百人一首ものがたり 66番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 66番目のものがたり「八幡太郎」

もろともに あはれと思へ 山桜(やまざくら)
花より外(ほか)に 知る人もなし

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 文机の回りには書籍が堆く積み上げられている。心寂坊は定家の肩に鍼を打ちながら「これはまた、前日にも増して大層な書物でござりまするな」と言うと、

「熊野で修行して後に朝廷の護持僧になった行尊について調べていたのですが、あれこれ見ているうちに、ふと昔の熊野御幸を思いだしましたよ」

「中納言様が熊野行幸に供奉されたのはいつでございましたか」

「建仁元年でした。出立後十九日目に那智の滝にたどりついた時には疲労その極に達してほとんど記憶にないほどでござりましたよ。今思えばよく命が尽きずに戻ったものと思うばかりですが、後鳥羽院は三十一度も熊野御幸をなさっているのですから、驚きいるばかりです」

「三十一度も」

「左様。しかし行尊の熊野修行と比べたら、何も知らぬも同然です。行尊は道長に地位を追われた三条天皇の曾孫にあたります。彼は十二才の時に出家して一時圓城寺に入り頼豪阿闍梨に師事して密教を学んだ後熊野の霊場に入り、修行三昧の日々を過しました。しかし大峯の深山に入るに際しては相当な覚悟をしていたのでしょう。乳母に次のような歌を送っていますよ。

 あはれとて育み立てし(いにしえ)

世をそむけとも思はざりけん 

(あなたはその昔、私をあわれと思ってはぐくんでくれましたが、まさかその私が世に背を向けて隠遁するとは思いもしなかったことでしょうね)」

「あはれとてはぐく立てし・・・」

「こんな歌もありますよ。 

わがごとくわれをたづねばあま小舟

 人もなぎさの跡とこたへよ」

「それはどのような時にお詠みになったのですか」

「行尊はこの時もうひとりの修行僧と二人で海辺の大辺路あたりを歩いていたのですが気がつくと、同行の僧がいない。浜辺に下りて海士に尋ねてもわからない。それで歌を詠んだのです(私があちらこちらと探したように、同行の者が私を尋ねて来たら、漁をする人よ、渚の足跡が波に消されてしまうように、私ももういなくなってしまいましたよ、と、そう答えてくださいよ)」

「海に溺れたのでしょうか」 「溺れたか、修行に疲れて逃げたのか、それは分かりませんが行尊は大変な修行を重ね生き抜いたからこそ効験無双の高僧として朝廷より尊崇されたのでしょう。しかしいかに偉大な霊力を身につけようと、人の世に戻ってくれば人の世の争いに巻き込まれずには居られません。特に永保元年(1081)興福寺は延暦寺の襲撃を受けて堂塔僧坊の全てを焼失し、その前後にも寺同士の争いはしばしば起きましたから被害は甚大で、行尊はずいぶんと苦しんだようです」定家はそう述べて、草稿を読み始めた。

第66番目のものがたり 「八幡太郎」 )

 緋威の大鎧を身に纏い、鍬形の黄金の兜を被った騎馬武者が数百の手勢を引き連れて焼け跡の寺に隊伍を組んで入ってくる。轡の音が荒れ果てた境内に鋭く響きわたる。

「これはどうしたことなのです。いったいこれは」

 行尊は叔父の頼豪阿闍梨を見た。阿闍梨の広い額が真っ青に見える。血の気の失せた唇がわなわなと震えている。

 つい先日、園城寺は数千の比叡山の僧兵の襲撃を受け、広大な境内に林立していた堂塔の多くは灰燼に帰した。園城寺の僧侶三千は復讐の念に燃えて比叡山に押し上り、激戦の後、堂塔に火を掛けた。これを見た叡山側は弓矢太刀長刀ぶ武装した五千もの僧兵を繰り出して、園城寺の焼け残った堂塔すべてを焼き払った。争いに敗れた園城寺の僧侶たちの多くは逃散し、後に残ったのは数十人の僧侶ばかりだった。そこへ突然騎馬武者が侵入してきたのだ。僧侶たちは逃げる間もなく兵士たちに押し包まれ、金堂の焼け跡に連れて行かれた。行尊と叔父の頼豪の姿もその中にあった。僧侶たちは順番に取り調べを受けた。

「名を申せ」

「行尊と申します」

「ここで何をしておる」

「修行をしております」

「修行だと。何もかも焼亡した寺で、何の修行か」髭面の武者は行尊を睨んだ。「叡山への復讐を企んでいるのであろう。武器を出せ。どこに隠してある」

「武器などどこにもありませぬ」

「出せともうしているのだ」武士は行尊の頬を激しく叩いた。行尊の鼻から鮮血がたらたらと流れた。叔父の頼豪が行尊を後ろにかばい、髭面の武者を激しく睨んだ。

「何の故あってそのような乱暴をなさる。私どもは仏に仕える密教の僧侶。武器などとは無縁の者でござります」

「武器とは無縁だと、無縁と申すのか、貴様、こいつ若造を後ろに庇いおって、アハハ」髭の武者が笑うとあたりの侍もどっと笑い声を挙げた。「武器を持たぬ者がどうして比叡山を襲うことができるのだ。叡山は伝教大師がお建てになった国家鎮護の守り本尊ぞ。その寺と事を構え、戦をするなど、到底許されることではない」

「攻めてきたのは叡山でございます。叡山の僧兵たちは大長刀や太刀で武装して襲来し、金堂はじめ、講堂も方丈も庫裡も何もかもが焼きはらいました。先日までここに坐した興福寺のご本尊弥勒菩薩も大日如来の尊像も、梵天帝釈四天王も、百万巻の教典もすべて灰燼に帰し、身を隠す屋根さえありません。私たちは武器は愚か、着の身着のまま、五体の他に何一つ持ちませぬ。その私たちを何故にこのようにお取り調べになられるのか、理由をお聞かせくださいませ」

「わしらは朝廷の命を受けてここにまいったのだ。園城寺に立てこもる悪僧どもを厳しく監視せよとのご命令を受けてな。」

「悪僧とは、悪僧とは誰のことでござります」

「そなたたちのことよ。仏像・教典を隠れ蓑にして、陰では肉食妻帯欲望の限りを尽くし、果ては国家鎮護の比叡山に楯突こうとする僧侶度もが悪僧でなくしてなんと呼べばよいのだ」

「それはあまりの申しよう・・・私たちは日夜不動明王に礼拝し、護摩を焚き、身を清め、この世に極楽をもたらしたまえと祈願しております。そのような私たちたちを悪僧よばわりなさるとは」頼豪がこう言うと、武者は大きな拳で阿闍梨の頬を叩いたので、阿闍梨は口から血を吐いてその場に昏倒した。行尊は叔父の体を抱き上げ武者を睨んだ。

「こいつらを連れてゆけ」武者が命じると、役人たちは頼豪と行尊を焼け残った小屋に押し込めた。小屋には大勢の僧侶たちが捕らえられていた。

「何故に朝廷は叡山の肩を持つのであろうか」一人僧侶が小声でささやいた。

「朝廷は叡山をおそれているのだ。正歴四年(993)に叡山の悪僧成算が我らが祖円珍様ゆかりの大雲寺に身を寄せていた時に千数百の僧兵をもって襲い来たり、多数の僧侶が殺された。あの時関白は藤原道隆様であったが、叡山の暴挙に対して何もなさってはくださらなかった。」

「この度検非違使の役人たちを率いてここに出向いたのは、蝦夷の大軍を破った八幡太郎源義家というぞ。そのような武者の頭領が、御仏を焼かれ、何もかも失ったわしらのところに何故に来たのであろうか」

「もしや、比叡山と園城寺の対立の根を絶つために、わしらを殺しにきたのではあるまいか」

 僧侶たちは恐れおののいた。ざわめきが波のように小さな小屋を震わせている。行尊はその声を聞きながら少し離れた板壁のそばに叔父の頼豪と共に正座して目を閉じていた。頼豪阿闍梨は裂けた唇で陀羅尼を唱えている。行尊も並んで目を閉じ、陀羅尼を唱えた。弥勒菩薩は業火に焼かれ、五重塔も火炎となって天空に消えてしまった・・・こんなことが目の前で起きたと言うことが信られなかった。二人の読経の声は小さな渦となって敗れた天井から灰色の空に漏れていった。

 あたりを見回すと僧侶たちのささやき声も、武者たちの甲冑の音も聞こえない。いったいここはどこなのか・・・水音が聞こえる。ほの暗い洞窟の中を歩いてゆくと、水音はますます高くなる。水しぶきがかかる岩の上に人一人座れるばかりの平らな棚がある。美しい女が横になっている。女は行尊を見て弱々しく笑った。

「あなたはこんなところで何をなさっているのです。」

「祈っているのです」

「何を祈っておいでなのです」

「あなたのご無事を祈っているのです」

「私の」

「そうですよ、行尊」

「あなたはいったい誰なのです。なぜ私の名をご存じなのです。私のためになぜ祈っているのです」行尊が女を見ると、女は横になったまま悲しげに微笑した。

「私はあなたが幼い時にこの世を去ってしまいました。あたなの父源基平様もあなたが十歳の時に亡くなってしまわれた。私たちはあなたのために何をしてやることもできなかった。だから、せめて、あなたが心願を掛けてお祈りなさっていことのお手伝いはあの世からでもしたいのです」

「では、あなた様は、私の」

「そうですとも。私はあなたの母。藤原良頼の娘。あなたは小さい時から聡明だった。聡明すぎて、怖いぐらいでした。あなたの曾祖父は三条院。祖父は小一条院。あなたの体には尊い血筋が受け継がれている。その力があなたを支えているのでしょう。父も母も失って、あなたは出家して日夜修行にあけくれ、十二歳の時に不動供養法を勤修して護摩八千を燻修して密教を体得し、やがて園城寺を出て十八年もの間、大峰、葛城、熊野の山に入り密教の秘術を体得なされた。あなたには特別の力が備わっています。決して望みを捨ててはなりませぬ」

「しかし修行の末に園城寺に戻って見れば修羅の巷と化しています。国を救い、人間の魂を救うための本山が円仁大師と円珍大師の二派に分かれ、武器を取って百年もの間争い続け、仏を壊し、教典を焼いて地獄の鬼のように醜い姿になっている。このような世界に望みはあるのでしょうか」

「ありますとも」

「なぜそのようにはっきりとおっしやることができるのです」

「あなたが生きて祈り続けている限り望みはあります」

「なぜ・・・この私が・・・」

「あなたは御仏の生まれかわりです・・・私が基平様に嫁いで数ヶ月の後、私がうとうとと夢を見ていると、比叡山の薬師如来が口から飛び込み、気がつくと私は身ごもっていたのです。その子があなたです」

「・・・」

「あなたは叡山と園城寺の諍いを納めるためにこの世に使わされた御仏の生まれ変わりです。あなたは覚えているでしょう・・・あなたは日々数百遍の激しい礼拝を続け、修行に明け暮れておりましたが、あまりの修行の激しさに身は枯木のようになり、とうとう衰弱して倒れてしまいました。その時、救ってくださったのは不動明王でした。不動明王は壇上から降り来たって、あなたの胸に手を当てて秘法を念じられ、剣印をかざしてあなたに命を吹き込みなされた。あなたが正気を取り戻した時、不動明王は剣を元の通り顔面の前に翳して壇上にありましたが、策縄は不動明王とあなたの手を結んでいたのです。」

「そうでした。あの時不動明王は私に、『これから二千日の護摩行をするがよい。私はおまえをいつも見守ってやろう』と申されました。私は不動明王のご加護によって修行をやり遂げることができましたが、丁度その時訪ねてきた友人の僧、信禅が私に向かって『この寺に行尊という若い僧がおりませんでしょうか』と尋ねたた時には驚きました。信善は私を前に見ながら私と気付かなかったのです」

「あなたの修行はいつも生死を掛けての恐ろしいものでした。大峰山の洞窟にこもった時は大雨が幾日も降り続き、渓流が増水して洞窟に濁流となって流れ込み、渦に巻き込まれて溺れるところでした。その時二人の美しい童子が現れ、あなたの両足を抱えて空に飛翔しました。あの童子が弥勒菩薩の化身です。あなたは仏の力に守られているお方です。私はあなたがどこにいてもあなたのことを守っています。決して絶望などなされぬように」

 目を開けると鎧武者が立っていた。彼は行尊と叔父頼豪に向かい、「こちらへ」と促した。

 武者だまりをすぎて幔幕の中に入ると、立派な身なりの武者が出迎えた。

「あそこにおられるのが、八幡太郎源義家様でござります」

 義家は日焼けした額の下の大きな目でこちらを見ていた。二人が侍に導かれて近づくと、

「これは頼豪阿闍梨殿、よくぞまいられた」と微笑し、二人に円座を勧めた。

「こちらが噂に高い行尊殿であられるか」

「左様。私の甥。源基平の子、行尊でござります」

「これはこれは行尊殿。お初にお目に掛かります。私は源義家と申す者でござります」

「・・・」

「行尊殿は小一条院の末裔、私もまた清和天皇より源の姓をいただいた末孫。嵯峨、仁明の帝を訪ねれば、あなた様と私の元は同じ流れ。しかしあなた様は僧侶。私は武家。この世の生き様はいかにも違います」

「・・・」

「私は十九の時に父に従って陸奥の国に参り、以来長い間修羅場をくぐってまいりました。私はありとあらゆる戦いを生き延びて来ましたので、大概の事では驚きません。しかしながら、この度の山門同士の騒動には正直困惑しております。もともと伝教大師の弟子であった円仁・円珍が互いに宗論し、僧兵を集め、堂塔を焼き、百年もの間争論し、互いに互いをののしり、荒れ狂っておるというのですから、私には何の事か理解に苦しみます。私ども侍が陸奥で戦ったのも、この国に安寧をもたらすためでした。ところが都に戻ってみれば、国家鎮護の神仏を守る神社仏閣の僧侶同士が相争い、堂塔を焼き、神仏の像を炎の中に投げ入れている・・・これはいったいどうしたわけなのでしょう。私は朝廷より騒動を収めよとの命令を受けて出動しはしたが、いざこの目で見てみるとその有様に呆れるばかり。相手が夷狄であれば如何に厳しい城でも必ず落としてみせましょう。しかし武装しているとは申せ、相手が僧侶では、さて、どうしたらよいかわかりません。そこで、行尊殿、そなた様をまねいたのは他でもありません。この騒動をどのように収めたら良いのか、その知恵を借りたいと思ったからなのです。」

「・・・私の知恵を」

「いかにも」

「私はまだ修行僧に過ぎませぬ。お役にたつとは思えませぬ」

「いやいやそうではござらぬ。どうかお聞きあれ・・・八幡太郎義家は武者故、世の中のことには疎い者でござる。そもそも武士の戦の目的は明白でござる。朝廷より陸奥の反乱を治めよと命じられましたので、それを成し遂げたばかりでござります。私が父の率いる軍勢と共に陸奥に参りました時、安部貞任の父、頼時は朝廷に恭順を誓って兵を納めました。ところがその子貞任はこれに同ぜず、藤原光貞に弓を射て負傷させました。そこで我が父源頼義は安部頼時に、息子貞任を処罰すべき旨、命令を発しました。安部頼時はこの命令を受けてこう答えました。

『人倫の世にあるはみな妻子のためなり。貞任、愚かなりといえども、父子の情は捨てるべからず』

 こうして頼時は貞任軍に加わり、我が軍と合戦となったのです。頼時・貞任親子の絆は固く、我が軍は苦戦し、戦いは九年もの間続きました。戦いは厳しいものでしたが、戦いの意味ははっきりしてました。安部親子は家族と一族のために戦い、我らは朝廷とこの国のために戦ったのです。

 ところが、叡山と園城寺の戦いは何のための戦いなのか、私には全く理解できません。叡山と園城寺共に仏道のためといいながら、仏道修行の講堂も金堂も何もかも焼いている。これでは何のために戦っているのか皆目わからぬではありませんか。朝廷は私に、双方が戦を起こさぬよう、よくよく監視せよと命じましたが、戦いの理由が分からぬのではどのように監視したらよいものか、見当も付きません。困っておりましたところ、部下が、この寺にはまだ頼豪殿と行尊殿が生き残っておられると聞きましたので、お招きした次第なのです。いかがでしょうか。お教えいただけませんか」

 義家は行尊を鋭く眺めた。行尊は頷き懐から紙と筆を出すと歌を詠んだ。

 山おろしの身にしむ風の険しさに頼む木の葉も散り果てにけり

(家も庵もなにひとつこの身を守るものをもたない私はせめて木の葉が風を遮ってくれるのではないかと頼みにしておりましたが、それも冬になって山おろしが吹くと、たちまち吹き飛ばされて何一つなくなってしまうように、私は身を寄せる家も身分もありませぬゆえに、せめて御仏にこの身をおまかせしようとひたすら頼んでまいりましたが、思いがけなくも比叡の山から冷たい風が吹き下ろして、頼みの御仏も木の葉のように奪われてしまいました。頼みとなるものは、この身ひとつばかりでござります)

「なるほどの・・・行尊殿は、すべてを奪い去った比叡の山おろしから身を守ってほしいとお望みか」

「山おろしは人の手では防げませぬ。吹くように吹くだけでござります」

「それでは、何もせずに見ておればよいと申されるのか」

「いいえ、冬の風はいつまでも吹きはいたしませぬ。春になれば山には春霞がかかりましょう。木々には青葉が芽吹きましょう。それが仏の命というものでございます」

「なるほど、わかり申した。」

 義家は部下を呼び、たちまちに命令を発し、捕らえていた僧侶すべてを解き放った。

「軍勢など率いずに、身軽な出で立ちでここに来てみたいものです」義家はそう言って微笑した。行尊は歌を書いて手渡した。

 帰り込むほどをばいつと言ひおかじ定めなき身は人頼めなり

 行尊は寺を去り、大峰山に分け入って修行三昧の日々を過ごした。山は美しかった。大伽藍や錦繍を纏った僧侶たちの読経にはない清さがあふれていた。山にこそ仏なのだ。行尊は悟った。

 彼は小さな庵に護摩壇をしつらえ、日に三度護摩を焚き、数百回祈りを捧げた。冬が過ぎ、春が来た。寒い朝、目覚めると、薄明が木々の間に漂っている青い幕を少しずつ取り去って曙の光が差してくる。遠くから水音がひそやかに聞こえる。行尊は半眼を閉じ、長い間祈りを捧げていた。風が吹いて、木々がざわざわと鳴った。経文の上にさらさらとうす紅色の花びらが滑り落ちる。見上げると、山桜が朝日に淡く浮かんでいる。うす紅色の山桜が、淡い青の春空に夢のように浮かんでいる。行尊はその花を眺めて詠った。

 もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし