百人一首ものがたり 51番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 51番目のものがたり「道股媛(みちまたのひめ)

かくとだに えやは伊吹の さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「このお方の歌を見ると私は必ず我が身の事を思い出すのです・・・もし実方殿がこうした目に遭わねばならぬのであれば、この定家もまた、隠岐へ配流されねばならぬと・・・そのようにも」

「隠岐へ流されるとなれば陰謀か謀反でござりましょう」

「まさかそれほどの大罪とはほど遠いものですが、今から思えば愚かな事をしたものです・・・その頃私は既に初学百首を詠み、父俊成にも歌才を認められ、やがて歌道を極めるのではないかと期待されておりました。それ故、私はまだ昇殿を許されない身でありながら宮廷第一の歌道の家であった六条季能の娘と結婚し、またある時は父に連れられて萱御所斎院(式子内親王)にお目に掛かって歌の話などもいたしました。まだ二十歳でしたから、なにもかもが夢のようで、カササギの橋を歩いているような心地がしたものです。賀茂重保殿の『月詣和歌集』に九首も入集し、翌年には正五位下に叙せられ、仙籍に列せられたのですから天にも上った気持ちでした・・・ところが私は事件を起こし、仙籍を剥奪されました」

「・・・」

「文治元年の暮れも近づいた十一月二十四日の夜のことでした・・・翌日の豊明の宴にそなえて殿中で準備をしておりました時、少将源雅行が近寄って来て、いきなり私の歌を貶したのです」

「それはまたどうしたわけでござりますか」

「恐らく殿上人に成り立ての私の歌の評判が高かったので面白くなかったのでしょう・・・少将は私の歌を二つ三つ早口で詠って、『このようなつまらぬ歌を詠むようではそなたの歌才は尽きたと見えまするな』と嘲りました。これを聞いた途端かっと頭に血が上り、手に持っていた大きな紙燭で少将の顔を力一杯撲りました。少将は撲られた顔を抑え、悲鳴を上げて逃げ出しましたので大騒ぎになり、帝は事の次第をお聞きになると激怒され、勅命によって私は謹慎の身となったのです。もしもそのまま勅勘が解かれぬとなれば死ぬより他に道はありません。

 父はすぐさま宮中に参内して八方奔走しましたが、許すとのお沙汰はなかなか出ず、年を越しましたので、一家は嘆きと涙の中に正月を過ごしました。ところが春になって父宛てに文が届きました。『藤原俊成の名に置いて左小弁藤原定長に嘆願書を差し出しなさい』とのお達しでした。

 父がどのような思いで嘆願書をしたためたかを思うと、涙なしには居られません。その文言を今でも覚えています」

 定家はそう言って筆を取り、俊成がしたためた嘆願書を一字一字確かめるように書き記した。

 

 先日所令申候拾遺定家仙籍事、尚此旨可然之様可令申入給之由存候也、且年少之輩各如戯遊事候、強不可及年月候歟、而年已及両年春又属三春了、愁緒難抑候者也。

 あしたづのくもぢまよひし年暮れて 

かすみをさへやへだてはつべき

不耐夜鶴之思、独件春鶯之鳴者也、且埀芳祭、可然之様御 奏聞所庶幾候也、恐惶謹言

 三月六日   釈阿申文

 謹上 左少弁殿

 藤原定長殿は次のような歌を届けて参りました。

 あしたづは雲井をさしてかへるなり

けふ大空のはるるけしきに

「謹慎が解かれ、朝廷への参内が許されたのです。父の嘆願が容れられなかったらあるいは実方殿同様、どこかの国をさ迷って野垂れ死にしていたかもしれません。そう思うと私には実方殿の件が他人事とは思えないのです」定家はそう述べると、巻紙をそっと開いたのだった。

第51番目のものがたり 「道股媛(みちまたのひめ)」 )

 東大寺再建勧進のために陸奥の国を訪れた西行は阿古耶の松を見ての後、笠松道祖神の前で亡くなった左近中将実方殿の墓を詣でようと、晩秋の野道を歩いていた。冷たい風の中を子ども達が謡いながら通って行く。

 オーイコラコラ雀っ子 雀の親分実方よ

 おめえは田んぼの米盗みゃ 

ババ様食えずにおっ死んだ

 おいらはおめえをつらめえて 

小憎いその首ピンと刎ね 

 羽をばむしって尾を切って 

俵さつめて 海の波 

 筏に乗せて鎮めるぞ 

オーイお山の枯れ薄 

 実方雀を隠すなよ

 隠せばおめえもちょん切るぞ

 雀の群れがバッと飛び立った。子どもらは歓声を上げて雀を追い駆けて行く。西行は子供らを見送ると、山道をどこまでも歩いた。左近中将実方殿は道祖神の前を下馬せずに通り過ぎようとして祟り殺されたが、恨み故に死にきれず、魂魄がこの世に残って雀となり、大群を率いて人々に害をなしていると噂されている。ある時実方雀は何千の群れとなって都を襲い、禁中の小盤所に入り込んで、五穀を残らず食い尽くしたので、人々は祟りを畏れて雀神社を建てたとも言う。実方が雀の亡霊となり祟りを為すなどということはあるまいに、死んで後まで害鳥になったと噂され、子どもにまで追い回されているかと思うと、西行の胸には実方の霊を慰めなくてはという思いがいよいよ強まるのだった。

 道祖神の社は深い森の中にあった。西行は薄が茫々と伸びている土饅頭に供物を供え、風に吹かれながら歌を詠んだ。

 朽ちもせぬその名ばかりを留め置きて枯野の薄形見にぞ見る 

 夕暮れの帳が松林を黒々と包んでいる。西行は立ち去りかねてあたりを歩き回った。と・・・松林の奥からかすかに聞き慣れぬ歌が聞こえてきた。

愛子(いとこ)やの我が引け往なば泣かじとは 

(なれ)は言ふとも()往く(ゆく)まじ 

(愛する(あいする)お前(おまえ)は私が別の女に会いに行っても、『泣いたりはしないわ』、と口では言っているが、心では泣いているのだろう・・・だから私は行くまい・・・どこへも行かぬぞ、いとしいお前を見捨てて往く事など決してあるものか) 

『いったい・・・誰の歌だろう・・・聞いたこともない調べだが』西行が訝しんでいると、今度は女の詠う声が聞こえた。

 蚕衾(むしぶすま)にこやが(した)にわが君を

玉手(たまて)さしまき股長(ももなが)に寝む

(絹織りの帳がふわふわと垂れるその下で、玉のように美しい私の腕をあなたの体に巻き付けて、足をのびのびと伸ばして寝ましょうよ)

『こんな妖しげな恋の歌は耳にした覚えがない・・・』西行が声のする方に近づいてゆくと、茅葺きの庵が見え、窓から男の歌が洩れてくる。 

 若草の(なれ)取り(とり)(よそ)ひし染め衣(ぞめころも)

()脱ぎ(ぬぎ)()ちていざ腿寝(ももね)せむ

(若草のように美しいおまえが染めてこしらえてくれた美しい衣だけれど、背から脱ぎ捨ててお前と腿を交わして寝をしよう)

 今度は若い女の声で、

 淡雪(あわゆき)(わか)やる(むね)栲綱(たくづく)

白き(しろき)(ただむき)玉手(たまて)さし()

(あわゆきのように柔らかな私のわかわかしい胸をあなたの体に添えましょう。玉のような私の腕を手枕にして下さいな)

 西行が心奪われていると中から「お入りなされ」と声がした。中に足を踏み入れると、見慣れぬ衣をまとった男女が座っていた。男は鳥の羽の色を染めたような青い衣を、女は麻衣を蓼で染めた朱色の衣をまとっていた。

 青い衣の男は、「こちらへお座りください」と勧めた。西行は夢の中をさ迷っているような心地がして、

「さきほどの歌は、いったいどなたの歌でござりましょう」と尋ねた。二人は微笑して、

「私たちの歌ですよ」

「しかし、これまで聞いた事もありません」

「そうでしょうとも・・・この歌は出雲の神の歌なのです」

「出雲の神・・・」

「白状いたしましょう・・・私は、大国主命の子孫、こちらはスセリヒメの末裔です」

 『まさか・・・』西行が戸惑っていると二人は笑った。

「私たちは出雲の神々に見えませんか」

「それは・・・しかしあなた方が普通の人でないことは分かります」

「思わぬ運命の成せる業です。運命に弄ばれてここに居るのです」

「運命に・・・」

「それはそうと、あなたは都の僧侶のようにお見受けしますが、何故遠い国の果てまでお出でになられたのです」

「私は一条天皇の勅命を受けて陸奥の国を訪れ、阿古耶の松の歌枕を見た後に、亡くなられた実方様の霊を弔いたいと思ってやって参ったのです」

「・・・実方の・・・実方の霊を弔うために」

「はい。実方様は道祖神に祟られて死んだと聞き及んでおりますので、せめてお心を慰めようと」

「そうでしたか・・・この世にそのように奇特な方がおいでとは・・・しかし、実方は、道祖神に祟られたのではありません」

「・・・祟られたのではない?世間にはそのように伝えられておりますが」

「伝説はともかく事実はそうではありません。私はご覧の通り、まだ死んではおりません」

「・・・死んではいない・・・それはどういう意味ですか」

「あなたの目の前にいるこの私こそ、外ならぬ藤原実方なのです」

「まさか・・・そんなことが・・・」

「信じようと信じまいと、私は藤原実方に相違ないのです。そしてこの私が道祖神に祟られて死んだとされている噂は真実ではないと申しているのですからこれより確かなことはありません」

「では、落馬の伝説は嘘でございますか」

「嘘ではない。確かに私は道祖神の社の前で落馬しました。しかしそれは道祖神の怒りのためではなかったのです」

「では、何故?」西行が思わずそう訊ねると、鮮やかな朱色の衣を纏った女が「私が実方様に抱きついて馬から引き下ろしたのです」

「馬から・・・あなたが・・・いったい、そういうあなたはどなたですか」

「私は出雲の道祖神の祖・道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)(むすめ)です。(ちち)イザナキ(いざなき)(さま)黄泉(よみ)(こく)から戻られて(もどられて)日向(ひむか)小門(おど)阿波岐原(あはきはら)禊ぎ(みそぎ)をなさった(とき)(おび)投げ捨てられた(なげすてられた)、その帯に成った神なのです。私は道祖神の娘として生まれ、道股媛(みちまたのひめ)と名付けられましたが、年頃になっても一人の恋人も出来ないので寂しい想いをしておりました。と申しますのも、出雲には大国主命とスセリヒメの恋物語を知らぬ者は一人もいなかったからでございます・・・八十神(やそがみ)たちに虐められ(いじめられ)殺されて(ころされて)黄泉(よみ)(くに)逃げて(にげて)きた大国主命はその(ころ)大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)という名でございましたが、その大穴牟遅神をひと目見て恋をして、スセリヒメは目合(まぐあひ)を為されました。父のスサノオのお許しもないままに。それで私はひそかに私にも大穴牟遅神が現れてくれまいかと、道又に立つ父の後ろに隠れて見張っていたのです。でも何百年たっても心にかなう男は一人も現れません。私は悲しさと恨みに堪えかねて『こんなことなら、この道を通る旅人を呪い殺してやる』と叫びました。これを聞いて父は怒って『お前のような者は私の娘ではない。国の果てに流してやるからそう思え』と言って、私を陸奥の国に流したのです」

「何と、父神があなたを陸奥の国へ流したのですか」

「・・・住み慣れた出雲を離れて私はいつも泣いておりました。とそこへちょうど実方様が通りかかりました。私はひと目見てこのお方こそ私の大穴牟遅神と分かりました。ですから声をお掛けする間も惜しんで、馬上の実方様に抱きつきました。実方様をお乗せし馬は驚いて竿立ちになり、実方様は落馬して(おつむ)をしたたかにお打ちになられて気を失われましたので、私はここにお連れして介抱いたしました。実方様は気がつくと私を気に入って下さり、共に暮らしているのです・・・私は長年の思いが叶って真実幸せでございます。そんなある日私は実方様にこうお願いいたしました。

 『スサノオは櫛稲田姫と結婚した時、

八雲立つ出雲八重垣妻籠めに

八重垣作るその八重垣を 

とお歌いになりましたが、実方様も私といっしょになったのですから、スサノオに負けぬ歌を詠ってくださりませ・・・これを聞くと実方様はお歌い下さいました』」

  いかでかは思ひありともしらすべき

(ムロ)八島(やしま)のけぶりならでは

(どうしたら私の心の恋の炎が燃えていることを知らせることができるのでしょうか・・・室の八島の煙はいつも煙を上げて燃えているので容易く見えますが、私の心の炎はそのようにたやすくは見えないでしょうから)

 私がこの歌を聞いて幸せな想いに浸っておりますと、実方様は私の手をとって握りしめて、

かくとだにえやはいぶきのさしも草

さしもしらじなもゆる思ひを

 (私がこれほどまでに恋いこがれていることを、どうして言葉に表すことができましょう。もしそれができることなら打ち明けて心の底を見ていただきたいのですが、伊吹山の「さしも草」ではないけれど、艾(もぐさ)のように肌を焦がすほどにじりじりと燃える私の思いをあなたはどこまで分かってくれるのでしょうか)

 このように詠って下さいましたのでただもううれしくて、私自身がさしも草になって燃えてしまいそうな気持ちでした・・・でも・・・気懸かりなのは、実方様はこうして私を愛しては下さいますが、心は都にあるのに違いない。お迎えが来たらきっと都にお戻りになるのだろうと思うと、ただならぬ気持ちに襲われて悲しくてならないのです」道股媛がこう言って涙で目を曇らせるので実方は、

「私は都を追われた身なのだからそのように心配することはありません。それに帝のご勘気が解けて許していただける時がきたら、私一人では決して帰ることはありません。必ずそなたを連れて行くと八百万の神々に誓おう」

 実方がこのように約束したので道股媛はようやく安堵した様子だった。そこで実方は西行に向かって、

「是非ともお教えいただきたい事がこざいます。それと申しますのは、私はすでにいくつも歌枕を探し当てました。その事は文で都へ伝えてあります。ですから間もなく帰還してもよいという勅諚が下るのではないかと思っているのですが、・・・西行殿は都からお出でに成られたのでから都の噂はご存知でしょう・・・もしやそうした事を聞きになりませんでしたか」とこう訊くので、西行は口ごもっていたが、

「・・・都では実方様が道祖神に(たた)り殺されたと噂されておりますが、そうないと知って心安らかになりました。道股媛様とのご唱和の麗しさには、ただ見とれるばかりでござります。しかしながら、実方様が都を離れてからずいぶんと年月が経ちましたので、勅諚の事につきましては存じませぬ」

「存ぜぬとはどういうことですか」

「残念ながら噂にも聞きませぬ。と申しますのも実方様が陸奥の国にお出でになられてからあまりに長い年月が経ちましたので」

「いやそのようなことはありますまい。私が道股媛と暮らすようになってから、ほんの二三年しか経ちません。それを長い年月が過ぎたとはどのような事でしょうか」

 実方がこう言うので、西行は、

「一条天皇はすでにお隠れになられました」

「・・・身罷られた?・・・」

「私が出家して西行となりましたのは保延三年(一一三五年)でした。これは実方様が陸奥に配流されて百四十年の後の事でござります。しかもその後五十年の歳月が流れておりますから、あの事件が起きた時から数えますと二百年の時が過ぎております」

「信じられぬ・・・今の帝はどなたなのだ」

「一条天皇は第六十六代の帝でございましたが、私が都を出た時の帝は八十二代・後鳥羽天皇でござりました」

「八十二代・・・」

「京都の帝には実権は最早なく、源頼朝が鎌倉に幕府を立てようとしております」

「・・・それはいかなる事ですか?」

「尽きぬ話となりますが、実方殿もご承知の源満仲はその後大勢力となり、源氏武士の棟梁となって、桓武天皇の末孫・平家の統領である平清盛一統を滅亡させ、鎌倉に幕府を開き、日本国を統治しております」

「では、都は・・・朝廷は・・・」

「公卿殿上人は日々の暮らしにも窮し、寺社仏閣も狐狸の住処となり、昔日の面影は片鱗も残っておりません」

「・・・都が滅びたとは・・・ここで暮らすようになってからわずかな時の間とおもっておりましたが・・・竜宮の浦島の話は嘘ではなかったのか」

実方は慨歎して歌を詠った。

  いかにせん久米路の橋の中空に

渡しも果てぬ身とやなりなん

(上古の昔、葛城の山に住む神々は、不思議な霊力を持つという役小角(えんのおづの)の命を受けて、葛城山の頂上から吉野山の金峯山まで空中に雲の橋を掛けようとしたが、雲上の天女たちと恋仲になって、仕事はなかなか進まず、とうとう中途で投げ出してしまった。ちょうどそのように、この私も、花山・円融天皇の時代には宮廷女官たちの憧れの的になり、昼は季節の歌遊びに、夜は夜をもっぱらにして睦言を語り合って夢のような時を過ごしていたが、その睦言が中空にさしかかった時、思いも掛けぬ勅勘にふれ、雲間から真っ逆様に突き落とされた。そして今は、人も住まぬ陸奥の山の庵で果てようとしている・・・)

  

 気がつくと、実方も道股媛の姿も見えず、西行は夕空の月を見上げてたたずんでいた。

 

 別れ路はいつも嘆きの絶えせぬに いとど悲しき秋の夕暮れ