百人一首ものがたり 71番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 71番目のものがたり「月」

夕(ゆふ)されば 門田(かどた)の稲葉(いなば) おとづれて
芦のまろやに 秋風ぞ吹く

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 一昨日は腹痛と下痢に悩み一日中床に伏せっていたのに、今日訪ねてみるとすこぶる気分が良さそうに机に向かって書き物をしているので、「もう良ろしいのでござりますか」と訊ねると、

「昨夜から大納言経信を今朝から書き始めたのですが、白川院の時代にこれほどの人物がいたということを知るだけでも救われる思いがするのですよ」という。

「そのお方はどのようなお方なのですか」

「金葉和歌集を編纂された源俊頼の父ですが、俊頼よりも器が大きくしかも漢詩、和歌、管弦に秀でて他の追随を許さないほどでした。また常の者には考えも及ばないことを考えて楽しむことが好きなようでして・・・これは承保三年の秋の出来事でしたが、白川院が大堰川に行幸された時、故事に則って、詩、歌、管弦の三つの船を浮かべてその道の名人を選りすぐってそれぞれの船に乗せた時、経信はいくら待っても姿をみせない。主上はお腹立ちになり「大納言にかまわず船を出しなさい」とお命じになられた。と、その時ようやく経信が到着して大声で川岸にひざまずいて申すには『遅参の言い訳いたしません。どうか詩・歌・管弦のいずれの船でもよろしいから寄せ候らえ』とこう叫びましたので白川院は、『そなたは大納言公任が《三船の才》を誇ろうとしてわざわざ遅参したのを真似たのであろうが、同じ仕掛けをして誰が喜ぶと思うか』と叱責すると『帝の治世は御堂関白道長様の御代にも優る花の世でございますので、そうした時代には道長様に大納言公任がおいでになったように、白河の帝の世には大納言経信がその役割を果たすべきであろうかと存じました故』とこのように奏上申しあげたので白河院もご機嫌をなおされたとの事です」

「それほどの自信家とは」

「自信家というよりも、生きている事に楽しみを見いださずには居られなかった方なのでしょう。ですから女人には大層人気があったようですが、どうしたわけか若い女よりも年配の女人が好みだったようで、上東門院彰子に仕えた伊勢大輔や頼光の娘相模らとはずいぶんと親しくしていたようです」

「それはそれは、昔と今を友にするとは」

「ある晩、三四人の友を誘って牛車に乗って月明かりの中を出かけましたが、楽人たちが琵琶などを奏し、巷ではやり始めた今様などを口ずさみながらふとあたりを見るといつの間に嵯峨野あたりまで来ている。牛車はやがて破れかけた柴の戸を通って貧しい板屋についた。忍草が月明かりに見え隠れする軒の下を奥へ入って行くと年老いた尼が几帳の影に寂しげに座っている。

『これはいかなるお方であろう』と皆々訝しんでいると、経信は尼の前に出て丁寧に挨拶を済ませるとやおら一同に向かって、

『このお方はもと麗景殿の女御に仕えた命婦でしたが、宮中を退いて後この地に隠棲なさりましたので私は時々お訪ねしてお慰め申し上げておりましたが、今夜は月明かりもよろしい気配なので、ご一同と共に一夜を過ごしていただきたいと存じてお誘い致した次第でござります』と述べたので友人達は大いに喜んで酒宴を催しました・・・月明かりが秋の野を美しく彩っているので、経信は琵琶を手にして『秋風楽』を奏で、次いで『蘇合』の曲を引きながら歌を詠ったので、楽人たちもこれに和して秋の虫も聞き入るほどに奏でると、常には決して泣かぬので『犬目少将』などと仇名されていた宰相中将俊明が感極まってすすり泣き、他の者も袖がぐっしょりと濡れるまで涙を流したので楽人たちはいよいよ興に入って弦を奏でますと、草に隠れていた虫たちはその音に誘い出されて負けじと声張り上げて鳴き、宴はますます楽しさを増して、嵯峨野に響く楽の音は月の桂にまで届くか思われるほどでありました。とそれまで袖の涙を拭っていた命婦がすっと立ち上がって楽の音に併せて舞い踊りはじめたのです。命婦は少女の頃、五節の舞姫を務めたこともあったので、その舞い踊る姿は天女もかくやとばかりに優雅に月に映え、一同時の経つのも忘れて見入っていたのでした」

「・・・そうした事がほんとうにあったのだろうかと、夢物語をうかがっている気持ちでござります」

「そうでしょうとも。私も大納言経信の話を調べていると羨ましくも悔しい思いをするばかりです・・・しかし経信にはもう一つの顔があったのです」

「もう一つの顔とは?」

承暦(じようりやく)四年(1080)のことでしたが、高麗国から朝廷に文が届けられたことがありました。その文には高麗国王が悪瘡を病んでさまざまに治療したが何としても治らない。噂によれば日本には後漢霊帝の末裔・丹波雅忠という名医がおり、今の世でその人物に優る名医は宋の国にもいないと評判なので、是非その医師を高麗に派遣していただきたいと記されていた。文を届けたのは正式の使節ではなく王則貞という商人で、王は莫大な贈り物と共にこの文を朝廷に届けてきたのです。そこで陣座ではこの件をいかに取り扱うべきかで論議が為されました。多くの者は『国王の病に関して依頼するのに正式の使節ではなく商人に文を託すなどとは非礼である。その上この文には〔奉聖旨訪問貴国〕という文言がある。論議にも値しない』という意見だったが中には『無碍に断るのは友好にはよろしくない。また病に落ちている国王も気の毒ではないか』と同情する者もあり、論議は結論に達しなかった。経信はその日遅参してきたのですが、事の次第を聞くと言下に『高麗国王が悪瘡病んでいることは高麗国の問題である。王の病も王の死もまた、その国の問題である。日本国は一切関わるべきにあらず。丹波雅忠を遣わす必要はまったくない』と述べたので陣座はたちまちまとまったと記されています」

「経信様は何故それほど厳しく拒絶なさったのでしょうか」

「心寂房殿は医師ですから、病人が助けてくれと言うのを無碍に断るのは非情に思えましょうが、大納言の言葉の背景には大陸の事情があったのです。大陸では唐が滅亡した後、北宋が建国されましたが、百年も経たぬ間にその勢力は衰え、西からは西夏、東からは高麗、北からは契丹が宗を攻め、これに渤海国の残党や新たに台頭した女真族などが加わって大混乱の様相を呈しておりました。ですから仮に宗の国や高麗国がこの戦乱を何とかして欲しいと日本に頼んできてもわが国としては何とも為しがたい。反対に、万が一日本に戦乱が生じ、国土が荒れ民が疲弊しても、他国にその解決策を求める事は到底許されぬ事です。病に於いても同じ事であって、その国の病はその国の力で治すべきであるし、もし治せないのであれば、その国はそれだけの力しかないということを反省し、国力を養い、人材を登用し、学問芸術を振興させるべきである。日本国が遣隋使・遣唐使を送ったのは助けを求めたのではなく、人材を養成するためであった。故に、国家が為すべきは如何なる分野に於いても人を育てることであって、他国に救いを求めるべきではないと、このように経信は考えていたのです。経信という人物はこのようにどこまでも硬骨な面と、先にお話ししたような優雅さの両面を持ち合わせてたので、独特の魅力のある人物であったと申せましょう」  定家はそう述べて、傍らの冊子に手を伸ばした。

第71番目のものがたり 「月」 )

 『これが私の顔なのか』鏡に映った自分の顔を見て経信は思わずため息をついた。長く伸びた白い眉、目尻に寄った深い皺・・・冠からはみ出た髪が額に頼りなく垂れている。

 来し方も今行く末もあらじかし今日わればかり思ひゆく人

  (長い間ここまで生きてきた、これからも生きゆくのだろうが過去や未来というようなものは夢幻だ。今この時物思いに耽っている自分があるばかりなのだから)

 宿の入り口に大きな木が枝を広げている。門の外には広々とした田圃が広がり、彼方に小高い山が見える。秋風が黄色く実った稲穂をやさしく撫でながら吹きすぎる。風は宿の中にも忍び込んで、奥に立てた几帳も風に微かに揺れている。経信は部屋に戻ると、几帳に描かれた田舎風の絵を微笑して眺めていたが、ふと首を伸ばすと御簾の蔭で身体を休めている女を見つめた。萩をあしらった袿の袖にかかる髪の毛に少し白髪が交じり、閉じた目尻には幾重にも皺が寄っている。細い首が常にもまして痛々しく見えるのは長旅の疲れのせいだろう・・・経信はしばらく女の顔を見つめていたがふとどこかへ出て行った。

 経信が戻って来た時、女は目を覚まして髪の乱れを直していた。彼女は経信を横目で恥ずかしそうに見て、

「寝顔をごらんになられましたのね」と言った。

「美しい寝顔であったよ」

「決してのぞかないでくださいましとお頼み申しましたのに」

「そうであったかな。しかし都からはるばる下関を渡り、太宰府までもう一息というところまで来たのだ。疲れたであろうな」

 経信は女の手をとって何度も手の平でつるつるとなで回した。

「そなたが居てくれなければとてもこのような旅には耐えられなかった。なにしろ七十五という年なのだからなぁ」

「何を申されます。二十も年下の私よりもっとお若くみえまする」

「それはそなたにこそ申さねばならぬことじゃ。そなたを垣間見る者は四十前の女ざかりと思うであろう」

「まあ、心にもないお言葉を」

「いいや、偽りは申さぬ・・・そなたと都で暮らしていた頃は楽しかった。日々内裏の陣の座に加わって会議などをして時を過ごし、宵になれば心を許した者たちを集めて歌を詠み、琴を聞き、時には帝の御前で琵琶を弾じるなどして、夜になれば山の端の月を待ち、花の季節にはあちらこちらと山桜を追い求め、夏にはホトトギス、秋には月を愛で、冬になれば網代に寄る氷魚を思って季節の移ろいを楽しんでおった。ところがこの年になって思い掛けなくも太宰府の権師を任じられて都を離れてみると、旅で過ごした数十日が数十年にも思われる・・・もしそなたが傍にいてくれなかったら、役目を放り出して都に駆け戻っていたであろう。夫が地方へ赴任するとなると妻は田舎を嫌って都に留まる者が多いというのに、そなたはこれほどまで遠い国によくもまあついてきてくれたものだ。心からお礼を礼を申す」

 経信がしみじみとこう言うと女は経信の手を握りしめて、

「私はあなた様との旅を苦に思った時など一日もありません。たとえ都の花を見物したとしてもあなた様がごいっしょでなかったら何の意味がありましょう。ここに広がっている筑紫の景色は都に負けず美くしゅうございます。稲田にそよそよと風が吹いて、遠い村の小さな屋根が黄色く色づいた稲の中に埋もれています。

あなたさまの歌が風になって流れているようです」女はそう述べて経信の歌を詠った。

 夕されば門田の稲葉おとずれて 葦のまろやに秋風ぞ吹く

 経信は歌を聞きながら女の手を強く握りしめた。『確かに私は歳をとった。だが、それが何だというのだ、太宰府がなんだ。私は道真公のように涙にむせびながら死んだりはせぬぞ。百までも生きて、この女とどこまでもこの世を楽しむのだ。髪の毛が白くなろうと、皺が寄ろうと、楽しまずにいるものか』

 経信は女の手を握って立ち上がった。

「良いものをそなたに見せてさしあげよう」

「まあ、急になんでしょうか」

「いいから、まずこちらへ来て見なされ」

 経信に手を取られて母屋に歩いて行くと大勢の男たちが集まって立ち騒いでいた。

「このように大勢の者が集まって・・・木に登っている者もあります。あのように高いところに三人も上って、何と危ないことを」

 女が驚いていると、男たちが数人、腰を屈めて近づいてきた。

「大納言様、今少しお待ち下さいますように」

「ずいぶんと高い木であるからな、落ちぬように注意するのだぞ」

「大納言様のお心を煩わせるようなことは決していたしませぬ」

 男たちは幾度も頭を下げて、急いで木の下に戻って行った。

「あの者たちに何をお命じになられたのです」

「それは内緒じゃ。まあ見物していなされ」

 経信は女を庭を見渡す縁側に座らせると自からも側に腰を下ろした。男達は東のほうに高く枝を広げている枝に上って斧を振り上げて切り始めた。

「あれほど大きな枝を切っても良いのでしょうか」

「私が切れと命じたのですよ」

「まあ・・・」女はあきれたよう経信を見つめた。夕暮れが迫った空を雁が飛んでいく。

「あのように大きな斧の音では空行く雁も驚いているでしょう」

「そなたのためにしているのだから、雁にも我慢してもらわねばならぬな」

「私のために・・・あの大枝を切らせているのですか」

「そなたに礼をしたいと思ってな」

「・・・お礼とは・・・何とお話しでござります」女が訝ると経信はつくづくと女の顔を見つめて、

「都におれば気ままな日々を過ごせたであろうに、私のために何もかも打ち捨てて来てくれたのだから礼をせねばとかねてより思ってはいたのだが、何としても智恵が浮かばなかった。しかしそなたの美しい寝顔を眺めていたら、不意に思い浮かんだのじゃよ」

 突然大枝が大きな音を立てて落下した。男たちは群がって斧で小枝を払っている。

「これはの、私のそなたへの趣向なのじゃよ」

「・・・」

「あの枝が空高く伸びていた間は東の山が見えなかったが、すっかり見晴らしが良くなった。空が十倍も広くなったであろう」

「まことに、広々といたしました・・・分かりました。私に中秋の名月を見せようと、大枝を払わせたのですね」

「そうとも、そなたに、筑紫の中秋の名月を進呈しようと思ったのだ。この空の月こそそなたにふさわしいと思ったのでな」

 女は吐息をついて男の胸に頬を寄せた。

 男達が切り落とした大枝から四方に伸びる小枝を女達が切り落としては束ねて牛の背にくくりつけている。子ども達が叫びながら牛の周りではしゃいでいる。祭りでもはじまるように大騒ぎだ。やがて枝がすっかり片付くと、幹ばかりになった大枝を十人余りの男がとりついて、かけ声諸共担ぎ上げ、庭から外へ運び出した。女達は葉が散らばってる跡をきれいにかたづけた。台所では月見の団子を作っている。

 供人が縁先に跪いて「大納言様、夕暮れが迫りましたので、琵琶のご用意をいたしましょうか」とお伺いを立てると、

「月が出てから弾くとしよう。そのかわり物語などすることにしようかの」と経信は女の顔を見つめてこんな話をした。

「嵯峨野のあるところに野干(狐)をご神体として祀っている社があったが、ある日猟師が社に巣くっている狐を射殺したので、役人が猟師を捕らえ、詮議することになった。山の中の狐を捕らえるのは猟師の生業ではあるが、社の狐を射殺すとは、野干の神を殺したと同罪ではないか、というわけだ。しかし、猟師が射殺した狐が神であるという証拠はない。そこで朝廷にまで問題が持ち込まれ陣座で論議されることになった。しかし諸卿の意見が別れ少しもまとまらぬ。そこで私がこう申した。

『白竜も魚服すれば予旦が密網にかかれり。いみじき神なりといえども、狐の姿になりて猟師の前に走り出たらんには、猟師の射るに何の咎あらん』

 これは唐土の伝説にある話なのだが、ある時龍が退屈して魚の形に姿を変えて海に降りて波間に遊んでいた。雲とちがい、波は大波小波もあれば青い波も白い波もある。龍は時を忘れて遊んでいた。これを見た予旦という猟師が良き獲物ぞとばかり魚になっている龍に近づき、さっと網にかけて捕まえてしまった。龍は驚いてたちまち網を切って逃げると、大海の底の龍王に『どうぞあのけしからぬ漁師を処罰して下さいますように』と訴えた。龍王はこれを聞いて『龍は龍の形をしていてこそ龍として尊敬されるのだ。それを何故魚の姿となったのか。魚となれば漁師が捕らえるのはあたりまえである。漁師を罰することは出来ぬ。これより後、二度とそのような愚かなことはしてはならぬ』

 私はこの唐土の話を引き合いに出した上で『確かにご神体は狐でありましょうとも、猟師の目の前に狐となって現れたからには、獣に過ぎませぬ。どうして猟師を罰することができましょうや』

 帝はこれをお聞きになられ、《大納言の話、良し》、と仰せられたので、猟師は放免されて咎められることはなかったのですよ」

「それはほんとに陣の座で話し合われた事なのですか」

「そうですとも、私は帝から大層お褒めにあずかったのです」

「あなたはほんとうに面白いお方・・・でも、そのお話とあの木の枝を切ったことと、何か関わりがあるのでしょうか」女はがこのように尋ねるので経信は、

「それでじゃ、私がこの木の枝を切ったのも、猟師が狐を射たのと同じようなものなのじゃよ」

「あの木と、狐が・・・なぜ同じなのでございます?」

「それはの・・・それ、見よ、月が山の端に姿を見せてきたぞ」経信は彼方を指さした。秋の田の広がる彼方の山の端に月が半分ほど顔をのぞかせている。

「私はそなたにあの月を愛でてもらいたかった。ところがあの枝がそれを邪魔していた。いかがしたらよいものかと私は考えた。月を愛でる為とはいえ、何百年と枝を張っている木を切ってもよいものか。いいやそれは出来ぬ。だがしかし何としてもそなたに今宵の月を見せてやりたい。その気持ちはますます強まるばかりじゃ。そこで私はよくよくとあの枝を見た。と何と、あの大木は他でもない、の木なのだ。そこで躊躇なく枝を切り落とすことを命じた。なぜなら、中秋の名月を愛でる夜に、『槻』の木が『月』に化けては迷惑であろう。夜空に月は二つもいらぬ」

 

 山の端を離れた明月が筑紫の夜空に輝いている。経信は琵琶を手にとって『秋風楽』を悠々と奏でた。庭には何十人とも数えられぬほどの男女がひしめいて聞き惚れていたが、経信が興に乗って『万秋楽』を演じると、集まった人々のあちこちから感極まって忍び泣く声が聞こえた。女は月明かりを浴びて琵琶を弾く経信をうっとりとみつめ、歌を詠った。

 こよひこの筑紫の里の月を見て思ひ残せることのなきかな

  (あなた様は昔、大勢の歌人たちを桂の別荘にお呼びして次のような歌を詠われました。こよひわが桂の里の月を見て思ひ残せることのなきかな(今夜は月の桂の伝説にもふさわしい私の別荘で月を見て心に思い残すことは何もないことだ)・・・私はあなたさまの桂の御屋敷ではなく、この筑紫の宿の月をあなた様と共に見て、何一つ思い残すことはありません)  月影に経信も女も、大勢の人々もすっぽりと包まれている。