百人一首ものがたり 49番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 49番目のものがたり「男大迹王(おほどのおほきみ)

御垣守(みかきもり) 衛士(ゑじ)の焚く火の 夜は燃え
昼は消えつつ ものをこそ思へ

 

百人一首ものがたり

 心寂房が庵を訪ねると誰もいず、机の上に巻物が広げたままになっていたが、そこには聞いた事もない話が書き記してあった。

第49番目のものがたり 「男大迹王(おほどのおほきみ)」 )

 夏の夜、宮殿には大勢の貴公子や女官たちが集まって一人の男を取り囲んでいた。囲まれているのは大中臣能宣。十九年間伊勢神宮に奉仕し、この春に正四位下に叙され清涼殿に上ったのだが、神職の者が殿上人となるのは希であるし伊勢神宮にこれほど長く勤め、しかも神祇小祐から大祐・小副・大副を経て神宮祭主となった経歴を持つ者はこれまでになかった事なので、殿上人たちは能宣を捕まえてはあれこれと聞き質し、神々の物語などさせては面白がっていたのだが、今夜も例によって話を聞かせていただきたいと迫っていたのである。

 能宣はしばらく目を閉じて考えていたが、やがて周りの方々を見渡すと「これからお話申しあげます物語は私がまだ二十歳の頃、父・大中臣頼基からお聞きした話でござります」と話し始めたので、一同水を打ったように静まりかえり、物語に聞き入ったのだった。

「昔々、雄略天皇が身罷られ、その跡を継いだ清寧天皇には子がありませんでしたので豪族達は何としても皇系のお方を捜さねば国が滅びると恐れて、各地を必死で探し回りましたところ、雄略天皇に殺された従兄弟・市辺之忍歯王(いちのへのおしはのみこ)の皇子二人が山城国苅羽井の片田舎に隠れているのを山部連小盾がようやく見つけ出しました。お二人は殺されるのを恐れ、牛飼・馬飼に身をやつして隠れていたのです。豪族たちはお二人を驚喜してお迎えし、天皇の位に就いていただきましたのが第二十三代・顕宗天皇と第二十四代仁賢天皇でございます」

「・・・」

「仁賢天皇の皇子は第二十五代天皇に即位しましたが間もなく亡くなり後に残されたのは妹の手白髪郎女でした。ところがこの皇女には夫に相応しい者が一人も見つかりませんでした。と申しますのも、仁徳天皇の子孫は互いに皇位を争って戦ったので男子の種が尽きてしまったのです。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂に降臨して以来の皇系がこの世からいなくなってしまいましたので臣民は嘆き悲しみ、絶望して泣き騒ぐ有様は、あたかもスサノオの暴虐によって天照大神が天の岩屋戸にお隠れになって、万の災いが起きた時のような有様でござりました」

「・・・」

「さて、大和の国が混乱の極みにあった頃、越の国に男大迹(おほど)と呼ばれていた若者が居りました。越の国は振媛女王(ふるひめのおおきみ)が治めておりましたが、男大迹は女王の宮殿を守る衛士でした。男大迹は姿も良く、どことなく貴人の気配が漂っていましたので女官達は競って文を届けました。しかし男大迹には深く想いを寄せるお方が居りましたので他の女には目もくれませんでした。男大迹が想いを寄せておりましたのは女王の皇女意笹姫でした。振媛は三国一の美人として誉れ高く、日本書紀に『顔容姝妙(かほきらぎら)しくして(はなはだ)媺色有(うるはしきいろあ)り』と記されているほどでしたが、娘の意笹姫は母に優るとも劣らぬ美女でしたので、男大迹は心奪われ、二人はいつしか密かに愛し合うようになりました。ある晩、男大迹はいつものように宮殿に忍び込みむと皇女の首を胸にかき抱きながら、

「私の気持ちを歌に託しましたのでお聞きください」と言って詠んだ和歌は、

     みかきもり衛士のたく火の夜はもえ

     昼はきえつつ物をこそ思へ

 意笹姫はこれを聞くと「私もあなた様を想って苦しい日々を過ごしております。でもあなたは衛士、私は皇女。結婚を許されるわけはありません。男大迹様、もしも私を本心から思うのであれば私を連れて逃げて下さい」

 意笹姫の眼差しには思い詰めた光が宿っていました。男大迹は決心し、意笹姫を背負って密かに部屋を抜け出ました。回廊のを降りようとしたその時でした。闇の中から突然近衛兵が現れ、二人を捕らえると奥の間に引き立てました。薄暗い灯りの中に振媛女王の姿がありました。

 振媛女王は二人を見下ろして「お前たちはこれからどうするつもりなのです」と聞き質しました。男大迹は両手を突いて

「女王様の寛大なお心によって願いが聞き届けていただけるなら、姫と私との結婚を許して下さい。もし叶わぬ願いでしたら死を賜りますように」

 意笹姫は泣き伏しました。「お母様、どうか、男大迹をお助け下さい。もし男大迹に死を賜るのなら私も死にます。男大迹様なしでは生きてゆけません」

 意笹姫の嘆願を聞くと、女王は厳しい声で申しました。

「見苦しい振る舞いはお止めなさい。私は男大迹を殺しません」

「では・・・私と男大迹の仲を許して下さるのですか」

「いいえ、お前たちは結婚できません。なぜなら、血を分けた姉弟だからです。二人とも私の子なのです」

「・・・」

「これから私が話すことをよくお聞きなさい。男大迹、お前は私のただ一人の皇子です。私の子であるお前を衛士にしていたのはお前の身を守るためです。あなたは応神天皇六世の孫なのです」

「・・・私が、応神天皇六世の孫・・・」

「私の父は垂仁天皇の血を引く乎波智君。垂仁天皇から六代目の末孫です。私は彦主人王(ひこうしのおおきみ)と結婚してお前たちを生みました。ですからお前達はまさしく神武天皇の皇系の血を受け継いでいるのです。それならなぜ私が男大迹を皇子として育てなかったのか。その理由は、お前の身を守るためです。応神天皇には皇后仲姫命(なかつひめのみこと)の他十人の妃がおりましたが、応神天皇の跡を継いだのは皇后の皇子・大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)・仁徳天皇でした。天皇には同腹の兄妹が二人おりましたが、他にも大勢の腹違いの兄妹があり、その一人が稚野毛二派皇子(わかぬけのふたまたのみこ)、すなわち男大迹の高祖父です」

「・・・」                        

「仁徳天皇が身罷られると恐ろしい事が起こりました。皇子・皇孫の間に争いが生じたのです。仁徳天皇の子履中天皇は弟の墨江中王と争って弟を殺し、甥の安康天皇は伯父の大日下王を殺して妻を奪い、皇后と成しました。目弱王(まよわのみこ)は大日下王の皇子でしたが、父を殺され、母を奪われた目弱王は安康天皇が神床で昼寝をしている隙を見て天皇の首を斬って復讐を遂げました。殺された天皇の末弟・大長谷王子(おほはつせのみこ)は直ちに目弱王を殺そうとしましたが、兄の黒日子皇子と白日子皇子が躊躇するのを見て二人の兄を殺し、兵を率いて目弱王を攻め殺し、更に従兄弟の市辺之忍歯王(いちのへのおしはのおお)を殺して帝位に就き、雄略天皇となりました。私はそれらの恐ろしいし出来事を幼い頃、祖父や廷臣たちから聞かされたのです」

「・・・」

「私の夫・彦主人王(ひこうしのおおきみ)は近江国高嶋郡三尾の宮殿に居られたので私はその宮殿で意笹姫を生み、男大迹を孕みましたがその時すでに、夫は死の病に取り憑かれておりました。夫は私に次のように申しました。

『私が死んだら、直ぐさまそなたの故郷の越の国の高向(たかむく)の宮殿に戻って子を産みなさい。そしてその子が皇子であったら、誰にも知られぬように育てなさい。大和王朝の天皇や皇子たちは、応神天皇の末孫が越の国に居ると知ったら、殺しにくるかも知れない』

 私は驚いて『大和の国は遙か遠い山々の彼方です。どうしてそのような遠くから皇子一人を殺しにくるでしょう』

『いいや、皇位を争うとなれば、地の果てまで来るであろう。神世の昔、天照大神は大国主命の出雲の国が富み栄え、息子の皇位を脅かしていると知ると、幾度も戦を仕掛け大軍を送り込んだ。大国主命の支配する国はまことに広く、我が越の国も出雲の支配下にあった。その事は大国主尊が沼河比売(ぬなかはひめ)と恋の歌を交わしていることからもはっきりと分かる。飛騨の国の諏訪地方もまた大国主命の治める国であった。大国主命は巨大な力と富を蓄えた豊かな王国だった。天照大神と大国主命の戦いは恐ろしく長い間続いたが、最後には大和の国に滅ぼされた』

『・・・』

『大和王朝の天皇には征服者の血が受け継がれている。越の国に大和の皇子の妨げになる者が居ると知れば、必ず戦を仕掛けて殺すであろう。故に、そなたの子が皇子であったら、臣下たちには死産であったと告げ、赤子は信頼できる女に育てさせて、長じた時には衛士として宮廷近くに仕えさせよ。そしてもしも大和の国に変事が生じた時は、自ら名乗り出て、天皇の位に就けば良い』

 夫がこのように申しましたので、私が『大和の国の変事とは何の事ですか』と訊ねますと夫は『仁徳天皇の皇継が尽きるということだ。そなたも知っているように、皇子たちの間で恐ろしい争いが相次げば、優れた血はやがて先細りして絶えるであろう。しかし天皇が存在しない日本の国などあり得ぬ。故に仁徳天皇の皇継が絶えたとしても、皇統は絶やすことはできぬ。それ故、仁徳天皇の父・応神天皇の皇系が天皇に就く事になろう。私は応神天皇の末孫である。万が一の変事に備えて、私の皇子を密かに育てるのだ』

 死の床で、彦主人王はこう申されました。夫の予言通り、大和の国の天皇の血は絶えました。故に、男大迹、そなたが天皇に就く時が来たのです」

 男大迹が振媛の話に呆然としていると、振媛は男大迹の手を取って、「さあ、私の息子よ、尊い皇子よ、こちらへおいでなさい」と暗闇の中を奥の方へ導いた。重い扉を開けるとわずかな灯が部屋の壁に反射していた。板の間の中央に人の背丈ほどもある黒いものがぼんやりと見える。

「あれはなんですか」

「箱の中にあるのは品陀太刀(ほむだのたち)です。品陀和気命(ほむだわけのみこと)・応神天皇の子孫に代々伝えられる宝です。この宝剣を手にすれば、大和の国の大豪族たちはそなたが応神天皇の血を引く由緒正しい後継者であることを認めるでしょう。私の息子・尊い皇子よ、早く箱を開けて宝剣をその手に取りなさい」

 男大迹が箱を開けると、闇にも光る見事な太刀があった。男大迹は手を伸ばして太刀を取った。冷たくずしりと重い。その太刀に触れたとたん、男大迹は全身が戦慄(わなな)くのを感じた。

『この宝剣によって、私は、日本国の天皇になるのだ』

 歓喜と興奮で胸が張り裂けそうだった。

 男大迹は太刀をしっかりと握ると大声で叫んだ。「品陀太刀はこの私の手中にあります。私は、天皇になるのです。ご覧ください。私は天皇になるのです」

 男大迹は叫んだが、女王の姿は見えなかった。

「女王様、どこに行かれたのです。母上、宝剣は我が手にあります。見てください」男大迹は叫びながら入口に走り寄った。しかし、扉は堅く閉ざされてびくともしなかった。

「浅はかな息子よ」と振媛は扉の向こう側から言った。「そなたが大和の国へ行けば、たちまち殺されるであろう」

「私は命じられた通り宝剣を手にしました。大和の豪族は私を天皇と認めるでしょう。なぜ私を閉じこめるのですか」

「お前は私が何を考えているか、少しも分からないほど愚かだったのですね。『宝剣を取りなさい』と私が命じ時、お前は『いえ、私にはまだその資格がありません。天皇の地位に相応しい力が備わった時、宝剣を受けましょう』と答えるべきでした。血筋を引いているというだけで天皇になれるのであれば大勢の者が名乗りを上げるでしょう。しかし生き残れるのはたった一人です。知恵も力もないお前が敗れるのは目に見えています」

「・・・」

「大和から豪族たちが皇孫を捜しに来た時お前が名乗り出れば、越の国は後継争いに巻き込まれて滅びましょう。そのような事があってはなりません。もともと私に子はなかったのです。お前がいるその部屋は、お前の墓場になるのです」

 声はそれきり途絶えた。暗黒だけがあった。

『母は、私にその資格がない事を知りながら宝剣を取れと言ったのか。最初から私を殺すつもりだったのか』

 男大迹は泣き叫びながら扉を打ち破ろうとしたが、重い扉はびくともしなかった。長い日々が過ぎた。男大迹は空腹と絶望で気をうしなった。

 目を覚ますと穴が見えた。水の流れる音が聞こえる。音に誘われて穴に降り、川上の方をたどって行くと、帯や冠や衣が川原に脱ぎ捨ててあった。更に行くと、淡い火が点っていた。薄明かりの中で女が肌にたかっている蛆を指でつまんで潰していた。

「そこへ来た若者、私の蛆を取って下さい」

「・・・あなたは誰ですか」

「夫に捨てられた女です。お前も悲しそうな顔をしていますね」

「母に裏切られたのです。でも、私が愚かだったのだから仕方がないのです」

「しかしこうして見ると、死ぬほど愚かな事をしたようには見えません」

「私は実の姉と結婚しようとしました。それから、自分には何の力もないので、宝剣の力で国を治めようとしたのです。」

「では、私と似ていますね」

「似ている?」

「私の夫は私と兄妹です」

「・・・」

「それに、私がここに閉じこめられたのは、火の神を生んだからです。火の神から剣の神と戦の神々が生まれました。それによって戦が絶え間なく起こりました。天の神々はその罰として私を地の底に閉じこめたのです」

「ああ、なんという事だろう。兄妹と結婚して、宝剣で国を治めようとした罰を受けた方が私よりも前にここにおいでとは」

 男大迹は暗い穴の底で女と暮らすようになった。男大迹は知らなかったが、それは黄泉の国の大神となったイザナミだった。男大迹はイザナミを母として仕え、幾年も過ごした。イザナミの手足や腹に蛆が湧くと、男大迹は一匹ずつつまんでは取り除き、穴の開いた膿だらけの肌を手でさすって傷を治した。そうして長い時が過ぎた。男大迹の顎髭は膝までも届くばかりになった。そんなある日、イザナミは男大迹の手を取って次のように述べた。

「そなたは優しい子です。私は火の神を生んで罰を受けましたが、私の子孫の末のまた末の枝に、お前のような美しい子が生まれた事をこよなく嬉しく思います。そこでお前に教えましょう。ここに夫のイザナキが落としていった櫛があります。この櫛はイザナキが火をともして私を見ようとした時に使った燃えさしです。火の種がこの櫛に宿っています。これを持って穴の底から閉じこめられた部屋に戻り、櫛の火で扉を焼きなさい。それから川に落ちている衣や帯は夫が脱ぎ捨てたものですからそれを身につけなさい。必ずお前を守るでしょう。さあ、早く行きなさい。間もなく大和の国の豪族たちがお前を迎えに来るでしょう。私が作った国をお前の手で治めるのです。戦争のない美しい国にするのですよ」

 男大迹は授かった櫛を伸び放題の髪に挿し、川で濡れた衣と帯を着け、冠を被ると、穴をよじ登って閉じこめられた部屋に戻った。扉はもとのままに閉じていた。男大迹は箱の中から応神天皇の宝剣を取り出すと腰に佩き、髪から櫛を抜き取って壁に近づけると櫛はたちまち炎となった。炎は激しく燃えて部屋も建物も何もかも焼き尽くした。

 人々は宮殿が焼けるのを呆然と眺めていたが、炎の中から現れた男大迹を見て、仰天し、ひれ伏した。男大迹が再臨するまでに数十年の時が過ぎていた。年老いた振媛女王は男大迹の姿に驚ろいて言葉もなかった。

「振媛女王。私はあなたが求めた人になるために長くかかってしまいましたが、黄泉の国で本当の母に出会いました。その母の教えに従って参ろうと思います。ところで、姉の姿が見えませんが、意笹姫はどこに居られますか」

 大臣は震えながら、「男大迹王様か亡くなられたと知らされると、後を追ってお隠れになりました」

 大臣たちは男大迹を意笹姫の墓に導いた。男大迹は墓を抱いて、

「どうして私を待っていては下さらなかったのですか」と叫んで号泣した。

 数日後、夏草の生い茂る山道を押し分けて、大伴金村、物部粗鹿火、許勢男人ら大和の大連、大臣たちが何百という供人を従えてやってきた。御輿の前には朝廷の旗が幾十流も鮮やかに靡き、御輿の前後を精鋭たちが守り固めていた。

 男大迹王は焼け残った宮殿の一室に座していたが、大伴金村大連らはその前に跪き、八尺の鏡・草薙剣・八尺の曲玉、それに玉璽を捧げて男大迹王を拝し「どうか天皇の位をお受け下さいますように」と懇願した。しかし男大迹王は、

「民を子として国を治めるのは重き業である。他の相応しい方を帝位に就けるべきである。私の事はお忘れ下さい」と述べて、三日三晩大臣たちが哀願しても男大迹王は頑として固辞したので、大伴金村大連等は泣き伏して、

「ら、伏して思いまするに、大王より他に帝位に相応しいお方はおりませぬ。大臣(おほおみ)大連(おほむらじ)将相(まえつきみ)諸臣(もろもろのおみ)ことごとく大王と社稷のために死を賭してお仕え致します。どうか、天下万民のため、臣の願いをお聴き納め下さいますよう、伏して願い奉ります」

 これを聞いて男大迹王は「神祇(あまつやしろくにつやしろ)には(きみ)(ぼう)しかるべからず。宇宙(あめのした)には(きみ)無かるべ(なかるべ)からず」(天地(てんち)(かみ)祭る(まつる)には神主(かんぬし)無くて(なくて)はならず、天下(てんか)治める(おさめる)には君主を欠かす事は出来ぬであろう)と申されて、璽符(みしるし)を受けたので、臣下たちは感涙にむせんで地に打ち伏して歓喜した。

 男大迹王は河内国樟葉宮(くすばのみや)で即位して継体天皇となられた。この時男大迹は五十八才だった。しかし大和には男大迹の即位を快く思わない勢力がいくつもあったので、男大迹が大和に都を移したのは即位後二十年が過ぎてからだった。

           *

 物語り終えると大中臣能宣は何百年もの旅をした者のようにぐったりとして目を閉じてしまったので、人々は、能宣の話がどこまでが本当でどこが作り話であったのか是非とも知りたかったが、とうとう聞きそびれてしまったのである。

『日本書紀』によれば五〇六年に武烈天皇が後嗣定めずして崩御したため、大連(おおむらじ)・大伴金村らは越前に赴いて男大迹王を大王に推戴した。これを承諾した王は翌年五十八歳にして河内国樟葉宮(くすばのみや)で即位。武烈天皇の姉(妹との説もある)にあたる手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后とした。五二六年、大倭(後の大和国)に都をおいた。その直後、継体は百済救援の軍を送ったが、新羅と結んだ磐井により、九州北部で磐井の乱が勃発し、その平定に苦心している(磐井の乱については諸説ある)。