百人一首ものがたり 44番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 44番目のものがたり「道風」

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「心寂房殿は中納言朝忠という人物の病は何だとお思いですか」と定家が訊くので、

「面目ないことでございますが、私は、朝忠というお方が天徳内裏歌合に出詠された公卿であるという事以外、何も存じてはおりませんので、そのお方の病につきましても何一つ存じません」

「『逢坂山のさねかづら』を詠った三条右大臣定方ならお分かりでしょうね」

「無論です。定方様のお父上・高藤様が片田舎の娘と出会ったお話は死んでもわすれません」

「朝忠はその定方の息子なのです」

「・・・では、朝忠殿は醍醐天皇の従兄弟ということでしょうか」

「いかにも左様です。朝忠の孫娘の倫子は道長の正室になりましたからこれ以上はないという幸運の持ち主と申せましょう。朝忠は背も高く頭脳も優れていました。ですからすべてを兼ね備えていた人物とも思えるのですが、実はある病に悩まされていたのです。それは、肥満の病です。ひどく肥え太って立ち居にも苦しかったと物の本に記してあります」

「それほどの肥満とは・・・」

「朝忠自身肥っている事を大いに気に病んで、重秀という医者に掛かっておりましたが、医者が申すには、『食べ物による養生しかありません。冬は湯漬け、夏は水漬けのみを食べていれば自ずと身も細りましょう。くれぐれも食べ過ぎてはなりません』、と忠告したのです。朝忠はこれを聞いて節食に心がけました。ところが一向に痩せないので重忠を呼び出して、

『そなたの申すとおりにしているが、ますます肥るばかりなのは如何なる次第であるのか』と聞き質しました。重忠は不思議に思い『中納言様がどのように食されておられるのか、いつもの通りの食事を私に見せて頂きとうございます』

 そこで朝忠は召使いに命じて、その用意をさせたが、その有様というと、膳盤に見事な鮎と干瓢を山盛りにさせ、金椀という器に飯を山盛りにして、

「これほどに少なくしているのだ」という。そして医者の見ている前で飯に水を掛けて箸でかき回して何倍も食べたので、重秀は呆れてものも言わずに退散したというのです。この話は『宇治拾遺集』にも記されていますよ」

「なんとまあ、呆れた方ですが、息切れはあったのでしょうか」

「朝忠は笙の名人だったと記録されていますが、吹いていると苦しくなるほど息切れしたようなのです」

「そうでしたか。それなれば、朝忠卿は恐らく消渇(しょうかっ)という病に間違いありますまい」

「それはいかなる病ですか」

「最初に目立つ症状は肥満でござりますが、やがて脹満の症状も現れ、多尿、多汗、神経痛がつのり、気が失せて死に至ります」

「恐ろしい病のようですが、治療法はござりましょうか」

「重秀という医師の申すとおり、食によって治すより他にありません。赤小豆などは効果があるとされています。また、大麦につきましては、『医心方』に、『渇を止め、食を消し、脹を療す』とありますので、こうしたものを常日頃から食すれば、かなり痩せるのでないかと思います」

「節食ですか。皮肉なことに、今の時代は貧しい食物しか手に入りませんから節食どころか飢餓を恐れなければならない有様ですが、朝忠の時代は正反対でしたから、食い道楽の朝忠にはとても出来ぬ話だったのでしょう。しかし朝忠という人物について私が不思議に思っているのは、これほど不格好な大男が、まるで業平公と見まごうほどの和歌を詠んでいるということなのです。たとえば、

人づてに知らせてしがな隠れ沼(ぬ)の

みごもりにのみ恋ひやわたらん

(森の奥のひと目に触れぬ沼の底に藻がゆらゆらと揺れている、そのように、私はあなたのことをひそかに胸に秘めて思い続けているが、この思いは誰も知らないのだから、あなたにも分かるはずはない。だからそのような私を誰かがふとみつけて、あなたに知らせてくれやしないだろうか)」

「隠れ沼のみごもりにのみ恋やわたらん、とはまた、何とも巧みな言葉遣いでござりますが、朝忠卿は肥満漢だったのですから実際に恋ができたとは思えませんが、想像で詠んだのでしょうか」

「いえいえ、朝忠は大層な伊達男でした。多くの女と恋愛関係にあったことは紛れもない事実で、太政大臣実頼の愛人・大輔とは深い仲でしたし、謙徳公の愛人の本院侍従とも知らぬ者のないほどの仲でした。また、敦忠の愛人であった右近とも逢っていたようです」

「右近という方につきましては既に物語りもお聞かせいただきましたが、そも、どのような出自の女だったのでございますか」

「右近は藤原南家の血筋を引いていたようです。南家はご承知の藤原仲麻呂の乱の後、没落しましたから、その子孫も日陰に生きていたのでしょう。しかし右近はよほど優れた才があったものと見えて、醍醐天皇の皇后穏子に仕え、多くの貴公子と浮き名を流しました。朝忠とも良い仲だったのです。しかし朝忠は大輔に夢中でしたから、右近とはすぐに切れたようですよ」

「何とも、あまりに複雑で、想像もできません」

「まことに。当時の男女関係の複雑さと濃密さは源氏物語をも凌ぐほどと申しても良いでしょう」

第44番目のものがた 「道風」 )

『とうとう行ってしまったのか』朝忠は女の肌を思い出してため息をついた。忍び逢って過ごした三年がこれで消えてしまうのだなと考えると、寂しさがいや増しに増して、今頃逢坂山を越えているのだろうかなどと想像しながら庭の楓の木の下をうろうろと歩いた。

 たぐへやる我が魂をいかにして

はかなき空にもてはなるらむ

(いつもいつも私の魂はあなたのもとにひたと離れずに影のように付き添っておりました。その私の魂を打ち捨てて、どうしてあなたは好きでもない夫に従って見も知らぬ遙かな国へ旅立ってしまうのでしょうか。残された私はいったいどうすればよいのでしょうか)

 あの歌を彼女は今頃読んでくれているだろうか。それとも、武蔵の国へ着いてから密かに目にするのだろうか。今となってみると、牛車の中でかすかに聞いたホトトギスの声や、寺の僧侶たちの森に響き渡る読経の声が何とも懐かしい。あのようなことはもう夢になってしまったのだ。あれこれと思いながら朝忠は秋の初めの夕暮れの中にいつまでもたたずんでいた。するとすると突然家人が庭を横切ってこちらにやってきた。

「右近様より文がまいりました」

 庭の隅に使いの童子が立っている。「今頃、迷惑なことだな」そう思いながら文を見ると、 

 おほかたの秋の空だに侘びしきに

物思ひそふる君にもあるかな (後撰423)(普通の秋の空であっても辛いものでありますのに、あなたさまがつれなくなされますので、私の物思いはいやましに狂おしくなることですよ)

「どうぞ、返しのお文を」と童子は頭を下げて懇願する。朝忠はため息をついて、

「数日内に必ずお伺いするからとお伝えしてください」

「いいえ、必ずお返事をもらってまいれと申しつけられておりますので、どうぞ」

「何とも困ったものだ」苦笑していると、渡殿を誰かが小走りにやってくる。

「朝忠どの、いずれにおられる、朝忠殿」

 友人であり恋敵でもある橘敏仲が姿を見せた。

「これは敏仲殿、いかがなされました」

「大事が出来いたした」

「大事とはまた大げさな」

「小野道風が付け文をいたしました」

「道風殿が?いったいどなたに付け文を」

「太秦に籠もっておられる大輔様にお届けしたのです」

 朝忠は驚いて敏仲の顔を見つめた。今の今まで頭の中を行き来していた武蔵の国へ去って行った女の面影など跡形もなく吹き飛んでしまった。敏仲は懐から文を取り出した。見ると、

 穂にはいでぬいかにかせまし花すすき

身を秋風に棄てや果てなむ  後撰267 

(あなたを思う気持ちを誰にも知られないように、私の胸の奥にひそと包み隠しておりましたが、時が来るとススキの穂が包んでいた葉の間から姿を見せるように、とうとう本心をうち明けずにはいられなくなりました。こうなったら、いっそ秋風にススキの穂がさらされて靡くように、あなたが私などにはすぐに飽きてしまうのを覚悟して、あなたの飽き風に身を曝してこの身を棄てて死んでしまおうかと思い詰めているのです)

 「この歌からすれば、道風はずいぶん以前から大輔様と忍ぶ仲であったということであろうか」

「そういうことになろう。私も大輔様の態度がこのごろ如何にもよそよそしいので、何かお隠しになっておられるなと思ってはいたのだ。二十日ばかり前ににも文を出したが一向にご返事がない。使いを出して、文を戴きたいと催促させると、ようやく返事がきた。これがあまりにも素っ気ないものだから私にはもう毛筋一本も靡く気配は無くなったのだなと思い知らされたのだ。これを見てくれ」

 敏仲はもう一枚の文を床に広げた。そこには、見慣れた大輔の筆で敏仲に宛てた歌が記されていた。

 

淵瀬とも心も知らず涙川

おりやたつべき袖の濡るるに (後撰611)

(あなた様は涙川に降りてびしょぬれになって辛い思いをなさっているなどとおっしゃっておられますが、そのようなことは詰まらぬ言葉の遊びです。そもそもあなた様は私という人間の心が瀬のように浅いのか、淵のように澱んでいるのかもご存じない。何も知らずに涙川に飛び込もうとなさるなんて、それはただ袖が少しばかりぬれるばかりで、私の心をつかむことなど到底できることではありませんわ)

「これを見てやはり、と思い知らされました。なにしろ大輔様には左大臣実頼様と弟の右大臣師輔様という大物が左右から言い寄っている。お二人は交互に文を寄せては大輔様の心を動かそうとしているのですからこちらに目をくれる隙なぞありそうにありません。しかし拱手傍観しているだけでは気が済みませんから内裏に手を回してあれこれとさぐりましたら、まずはこれをご覧下さい。右大臣から大輔に当てた文の写し。こちらがその返歌です。

折りて見る袖さへ濡るる女郎花

つゆけき物と今や知るらん 右大臣師輔 後撰281

 (女郎花の花は折って見ると、想像していたよりもずっと露を含んでいてすっかり袖が濡れてしまいました。女郎花のようなあなたを想うと、私の袖はぐっしょりぬれてしまいます。この私の気持ちを分かってくれますでしょうか)

 大輔・返し

万世にかからむ露を女郎花

なに思ふとかまだき濡るらん  

(このような露はいつの世にも絶えずあるものでしょうに、あなたの折った女郎花は何を思ってそんなに早くから濡れているのでしょうか)

「これからすると大輔様は右大臣になびいているとしか思えませんが」

「いかにも一度はなびいたようなのです。ところが兄の左大臣実頼様が不機嫌になって、右大臣との仲が険悪になったものですから、大輔様は心苦しくなられて、不意に太秦に引きこもってしまわれた。右の手を右大臣に、左の手を左大臣に引っ張られているのですから彼女としては身の置きようがなかったのでしょう。しかし左大臣は太秦にまで文を寄せたのです」

 山里の物さびしさは荻の葉の

なびくごとにぞ思ひやらるる 後撰266

(あなたは私を棄てて太秦の山里に隠れておしまいになられましたが、その山里には荻の葉をゆする秋風が寂しくなびいていることでしょう。それというのも、私はあなたのことをいつも想っているものですから、その思いを秋風が運んでいって、荻の葉をそのように悲しげに揺すぶっているのです)

「ところが返事がない。使いの者が様子を窺いに尋ねても合おうともなさらない。これはよほど気疲れさせてしまったようだ。実頼様も師輔さまも少しの間ご遠慮なさって文をお出しするのも控えておられるご様子でした。ところが、何とした事か、二人の隙を付いて小野道風が密かに思いを通わせ、どうやら大輔様の心をしっかりと掴んでしまったらしいのです」

「敏仲殿、それは真実のことですか」

「嘘などではありません。道風は先の和歌に続けてまた届けたのです。これです」

「大輔の女童を手なずけて写させたのですか」

「そんなことはともかく、ご覧になって下さい」 

   限りなく思ひ入り日のともにのみ

西の山べをながめやるかな

(あなた様のことばかりを思い詰めて、日が西に傾く太秦のあたりをずっと見つめておることですよ)

「たいした歌とは思われませんが」

「ところが、大輔様が返歌を届けたのです」

 いとかくて止みぬるよりは稲妻の

光の間にも君を見てしが

(このようにあなたさまと隔てられてお会いできないままで思いを断たれることはとても我慢できませぬ。たとえ稲妻が光る一瞬の間だけでも、お逢いしたいと想っています。)

「これほど激しい歌を道風ずれに?」

「驚きましたか。私どもに寄越す和歌とはまるで違います。大輔さまも本気らしい。あなたがどこぞの女にうつつを抜かしている間に、このような大事が起きていたのですぞ」

「何としたことか・・・しかし書家の風情の道風がどうして女心を掴んだのかが納得ゆかぬ」

「まことに、信じられぬ事です。道風は先般ようやく殿上人にくわえてもらったばかりというに、左右の大臣ばかりか我らをも出し抜いたとは」

「道風など、何の取り柄もない男ではないか。背が低く、頭ばかり大きくて、しかも半ば禿げかけている。それを、どうして大輔の心を揺るがす事ができたのであろうか」

 朝忠が首をひねると、敏仲は

「私も納得が行かないのです。位も低い。風采も上がらぬ男が我らを出し抜いたのですから・・・道風に取り柄があるとすれば書ぐらいのものですが、たかが筆と墨で大輔の心を掴んだとは思えませぬし」

「道風は最近、御殿に詩編を書き付けたと聞きましたが、どこでしたか」

「宣陽殿の屏風に白氏文集を書いたようです。しかし私は漢詩は好きではありませんから、見てはおりません」

 朝忠は追い立てられるような気持ちに襲われて、宣明門を通り、綾綺殿を通って宣陽殿に入った。左右の大臣をも退けた筆の力がどれほどのものか、ひと目見なければ気が済まなかった。

 中にはいると闇が立ち籠めている。供の者が掲げる紙燭があたりだけがまぶしく光る。壁際をたどってゆくと、屏風らしきものが見えた。料紙の金泥が目映く光る。

 六曲一双の屏風一面に楷書草書行書の三体の文字で漢詩が記されている。

楷書は七律「題新居寄宣州崔相公」及び五絶「池西亭」の二首。

行書は七律「吾廬」及び五律「秋晩」

草書は七律「九日思杭州旧遊寄周判官及び諸客」及び七絶「夢行簡」

 朝忠は驚嘆した。もはやこれは文字ではない。龍が灰色の天空を駆けめぐっている。山を呑み、雲を翼にして天空を自在に往来している。神が道風に乗り移って書かせたものであろう。朝忠は屏風の前に佇んで、紙燭の明かりが消えるのも気づかなかった。

 朝忠は呆然として牛車に乗った。朦朧とする頭の中を道風の筆跡が去来する。ため息をついているうちに牛車は太秦にたどり着いた。朝忠は随身に門を叩かせると、大輔様は留守との事だった。

「いかがなされますか」と随身が訊ねた。

「仕方がない、戻ろう」朝忠は牛車の中で肥満した自らの身体を見つめた。道風が竜であるなら、この私は、牛か、豚か・・・。このまま帰ったら内裏の笑い物になるであろう。逢えなくても、せめて想いだけでも届けねば。朝忠は牛車の中で文をしたため、和歌を書いて随身に届けさせた。

 いたずらに立ち帰にし白波の

なごりに袖の干る時もなし

(あなたさま想うと夜も寝られず、ひと目でもお逢いしたくて太秦のお屋敷をお訪ねいたしました。でもあなた様の影すら見えず、私は海の白波が二つに折れて砕けて海に飲み込まれるように空しく戻ってきてしまいましたので、私の袖は涙に濡れて、乾く間もないほどですよ)

 夕刻、大輔から返歌が届いた。

 何にかは袖の濡るらん白波の

なごりありげも見えぬ心を

(あなたは白波に洗われて袖が濡れてしまったとおっしゃいますが、どこに涙の波があるのでしょう。あなたの名残すらこのあたりには少しも見えませんよ)

 これを見て落胆のあまり、朝忠は空腹と疲労が重なってどっと床についてしまった。そしてひと月ばかりの間寝込んでいたが、大輔様からは見舞いの文の一つも届かなかった。ある晴れた日、朝忠はようやく床を離れて庭に出ると秋空の雲をつくづくと眺め、大きな腹が萎んだのを見つめながら歌を詠んだ。

 逢ふことの絶えてしなくばなかなかに

人をも身をもうらみざらまし (この世に男女の仲が絶えて、逢うということが全てなくなってしまったならば、あの人を恨み、この女に恨まれ、この身のわびしさに泣くということもなくなるであろうのに、何とこの世の人の心は、逢うということのしかららみに捕らえられて、息も絶え絶えになって辛い思いをすることであるよ)