百人一首ものがたり 65番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 65番目のものがたり「相聞(あいぎこえ)

恨みわび ほさぬ袖(そで)だに あるものを
恋(こひ)に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 初雪が嵯峨野を真っ白に覆っている。「山里は冬ぞ淋しさまさりける人めも草もかれぬとおもへば」と詠ったのは源宗干朝臣だったが、枯れるどころか雪ばかりでは何も見えない。この寒さでは中納言様もお体の具合を崩されているのでは、と心配しながら庵を訪ねると、定家はすこぶる元気な様子で、

「雪を眺めながら一息に書きましたぞ」

「さてそれは、今度はどなたでございますか」

「定頼です」

「定頼・・・しかし先日お書きになられたのでは」

「書きましたが、どうしても定頼にもう一度出てもらわねばならぬ羽目になりました」

「しかし、百人一首に二度三度と出るとはおかしなことですが」

「それは勿論承知しておりますが、ここをごらん下さい。こうあります。《道長の長男の頼道はある年の大嘗会が定頼の行事役を務めることになっていることを聞いて、『それはならぬぞ、定頼では務まらぬ。誰ぞ良い者はおらぬか』と言って、右少弁藤原資業(すけなり)をその役につけた。人々が理由を尋ねると『定頼は才能ありて賢きことは賢けれど、緩怠なることはなはだし』と述べたと言う》

 これほどに貶されているのに、女にはすこぶる人気が高かったのですよ」

「宮中の儀式までないがしろにしてしまうようないい加減な男に並み居る女房たちが浅からぬ仲になったとはどうも」

「そこが男女の仲の妙ですが、私が定頼を持ち出したというのも相模と定頼の話をしたいばかりなのですよ」

「相模と申されますと」

「源頼光の娘です。思うに、定頼が親王との諍いの罪を逃れたのは、相模の働きがあったからではないかとも考えられます。あの事件では親王側に死者が出たのですから不問に付すことなどできようはずがありません。殺人は重罪ですし五悪の一つに数えられ地獄行きは必定です。しかもあの事件は平安の世も盛りに起きたのですから首謀者の定頼は当然重い罪に問われてしかるべきでした。ところがさしたるお咎めもなかったのです」

「・・・」

「相模の父・源頼光の頼光につきましてはすでに幾度かお話ししましたが、何度話しても話し足りないのは、その莫大な財力です。どれほどの財であったのか、語ればきりがありませんが、一番それを良く表しているのが寛仁二年、道長の土御門第が焼亡した時の出来事ですよ。源頼光は土御門第再建の先頭に立ち、造営が完成するや、幾十とも数えきれない牛車に数百の唐櫃を積み上げ、四季の金襴緞子や、襖絵、屏風、几帳から台所の茶碗、小鉢に至るまで、一切合切運び込ませたので、さすがの道長も感嘆して声もなかったと伝えられております」

「頼光は河内の国守であったとうかがいましたが、国守というものはそれほどの地位だったのでしょうか」

「国守にもいろいろありますから一概には申せませんが、頼光は父・満仲の財産を受け継いだ上に各地の国守を歴任し、経営の才も兼ね備えていたので有り余る財を蓄えることができたのでしょう。しかも頼光は父満仲が兼家の影として働いたのとは異なり、己の威光を示すために公然と武力を誇り、部下には嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭に頼光四天王と呼ばれる強者を側近として置き、大江山の酒呑童子討伐や土蜘蛛退治の伝説まで生んだほどでしたから、都の人々は『朝家の守護』と呼んで懼れたのです。相模はその頼光の娘ですから、定頼が罪を受けそうになった時、父なら恋人を助けてくれるのではないかと考えたのはありそうなことですよ」

「心情としてはそうかも知れませんが、事が事ですからいかに頼光の娘といっても無理な願いではなかったのではありますまいか」

「いやいや心寂房殿。いざとなったら女の力はすさまじいものがあります。恥をさらすようでございますが、この私が公卿の地位を得ましたのも、偏に女の力が与っていたのです」

「・・・」

「ご承知の通り、承久の変によって失脚するまでの二十三年間後鳥羽院は院政を敷いてこの国を支配しておりましたが、その間、院の側にあって絶大な権勢を振るっていたのは郷局、即ち藤原兼子です。兼子は後鳥羽院の乳母でしたが、後鳥羽院が政権を握ると飛ぶ鳥を落とす勢いを得ました。慈円殿の『愚管抄』には『ひしと君(上皇)につき参らせてかかる果報の人になりたるなり』と記されておりますが、当時、朝廷で昇叙を得るには兼子のご機嫌を取るより他に方法はありませんでした。私はその有様を『富裕の者かの女より官を買うのみ』と嘆き『無物無償の者ああ何をかなさん』と慨嘆したりしましたが、悔しがるばかりで何もせずにいたのでは昇叙は望めませんので、苦しい台所から金品・馬・荘園などを贈与して官位を得ようと必死に務めたのです。今から思えば愚かな事としか思えませんが、公卿の地位を射止めなければ年来の夢は果たせぬと思いこんでいましたので、強欲に取り憑かれた狂女に何としても取り入ろうと東奔西走いたしました・・・ところが私のように貧しい者がいくらつとめても何の実も得られない。待てど暮らせど、一片の通知も届かないのです。それも道理、兼子には私なぞには想像もできないほど莫大な金品を贈与するものがいくらもありましたので、こちらには見向きもしなかったのですよ」

「中納言さまが見向きもされなかったとは信じがたい事ですが」

「実際にそうだったのです。兼子が絶大な連力を握っていることが知れ渡るとあらゆる者が金品を貢いで近づこうとしましたが、北条時政の近親、藤原政憲もその一人でした。この者は和歌を詠むどころか漢字、仮名文字もろくろく書けぬほどの凡愚な者で、学問とは無縁の者であったのですが、政憲は兼子に次々と莫大な貢ぎ物をして官職を得ようと大いに働いたのです。そしてその貢ぎ物が想像を絶するものだったのでしょう、何と、政憲は左馬助の地位を得ました。左馬助の役職はご承知の通り武家の役職で、昔は八幡太郎義家などが与えられた重役です。太政官制度の中では従五位の下相当ですから殿上人としては最も下位ですが、時代が下ると、近衛大将と同格あるいは、これを兼務する三位の重職となりましたから、すべての武家のあこがれの的であったのです。それを政憲がごとき具凡な者に与えたと聞いて私は悲憤慷慨しました。

『在朝の中将みな非人、あるいは放埒の狂者』と書き記したのはこの時です。

・・しかしいくら怒り狂ってもどうにもなりません。私は悶々と日々を過ごしておりましたが、そうした私の有様を見かねて助けてくれたのが私の姉でした。宮仕えをしていた姉の九条尼が讃良の荘園と細川荘を兼子に贈与してくれたのです。御陰で私は従三位に叙せられ、健保二年には父俊成も手の届かなかった参議にまで上ることができたのです」

「・・・」

「こうした出来事を思い出すにつけ、定頼が罰せられなかった背景には相模の働きがあったに違いないと思われてならないのです・・・相模は恋人の定頼を助けるために父・賴光に泣きついた。賴光は英雄ですが、人の親であることには違いない。娘の必死の頼みとあらば耳を貸さないわけにもいかない。そこで賴光は金品に糸目をつけず、道長に定頼助命を嘆願したのでしょう」

「そのようにお聞きいたしますとますます定頼という男が憎くなってなりません」 「それは私も同じ思いですが、定頼と相模の関係はそうした私情を超えて、見るに値するものですよ」

第65番目のものがたり 「相聞(あいぎこえ)」 )

「私はこれから後どうなるかわかりません。あなたにあえなくなるかもしれませんよ」と定頼はさも疲れたといいたげにため息をついた。相模は御簾の向こうから定頼をジッと眺めていたけれど、我慢ができなくなって御簾の中に定頼を招き入れて、

「何がそのようにご不満なのでございますのか」と甘えた声でこう言うと、定頼はわざとらしく目をしばたたかせて、

「右大臣実資様が私をいじめるのです。昨日も私を呼びつけて、『昨日の陣定(じんのさだめ)での出来事は聞き及んでおろうな』と言う。私が、『存じませぬ』とお答えすると実資様は皮肉めいた声で、

『お前の恋人相模の夫はかねてより大外記の職に就くことを念願していたが、このたび朝廷にその旨を申し出た。願書を受けて諸卿が話し合った末、『大江公資はその任に相応しかろう』という事になったが、わしは反対した。

『公資は妻・相模の美貌に溺れ、世の動きにはとんと関心事の外にある上に、この頃は別の私事が起きて夜昼悩み暮らし居れば、とても大外記の職がつとまるとは思えぬ』

これを聞いて一同大笑いとなり、公資の役職の話は棚上げとなったのだ・・・お前はわしが何故そのような発言したと不審に思うであろうが、その訳は、お前と相模が浅からぬ仲であることは世の者は誰もが知っている事だからだ」

「・・・」

「お前たちの仲の噂は公資の心を悩ませている。大江公資は役職を得ることができなかったばかりか、嫉妬で目が眩んでいる。これほど辛い目に遭った公資がいつまでも黙っていると思うか。定頼、相模から即刻手を引くのだ』とこのように申されたのです」

「では、定頼様は、右大臣さまのご意見に従うおつもりなのですね」

「どうしてあの気むずかし屋の大叔父などに従うものですか」

「では私をお放しにならないと?」

「どうしてあなたのように美しい方から離れて生きることができましょう。私は夢にも現にもあなたのお姿を追いかけているのです」

「・・・では、なぜ夫の話や、右大臣さまの話をなさって、私の心を惑わせたのですか」

「心が潰れるほどに心配だからです」

「心配とは」

「あなたの心変わりですよ。もしも、もしもですよ、あなたが公資殿に同情して少しでも私を忘れてしまうのなら、この私はどのようにして生きたらよいのでしょう。私は、朝の雲を見てもあなたを思い、花を見てはあなたの肌を想い、夕暮れが迫るとただ涙がとめどもなく流れて、胸が苦しくなるのです。そのように想っているのに、あるいは、あなたの心は次第に公資殿に傾いてしまうのではないかと考えると・・・」

 定頼がこのように囁いて吐息を漏らすと、相模は、

「何をおっしゃるのかと思えば・・・私の心はただひたすらあなたさまのものです。でも・・・」

「でも・・・」

「私の心はいつもあなたに捕らえられていますが、あなたは多くの女性に愛されていますから、いつ私から離れるだろうかと思うと不安でなりません。ですからあなたのお気持ちに偽りが無いことを和歌に詠んでいただければ、私はどれほど心が安まるでしょうか」

相模がこう言うので、定頼は梅の花の小枝を懐の懐紙の間から取り出して、花びらを一枚手の平に載せて、細い文字で和歌を書いたがその歌というのは、

 せきあへで世にやもるらん梅津川

かく物おもふをりのなきかな

(あなたを思い慕って苦しい日々を重ねてまいりましたので梅の季節は疾うに過ぎてしまいました。でも人々に知られてはいけない恋ですから、梅津川の水のように激しい私の心の嵩がどれほど激しくなろうとも、私はしっかりした堰でこの思いをせき止めておりましたけれど、それもいつかは破れて人に知られてしまうだろうと思っておりましたが、こともあろうに、大伯父の実資様の耳にまで届いてしまったのです。いったい私はこれからどうしたらよいのでしょう。あなたは私のように辛い思いを忍ぶというようなことはないのでしょうか)

 相模はこれを見ると同じ梅の花びらを白い指につまんで、男よりもっと細い字で和歌を書き付けた。

 梅津川しものわたりをたづぬとて

うきたる恋は我ぞまされる

(あなた様はそのように熱い心を抱いて恋路をさまよって、梅津川の下のあたりをたずね歩いては私をお探しになられておいでとのことですが、私もあなた様と同じように、先がどうなるか分からないせつない恋の思いに流されて辛い毎日を送っているのです。その思いは私こそあなたよりも激しくつのっているのですよ)

 こうして歌を交わすと、二人は一層しみじみとして、それまでよりも尚のこと親密になったのだった。

別れるどころかますます二人の仲は深まったと知ると、右大臣実資は激怒し、長谷寺に隠棲した定頼の父・公任に、「定頼に将来はない」と書き送った。公任は悲嘆に暮れて、二度三度と定頼に文を寄越して縁を絶つように迫った。これにはさすがの定頼も困って、少しの間逢うのは控えようと思って女童に託した和歌は、

   忍び音の飽かで明けぬる杜鵑

うちとけにてん暮れをこそ待て

 (ほととぎすを待ちに待ってようやく忍び音をかすかに聞くように、先日はひと目を忍んでとうとうあなたの忍び音をかすかに聞くことができましたけれど、夢見心地のままに夜が明けて、ろくろくお話もせずに別れてしまい、それきりになりました。でも逢わずには生きて行けません。次ぎにお逢いするときにはうっとりと心ゆくまで共寝をしたいものと願っています。そのような夕暮れが来るのを楽しみにお待ち下さい)

  女返し                                          

頼むるを頼むべきにはあらねども

待つとはなくて待たれもやせん

(このような境遇にある限り、私たちはをいつまでも思いを遂げることはできないのですから、我が身を縛っているしがらみを思い切って断ち切って、あなたさま一人を頼りにして共に暮らすようになりたいとも思うのですが、あなたさまも妻があり、私にも夫があって、誰も彼もが私たちを見張っているので、二人の仲がどうなるか、それを思うと心細くなるばかりです。ですから私はあなたさまを頼りにしてはおりましたが、もともと頼りにしてはいけないお方なので頼むべきではないと己に言い聞かせております。ですから私からお待ちするとは申しませんが、あなたに待たれているという思いは捨てきれないのですよ)

  男の返歌は、

今までにつらかるべしと知らませば

人にいたくも見なれざらまし

(私はただひとすじにあなたばかりを思っているのに、あなたは私をあきらめるなどと言う。そんなに冷たい方と知っていたら、こうも深く慣れ親しんで、他人からとげとげしい目で見られるようなことはしなかったのにと、そんなことを思うばかりに辛い日々を送っているのですよ)

   女、

逢ふことのなきよりかねて辛ければ

さてあらましに濡るる袖かな

(長い間お逢いできないで、そのつらさに耐えかねてあれこれと思い迷って、あなた様に疑われるようなことになってしまって、私はどうしようもない苦しみにもだえています。それでもいつか共に過ごすことが出来たらと思うと、そう思うだけで胸が切なくなって、まして、ほんとうにいっしょになったらどうなるだろうと思うと、ただ涙がこぼれて仕方がないことです)

 こうして二人は互いに思ってはいたが、なかなか逢えないでいる間に時が過ぎて、男からの文も絶え絶えになった。そこで女は、

  ことの葉につけてもなどかとはざらん

よもぎの宿もわかぬ嵐を

 (秋風が吹き始めて、木の葉が散り敷くのを寂しく眺めてるこのごろです。私を訪れてくれるのは冷たい風ばかり、なぜあなたは風に託して言葉だけでも送ってくれないのでしょうか。すっかり荒れ果てた私の宿には、どこからでも風が吹き込んで来ると申しますのに)

  男、返し、

 八重ぶきの隙だにあらば芦の屋に

おとせぬ風はあらじとを知れ

(あなたさまはどこからでも風は忍び込んで入ってくるともうしますけれど、風だって入ろうとすれば音を立ててしまいます。ですから、まして、人間の私がお訪ねたりしたら、どうなるのでしょうか。あなた様の周りには夫の公資様ばかりか、さまざまな方々が八重に取り巻いておいでになられるので、とても近づくことなどできません。私はただ空しく日々を過ごすばかりなのです)

 そうこうするうちに大江公資は相模の守として赴任することになり、女も共に下ることになった。男はこれを知って、

 別れては二とせ三とせあはざらん

箱根の山のほどのはるけさ

(いままでもお逢いすることはあまりにもすくなかったのですけれど、こうして別れてしまったら、もう二年も三年も逢うことはないのでしょう。業平様が越えたという箱根の山の何と遠く遙かに聞こえることでしょうか)

  女返し

 あけくれの心にかけて箱根山

二とせ三とせいでぞ立ちぬる

(明け暮れにあなたさまのことばかり心に思って過ごしてまいりましたが、この度は心ならずも箱根の山を越えてゆかねばなりません。でも、二年が三年でも私はあなたさまをお慕い申し上げて思い続けております。その気持ちを抱いて、私は都を立って行くのです)

こうして女は立って行ったが、男が恋しくて忘れられず、

 いつくしき君が面影あらはれて

さだかにつくり夢をみせなん

(日々が過ぎて行くと、あなた様の美しい面影がだんだん朧になってゆくのではないかと恐ろしいばかりです。せめて夢になりと現れて、私にそのお姿をおみせになって下さいまし)

 女は相模の国までたどりついたが、荷を解いている間にも男をおもう思いはますます募って、

 焼くとのみ枕のうへにしほたれて

けぶり絶えせぬ床のうちかな

(海辺では塩を焼く煙がゆらゆらと風になびいている。そのように私の枕はあの方を想って涙に濡れて、その涙を胸の炎がじりじりといつも焼いて絶えることがない。床に入ってもあの方を思って熱い思いが私を苦しめる)

  女はまた歌を詠んだ。

うらみわび干さぬ袖だにあるものを

恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ

(我が身の運命を恨み悲しんで、涙で袖はすっかり朽ちてしまうほどであるのに、世の人々は私の苦しみも知らずに、あれこれと噂している。こうした実のない浮き名ばかりが立つのは悔しいことです) 女はこうして泣き泣き時を過ごしたが、定頼との仲はそれきりになってしまった。