百人一首ものがたり 63番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 63番目のものがたり「当子内親王」

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 定家が文机に寄りかかって物思いに耽っている様子に、
「どうかなさりましたか」と声を掛けると、
「いやなに、道雅のことを考えていたら、ふと兄の成家を思いだしてしまったのですよ」
「・・・」
「兄の成家は私よりずいぶん年上でしたが、道雅と同様に若くして侍従右近少将となり、建仁二年には従三位、その二年後には兵部卿にまで出世したのです。ところが突然わけもなく出家を思い立ち、父や母の止めるのも利かずに僧侶となりましたが、修行などは 何一つせず、放蕩三昧の日々を送り、そのため家は乱れて収拾がつかず、あろうことか、兄の従者たちは強盗罪で一網打尽となりました」
「・・・」
「父の奔走で兄は入牢を免れて隠居し、息子の言家が家を継ぎました。言家も朝廷に仕え、従三位まで出世しましたが、所領争いが絶えず、鎌倉幕府からも勧告状が届くほどで、私に調停に立つようにとの話もありましたが、言家という男は性根が腐っていると申しましょうか、根っからの悪逆で、母はこの孫のためにどれほど泣かされたか知れません」
「・・・」
「つまらぬ内輪の恥をお話してしまいましたが『悪三位』と評判をとった道雅殿のあわれな生涯を見ると他人のようには思えなくなって、あれこれと思い出してしまったのです」
「道雅というお方の父はどなたでしたか」
「伊周(これちか)ですよ。すでにお話しいたしましたように伊周は長徳二年(992)太宰府へ左遷されましたが翌年復帰を遂げましたので道雅は寛弘二年(1005)には侍従に任じられ、敦成親王(のちの後一条天皇)に仕えて左権中将となり、後一条天皇が践祚なさると二十四才で蔵人頭に補せられて従三位に叙せられました。道長は二十四才の時に正三位でしたから、この事からすると、道雅の出世は決して遅いとは言えません。それどころかこの時期には既に伊周は死んでいましたから、後ろ盾がなくなっていた道雅がここまで出世したということは彼が極めて優れた才能の持ち主であったということを示しています。あるいは大臣にもなる器であったでしょう・・・しかし伊周・道雅親子にはどこまでも不運がついてまわる因縁がとりついていたのでしょうか・・・父・伊周は恋のために失脚しましたが、道雅も禁断の恋ゆえに有意の前途を失ってしまったのです」
「あの時代にも禁断の恋などというものがあったのでございますか?」
「道雅が頭中将に任じられていたちょうどその頃、三条院の皇女で伊勢斎宮の斎宮であった当子内親王がその役目を終えて帰京なされたのですが、その内親王と道雅は恋に落ちてしまったのです。これが三条院のお耳に入り、二人は二度と会えぬようになったばかりか、道雅は中将を罷免され、内親王は十七歳で尼となり、やがて世を去ってしまったのです」
「なんと・・・」
「それからというもの道雅は絶望して遊興と酒、賭博に明け暮れ、喧嘩を繰り返し、果ては高貴な方を殺めたとの疑いまで掛けられました。実質の『小右記』には道雅は隆範なる僧侶に言い含めて、花山院女王を殺させたと記されています」
「・・・」
「こうした事が重なって道雅は『悪三位』などという不名誉な仇名で呼ばれるようになりましたが、悪名とは裏腹に、道雅は見事な歌をたくさん詠っています。よほど心の清い者でなければ詠えないものも多くみられます。私が思うに、道雅はあまりに一途な心の持ち主だったので、生きるのが容易ではなかったのでしょうね」

第63番目のものがたり 「当子内親王」 )

 警護の侍の目を盗んで立派な生け垣の下を潜り、木立の間の踏み石を亀のように四つんばいになってそろそろと行くと、林の奥から呼子鳥がきれいな声で鳴く。

 菖蒲の花が咲いている池の向こうに御殿が見え、庭先の高麗縁の茣蓙の上で、自分より二つほど年下の女の子が人形に着物を着せて遊んでいる。乳母が何かいいながら少女にさまざまな着物を差し出すと、少女はそれを受け取って人形に着せ替えている。植え込みの間から首を伸ばして見ていると、少女はちらっとこちらへ目をやったが、何も気づかなかったらしく、人形の髪を解いて梳りはじめた。ほっぺたが真っ白で、人形よりよほどきれいだ。

『あの子か』と男の子は独り言を言ってなおも見詰めていると、乳母は何事か言い残して御殿の部屋に上がっていった。

 男の子は忍び足で少女に近づいたけれど、遊びに夢中で気付かない。男の子は小石を拾って池に投げ込んだ。ポチャンと音がしてさざ波が菖蒲の花の周りに小さな輪を作った。でも、魚が跳ねたとでも思ったのだろうか、振り向きもしないで人形の髪を梳りながら何か詠っている。男の子は大きな石を拾い上げるとまた池に投げ込んだ。

ボッシャン

少女はびっくりして顔を上げるとす美しい装束を着けた少年がこっちを見詰めているので、アッと声を上げそうになった。

「シッ、声を出さないで・・・聞こえたら乳母が気づいて、警護の侍を呼ぶよ。そしたら僕は捕まるよ」

「・・・」

「僕はね、君の御屋敷の隣のその向こう隣だよ。君は当子内親王だろう。もうすぐ伊勢神宮の斎宮になるって聞いたんだ。でも、斎宮になったら会うことができないから、その前にひと目見てみたいと思ったのさ。君が手に持っている人形はとても可愛いけれど、君のほうがずっときれいだね」

「・・・あなたはだれ・・・」

「僕はね、内大臣伊周の子の道雅だよ」

「大臣の子なの」

「君は三条天皇の皇女だろう。美しい皇女だって評判だから、ひと目見たかったんだ。でも、人の噂なんてあてにならないね、だってこうして見た方がずっと綺麗だもの。僕は今十才だけど、君は八才だね」

「・・・こんなところまで、どうやって来たの」

「簡単さ。それより遊ぼうよ。人形遊びなんてつまらないや・・・その貝合わせをちょっと見せてよ」

「だめ。使ってはいけませんと乳母から言われているの」

「使わなかったら面白くないよ。なぜそんなこと言うのかな」

「お后様からいただいたの。箱から出してはいけないのよ」

「そうか、君のお母さんは道長の娘の怟子だものね。きっとその貝の中には金銀珊瑚が入っているよ。こっそり見てみよう」

「駄目。外に出してはいけませんというのに、乳母に頼んでこここまでこっそり運んできたのよ」内親王は襲の袂であわてて覆い隠した。これを見て道雅は声を潜めて笑った。

「言ってみただけなのに、君は面白いね」

「まあ」

「僕はちゃんと遊び道具を持ってきたんだ」

「何」

「これさ」

 道雅は松葉を取り出した。

「君はこっちを持って、僕はこっち。こうして二本を絡めて、引っ張るんだ」

「そんなことしたら、切れちゃうわ」

「君が勝ったら、僕は君のお付きの蔵人になるよ」

「それじゃ、あなたが勝ったら?」

「そしたら、君は僕の妻になるんだ」

「・・・」

「知ってるよ。斎宮になったら神様のところに行くんだものね。でもどうなるか分からないよ」

「・・・」

「そんな顔をしないで、ほら、聞いてごらん、呼子鳥が鳴いてるよ」

「ほんと」

「あの鳥はね、僕なんだ。君が伊勢に行っても、僕はいっしょに飛んでいって、森の中で暮らして、君が姿を見せたら側の枝に止まって鳴くんだよ」

「・・・」

「さあ、この松葉、引っ張ってよ」

 道雅が言うと当子内親王は、

「駄目。引いたら駄目」

「何で駄目なの」

「引いたら、ちぎれちゃうわ」

「仕方ないよ。それが遊びだもの」

「だから駄目」

「じゃあどうするのさ」

「このままでいいの」

「・・・」

「私、伊勢に行くとき、この松葉を持って行きます」

「そう・・・持って行ってくれる」

「ええ」

 呼子鳥が梢で鳴いている。

  数年後、当子内親王は伊勢神宮の斎宮となり、都に戻ったのは五年後の事だった。朝夕のお勤めもなく、訪ねてくる者もほとんどないので当子が文机に向かって古今和歌集の写本をしていると障子に影が射した。目を上げると、道雅が立っていた。

「今朝風が吹いたので、これをお持ちしました」と言って文を差し出したのを見ると、

 涙やはまたも逢ふべきつまならん

泣くよりほかの慰めぞなき

 (あなたを思っていると涙があふれる。泣いたらまた逢うための手助けになるわけでもないけれど、

どうしたら僕の心がなぐさめられるのでしょうか)

「私はあの時からあなた様をどうしても忘れられないのです。涙ばかりが出てくるのです。今、私は蔵人頭として朝廷に仕えておりますが、あなたがお戻りになって怟子皇后のお屋敷においでになられると知ってから、寝ても覚めてもあなたの事ばかりを考えて食べることもできないのです。ですからせめてお顔だけでも拝見したいと思って忍んでまいりました・・・でも、もしやあの時の事を、内親王様がお忘れでしたら、私はすぐに戻ります」 

こう述べて膝をつくと、当子は黙って道雅を見つめていたが、文箱から貝を取り出して道雅に手渡した。合せ貝を開くと、あの時の松葉が二本、横になっていた。

それから後、二人は毎夜のように忍び会うようになったのだった。

 不意に、あわただしい足音が近づいてきた。当子内親王は几帳の奥に身を隠し、道雅は冠の紐を締め直した。物陰から年老いた乳母の中将が顔を覗かせた。

「中納言隆家様がおみえでございます」

「叔父が・・・何故に」

 道雅が身仕舞いを正す間もなく、亡くなった父・伊周の弟で、万事に亘って後見してくれている隆家が急ぎ足でやってきた。隆家は道雅の顔を見るなり、

「そなたがこのお屋敷に通っているということが三条院のお耳に達し、院は激怒され、護衛の者どもをこの邸に送り込もうとしている。早々に立ちと帰るのだ」

 これを聞くと道雅は涙を抑えて、

「院は何故怒っておられるのです。当子内親王はすでに斎宮のお役目を終えておられます。なぜ私が通ってはならないのですか」

「そなたは兄が身罷る間際に言い残した事を忘れてはおるまいな・・・兄はこう遺言されたぞ。『私が死んだ後、人の物笑いの種となるような振る舞いをしたなら、私は恨むぞ』・・・そなたの今の振る舞いは宮中の隅々まで木の葉を揺する風のように伝わり、さまざまな悪評をよんでいるのが分からないのか」

「・・・叔父上、お教え下さい。何故私が当子様の元に通ってはならぬのです。なぜそれが人の悪評になるのです。私はまだ妻がありません。当子様も夫を迎えてよい年頃です。そうした男女が思いを交わしてどうしてならぬのでしょうか」

 道雅が必死の思いでこう述べると、隆家は甥の目を見つめて、

「そなたは父伊周がどれほどの思をしたか、忘れたのか。そなたの祖母、高階貴子様は兄が検非違使に捕縛される姿を見て、傷心のあまり涙の内に命尽きたのだぞ」

「・・・」

「我が一族の敵は誰ぞ・・・そなたは忘れたわけではあるまい」

「・・・」

「そなたの恋する当子内親王はこの世に二人とない尊いお方であることはこの私もよくよく承知している。だが、当子の母は三条帝の后・怟子、怟子の父は道長である。そなたの父伊周はそなたが道長の孫娘を妻にする事を喜ぶであろうか・・・道雅、私はそなたの父の共に、道長によって太宰府に流され、地の果てで刀伊の兵と戦い、九州と壱岐、対馬を敵から守り抜いた。その功績によってようやく都に戻ることができた。だが、兄伊周は絶望の果てに亡くなった」

「・・・」

「そなたの恋を引き裂くのは私も辛い・・・だが、この恋ばかりはあきらめてくれ」

 剛胆な隆家が涙を流して懇願するのを見て、道雅は泣きながら歌詠った。

  榊葉のゆふしでかけしそのかみに

おしかへしてもにたる頃かな

 (伊勢からお戻りになられてから、私は夢のように幸せな時を過ごしましたが、突然嵐が吹き荒れて、私の羽も、あなたを支えている支柱も折れてしまい、二度とお会いできないような有様になりました。それはまるで斎宮であったあなたさまが榊葉の木綿の四手を掛けて伊勢の神に仕えておられた時のように、遠く、触れる事もできない時舞い戻ったような気がいたします。なぜ私たちはこれほどむごく引き離されなければならないのでしょうか)

 当子内親王の邸は警備の侍と見張りの女房たちで満ちあふれ、道雅は近寄るどころか文を届けることも許されなくなった。道雅は涙で墨を磨り、歌を詠んだ。

 今はただ思ひ絶えなんとばかりを

人づてならで言ふよしもがな

(あなたとお逢いするすべは奪われました。もう私の思いも絶え、私の命も絶えてしまえば良いとおもうばかりです。ただ、その思いも、この歌もお届けするすべはありません。誰の手も借りず、せめてこの私の思いだけでもお届けしたいのに・・・)