百人一首ものがたり 60番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 60番目のものがたり「蛍篭」

大江(おほえ)山 いく野の道の 遠(とほ)ければ
まだふみもみず 天の橋立

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 定家が冊子に小式部内侍のことを書き記しているのを見て、心寂坊は、「中納言様は藤原俊成という偉大なお父上をお持ちになって、幼い頃から歌人として大成なされるのを期待されておられましたから、和泉式部という母を持った小式部内侍の気持ちもよくよくお分かりになられるのではありますまいか」と述べると、

「いいや、私は両親と生涯密接な関係にありましたが、小式部内侍はまるで違います。和泉式部が和泉守の橘道貞との間に生まれましたが、小式部と両親との縁はとても薄いものでした。なにしろ和泉式部は橘通貞と別れ、宮廷に入ると為尊親王の愛人となり、親王が二十六歳で夭折すると同母弟の敦道親王と熱烈な恋に落ちて都人の耳目を一身に集めたのですからね。『和泉式部日記』はこの頃の出来事を書き記したものですが、この親王も亡くなると、道長の家司の藤原保昌と再婚して丹後に下りました。ですから、小式部内侍は母親の和泉式部と共に過ごした時期はすこぶる短かったと思われますが、小式部に先立たれた時にはさすがに悲しみに打ちのめされて、哀傷歌をいくつも残しています。

内侍のうせたるころ、雪の降りてきえぬれば

などて君むなしき空に消えにけむ

あは雪だにもふればふるよに

(どうしてあなたはむなしい空に消えてしまったのでしょう。淡雪は消えてもまた降ってくるように、人は辛い世の中でもどうにか生きていますのに、あなたはなぜ)」

第60番目のものがたり 「蛍篭」 )

 局のしとしみ戸を上げて遅咲きの御殿の桜を眺めていると、使いの者が文を持ってきた。どなたかしらと見ると中宮権亮藤原定頼とある。

  あだに散る花の夏までにほふかな

空の野風ぞのどけかるらし

(桜の花ははかなく散ってしまいますけれど、今年はもうすぐ夏になろうかという時まで咲き匂っております。空を吹く野の風がよほどのどかなのでしょうね。ちょうどそのように、あなたさまもまるでこの世の花のように美しい。聞くところによれば、あなたさまはすでに御堂関白道長様の御次男頼宗様と愛を交わされ、しかも今はその弟君教道様と懇ろになっておられるそうですけれど、その美しさはあだになるどころかますます輝いて、その香りが夏の装い成った内裏の中に匂い立っています。よほどあなた様は殿方の愛を受けて満足なされておいでなのでしょうね、できることなら、お母上の和泉式部にも負けないあなたさまのその麗しい香りのお裾分けにでもあずかりたいものです)

 小式部は歌を返した。

 九重のうちをば春の過ぎがてに

残れる花をのどけくぞ見る

(空の奥には九つの美しい天が無限に重なって広がっていると聞いておりますが、この九重の内裏には九天にも負けぬ美しい世界がのびやかにひろがっております。その内裏の咲く桜の花は、あまりにも居心地がよろしいので、散るに散れずにいつまでも散り残って咲いているのです。でも中宮妍子様の御殿に出入りなさっておられる定頼様は、源頼光様のご息女の相模様や紫式部のご息女大弐三位様というまたとない花を愛でられておいでなのですから、こちらの花をご鑑賞なさるお暇など少しもないのだろうと思っておりましたわ、私などもう残り花とも言えないほどに春過ぎてしまいましたもの、あなたの袂に香りをお寄せすることなどとてもできませんのよ)

 定頼はこれを見て歌を返した。

 花の色なほ匂ひけり春過ぐと

心の限りなに惜しみけん

(なにをおっしゃるのでしょうか。あなた様はこの内裏に集うどのような花よりも華やかに匂い立っていらっしゃる。春が過ぎてしまったなどとそのようなことがどうしてありましょうか。また私もうかつにもあなた様がどなたかに心を移してしまったので、あの美しい春はもう過ぎてしまったとひたすら惜しんでいたのですが、このようなご縁ができたのですから、思い切ってその香りの元に通ってみたいとも願っているのです)  

 小式部は歌を受け取って悪い気はしなかったのだけれど、

「定頼様は色好みで危ういお方ともっぱらの噂だから近づかないのに限るわ」と思って返歌もしなかった。すると同じ月の物忌みの日に、美しい籠が定頼から届いた。見ると、目を見張るばかりの金銀の蝶と、色紙で作った撫子が入っている。金の蝶は籠の上から糸でつるして空中に浮き、銀の蝶は撫子にとまって密を吸っている。

 このようなものをどのようにしてこしらえたのかしらとつくづくと見ていると、撫子の根元に文がある。

 こちこてふことを聞かばや常夏の

匂ひことなるあたりにもゐん

(蝶々がこちょうと呼ばれているように、こちらへおいでなさい、という言葉をお聞きしたいものですね。撫子の花はとこなつの花とよばれていますけれど、情愛の深いあなたさまでございますから、撫子の花の床よりもひときわ異なる味わいを放っておいでなのでしょう、その床のあたりに是非ともお伺いしたいものです)

 「まあ、なんとあけすけなことをおっしゃる方かしら、これが大納言公任さまの御曹司とは」小式部はあきれて返歌もしなかった。ところがそれから少しして、とんでもないことが起こった。小式部には今の愛人が出来る前に御堂関白道長の次男・頼宗と弟の教道兄弟が同時に小式部に言い寄って、それぞれ、自分こそ小式部の心を射止めたと信じていたのだが、ある日兄の頼宗は弟と小式部が一通りではない仲になっているのを知って、ひどく恨んで、小式部の局の柱に歌を貼り付けたのである。その歌というのは、

 人知らでねたさもねたし紫の

ねずりの衣うはぎにもせん

(人に知られずにあなたと共寝をしたいものだといつも思っていたのに、何ということだ、こともあろうに、我が弟の教道にそなたを寝取られてしまったとは。ねたましいと恨んでも、この心がどうして晴れようか。小式部と私とは紫のねずりの衣のように互いに忍びながら恋を語るまたとない間であったのに、こうなったら、忍んでいたときのことを何もかも言いふらして、表には着てはいけない紫のねずりの衣をこれみよがしに着てやろうか。悔しいことだ)

 たちまち内裏中の大評判となった。

『小式部内侍の母の和泉式部は兄・為尊親王と弟・敦道親王の二人を夫にしたけれど、娘の小式部も道長様の二人の兄弟を手玉に取るとは、さすがに母に似た浮かれ女であるよな』

 嵐のような醜聞に小式部は宮中を歩く事も憚られて、小式部はひと月もの間局に引きこもっていた。

そんなある日のこと、アケビの蔓で編んだ籠の中に穂が出始めたばかりの尾花と女郎花をいっぱいに飾って、歌を寄越したものがあった。誰かと見ると、定頼とある。

 尾花原入る野の牡鹿妻こふと

秋よりさきにねをのみぞなく

(秋になればすすきがいちめんに生い茂っている野原に分け入って牡鹿が恋しい妻を慕って鳴きますけれど、私はあなた恋しさに、秋にならぬうちから忍び泣きに泣いていますよ)

 笑いものになってしまったのだからもう誰も振り向いてくれなに違いないと打ちしおれていた時だったので、うれしく思っていると、夜遅くまた籠が届いて、中には松の皮でこしらえた蝉と、露草の葉にとまった本物の蛍が入っていた。

 昼は蝉よるは蛍と身をなして

    鳴きくらしては燃え明かすかな

(あなたを慕い思い続けていると、昼はこの身が蝉となって泣き暮らし、夜には蛍となって燃え明かしていることですよ)

 小式部は定頼の心根の麗しさにうっとりとして蛍の明かりに見とれていたが、いいえ、これは罠なのだわ。あの方は私がこんな境遇にあるのをよいことに誘惑しようとしているに違いない。浮気というだけならまだしも、どこか荒々しいものがあるような気がして恐ろしい。先頃のような事件を起こすのも、きっと心の中に何かが潜んでいるからなのだわ、とそう思って、返事もだしそびれた。

 先頃の事件というのは春日大社へ三条天皇が行幸なさる際、定頼は行司役の大役を担っていたが、ささいな事から定頼の従者と式部卿敦明親王の供人が争い、激しい乱闘となった事件である。定頼の従者は親王の供人をさんざんに打ち叩いたので瀕死の重傷を負った。敦明親王が三条天皇に事の次第を奏上すると、天皇は大いにお怒りになられ『犯人を直ちに捕らえよ』との宣旨をお出しになられた。定頼の従者たちはただちに捕縛された。ところがこれを聞いた道長は、『そんな必要は無い、釈放しろ』と命じて、天皇の宣旨を取り消させ、犯人を釈放したのである。臣下の反対によって宣旨が撤回されるという事態に陥ったので、天皇は大いに傷つき、朝廷は混乱した。

 事態か更に悪化したのは怪我人が死んでしまった事だった。こうなると道長も定頼を庇いきれなくなり、定頼は春日大社行幸の行司役を解任され、下手人は検非違使に逮捕された。こうした中、宮廷では左大臣道長の五十賀の祝賀の式をどのように執り行うかの相談が為された。式部卿である敦明親王はその座の中心に居た。ところがそこへ定頼が姿を現した。親王は供人を殺した張本人が突然現れたので怒り心頭に発して定頼を打擲しようとした。道長は激高して、罵詈雑言の限りを尽くして敦明親王をののしった。その剣幕に親王は無論の事、その場の者はみな顔色蒼白になってしまった。

 小式部はこうした出来事を耳にしていたので、定頼から露草の蛍が届いても、有り難いとも思えず、返歌を届ける気にもならなかったのである。

ぼんやりしていると、教通から『風邪を患って寂しく寝込んでいるが、そなたはどうしておられるだろうか』と文が届いた。小式部はすぐにでもお見舞いしなければと思ったけれど、人の目が恐ろしくて局を出る気持ちにはなれず、文も書けずにうつうつとしていると、夕暮れ時、思いがけなく教通がおいでになられた。

「常になく重い風邪をひいて辛かったものだから、見舞いに来てもらいたいと思って使いを出したのに、とうとう来てはくれなかったのですね」と泣きたそうな顔をするので、小式部は、

 死ぬばかり嘆きにこそは嘆きしか

    生きてとふべき身にしあらねば

(あなたさまが御病気とうかがい、死ぬほど心配して嘆き悲しんでおりましたが、この身はあのような噂が広まって、この世で生きてあなた様にお目にかかれるような此の身ではありませんので、ただ仏のご加護を祈ってこうしてここでご回復をお祈り申し上げていたのです)

 これを聞くと教道は小式部をかきいだいて「あのよう評判が立っているのは苦しいだろうが、この私も息が出来ないほどに苦しいのだよ。どうか今日こそ本心を聞かせてくれないか・・・そなたは兄よりも、この私を好いてくれるのだろうか」と尋ねるので、小式部は教道の汚れのない一途さに心打たれてしまったのだった。

 その夜、小式部が教通と袖を重ねて横になっていると、誰かが沓の音を忍ばせて戸口までやってきて戸をコトコトとたたく。いったい誰だろう・・息をするのも恐ろしい気がして肩をすぼめていると、取り次ぎの者が誰かとしきりに話をしている。やがてその者はあきらめたのか戸が閉まったが、未練を断ち切れない様子で、沓音は戸の前で二三度ぐるぐる巡りして、その足音がやけにコトリコトリと響く。

「外の足音はとても親しげな感じですが、あなたのもとに通う者ですか」と教通が訝しむので、小式部は、「どなたか他の女房のもとへ通う殿方が間違えたのではないでょうか」と蚊の啼くような声で答えた。

 局の外の男はいつまでもぐずぐずしていたが、やがて小声で法華経の方便品を澄んだ声で唱えながら遠ざかった。小式部はその声を聞いて、胸が苦しくなって、手枕をしていた教通がもしや胸の動悸を聞きつけるのではないかとドキドキして一睡もできなかった。

 それからひと月ほど後、御所の歌会が迫ったある夜、久しぶりで中宮妍子様のお部屋続きの間に控えていると、不意に定頼が目の前に現れた。冠に直衣をつけた姿があまりに艶めいているのでこの前の夜の足音を思い出していると、そばにいた女房が、

「定頼様はあなた様の局で左近衛大将と鉢合わせになったそうですね」と小声で笑った。あたりの女房たちもどっと笑ったので、小式部は胸の奥まで赤くなってしまった。定頼はそんな女房たちの話にも頓着なしに小式部に近寄って息が掛かる顔を寄せて、

「宮廷というところはなかなかに気苦労が多いものです。気になさらぬように。ただ、歌会は避けることはできませんからお覚悟が必要ですよ。何か良い秘策を和泉式部様から授けていただきましたか」とささやいた。幾度も贈り物を届けたのに、返しもよこさなかったので、少し思い知らせてやろうと思ったのである。小式部は定頼の思惑を察して黙っていたがやがて筆を取ると半紙にこんな和歌を書き付けたのだった。

 大江山いく野の通の遠ければ まだふみも見ず天橋立