもなく歩いているうちに、この須磨のあたりまでたどり着いたのです。領地もなく、歌の才もなく、恋いも実らず、何もかも行き詰まって、この上は海に身を投げて死んでしまうより他に道はないのだと思い定めて歩いていたのです。そのような時、救ってくださったのがあなたもご存じの、明石の入道様でございました」
「・・・明石の入道と申されますと、まさか、明石の女御の父君の、あの入道のことでございますか」
「如何にも、その入道様ですよ。私は明石の入道様に救われ、今日まで生きながらえることができたのです」
「しかし・・・そのようなことがあるはずは・・・」
「私はここに来てすぐに、あの大変な出来事を目にしたのです。大嵐ですよ。明石も須磨も浪にさらわれてしまうのではないかと恐れおののくような嵐の日々でござりました。ところが丁度その頃、光源氏の君が都を追われて須磨においでになっておられた。源氏の君はあまりにもひどい嵐に悩まされて、『どのような罪を犯したからとて、このような海辺で命を終わるとはあまりにも情けないことだ』と悲しまれて、住吉の神に願をおかけになられたのです。明石の入道様はそれと知って、光源氏の君をお助けするために荒海に船をお出しいたしました。
私は入道様と共に、船に乗って、光源氏のご一行を明石までお連れもうしたのですよ。私は世にも希なお方をこの目で見、お声を耳で聞くことができるという幸運にあずかりました。月の美しい宵などには光源氏の君が琴をお弾きになる様子を遠目にお見かけもし、その音色が夜風にのって嫋々と響き渡るのを幾夜となく耳にもしたのです。それは夢のような出来事でありましたが、真実の話なのでございます」

 兼昌は『いったいこの老人は正気のように見えるが、おそらくそうではない。耄碌して、幻の中に生きているにちがいない。確かにここは須磨の浦ではあるし、手の届くところに明石の浜は煙っているけれど、光源氏の君や明石の入道がこのあたりに実際に住んでいたわけではない。物語の中でこそ、あの人々は須磨明石においでになりはしたけれど、それはこの世の話ではないのだ。それを、この老人は、明石の入道に仕えて、しかも光源氏の君を船に乗せてお連れしたなどという。いったい何故にこのような幻想を抱くようになったのであろうか』
 訝しんでいると、老人は兼昌を見つめて、
「あなたはとても信じられないという顔をなさっておられる。光源氏が明石に流された話は物語の中にこそ見ることは出来ても、ほんとうにはないことなのだとお考えになっておられる。いや確かに、そうお思いになられるのも無理のないことです。この世の者は誰一人として源氏の君にお会いした者はありませんし、明石の入道の御屋敷を見た者はないのですからね。けれど、私は偽りを申しているのではありません。あの物語の世界はそのまますべて、ここにあったのです。私は光源氏の君がおいでの間ずっとそのお姿を拝見いたしておりましたし、源氏の君が都にお戻になられた後は入道様の傍にながくお仕えいたしました。そうして過ごすうちにはいくつも不思議な出来事がありましたが、こうしてあなたとお会いしたのも何かの縁ですから、思い出すままにお話しいたしましょう」
 老人は竈に柴を入れ、二三度咳払いをして話を続けた。
「ご承知の通り、入道様は積年の夢をすべて手にすることの出来た希なお方でした。娘は尊いお方の女御として嫁ぎ、皇子様をもうけられました。これに優る幸運はあり得ようはずはありません。誰もが入道様の強運を羨みました。ところがある日入道様はお部屋に私をお呼びになると、
『私は間もなくこの世を去らねばならぬが、是非ともそなたに頼みたいことがある』と思いもよらない事をおっしゃる。私が驚いていると、
『常日頃からそなたを信じているので心を明かすのだが、聞いてもらえるだろうか』と申されますので、
『はい、どのような事でも承ります』とお答えすると、
『では話をしよう。ある日、夢を見たのだ。とても不思議な夢だった。私はどこまでも青い海が広がる浪の上に立っていた。私の身体は山よりも大きく、天が頭に支えるほど近く見え、右手はどのような松の大木の枝よりも太く伸びて、その手のひら上に荘厳な山を持ち上げていた。山の西側には太陽がまぶしく輝き、東には満月が美しく照り映えている。あたかも多聞天が多宝塔を捧げもっているように、この私が三千世界の中心にある須弥山を捧げ持ち、日月の光を浴びている。これはいったいどうしたことだ。私のように卑しい者が何故にこのように尊い山を手に戴せているのか。
 日月は山の周りをゆっくりと巡り、夜空に天の川が流れている。私は恐ろしくなって、尊い山をそっと海に浮かべると小さな船に乗って西の海目指して懸命に漕いだ。己の卑しさに引き比べてあまりに尊い世界を見てしまったので、ひたすら逃げたかった。
 懸命に漕いで、振り返ると何も見えない。浪が静かに続いている。海鳥の鳴く声が聞こえる。私はようやくほっと安堵のため息をもらした。なにやら少し淋しくもあったが、もとの自分に戻れたような気がして安心もしたのだ。ところが気がつくと、何としたことか、目の前に須弥山が高くそそり立っていた。西の海目指してどこまでも舟を漕いだのに少しも動いてはいなかったのだ。私は途方に暮れて櫓を握って立っていた。どこに向かって漕いだらよいのか分からない。呆然と舟に揺られていた。と、そこで目が覚めた・・・。

 間もなく妻は身ごもり、娘が生まれた。娘は光源氏の君に嫁いで明石の女御と呼ばれるようになった。ある日娘から文が届いた。
世を捨てて明石の浦にすむ人も
心の闇ははるけしもせじ  源氏物語
(俗世間を捨てて明石の浦でひっそりとお暮らしになられておられる父君も、子孫を思う心の闇ばかりは晴らすことができずに悩み暮らしておいでなのでしようね)

 娘は私の心に闇を見、私は娘の心の苦しみを見ていた。紫の上、花散る里、末摘花、朧月夜、そして不気味な女三宮と玉鬘。私はまるで魑魅魍魎の住む魔界に娘をやってしまったような気持ちだった。娘がひたすら哀れに思えた。
 その頃からまた夢を見るようになった。右手のひらに大きな黒い玉が載っている。玉の周りには闇が漂っている。左手の上には光り輝く玉を捧げている。その玉は氷った涙でできている。指の間から血の滴がぽたりぽたりと垂れ落ちる。気味が悪くなって、両手の玉を投げ捨てようとした。少しも動かない。右手は黒い玉の重みにいまにも張り裂けそうだし、左手は氷りついてちぎれそうだ。しかもこの身体はと言えば、両手の玉の重みで少しづつ海に沈んでゆく。喉から口まで沈んで息ができない。苦しくなって、アアッと叫び声を上げた。そこで目が覚めた』
『・・・それは、いつの事でございますか』
『今朝の事なのだ。そこで私は己の死ぬ時が来たと悟ったので、これまで働いてくれた者たちに私の財産の全てを分かち与え、この身は山奥深く入って隠棲しようと決心した。隠棲する庵には身よりのない童子二人だけをつれて行こうと思っているのだが、童子たちは幼いし、私は年老いているので日々の暮らしも立ちゆくまい。そこで誰か良い者は居らぬかと考えたところ、そなたが第一番に頭に浮かんだので相談するのだ。どうであろう、一緒に山に来てくれまいか』入道様はこのように申されましたので、私は、『あなた様がお望みであればどこにでもお連れ下さい。極楽往生なさいました後は日々香華を捧げ、ご供養申し上げます』とこのようにお答えすると、入道様は大層お喜びになられ、一族郎党にすべてを分かち与え、自らは童子二人と私を伴って山に籠もられたのです。
半年ばかりは食事の支度も柴集めにも童子を使っておられましたが、山の暮らしに慣れると、このような山奥で若い命を朽ち果てさせるのも功徳にはならぬとお考えになられて、都の知人宛に文をしたためて二人の童子の行く末を頼み、さまざまなものをお与えになり、
「くれぐれもこの山のことは語らぬように」と言い含めて、山から下ろし、それから後は入道様と私の二人きりになりました。
 朝日の昇らぬうちから日暮れまで読経三昧の日々でこざいました。そんなある日、入道殿はこのような話をなさりました。

『この山に入って、家のことも忘れ、娘の悩みからも解放された。邸に居た頃は両手に黒い玉と氷の玉を持って海に溺れている夢をしばしば見たものだが、今は鳥の声に目覚め、風の音を聞き、読経三昧に我を忘れ、星明かりが木の葉の間からちらちらと見える頃になると眠りにつく。これ以上の幸せはこの世にはあるまいと思う。しかしただ一つだけ思い残すことがあるとすれば、世に役に立つことを何一つ為さなかった事だ。神仏に数々の願を立てはしたが、それも我が家の繁栄のためであった。多くの者にほどこしを与えるのも、後世に良い因縁をいただこうという欲のためであった。欲の世界から一切離れて往生しようと願って山に入ったのだが、現世で何一つ良いことをせぬままに死ぬということはいささか残念に思える』
 入道様は本心から悔やんでおいでの様子でしたので、私はこう申しあげました。
『入道様は全てを捨てて山にお入りなったのですから、最早そのような事はお考えにならぬ方が良いかと存じます。なぜなら世の役に立ちたいという望みもまた欲なのでございますから。人にはそれぞれに因縁というものございます。あなた様は大臣の子としてこの世に生を受け、明石の君は女御となられました。しかもそのようなご身分でありながら少しも奢ることなく、一族郎党になにもかも分かち与え、ご自分は粗末な衣を一枚まとって御仏にお仕えし、手の平で山水を飲み、木の実を拾って、読経三昧の日々を送っておいでになられる。それでいてな何も役に立つことをなさらなかったとご自分を責められるのはいかがなことかと存じます。すべてみ仏にお任せ申し上げ居られれば、必ず極楽往生ができましょう』とこのように申しあげますと入道様は、
『たしかにそなたの言う通りだ。もはや何も思い煩うことはするまい』と申されて、その後は朝日と共に起き、読経の後は山を散策し、夕日が山の端に沈むと床に入る日々をお過ごしでした。やがて入道様は次第にお弱りになられ寝込むようになりました。  

ある日、私が柴を刈って庵に戻って参りますと、入道様は常になく晴れ晴れとしたお顔で『良い夢を見たのだよ』とお話しくださいました。
『私はひどく貧しい年寄りであった。須磨の関守になっていたのだよ。右手に摂津の国を見、左手には播磨の国、目の前には美しい海をみはるかして、のんびりと日々を送っていた。ところがある日、高貴なお方が都から落ちて来られた。阿保親王の子の在原行平中納言様であられるという。どのような罪に問われたのか、あるいはまた、遠い国の受領になられたのか、それは分からないが、ひどくうち沈まれたお顔をなさっておられる。私は心配になって、
「お役に立てましたら何事でもお申し付け下さい」と申しあげた。これを聞くと行平様は、
  旅人は袂涼しくなりにけり
関吹きこゆる須磨の浦風 
とお詠みになられたので「もしやどこかの国へおいでになられるのでしたら、お供させて下さい」と申しあげると、
「私が行くのは天の川の彼方なのだ。私を待ってる方がおいでになるので、私は鳥になって空を飛んで行かねばならない」とこう言われるので、
「私も鳥になってお供させていただきとうございます」とお頼みしたのです。
あたりを見ると満天に星が輝いている。幾筋も流れ星が流れている・・・気がつくと、私はいつの間にか鳥になって飛んでいた。千鳥の群に混じって、夜空をどこまでも飛んでいた。眼下には夜の海が果てしなく波打っている。頭上には星くずが天の川となって流れている。これが極楽への道なのだろうか。そう思いながらどこまでも飛んでいったのだよ』

 入道様はこの話をしてから後、間もなくお亡くなられました。私は入道様のご遺骸を葬り、三年の間日お弔い申し上げ、須磨に庵を営んで、このように余生を送っているのです」 

 老人は語り終えると、竈の側に横になったが、あまりにも不思議な話を聞いたので、兼昌は自分が夢を見ているのかそうでないのか少しも分からなくなってしまった。
 暗闇で目を開けていると、はるかな夜空を千鳥が飛ぶ声が聞こえる。
  友千鳥もろ声に鳴く暁は
ひとり寝覚めの床もたのもし
 光源氏がよんだ和歌を千鳥たちが飛びながら詠っている。外に出てみると天の川の星明かりの空を千鳥が鳴き交わしながら飛んでゆく。ああ、あの千鳥は人の魂が鳥になって飛んで行くのだろうか。天の川の星くずとなって、夜空に輝くのだろうか。
 見とれていると兼昌の耳に、美しい歌声が響いてきた。誰かが歌っている・・・光源氏だろうか、それとも千鳥の精だろうか、遠い夢の彼方から、夜空の向こうから、かすかな声で・・・。

 淡路島通う千鳥の鳴く声に
幾度めざめぬ須磨の関守