百人一首ものがたり 62番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 62番目のものがたり「行成」

夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも
よに逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「ごらん下さい、この、ここのところを」と定家が『枕草子』の一節を指さすので見ると次のような事が書いてある。
〈十八九ばかりの髪がとても美しく整って背丈ほどの長さもあり、色は白く愛嬌のある美人が、歯をひどく病み患って苦しんで、額髪もじっとりと涙で泣き濡れて、髪の乱れが顔にかかるのも気づかない様子で、顔を赤くして痛むあたりの頬を押さえている様子は、とても《をかしけれ》」
「どうお思いですか、心寂房殿」
「どうもこうも、人が苦しむ様を見て、『をかし』とは・・・枕草子は一、二度目を通したつもりでござりましたがこんな事が書かれておりましたか」心寂房はそういいながら先を読むと、
〈いとうるわしく長い髪を引き結んで、気持ちが悪くて吐きそうだとおきあがっている様子は、とてもいじらしくて、《ろうたげ》可憐だ〉
「どのように理解してよいやら分かりませぬ」
「分からぬとは?」
「それは・・・人が泣くほどに歯の痛みに苦しんでいるのを、をかし、と書いたり、吐くいているのを見て、ろうたげであるなどと表現するとは、気が変だとしか思えませぬ・・・もしも私が歯痛に悩まされているところを人に見られて、〈七十過ぎの年老いた医師が歯をひどく病み患って苦しんで、涙を流して、白髪の乱れが顔にかかるのも気づかない様子で、顔を赤くして痛む頬を押さえている様子は、とても趣があってをかしいものだ〉などと書かれたら、とても我慢できません」
 心寂房殿がこう言うので定家は、
「このような事も書いてあります」と指さす先には、
〈色黒でにくげな女が髪に入れ毛をして、髭の生えて痩せこけた男と昼寝をしているのは何とも見苦しい。どいうつもりがあって横になっているのだろうか・・・容貌が良い人が昼寝をした後の寝起き顔は少しは趣きがあるけれど、見苦しい顔の者の寝起き顔は汗や油がしみ出て顔が光っているばかりでなく腫れぼったくて、ともすると頬が歪んでいたりするのだから、こうした男女が起きて、互いに顔を見交わしている時の間の見苦しさといったら言葉もないほどだ〉
「・・・どのような顔で寝ようと起きようと、その者同士の勝手でござりましょうに、見苦しければ見なければよいではありますまいか、それをこのように書き立てるとは、まことに尋常な者ではござりませぬ」
「尋常でないことは当時の者もそう感じていたようです。藤原斉信(なりのぶ)が頭中将であった頃、一度は言い交わす仲になりながら『なぜあんな女を人並みの者と思っていたのだろう』と悔やんで、清少納言を見掛けると袖で顔を隠して、彼女の方を一切見ないようにして通ったほど憎み嫌っていたと、これは他でもない、清少納言自身が書いております」
「・・・」
「ところがこの女の隅に置けないのは、こうした悪名を逆手にとって、功名を立てる機会を密かに窺っていたという事です・・・ある雨の晩、女房たちはみんな退屈してめいめいに遊んでいると、清少納言に宛てて頭中将から文が来たので、彼女は他の女房たちが見えるようにわざとらしく受け取って『すぐに見るべきではないわね』などといって懐に入れて部屋の中に入ろうとするので、使いの者は慌てて
『すぐに返事をもらってくるように申しつけられております。もしご返事がいただけないのなら、文をお戻し願います』などというので、清少納言はおもむろに懐から出して文を見ると『蘭世の花の時の錦のもと・・・この後の句をつけよ』と書いてある。これを見て清少納言は『これは頭中将の宿直所に殿上人たちが集まって、この私をお試しになろうと話をしておいでなのしょうよ』などと周りに聞こえるように独り言を言って、半紙に、『草の庵たれか訪ねむ』と書いて、「この返事をお持ち下さい」と使いの者に渡したのです。
 なぜ彼女が『草の庵たれか訪ねむ』と記したかといえば、白氏文集に『蘭省の花の時錦帳の下、廬山の雨の夜草庵の中』とあるのを踏まえているのです。もしも原文のまま『廬山の雨の夜草庵の中』などと返事を書いたのでは知識をひけらかしているだけなのですこしも面白くありません。そこで一工夫して『草の庵たれか訪ねむ』と、和歌の下の句、七七にして書き送ったのですよ。果たして返事を受け取った頭中将は驚いて『おお』と感嘆の声を上げたので、宿直所に集っていた一同が『いったいどうなさったのです』と訊くと、
『清少納言という女房はやはり大変な盗人(ぬすっと)だぞ、どうもこれでは無視することはできそうにないな』とため息をついたというのです」
「・・・ずいぶんと凝った趣向をこらしたものですが、『盗人』とはどのような意味でござりましょうか」
「恐らく、誰も気がつかないところで思いがけない事を成し遂げる者というような意味であろうと思われます。ともかく清少納言は人の目を奪うのが好きだったようです。しかしそれなら一流の知識人であったかと申せば決してそうとは言えません。案外に簡単な事を知らず、間違ったとも気づかないでいる様子は枕草子を読めば分かります」
「・・・」
「ここに見える四十七段『木は』という一節をごらん下さい。そこに、〈スサノオ命が出雲国にお出でになるときに、お供をした人麻呂が詠んだ歌などを見るとしみじみとした感じがする〉などと記されているでしょう。いったい人麻呂がスサノオ命のお供をして出雲に行ったなどと、そんな愚かな事をどうして書いたのでしょうか」
「まことに、これではスサノオ命と人麻呂が同時代人としか受け取れませぬ」
「もし清少納言がそう思っていたとすれば、日本書紀を読んだことがない、ということになりますからひどいものです」
「しかしなぜこんな滑稽な間違いをしたのでしょう」
「無知といってしまえばそれまでですが、古今集のかな序に、神世には歌の文字は定まらなかったけれど、人の世と成ってから、初めてスサノオ命が三十一文字の歌を詠んだ、その歌は、八雲立つ出雲八重垣妻籠めに八重垣造るその八重垣を である、とされて、スサノオ命は和歌の祖とされています。他方、人麻呂は歌聖とされていまのすで、そうした事から、二人を関係づけたとも考えられます。しかしいずれにせよ、清少納言は、どうせ神話の事など宮中の者は知りはしないのだろうからと、あなどって書いたのではないかとも考えられなくもありませんが、そううだとしたら愚かな事です。というのも、紫式部は一条天皇から『日本紀の人』とあだ名された程の知識人ですから何もかも知っていたのですよ。こうした事からしても紫式部の目には清少納言という女房は出過ぎた愚か者にしか見えなかったのでしょう」
「・・・」
「いやそうではなく、スサノオは神話の人物、人麻呂は古代の歌人と承知していて、しかも同時代人であるかのごとくに扱っているとしたら、それは彼女の創作ということになりますが、ではなぜそのような創作をしたのかという意図がわかりません」
「皆目理解できません」
「なにはともあれ、この女房の特質は見聞きしたことをずばりと思ったまま書いてしまう。そして誰かが非難したりすると開き直って、『上手な人が歌を詠んでも、ものの分からぬ人はあれこれと難癖をつけるものだ。みんながおいしいといって食べるアヒルの卵を食わない者もあるのだから、人はいろいろあるものなのです。とにもかくにも世の中にはをかしい事が数えきれぬほどあるのを私は見過ごしてはおけないからこうして書き記すのですよ』などと言い張るのですから、こうした態度がまったく憎らしいと反感を買うのですが、ではひとえに愚かで憎らしいばかりかといえば、そうとばかりは言えないのが曲者ですよ。というのも、よほど優れた者でも何気なく見過ごしてしまう事をまるでうぶな少女のような眼差しでじっと見つめたり、夜の男女の秘め事をどこまでも露わに、それでいて嫌みがないように書き綴るその筆の冴えは常人ではとても及びも付きません」
「・・・」
「たとえば百段の・・・〈ささいな事に女が腹を立てて、一つ夜具にも寝ないで、身じろぎして夜具から出てしまうのを、男がそっと引き寄せるのだけれど、どうしようもなく強情になって思うようにならないので男も『それならあなたの良いように勝手にしなさい』と恨み言を言って夜具に臥して寝てしまうと、女はどこまでも意地を張って単衣物をかぶっているのだけれど、他の人たちはみな寝てしまったので、さすがに起きてもいられなくなって、女はいまいましくなって、『こんな事になるのなら、この人はさっさと出て行けばよかったのよ』などと思いながら臥していると、奥の方から怪しい物音などがして恐ろしくなって、そっと男の方に寄り添って、夜具を引き上げて中に入ろうとすると、男は寝たふりをしているのは、なんともいまいましい事だ〉・・・また『暁に帰る人』という段ですが、女のもとから帰る時に、〈昨夜訪ねて来た時に持ってきた扇やふところ紙がなくなったといって探す時に、まだ暗いので手探りであちらこちらとたたき回ったり、これは変だ、どこにもないぞ、変だへんだ、などと言いながらそれでもようやっと探り当てて、紙を懐の中に音を立てて押し込んで、安心したとばかりに扇を広げてふたふたと煽ぎながら、別れの挨拶をするのは、世間一通りの表現ではとても言い足りないほど愛嬌がない事だ・・・というようなカ所は何とも真実に迫っていて、その男女の顔や動作がありありと目に浮かぶようです・・・こうした事は清少納言自身が経験した事でもありましょうし、当時の宮廷ではよく見られた事なのでしょうから、この書物が書き記された頃には、『これは私の事を言っているのだわ』、などと思った者も必ず居たはずです」
「・・・」
「『源氏物語』を読んでいるとなにやら雲の上の人ばかりが宮中に住んでいるような気になりがちですが、『枕草子』に目を移すと同じ宮中が急に人間臭くなるのですから、こうした二つの作品が同時に書き記されていたということは、たとえようもなく面白いことですし、他の時代にはまったくみられない『をかし』なことであると思いますよ」

第62番目のものがたり 「行成」)

「どうしても分からないのは、あなた様の前に来ると、私がまるで自分でないようになってしまう事なのです」と頭弁(とうのべん)の行成様が寝物語に申されるので、

「私の前の行成様こそが真実の行成様とばかり思っておりましたのに、それが自分でないと告白なされたとしたら、ほんとうの行成様はどこにお隠れなのでしょうか」と囁くと、

「ご存じの通り普段の私は臆病で、無口な上、愛想もなく、話しかけられてもろくな返事もできません。他の女房たちがどれほど私を嫌い、口を極めてこき下ろしているかよくよくご存じでしょう・・・昨日なども黒殿を通りかかりましたら、中の女房たちが『頭弁はまるで木石だわ。他の方々はこちらに入る時には来たぞ、といわんばかりに足音を立てたり、読経をしながら歩いたりするのに、あの方はむっつりと黙って、読経もせず、和歌も詠わず、世の中は何一つ面白い事はない、興ざめだというような顔をしておいでになる。どうしてあのような方が頭弁などになられたのかわかりませぬ、などとさんざんに貶すのです」と嘆くので、

「それはあなたも悪いのですよ。いつでしたか宿直所でみなさまとお話していた時、『女の顔をそのようにあれこれと難しく考えるのはどうでしょうか。私が考えますに、どのような女でも、目が縦についていたり、眉が額全体にぼさぼさに生えたり、鼻が口と平行して横になっていたりしても、言葉に愛嬌があって、声がきれいな人ならかまわないと思いますよ』などと申されましたのでたちまち宮中で評判となって、『女は目が縦についていても頭弁さまなら愛してくださるようよ』などと騒いでおりましたよ。少しは愛想の良いことも言わなければ評判が悪くなるのも当然なのです」

「そうでしょうか。私は正直に言ったまでです。他の女に好きになってもらえずとも、あなたと親しくしていられさえすればかまわないのです。あなたほど私を楽しくさせて下さるお方はありませんから」

「それはありがたいお話ですけれど、私たち二人が『とほたあふみの浜柳』などと囃されているのをご承知なのですか」

「承知しておりますよ。その句は、霰降り遠つあふみのあと川柳苅れどもまたも生ふとふあと川柳 という万葉集から来ているのでしょうが、つめたく吹き付ける風が二本の川柳をいくら引き離そうともすぐにまた逢おうとするし、刈り取ってもすぐに生えてまた逢う、そんな川柳なのですから、その浜柳に喩えられるのならうれしいかぎりなのですよ」

「そこまで頭弁さまが私を想って下さるとはほんとうにありがたいと思っております・・・でも行成様はなぜこの私をそれほど気に入って下さいましたの?」

「なぜと訊かれても困りますが、きっと育ちが関係しているのでしょう」

「育ち?」

「私は父と幼い時に死に別れたせいかとても臆病になりました。ご承知の通り、私の祖父は私を猶子にして育ててくれましたが、私が幼いときに亡くなりますと、満開の花の山に冬の木枯らしが吹き付けたかのように何もかもが変わってしまい、私の一家は枯れ木の中に呆然と立っていたのですが、そこにまた病魔が襲って、父・義孝は二十三で亡くなりましたので、みな動顛していたのです。そこへ祖母の夢枕に死んだばかりの父が立って、黄泉の国に行く途中詠んだという恐ろしい和歌を詠みましたので、それから私は『父は地獄に行ったに違いない、だからあのような歌を死んで後まで詠ったのだ』と思って、いつもその事に悩まされて心が安まる時がなかったのです・・・ところがあなたの文章を初めて見たとき、ハッとして目が覚めました」

「何をごらんになられたのですか」

「百七十段の『近くて遠きもの』ですよ・・・『宮のべの祭り』というところです。この祭りについては幾度も聞いてはおりましたが暮れと正月に行なわれるので見に行くことはできません。けれどあなたの文章を見て、なるほどと感心しておりましたら、次の段に『思わぬはらから』とあるのを見てドキリとしました。養父の謙徳公は兄弟に兼通・兼家・為光・公季があり、みな太政大臣になりましたが、養父の死後、誰も私たち一家に手を差し伸べて下さった方はおりませんでした。兄弟親族ほど近くて遠いものはないと、つくづくと思い知らされていました時にあなた様の文章を読みましたら、一言で片付けておりますので、心がすっきりとしました。そこで次の百七十一段に目を移しますと、

『遠くて近きもの 極楽。舟の道。男女の仲』とある。

 極楽は十万億土の彼方にあると聞いておりましたし、父があのような歌を残しましたので、地獄こそ身近にあり、極楽は遠いと思っていたのです。ところがあなたは、極楽は近くにあると言う・・・私は無性にうれしくなり、もしかしたら父は地獄ではなく、極楽へおいでになったのではないかとふとそう思ったのです。ところがこれに続いて『遠くて近きものは、男女の仲』とある。これを見たとき、これは嘘だなと思いました」

「なぜ嘘だと思ったのですの」

「・・・父が疱瘡で倒れますと、母は実家に戻ってそれきり縁が絶えました。それから私は男女の仲を信じられなくなりましたが、果たして世間で見聞きする男女の話はみな面白くないものでしたので、男女ほど近くて遠い仲はないと思うようになってしまったのです」

「ああ、そうした事があったので、女は優しければ、目が縦についていても良いのだと考えるようになったのですね」

「私の母は病んで死にかけている父を見捨てて実家に戻ってしまったのですから、夫婦も男女の仲も、限りなく遠いものなのだと思いこんでしまったのです。そうした時に『男女の仲は遠くて近い』という一節を見たので、あなたは嘘を言っているとしか思えなかったのです。ところがふとしたことからあなたと親しくなりましたら、無口だった私が急に饒舌になって、あなたともこんなに近しい間柄になっている。ほんとうにあなたの言葉の真実には驚くばかりです」

 行成がこう言うのを聞いて清少納言は、

「あなたは『遠くて近きもの 極楽』という私の文章を読んで、お父上の極楽往生を信じるようになったとおっしゃられましたが、そのようにお思いなら、お父上が黄泉路で詠んだというあの和歌をほんとうの歌に変えてしまえばもっとすっきりいたしましょう」

「それはどのような意味でしようか」

「お母様が夢で黄泉路をたどっている義孝様から訊いた和歌は、

   しかばかり契りしものを渡り川

かへるほどには忘るべしやは 

というものでしたが、お父上はもう極楽へ参られているのですから、実はこうお詠いになられているのではないかと思います」 

そう言って清少納言が詠んだ和歌は、

   しかばかり契りしものを天の川

かへるほどには忘るべしやは

(必ず戻るから忘れないで欲しい、と頼んで、誓い合ったのだから、年に一度、極楽の天の川から戻って来る、その間に、約束を忘れてしまうようなことは決してありませんよね)

 彼女が詠うと、行成は、 「そうですとも、きっとそうです。そうですとも」と叫ぶように言って、彼女を胸に抱きしめたのだった。