百人一首ものがたり 50番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 50番目のものがたり「渡り川」

君がため 惜しからざりし 命さへ
ながくもがなと 思ひけるかな

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「今度はどなたでござりますか」

「二十一才で夭折した謙徳公の息子義孝を取り上げました」

「二十一才の若さで亡くなったのですか」

「大鏡にはその死を惜しむ有様が切々と記されております。しかも不幸な事には建徳公の一族は五年の間に当主・伊尹とその子の義孝、兄の挙賢(たかかた)、それに伊尹の長女の懐子を失っているのです」

「・・・」

「しかしただ一つ、救いがござりました。義孝には息子が居たのです」

「息子」

「藤原行成です。行成がこの世になかりせば、書の姿もずいぶんと様を異にしていたと思われます。しかし思えば行成の心の奥にははかりがたい苦しみがあったことでしょう。というのも、彼は多くの人の命と引き替えにこの世に現れたのですから」  定家はひとつため息をついてから巻物を読み始めた。

第50番目のものがたり )

「義孝、起きて、私よ」

 熱に浮かされた目を無理矢理開けると、霞の向こうにぼんやりと姉の懐子が見える。懐子は義孝とは十一違い。母に似て美くしい。

「お姉様、どうしてここにいるのです?」

「私が見えるの、見えるわよね。目が開いたもの」

「お姉様、ここに居てはいけません。病が移ったらどうするのです。どうやって後宮を抜け出て来たのです。普通の病ならともかく私は疱瘡なのです。帝に移ったらどうなさるのです」

「では誰があなたを看病するのですか。みんな泣いてばかりいてあなたの周りには誰もいないではないですか」

「・・・誰が泣いているのです」

「お母様・・・それに、お母様のご実家からお手伝いに来た召使いたちは、みんな泣いて、目を赤く泣きはらしておりますよ」

「兄上はどうなさいましたか。良くなられたでしょうか」

「挙賢(たかかた)は赤い顔をして目をつぶったまま物も言わないの。顔に水疱が出来て、医師がつきっきりで治療しているのに、少しもお熱が下がらないのでお母様はお泣きになるのでみんなも堪えきれなくなって泣くのです。私は悲しくて、それであなたのところに逃げてきたのです」

 ひとつ年上の兄・挙賢が十日ほど前から高熱を出し、疱瘡と診断されたので母の恵子は寝ずの看病に当たったが、翌日には弟の義孝が疱瘡に感染した。母は呆然として泣いてばかりいた。母の実家である親王家からは医師が三人も駆けつけたが病は重くなるばかりで回復の兆しは少しも見えなかった。一家は深い絶望感にうちひしがれていた。

 義孝の北の方の父・桃園中納言保光は義孝・挙賢の兄弟が一度に疱瘡に掛かったと知るとすぐさま娘を連れ出して、それきり姿を見せなかった。義孝と北の方との間には二歳になる行成がいるが、行成は生まれるとすぐに義孝の父・摂政太政大臣伊尹(これただ)の猶子となったので義孝の邸にはいない。それというのも、伊尹は生まれたばかりの赤子を見て『この子には希に見る非凡な才が備わっている。私の子として育てよう』と述べて有無を言わせず行成を引き取ってしまったのである。

 伊尹は朝廷の権力を一手に握っていた。円融天皇は伊尹の娘安子の皇子であったから伊尹は天皇の外戚となり、しかも数年前まで朝廷に君臨していた実頼が亡くなったので、摂政となり藤原氏の氏長者ともなっていたのである。これほどの大権力者に見込まれて猶子となった行成の未来は前途洋々たるものがあるかに見えた。しかし義孝にすれば行成は我が子でありながら同時に兄弟という奇妙な関係になったことになる。義孝はまだ十九才ではあったが、初めての我が子を父に奪われたので、心の動揺は隠しきれなかった。しかし妻はむしろ喜んでいた。『行成の将来を考えれば、摂政太政大臣の子であるほうが幸せですわ』

 正五位下・右少将の地位に甘んじている夫の子として育てられるより、太政大臣の子として世に出た方がはるかに出世が早いというわけだ。妻の父・桃園中納言も大いに喜んでいると聞くと次第に不快になった。

  露くだる星合の空をながめつつ

いかで今年の秋をくらさむ

 この歌を詠んだのは今年の春だ。子が生まれたら、膝に抱いて夜空に牽牛と織女星を探したり、天の川に流れ星を見つけて遊ぼう。笹竹を小舟に編んで小川にながそう。義孝はあれこれと考えているうちに、夢で胸がいっぱいになった。それが、生まれたとたん、自分の子でなくなるとは・・・。

 長男を奪われた義孝の気持ちは時が過ぎても治まらなかったが、伊尹に引き取られた行成の成長は著しく、二歳にして書物を読み、見事な文字を書いて周囲を驚かせた。『この子はやがてはわしを凌ぐ地位を得て、その名を国中に轟かせることになろう』と伊尹は笑った。ところが何と言う事か、その笑い声が消えぬ間に、伊尹は突如死んだ。全ての権力は伊尹の弟兼道に移り、伊尹の邸に出入りする人の姿も途絶えた。

   夕まぐれ木し

げき庭をながめつつ

木の葉とともにおつる涙か

 義孝はひとり庭に立って、一夜にして様変わりした屋敷の有様に呆然とした。昨日まで門前市を為すほど宮中からも公家からも届け物や挨拶に訪れる人の列で絶え間がなかったというのに、一夜にして人声は絶えた。しかしなにより義孝を傷つけたのは、互いに言い交わしていた女からの便りが何の前触れもなく途絶え、他の男の妻となったと知らされたことだった。 

 

  夢ならで夢なることをなげきつつ

春のはかなき物思ふかな

(これが真実ではなく、夢であったらいいのにと願っていたのに、実は夢ではなく、現実なのだな・・・あなたと過ごした日々は、夢・・・今となってはどれほど嘆いても仕方がないことだ・・・ああ、何もかもが儚く過ぎる春のように思える)

 義孝は父と恋人を失って暗然と日々を送った。ところがさらに大きな不幸が降りかかった。突然兄・挙賢が疱瘡を発病し、次の日、義孝も病に倒れたのだ。疱瘡・・・死の病・・・いったいこの私がどのような罪を犯したというのか。あれほど法華経を信じていたのに、何の功徳もなかったとは。

 朦朧と目を覚ますと、懐子がじっと見つめていた。

「苦しくありませんか」

「いいえ、それより宮廷にはお戻りになった方が良いのでは」

「あなたが治るまで、ここに居ります」

「いいえ、いけません。ここにいては危険です。それに、師貞親王(後の花山天皇)がお待ちですよ。皇太子になられたとはいえ、まだ六才なのですから、母の姿が見えなかったら心細いでしょう」

「お気遣いは無用です。あの子は強い子です。師貞親王の父・冷泉天皇は時々激しい狂気に襲われますので他の妃たちは恐れて近づきませんが、私は帝を愛しておりますから少しも気になりません。むしろ、なぜあれほどの深い狂気に陥られるか、私にはよく分かるのです・・・師貞は帝の皇子ですから周りの者はもしやどこか似るのではと心配していたようですが、私は少しも気にしませんでした。それどころか師貞はすこぶる元気ですし、賢いのです。あなたの歌が好きで空で覚えて大きな声で詠ったり、筆で書いて女房達を驚かして、面白がっています。あの子の明るさがどれほど宮廷の救いとなっているか知れません。ですから少しも心配はありません。私はあなたが良くなるまでここに居るつもりです・・・ただ私か心を痛めているのはお母様の事です」

「・・・」

「つい先ほどお母様と侍医がここに見えました。私はその屏風の陰に隠れて様子をうかがっておりました。白髪の侍医は『少し良くなられたようにお見受けいたします』と言いました。私はそれを聞いて少し安心したのですが、お母様はただ泣くばかりでした。可哀想なお母様。父上に突然死なれたあげく、今度は二人の息子が疱瘡になったのですもの・・・もしもの事があったら、母は生きていないでしょう。ですからあなたは何としても治らなければなりません。お母様のためにも、息子のためにも」

 姉の言葉を聞いて義孝は涙を流して、

「お姉様、私は必ず治ります。ですからもう私のことはご心配なさらず、お母様の側にいてあげなさい。私の看病は妻にまかせてください」

「・・・あなたは・・・ご存じないのですか・・・」

「私が・・・何のことです」

「・・・あなたの妻は・・・父・桃園中納言が連れて帰ってしまいました」

「・・・妻が・・・では、行成も連れて戻ったのですか」

「いいえ、行成はこちらが引き留めたので、あきらめて、急いで行ってしまいました・・・ああ、かわいそうな義孝・・・でもあなたには私がついています。必ず私の看病で治します。帝の病もお治りになったのですから、必ずあなたも治るでしょう」

「分かりました。あなたが眠ったらお母様をお慰めいたします」

 義孝はただれた目で姉を見つめた。なんと美しい姉だろう。私を捨てていった妻も美しかったが、こうして見る姉の姿は神々しいばかりだ。まるで、姉は如意輪観音のようにも見える。まさかとは思うが、仏が姉の姿を借りて、すでに死んでしまった私を供養しているのだろうか・・・そんなことがあるものか、私はこうしてちゃんと生きているのだから。しかしもしも私が死んだら行成はどうなるのだろう。あの子は父の猶子になったのも束の間、養父に死に別れ、今度は実の父と死別するのだから。

 涙を見せまいとして目をつぶると、山々が見える。ずいぶんと重い。もしかして誰かを背負っているのだろうか。息が切れる。なんと高い山だろう。

 目を開けると、誰かが見つめている。

「あなたは誰ですか・・・」

「夢を見たの?」

「どうしてそのような事をお聞きになるのです?」

「それは、あなたが、口をしきりに動かしていたのですもの」

「何か、私は言いましたか」

「しきりに言っておいででしたよ。ある女の名を」

「女?・・・誰ですか」

「さあ・・・誰かしら」

「誰でしたか?」

「もしや、あなたは私が誰かお分かりにならないのでは」

「いいえ、教えて下されば思い出します」

「ほんとうに知りたいのですか」

「教えてください。こうしてお会いしているのに、あなたが誰なのかも分からないのは情けない気がしますからね」

「それでは、教えてあげましょうか」

「ええ。教えて下さい」

「教える代わりに、お話してくれますか。昔のように」

「昔のように?」

「あなたは幼い頃からとてもお話が上手でしたよ」

「聞きたいのですか」

「ええ、話してください」

「では話ししましょう。私はとても気分が良いので、どんな話でもできるような気がします。でもその前に是非教えて下さい。あなたは誰ですか。誰だか分からないままにお話するのでは頼りないので」

「ではお教えしましょうね。私の名は懐子」

「懐子・・・それはお姉様の名ではありませんか。なぜあなたは姉の名を名乗るのです?」

「だって、私は、あなたの姉なのですもの」

「姉・・・ほんとうですか」

「ほんとうです」

「でも、姉の懐子は、冷泉天皇の妃になってしまわれた。二度とお会いできない方です」

「いいえ、義孝・・・私はあなたを看病するためにこうして戻って来たのです。だって弟を看病できるのは私だけなのですもの」   

懐子は涙を流しながら疱瘡でただれた義孝の手を握りしめた。

「義孝・・・私の弟・・・どうか目を開いてしっかり私を見てください。私が見えますか。義孝・・・生きて‼、生きて下さい」

「・・・そうでした・・・生きなければ・・・お姉さんは宮廷を抜け出して来てくださったのですから、きっと治ります」

 義孝は空ろな眼差しで懐子を見つめ、歌を詠んだ。

  きてなれし衣の袖もかわかぬに

別れし秋になりにけるかな

「あなたの歌はいつも美しい。でもなぜ別れの歌など詠うのです。私はあなたとは決してお別れいたしませんよ」

「・・・あれほどむつまじい日々を共に過ごしたというのに・・・妻は私を捨てて出て行ってしまった・・・桃園中納言はひどい人です・・・でも、お姉様は私を見捨てたりはしませんよね。僕は知っています。お姉様は何も恐れたりはしないということを。ですから二人の物語をお聞かせいたしましょう」

「どのようなお話かしら」

「それは私たちのように仲の良い姉弟のお話なのです・・・二人はもともと豊かな家で育ったのですが、不運が続いて家が傾き、親姉弟とも別れ別れになって、二人きりで荒ら屋で暮らしていたのです」

「・・・」

「二人は朝から田畑に出て一日中働きました。でも少しも豊かにならなかったのです。それどころか数年の間、洪水が続き、その翌年は日照りに苦しみましたので蓄えもなくなり、その日の食事にも困るようになりました。そこへ都から身なりのよい男が訪ねて来ました。そして言うには、『お前達をこのまま飢え死にさせるのは気の毒だ。姉は姿形が取り分けて優れているから貴人の家に紹介し、弟はしかるべき家に雑人として雇い入れてもらおう。どうだ、私について来るか?』」

 義孝がここまで話をすると、姉は義孝の顔を見つめて、

「話をお止めなさい。その先は聞かずとも分かります」

 義孝はこれを聞くと、「お姉様、どうか話の先をお聴き下さい。巷に伝えられている話とは違っておりますから」

「・・・」

「男は言葉を尽くして姉弟を説得しました。けれど、姉も弟も『私たちはここで生死を共にしたいと思います』と言って飢えをしのいで日々を過ごしました。そんなある晩、姉は戸棚の奥から錦の布を取り出すと『この布は母が、困り果てた時にお使いなさい』と言い残した品物です。私はこれを衣に織りますから、あなたは都で売って下さい』姉はそう言って幾日も掛けて美しい衣を織り上げました。ようやく出来上がりましたので弟が都に売りに行くことになりましたが、弟は『私は都に出たことはありませんから万が一何事かないとは言えません。でもどのような事があっても、必ず戻ってまいります。ですから、私が死んだと知らせを受けても決して信じないで下さい』と言ったので姉は『そのような不吉な事を申してはなりません。衣を売りに出たからといってどうして身が危うくなることなどありましょう。私は首を長くして待っていますから、早く戻るのですよ』こう言いましたので弟は、

『ではすぐに戻ります。お姉様もどこへも行かずここで待っていると約束して下さい』

『もちろんどこへも行きません。待っておりますとも』

 姉は固く約束しましたので、弟は荷を背負って都に出ました。ところが三条大橋の上に筵を敷き、衣を広げると、たちまち検非違使に捕まって厳しい詮議を受けたのです。

『この布は一条摂政のお邸の布である。盗み出したのであろう』

 弟から事情を聞いた役人は姉を捕らえに荒ら屋に出向きました。ところがあまりに美しい女なので驚いて検非違使の長官に報告したのです。長官は自ら出向いて姉をひと目見ると『これはただ人ではない。このような荒ら屋に捨て置いては罰が当たるであろう』。

 長官は直ぐさまこれを朝廷に報告しました。朝廷の役人はその女が如意輪観音の生まれ変わりのような姿をしていたので、叩頭して礼拝しました。

 ところでその時の帝は頭を病んで居られましたので、入内した公卿や大臣の娘はみな恐れて逃げてしまい、後宮は空になって、帝は孤独な日々を送っておられました。けれども帝に皇子が出来なければ国が傾きますので、公卿達は鳩首して『陰陽師・安倍晴明に占ってもらおう』と意見が一致しました。そこで清明に占わせると、『一条摂政の錦の布を衣に織った女が検非違使に捕らえられている。その女が帝を救うであろう』と述べました。公卿たちが早速検非違使の長官を呼び出して尋ねると確かに女を捕らえているという。そこで女を公卿座(くぎょうざ)に近い宜陽殿に連れてこさせ、安倍晴明に見させると『この女こそ帝をお救いできる唯一の者である』と断言したので、早速女官達に女の姿形を整えさせ、紫宸殿の北にある仁寿殿(じじゅうでん)に導いて帝にお目に掛けると、帝は突然晴れ晴れとしたお顔になられ、

 君がため惜しからざりし命さへ

長くもがなと思ひぬるかな

(あなたがこの世にいることも知らない間は、少しも命を惜しいと思ったことはありませんでしたが、あなたをひと目みてからは、末永く生きていたいと思います)

 このように歌を詠んだので宮廷の者たちは驚きのあまり交わす言葉もありませんでした。というのも、帝はこれまで一度も和歌を口にされたことはなかったのです。

 それからというもの、帝は女を片時も側から離さず寵愛しましたので、間もなく女は帝の種を宿し、月満ちて皇子が誕生しました。朝廷の人々は永く皇子を待ち望んでおりましたので、天にも昇る心地でお喜び申しあげました。

 そうして日々が過ぎたある日、女が『私には弟が居り、長く会っておりませんのでどうしても顔が見たいのです。一日だけ下がらせて下さい』と帝に願い出ましたので、帝も『一日なればよい。だが、明日になったら必ず戻っていただきたい。そう約束するなら、許す』と仰せになりました。

女は牛車に乗り、荒ら屋に出向きました。けれど中に入ると人影は見えず、柱に和歌が一首貼り付けてありました。

 しかばかり契りしものを渡り川

かへるほどには忘るべしやは

 (どのような事があっても、私は三途の川からでも必ず戻るとあれほど固く約束しましたのに、どうしてあなたは忘れてしまったのでしょうか)

                      *  ハッとして弟を見ると、義孝はすでに息を引き取っていた。懐子は弟の額に頬をすりつけて号泣した。その日、兄の挙賢も他界した。そして懐子も義孝が死んだ翌年の天延三年(975年)この世を去った。懐子の遺児・師貞親王が即位して花山天皇となったのは懐子の死から九年後の事である。