百人一首ものがたり 56番
目次
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
百人一首ものがたり
- 百人一首ものがたり 100番 順徳院
- 百人一首ものがたり 10番 蝉丸
- 百人一首ものがたり 11番 参議篁
- 百人一首ものがたり 12番 僧正遍昭
- 百人一首ものがたり 13番 陽成院
- 百人一首ものがたり 14番 河原左大臣
- 百人一首ものがたり 15番 光孝天皇
- 百人一首ものがたり 16番 中納言行平
- 百人一首ものがたり 17番 在原業平朝臣
- 百人一首ものがたり 18番 藤原敏行朝臣
- 百人一首ものがたり 19番 伊勢
- 百人一首ものがたり 1番 天智天皇
- 百人一首ものがたり 20番 元吉親王
- 百人一首ものがたり 21番 素性法師
- 百人一首ものがたり 22番 文屋 康秀
- 百人一首ものがたり 23番 大江千里
- 百人一首ものがたり 24番 菅家
- 百人一首ものがたり 25番 三条右大臣
- 百人一首ものがたり 26番 貞信公
- 百人一首ものがたり 27番 中納言兼輔
- 百人一首ものがたり 28番 源宗于
- 百人一首ものがたり 29番 凡河内躬恒
- 百人一首ものがたり 30番 壬生忠岑
- 百人一首ものがたり 31番 坂上 是則
- 百人一首ものがたり 32番 春道列樹
- 百人一首ものがたり 33番 紀友則
- 百人一首ものがたり 34番 藤原興風
- 百人一首ものがたり 35番 紀貫之
- 百人一首ものがたり 36番 清原深養父
- 百人一首ものがたり 37番 文屋朝康
- 百人一首ものがたり 38番 右近
- 百人一首ものがたり 39番 参議等
- 百人一首ものがたり 40番 平兼盛
- 百人一首ものがたり 41番 壬生忠見
- 百人一首ものがたり 42番 清原元輔
- 百人一首ものがたり 43番 権中納言敦忠
- 百人一首ものがたり 44番 中納言朝忠
- 百人一首ものがたり 45番 謙徳公
- 百人一首ものがたり 46番 曽禰好忠
- 百人一首ものがたり 47番 恵慶法師
- 百人一首ものがたり 48番 源重之
- 百人一首ものがたり 49番 大中臣能宣朝臣
- 百人一首ものがたり 50番 藤原義孝
- 百人一首ものがたり 51番 藤原実方朝臣
- 百人一首ものがたり 52番 藤原道信朝臣
- 百人一首ものがたり 53番 右大将道綱母
- 百人一首ものがたり 54番 儀同三司母
- 百人一首ものがたり 55番 大納言(藤原)公任
- 百人一首ものがたり 56番 和泉式部
- 百人一首ものがたり 57番 紫式部
- 百人一首ものがたり 58番 大弐三位
- 百人一首ものがたり 59番 赤染衛門
- 百人一首ものがたり 60番 小式部内侍
- 百人一首ものがたり 61番 伊勢大輔
- 百人一首ものがたり 62番 清少納言
- 百人一首ものがたり 63番 左京大夫(藤原)道雅
- 百人一首ものがたり 64番 権中納言定頼
- 百人一首ものがたり 65番 相模
- 百人一首ものがたり 66番 大僧正行尊
- 百人一首ものがたり 67番 周防内侍
- 百人一首ものがたり 68番 三条院
- 百人一首ものがたり 69番 能因法師
- 百人一首ものがたり 70番 良暹法師
- 百人一首ものがたり 71番 大納言経信
- 百人一首ものがたり 72番 祐子内親王家紀伊
- 百人一首ものがたり 73番 権中納言匡房
- 百人一首ものがたり 74番 源俊頼朝臣
- 百人一首ものがたり 75番 藤原基俊
- 百人一首ものがたり 76番 法性寺入道前関白太政大臣
- 百人一首ものがたり 77番 崇徳院
- 百人一首ものがたり 78番 源兼昌
- 百人一首ものがたり 79番 左京大夫顕輔
- 百人一首ものがたり 80番 待賢門院堀河
- 百人一首ものがたり 81番 後徳大寺左大臣(藤原実定)
- 百人一首ものがたり 82番 道因法師
- 百人一首ものがたり 83番 皇太后宮大夫(藤原)俊成
- 百人一首ものがたり 84番 藤原清輔朝臣
- 百人一首ものがたり 85番 俊恵法師
- 百人一首ものがたり 86番 西行法師
- 百人一首ものがたり 87番 寂蓮法師
- 百人一首ものがたり 88番 皇嘉門院別当
- 百人一首ものがたり 89番 式子内親王
- 百人一首ものがたり 90番 殷富門院大輔
- 百人一首ものがたり 91番 後京極摂政前太政大臣
- 百人一首ものがたり 92番 二条院讃岐
- 百人一首ものがたり 93番 鎌倉右大臣
- 百人一首ものがたり 94番 参議雅経
- 百人一首ものがたり 95番 前大僧正慈円
- 百人一首ものがたり 96番 入道前太政大臣
- 百人一首ものがたり 97番 権中納言定家
- 百人一首ものがたり 98番 従二位家隆
- 百人一首ものがたり 99番 後鳥羽院
- 百人一首ものがたり 2番 持統天皇
- 百人一首ものがたり 3番 柿本人麻呂
- 百人一首ものがたり 4番 山部赤人
- 百人一首ものがたり 5番 猿丸太夫
- 百人一首ものがたり 6番 大伴家持
- 百人一首ものがたり 7番 阿倍仲麻呂
- 百人一首ものがたり 8番 喜撰法師
- 百人一首ものがたり 9番 小野小町
小倉庵にて 権中納言藤原定家と主治医・心寂坊の対話
床の上には八つほどの草稿が紙縒で綴じられている。表紙には小さな文字で、
「和泉式部」
「紫式部」
「大弐三位」
「赤染衛門」
「小式部内侍」
「伊勢大輔」
「清少納言」
「相模」
「このような女房方がこの世に居たというのが不思議でございます」心寂房がため息をつくと、定家は、
「これをごらんなさい」と一枚の半紙を床に広げた。
長和三年二月 内裏炎上
三月 三条天皇の目がご不自由となる
長和四年九月 内裏の新造成り、天皇、内裏に入る
十一月 内裏炎上。
長和五年一月 三条天皇譲位。敦成親王践祚・後一条天皇
七月 道長の土御門邸焼亡
寛仁元年五月 道長の邸より金銀数千両が盗まれる
「これは・・・」
「どのような意味があるのかと問いたげなお顔ですが、一目見て、いぶかしく思うでしょうね」
「・・内裏炎上が二度も続き、道長の屋敷までが焼けたとは・・・何事かと・・・」
「ご承知の通り、この時代は道長の全盛期でした。
この世をばわが世とぞ思ふ望月の
欠けたることのなしと思へば
道長のおごり高ぶりは極点に達し、天皇の存在は月の影ほどに薄いものでした。すべては道長の意のままであったと申しても過言ではありません。しかしこの時代が他の世とまったく異なっているのは、ここにある冊子の通り、傑出した女性たちが群れ集い、それぞれに作品を残したという事です。私はこれからそれぞれの女性たちを書き記そうと思っています。そしてまず第一に取り上げたのが、この女性です」
「・・・和泉式部・・・」
「心寂坊殿はこの方についてどのような事 をご存じですか」
「私は時々患者に、これはどのような薬ですか、とか、どのようなわけで効果があるのですか、などと質問されることがありますが、実に困惑します。というのも、知識というものは系統的に知っていてはじめて部分が理解できるのですが、素人は、部分的にあれこれと調べて、さも大変な知識を知っていると錯覚したりいたします。そうした次第ですから、私は医学のなんたるかを学びはいたしましたが、和歌の道については何も知りません。和泉式部につきましても、素人なら誰でも知っていることを聞きかじっただけに過ぎませんから、中納言様に申し上げるような事は何もないも同然です」
「心寂坊殿、今日はずいぶんと不機嫌なご様子ですね」
「いいえ、そのようなことは・・・しかし、あまりにも中納言様が私をからかうようなご質問をなさるので、いささか戸惑っております」
「では、もう何も聞かずに、勝手におしゃべりすることにいたしましょう。このように冊子を並べてみますと、なんとも心豊かになり、我が身もこの時代に生まれていたらどれほど夢のように生きることができただろうかと夢想しがちですが、人というものはどのような世にあっても苦しみがないということはありません。今の世とこの世と比べようもないことは確かですが、人間と四苦八苦とが無縁になることはないのです。たとえば、この和泉式部などは二人の親王と恋におちて浮き名を流した女ですから王朝の栄華をその身に体現してみせた女性ともいえますが、彼女の和歌を見ると、そこには奈落の闇のような苦しみが歌われています」
「・・・」
「彼女が最後に夫とした藤原保昌は大納言藤原元方の孫で正四位に昇った殿上人でしたが常の公家ではなく、世に「道長四天王」の一人と恐れられていた男です。四天王というのは、平維衡(たいら の これひら)。平致頼(たいらのむねより)。源頼信。藤原保昌の四人です。平維衡は平将門と戦って破れた平貞盛の息子で、この子孫から平清盛が出たのです」
「清盛の祖先は道長四天王の一人だったのですか」
「心寂房殿、驚くには早すぎます。というのも源頼信は源満仲の息子ですが、頼信の孫に八幡太郎義家が出て、義家の曾孫が源頼朝ですから、道長四天王の一人・頼信は頼朝の直系の先祖ということになります」
「頼朝が・・道長四天王の末孫・・・」
「そうですとも。道長は後の世の源平合戦の種を蒔いていたのです。平致頼にしても後に平維衡と伊勢国神郡を争って合戦し、隠岐の島に流された剛の者でしたから、道長は化け物よりも恐ろしい者どもを子飼いにしていたということができましょう」
「何のためにそれほど恐ろしい武人を側に置いたのでしょうか」
「無論己の権力を強固にするためですよ」
「まさか・・・天皇家が近衛兵さえ持とうとしなかったというのに、道長は私兵によって権力を守ろうとしたのですか」
「驚くことはありません。道長は兼家の息子ですからね。権力維持のためには何事にも躊躇しなかったのです。『大鏡』には道長がどういう人物だったかあれこれと記されていますが、こんな話が記されています。道長の父兼家には従兄弟の頼忠があり、息子の公任は若い頃から抜きん出た才能を開花させて耳目を奪っておりましたので、兼家は公任の才能を羨んで、息子たちを前に置いて、
「そなたたちが公任に遠く及ばないことは明らかだ。残念ながら公任の影を踏むこともできまい」と慨嘆すると、嫡男の道隆と次男の道兼は言葉もありませんでしたが道長は、
「影を踏むことはできないでしょうが、その面を踏んでやりましょう」と答えたのです。和歌・漢詩では公任に遠く及ばないにしても打ち負かす手段はいくらでもあると知っていたのでしょう」
「・・・」 「何はともあれ和泉式部の夫は道長四天王の一人だったという事は事実なのです。そうした事に配慮すれば、彼女を理解するのには『和泉式部日記』だけでは十分ではないということがお分かりになりましょう」
第56番目のものがたり 「袴垂保輔」
保昌の訪れはいつも不意だった。幾日も姿を見せなかったかと思えば突然何の前触れもなく現れて式部を驚かせた。中宮彰子の後宮を離れて保昌の妻となってからはそうした暮らしも仕方がないと諦めてはいるもののやる瀬ない思いはどうしようもなかった。そんなある日の夕暮れ、寂しさを紛らわせようと和歌を書いていると紙燭の火影に男の影が映った。
「そなたは誰」
「声を荒げませぬように。兄も当分は戻りませぬからな」
「兄とは、何の話です」
「私の兄、藤原保昌のことでござる」
式部が驚いていると男は御簾近くに顔を寄せて、
「兄から何か聞いておられませんでしたか?弟の話を。右兵衛尉・正五位下保輔はこれこれの男であると・・・それとも私を恥じて何の話もしなかったのでござりましょうか」
「何を言っておられるのか少しも分かりませぬ」
「そうすげなくされては困惑いたしますが、私の名は藤原保輔。神掛けて保昌の弟にござります。世間に生きている間は右兵衛尉・正五位下の地位にござりました」
「・・・生きている間とは、では・・・そなたは亡霊・・・」
「世間に生きぬからといって亡霊とは限りません」
「・・・」
「世間では私が強盗の罪で検非違使に捕らえられ、永延二年獄死したとの噂が立ったようですが、死んだということになれば追っ手に悩まされることもありませんから、それを良いことにひと目の届かぬ闇の中でのうのうと過ごしていたのです。ところが近頃兄の藤原保昌が御堂関白道長から『浮かれ女』と評された女をいただいて妻にしたと聞きましたので、さてさてそれは前代未聞の晴れの出来事、早速に義理の姉殿にご挨拶せねばと、斯様に存じお伺いした次第でこざるよ」
こう言って男は懐から包みを解いて床に置いた。目もくらむばかりの金銀の山である。
「・・・何の真似をなさるおつもりです」
「私から、心ばかりの祝金でござります」
「・・・」
「ご心配なさりますな。この黄金はやましいものではありませぬ・・・先頃、道長の家から金二千両が盗まれました。この黄金は、その一部でござります。即ち、私が道長から盗み取った黄金でござりまするよ」
「何と!」
「まずは驚かずにお聞きあれ・・・和泉式部の義理の弟、藤原保輔は既に死にました。ここにいるのはその名を都に知らぬ者のなき盗賊の頭、袴垂保輔なのです」
「・・・」
「あなた様は、和泉守橘道貞殿と別れて後、為尊親王と恋仲になり、親王逝去の後は弟君、敦道親王の寵愛を受けて南院に入って栄花を極められた。そしてまたも敦道親王に先立たれると道長の娘、彰子に仕え、道長の肝入りで、左馬権守藤原保昌、即ち私の兄と夫婦となった、そうでしたね」
「・・・」
「兄保昌は道長の覚えめでたく、『相府の一子の如し』と公卿たちさえ畏れるほど重用されておりますので姉上さまも、今の位は四位と低くとも、道長様が後ろ盾に下さっているからにはやがて公卿にもなるであろうと期待しているでありましょう。しかし姉上は、夫・保昌に弟があり、天下にその名を轟かす悪党であろうとは、よもや夢にも思わなかったのではありますまいか」
「そのような話、どうして信じられましょうか」
「信じようと信じまいと、これが嘘偽りのない真実でござる。無論、我が祖先は名家でござります。今をときめく藤原北家と肩を並べていた時もござりました。ところが曾祖父、藤原菅根が文章博士であった時、不運が生じました。道真公の事件です。曾祖父は時平より相談を受け、道真の太宰府左遷を強弁に論じました。時平はこれを容れ、道真公を太宰府に流しました。ところがそれが祟って怨霊にとりつかれ、頓死したのです・・・しかし曾祖父菅根も、まさか己の末裔に、保輔のような盗賊が出ようとは想像もしていなかった事でしょうよ」
「・・・」
「道真公の怨念が、袴垂保輔という罪人を送り出して復讐しているのです。菅根も黄泉の国で愕然としておりましょう」
式部は震えながら目の前の男を見つめた。鋭い眼差し、太い眉、大きな鼻、厚い唇・・・夫に生き写しではないか・・・。
「なにやらお考えのご様子・・・いかなる事をお考えになっておいでですか」
「・・・考えてはいけませんか」
「さすがは姉上、驚きました。世の者は袴垂保輔とその名を聞いただけで腰が抜けるものを、我が姉、和泉式部は眉も動かさずにお考えになっておられる。この目の前の男は何者なのかと。そうではありませんか」
「・・・いかにもその通り・・・そなたが弟を名乗るなら、私の問に答えていただかねばなりません。よろしいですか」
「何なりとお答えいたしましょう」
「ではお尋ねいたしますが、そなたは何故に盗賊などになったのですか。右兵衛尉の地位にあった者が何故盗賊になり果てたのです?理由をお聞かせ下さい」式部がこう訊くと保輔は即座に、
「道長が憎い・・・それだけでござる」
「御堂関白道長様を憎んでいるとは・・・何ゆえ」
「決まって居ります。彼奴とその一族は国の宝の百のうち五十を取り、残る宝の三十を公卿と殿上人が取り、国守受領どもが残りを取り、そのわずかな残り滓を庶民が浅ましく奪い合い露命をつないでいる・・・保輔が盗賊であるなら、道長は保輔を万倍した大盗人と申せましょう」
「ではそなたは道長様に代わって新しい国を建ようとでも考えているのですか」
「国を建てる?何を愚かな。姉上。この国には帝が居られます。朝廷があり、国法がござります。神仏も居られます。私はそれらを重んじまする。重んじねば道長のような者がはびこり、国は滅びまする」
「私にはそなたの言う事がまるで分かりませぬ。国の法を破り、悪事を為している盗賊の首領が、国法や神仏を口にするとは」
「私は国に謀叛する気持ちはありません。ただ、道長が憎いばかりでござります。それ故二年前、私は道長の土御門弟を焼いてやり申した。思わぬ大火になって、法興院までも焼いたのは私の過ちでござりましたが、道長め、以前にも増して豪奢な邸を建てましたのでいずれまた焼かねばならぬと思案いたしております」
「道長様のお屋敷に火をかけたのはそなただったのですか」
「さようでございます」
「保昌様は、道長様の家司なのですよ。兄が仕える道長様の邸を弟が焼いたとは・・・正気ではありませぬ」
「無論私は正気とは申せませぬ。しかし私を狂気とののしりたいのなら、教えてくだされ。あれは誰の仕業でしたか」
「何のことでございますか」
「姉上は中宮彰子の女房として後宮で過ごされたのですから記憶しておられましょうが・・・長和三年二月九日深夜、帝の居られる内裏で火事が起こりました。火のないところから突然に火事が起きたのです。何者かが火をつけたに違いありません」
「・・・」
「次いで、翌年十一月十七日、またも、内裏で深夜の火事が起きた。この時も誰も火事の原因を突き止めることは出来なかった。あなた様はこれについて兄から何か聞いておりましょうな」
「何も聞いてはおりませぬ。ただ私は目のご不自由な三条の帝を女房たちとお守りして命がけで逃げたのです・・・そなたは、あの火事は誰かが故意に火を付けたというのですか」
「いかにも左様。しかし火事の話は後回しにするとして、確かめて置かねばならぬ事がござります。ご承知の通り、道長と三条の帝とは不仲であられた。三条の帝は娍子様を寵愛し、間もなく敦明親王が誕生した。道長はこれを不快に思った。というのも、娍子様は大納言、済時様のご息女ですからな。道長が面白かろうはずはありませぬ。その頃は姉上も御殿におられたのですから道長の顔は如何でござったか、ごらんになったでしょうな?」
「存じませぬ」
「いいや、ご存じの筈。というのも、道長は、三条帝がまだ東宮であられた頃、次女、妍子を後宮に入れ、帝位に就かれると、妍子は中宮になった。ところがその中宮をさしおいて、女御に過ぎぬ大納言の娘に親王が誕生したのですからな。そこで、道長は、長女、彰子が産んだ敦成親王をなんとしても皇位につけようと画策した。そうでありましょう」
「・・・」
「あなた様は彰子のもとに勤めておられたのですからよくよくご存じのはず。道長がどれほど陰険に、三条の帝に帝位を早く自分の孫に譲れと脅迫していたか、ご承知でありましょう」
「脅迫とはあまりにも強いお言葉。三条の帝は眼病を患われておられた。そのために、道長様はご退位を願ったのでしょう」
「さてそれはどうでござろうか・・・三条の帝は、眼病を患いながらも意志は極めて強いお方であった。帝は道長一族ばかりがはびこることに我慢がならず、大納言の娘、娍子を后にしようとされた。ところがどうです・・・立后の儀式がとり行われるその同じ日に、道長は自分の娘、妍子を実家の東三条邸から内裏へ参内させるという暴挙に及んだ。公卿どもは道長を恐れ、妍子のお供に加わろうと東三条邸に駆けつけ、そのため、立后の儀に出たのは、硬骨漢の小野宮実資と実資の兄の懐平、実資に恩義のある藤原隆家、娍子の兄の藤原通任の四人だけであった。皇后を立てるための儀式に、たった四人の公卿しか出席しなかったとは、これほど恥ずかしい出来事が日本の歴史にかつてあったであろうか・・・帝の目が極度に悪化したのは、道長から受けた数々の辱しめによる辛労のためであるとは誰もが承知している。ところが道長は眼病が重くなったのを幸い、執拗に譲位を迫った。これによってどれほど帝が心を病み、命を縮めたか、ご承知であろうな」
「・・・帝が御政務を執られるのは・・ご無理であったのは確かです」
「確かに目は不自由であられた。しかし帝は存外に心がお丈夫であられた。道長が幾度迫っても、譲位には頑として応じなかった。帝は、道長などには決して負けぬと、そう心に決めておられたのだ。道長は帝の強情さに手を焼いた。そこでどのような手を打ったか・・・それがあの大事件だ。内裏が火事になった。しかも二度も内裏が焼けた。あれほど厳重に火の取り締まりをしている内裏が、何故焼けたのか。姉上?不思議ではありませんか」
「あなたは、道長様が内裏を焼いたとおっしゃりたいのですか」
「でなくて、他の誰が内裏を焼くことができるのです。確かに小さな火事は頻々と起きている。女房が男のために衣類を盗み、証拠を消そうとして火を付けた事もある。だが、すぐに消し止められた。しかし長和三年の時の火災は大きな炎が一度に内裏を呑み尽くした。あれほどの火付けは並の者にはとてもできぬ仕業です」
「・・・」
「姉上、よくお考え下さい。あの火事で誰が最も得をしたでしょうか。もし道長が企んだのでないとすると、神仏が道長に手を貸したのでしょうか。というのも、この二度の火事によって、帝には徳がないと囁かれるようになり、公卿共も帝の譲位を強く願うようになったのですからな」
「信じられませぬ。道長様が内裏を焼いて帝の地位を奪おうと企んだとは・・・とても」
「信じようと信じまいと、全ては道長の思う通りになったのです。公卿共は帝の側には寄りつかなくなった。帝はやむなく道長の孫の敦成親王に譲位し後一条天皇が即位した。これを横暴と言わずして何と申したら良いのです?姉上は先ほど『国の法を破り、悪事を為す者に何が出来ようか』とおっしゃられたが道長はこの国を根こそぎ盗み取ろうと企んでいる。そしてあなたの夫保輔は悪事の手先を担っているのです」
「そんな恐ろしい話、もう聞きたくもありません」
「いいや、まだまだ聞かせねばならぬ事がありまするぞ」
「これ以上、私に何をおっしゃりたいのですか」
「忠告でござる」
「盗賊の忠告など、どうして聞くことができましょう」
「聞かねば、我が兄の本性がわかりませぬぞ、夫が何者であるかを知りたくはないのですか」
「・・・」
「道長が四天王の中でも兄を取り分けて重宝しているわけは何だとお思いか・・・陰の武力、これでござるよ。桓武天皇以降、我が国には軍兵がありません。嵯峨天皇の時に坂上田村麿が大軍を動かしたが、それは都の外の事。内には大した兵力はござらぬ。しかし清和天皇の後裔に源氏が現れ、源満仲の三人の子は優れた武人となった。頼光、頼親、頼信、彼らは頭脳も優れ、世渡りもうまく、莫大な富を蓄えている。彼らが一声掛ければたちまち数千の兵が集まりましょう。そこで道長は頼光を手なづけようと試みた。頼光はこれに応え、年々莫大な貢ぎ物をした。私が道長の邸を焼き払うと、頼光は邸の再建のため金銀を湯水のごとくに使い、調度品から装束、箒から皿小鉢に至るまで、大人数が数日かかっても運び切れぬほどの品々を、長々と行列を作らせて運び込み、都人を驚嘆させた。道長は大いに喜んだが、心の底では危うんだ。源氏はもともと藤原ではなく天皇家の末裔である。その源氏がこれほどの富を積み上げたとなれば、彼らを押さえる者がなくてはならぬ。道長はこう考え、姉上の夫、保昌を使うことにした。即ち、頼光と保昌は、敵でござるよ」
「・・・」
「しかも二人の確執は既に始まっておりますぞ。その証拠に姉上のよくご存じの女房の一人も、被害を受けております」
「誰のことですか」
「中宮定子のお気に入りだった女房、清少納言でござる」
「・・・清少納言が・・・」
「清少納言は実の兄が殺される場面を目撃したのです。清少納言には太宰将監到信、法師戒秀という二人の兄がありましたが、二人とも近頃殺されました。致信は理由無く位を剥奪され、暮らしにも困っていたので四天王の一人である保昌を頼りました。すると保昌は頼光の所行を密かに調べるよう致信に命じたのです。それを知った頼光は致信を襲わせました」
「・・・」
「私の配下の者の話では、清少納言はこの時致信の家に同居しておりました。中宮定子が亡くなって、宮仕えもできず、兄の家に転がり込んでいたのですが、頼光の命を受けた騎馬武者は致信の家の乱入し、たちまち致信の首をとって姿を消しました。清少納言は目の前で兄の首が落ちるのを見て狂乱し、それから言葉を失ったと聞いています」
「・・・」
「姉上が清少納言と同じ憂き目を見るとは思えませぬが、この先どのような闇が待ち受けているか、兄の妻であるかぎり何とも私には申せませぬ。くれぐれもご用心下され・・・しかしそれにしても、こうして紙燭の灯りであなた様の美しいお姿を眺めておりますと、どうしてもまたお目に掛かりたいという気持ちに駆られるのは男である限りいたしかたありません。この世で難しければ、せめて地獄で再びお会いしたいものでございます」
気がつくと、誰もいなかった。紙燭が文机の歌を照らしている。