百人一首ものがたり 43番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 43番目のものがたり「父」

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 内裏に強盗が入り少弐命婦が衣装をはぎ取られるという事件が起きて、関白頼道はひどく心を痛めて心寂房を呼び療治をさせたので定家の邸に回る時間がないらしくなかなか顔を見せない。十日ほど過ぎたが来ないので、定家は小倉庵に戻って書き物をすることにした。するとそれを待っていたように心寂房が尋ねてきたので、定家は「これが四十三番目の話です」と巻物を広げた。

第43番目のものがたり 「父」)

 目を覚ますとびっしょり冷や汗をかいていた。何という夢だ・・・もしも正夢であったら・・・

「どうなさいました」

 妻の手が伸びて、敦忠の衣をまさぐった。

「夢を見たのだよ」

「ひどい汗。うなされたのですね」

「あまりにはっきりと見たので、とても夢とは思えぬほどだ。聞いてくれるか」

「はい」妻は腕の中で頷いた。

 私は琴を弾いていた。夏風が夕べの空をゆらゆらと揺らし、美しい晩であった。自ら奏でる妙音にうっとりとしていた。雲も風も木々も心の物思いもただひとつに溶け合って、風に誘われどこまでも流れてゆくのだった。その時急に胸騒ぎを覚えて手を止めた。

 どこからかかぼそい琴の音が響いてくる。誰かが密かに琴を奏でているらしい。絶え絶えに聞こえてくるのだけれど、なよとして得も言えぬ響きだ。しかもその音にはこの世のものではない気配が漂っている。いったい誰が奏でているのだろう・・・立ち上がって夕暮れの中を琴の音に誘われて歩いていった。

 あたりは一面の笹原で、風が吹くと、銀色の葉裏が一斉になびく。琴の音はますますさえ渡って梢を揺らす。笹の葉を分けてどこまでも歩いて行くと老いた松の下に庵が見える。庵に近寄って小さな窓から中をのぞくと美しい女が琴を弾いていた。ひと目見て、アッと声を上げた。なんとそれは母だった。死んだ母が、松の庵で琴を弾いている・・・胸が潰れるほど驚いていると、

「よく参ったな、敦忠殿」背後から嗄れた声がした。振り返ると、遠い昔に死んだはずの大納言藤原国経様が立っていた。

「そなたの琴は朱雀の帝もすこぶるお気に召しているそうだが、母の琴の音はまた格別であろう」

「はい・・・それにしても、母はどうしてこのような所においでなくですか。それに大納言様も」訝しむと国経様は私を懐かしげに見つめて、

「まあ、ここにお座りなさい」そう言って自分も松の根方にゆったりと腰を下ろした。

「わしはな、現世では辛い思いをした。そこで後の世では穏やかに生きようと心に決め、こうして山奥に暮らしておる。ここならば、妻を盗みにくるものもおるまいからの」

「妻を盗む、誰が盗むのです」

「他ならぬ、左大臣時平じゃよ」

 私は大納言が何を言っているのか理解できなかった。この人は正気なのか。死人の妄想なのか。風が吹いて松ぼっくりが目の前にポトリと落ちた。大納言は手を伸ばして拾い、手のひらの上に載せてころころと転がした。

「私は妻を愛していた。掌中の玉のようにいとおしんでいた。ところが、左大臣時平は、私の甥でありながら、妻を盗み取った。我が子も盗んだ。私は妻と子を一度に失って望みを失い、死んでしまった」

「何の話をなさろうとしているのか、少しも分かりません」

「在原棟梁の娘は私の妻となり、そなたを孕んだ。ところがその大切な妻と子を、左大臣は盗んだ。敦忠、そなたの本当の父はこの私だ」

「愚かな・・・あなたは自分が何を言っているのかご存じない」

「敦忠、私はそなたの父なのだ」

「いくら申されても、私はあなたの息子などではありません。たしかに母は一度はあなたの妻になり、滋幹という息子を生みましたが、あなたがあまりにも老齢で母とは五十も年違いなので、人が仲立ちになって別れ、左大臣家に嫁ぎました。私はその後に生まれたのです。私の父は時平しかありません」こう言うと大納言はつくづくと私を見て、

「滋幹が私と妻との息子であることは今さら言われるまでもない・・・滋幹は母を失い、私も死んでしまったのでずいぶん苦労している。それはともかく、私の子は滋幹一人ではない。そなたも私の子なのだ。というのも左大臣が妻を盗み取った時、妻は私の子を孕んでいた。その腹の子が、そなたなのだ」

 これを聞くと私は怒りで正気を失いそうになった。

「大納言殿、この世には申して良いことと、話してはならぬことがありまする。私の父は左大臣藤原時平。母は在原棟梁の娘。私が生まれたのは母が再婚して数年の後と聞いております。なのにどうしてあなたが私の父でありましょうか」

「いいやさにあらず。そなたの父は神掛けて大納言国経じゃ」

「聞く耳持ちませぬ。第一あなたはその頃八十に手が届こうという老齢、そのような歳でどうして子が成せましょうや」

「真実の父をそのように申すものではない。年老いてはいても、私はそなたの母を愛することは出来た。滋幹が良い証拠ではないか。そなたと滋幹は四つしか違うまい」

「大納言殿、大概になされ。聞くに堪えませぬ」

 私は言い捨てて立ち去ろうとした。頭上で鋭くホトトギスが鳴いた。姿は見えず、声だけが灰色の雲を鋭く切り裂いた。大納言は深々とため息をついた。

「そなたはこれまで左大臣時平を実の父として疑わなかった。誰もがそのように認めていた。それ故いきなりこの私が父だと申し聞かせても信じる気にはなるまい・・・だが、私の話に微塵の嘘偽もない。時平は右大臣道真公を太宰府に配流して憤死させたほどの大悪人だが、それよりも大きな罪は、この私から妻と腹の中の子を奪った罪じゃ」

「・・・」

「よいか敦忠殿、これから話すことをよくお聞きあれ」大納言国経は薄くなった髪の毛が冠の端から逆立つのをかまわず、つとめてゆっくりと話はじめた。

「あの晩、私は大層酒に酔っていかにも良い機嫌になっていた。と申すのも、そなたの母が私のために美しい琴の音を思う存分聞かせてくれたからじゃ。そなたの母は私の妻となる前からその(かんばせ)も心映えも、この世には二人と居るまいと思われるほどの女人であった。わしは棟梁殿の家を訪ねて初めてその姿を見た時のことを今でもよく覚えている。その時の胸の高鳴りを何と申して良いのか、言葉がうまく操れぬのでうまく語れぬが、ともかく一目で心奪われ、それからというもの毎日のように胸の思いを文に託して伝え続け、幾年もの努力の末にようやく妻として迎えることができた。うれしくてな、夕べが訪れるのをいそいそと待ち、いくら見つめても飽く事がなかった。ある夜には唐国の楊貴妃とはこのような女であったのであろうかと思い、その琴の音を聞いては、極楽の迦陵頻伽の声も妻の声には遠く及ばぬであろうと聞き惚れていた。 睦言もまだ尽きなくに明けにけりいつらは秋の長しといふ夜は これは凡河内躬恒の和歌だが、その時、和歌というものが人の心の真実を隔てなく伝えてくれることをしみじみと感じた。わしは幸福で己の年など忘れてしまった。

 そうしたある晩、突然左大臣が平貞文を供にやってきた。聞けば、どこぞの寺に詣でるについて、方違えをしなければならぬによって、一時寄せていただきたい、と申すのだ。無論私は大いに喜んだ。甥とは言え、今をときめく左大臣が我が家に訪れてくれるとは、何にも代え難い光栄であるし、これまでに様々に贈り物などを頂いた義理もある。それにまた平貞文は平中とて誰知らぬ者の無き評判の男。山ほどにおもしろい話を腹に抱えているという噂であったから、これはさぞや楽しい宴になるであろうと喜んだのだ。そこで屋敷に蓄えてあったさまざまなご馳走や果物、酒を倉から出して宴を整えた。

 左大臣は盛り上げられた山海の珍味にすこぶる機嫌を良くして酒を何杯も飲んだ。若い女たちが舞を舞い、催馬楽を歌った。

 我が(わが)(かど)を とさんかうさん ねる(おとこ) (よし)こさるらしや 由こさるらしや

 由なしに とさんかうさん ねる男 由こそるらしや 由こさるらしや

(私の門の前を あっちこっちと 物思わしげに歩く男 何かわけがあるのだぞ わけがあるらしいよ。わけがないのに あっちこっちと、ゆるゆると歩く男、何かわけがあるのだぞ、あるらしいよ)

 左大臣はますます上機嫌になって『いかにもいかにも、この歌の通り、わしがここにやってきたについては、由があるのじゃ』という。そこで私は『それはいかなる由があるのでござりましょう、是非おきかせいただきたい』と尋ねた。左大臣は意味ありげに笑って、『平中にこそ聞きそうらへ』

 私は平中に首を回して『我が門に参られたのにはいかなる由がございましたのか、どうかお教えくださりませ』

 平中は一度咳払いをしてから『実は左大臣殿とあれこれとお話いたして居た折り、古今の美人の誉れ高い女の話に及びましてな、左大臣殿が〈今の世で美人の聞こえあるは誰ならん〉と幾度もお尋ねになられましたので、〈美人の誉れ高き者は、左大臣様の伯父大納言国経郷の奥方の他にありませぬ。彼の方は在五中将在原業平様の孫にして、琴の名手、世に並びなき美人でござります〉とお答え申した。これを聞くと左大臣様が〈それほどの美人なればかぐや姫にも勝るとも劣らぬであろう、是非にひと目お会いしたいものじゃ、いや、明日とは言わず、今夜にもお目に掛かりたい〉とこう申される。しかしいくら何でも、夜更けにいきなりお訪ね申し上げてはいかにも無礼と思いましたが、左大臣殿が〈今じゃ、今じゃ〉と急かれるので、こうしてお連れしたという次第』

 私はふと不安になった。先ほどは方違えのためにお寄りしたいと申されていたのに、実は妻を見るためであったのか・・・しかし美人の誉れが高い故に左大臣ほどのお方がわざわざおいでになったと思うとやはりうれしくてな「実は、琴のほうも相当の名手でござる」とつい口にしてしまった。

 左大臣は『それはそれはまことに床しい。世に名高い美人の弾く琴の音を聞いて帰りたいものじゃ』と申される。私はよろよろしながら奥に入って、妻に琴の次第を話して聞かせた。

 妻は頑なに遠慮していたが、『左大臣の所望を無碍に断る事もできまい。琴の一曲でも聴かせれば帰るであろう』と言い聞かせたので、宴席の御簾の陰に隠れて琴を弾き始めた。左大臣は悦に言って『大納言殿、これほどの琴の音、聞いたことがない。いやはや大納言殿の北の方は伝説の神農に優るのではないか』と盛んに誉め、酒を手ずから注いでくれる。私は妻の琴をほめられて有頂天になり、どうしたら満足してお帰りいただけるであろうかとあれこれと思いを巡らした末『左大臣様がこれほど喜んでくださるとは光栄の至りでござります。今夜の引き出物に、妻の弾く琴をさしあげましょう』とこう言った。左大臣はますます喜んで、酒を注ぐ。私は興奮と感激に飲み過ぎて、酔いつぶれてしまった。

 気がつくと朝だった。あたりはひっそりとして、誰もいない。左大臣も平貞文も帰ってしまった。いやそれどころか・・・妻の気配がない。どうしたのだ、妻は、どこにいるのだ。私が聞くと、家司が「左大臣様が御車に乗せて連れてお戻りになりました」という。仰天して「それはいかなることか」と聞き質すと「左大臣様は車を庭先につけて、家の者に、『大納言は今夜の引き出物に琴を下さる約束された。しかし琴があったとて弾き手がなければどうにもならぬ。故に弾き手も共にいただいて参る』と申されまして、北の方様を牛車にお乗せして、お帰りになりました」

 腰を抜かすほど驚いた。引き出物に琴を差し上げると言ったことは確かだが、妻をやるなどと、そのような約束をした覚えもない。いやたとえ話の中で冗談に出たにせよ、真に受けて妻を連れ去ってゆくなどとは信じられぬ。

 私は屋敷中をくまなく探した。調度の中も、厠の後まで探し回った。妻はいなかった。それでようやく事態を悟ったのだ。妻はほんとうに左大臣に連れ去られた。宴席の引き出物に、取られてしまったのだ。

 私は失意の余り飯も喉を通らなくなった。そうしたある日、耳の中で誰かが語りかける声がした。菩薩の声だった。目には見えなかったが菩薩であることはすぐに分かった。菩薩は申された。『何事にも因があって果がある。因なきところには果は生じない。そなたはその昔、在原業平がそなたの妹・高子に恋して盗み出した時、従兄弟の基経と共に二人を追いかけ、雷鳴に紛れて高子を奪い返した・・・時移って業平の孫娘がそなたの妻となり、その妻が基経の子・時平に盗まれた・・・因果とはこうした事である。そなたの嘆きはそなたが蒔いた種の果実である。執着は果てしない輪廻を生む。執着を捨てて仏の教えに学ぶなら救いは自ずと訪れるであろう』・・・しかし、しかし私は諦めきれなかった。妻を盗まれ子を盗られてどうして恨みを捨てる事が出来ようか。私は悔恨と憎悪の海に身を沈め、淪落して死の床についた・・・私は誓った。私ひとりで黄泉路を辿ることは我慢がならぬ。必ず時平を引きづり込んでくれようぞ・・・

 願いは達せられた。時平は死んだ。私が死んだのは延喜八年九月の事だが、時平は十ヶ月後の延喜九年四月、三十九才の若さで息絶えた。突然の死に、世の人は時平は右大臣道真の怨霊に取り殺されたと噂した。しかし実はさにあらず。私の恨みが時平の命を奪ったのだよ」

「恐ろしい事です」

「そなたは真実の父を二歳の時に失い、父と信じた時平を三歳の時に失ったのだからさぞや苦労も多かったであろう。だがそれもこれも時平の撒いた種の末なのだ」

 どこからか琴の音が響いてきた。大納言はよろよろと立ち上がると笹の葉を分けて庵の中に姿を消した。後から入って行くと、母が琴を弾いていた。母は手を止めてこちらを見た。

「敦忠、ようこそおいでになられましたね・・・長い間分かれて暮らしておりましたが、これからは共にここで暮らすのですよ」

「ここで・・・母上と」

「父もごいっしょです」

 私はドキリとした。亡くなった両親と共に暮らすとは、もしや・・・狼狽していると、母は琴を一筋うち鳴らして、

「あなたの寿命はあと半年です。その後はこちらへ参りなさい。互いに琴と笛を吹き、山々の雲や霧の包まれて楽しみましょう」

「あと半年、私は半年で死ぬのですか」

「死ぬのではありません。私たちのもとにおいでになるのです。待ち遠しいことです」

          *         

「母は、待ち遠しいと二度申されて私の手を握りました。私は恐ろしくなって、思わず声を出したので、目が覚めたのです」

「そうでしたか。でも気になさることはありません。所詮、夢ですもの」

「あまりにもはっきりとした夢だった」

「夢は夢でござります」

「死ぬのかも知れぬ」

「何を申されます。あなた様はまだ三十七。これほどに若く美しい息子を、実の父母が常世に呼び寄せるなどということがありましょうか」

 妻が優しくそう言うので敦忠は少し楽になって再び横になった。しかし、それからひと月の後、敦忠は突然血を吐き、病の床についた。

「夢の話は本当であった。二人の父の因果によって私は死ぬのだ。・・・いやもしかしたら、あの恨みの和歌の故であろうか・・・」

「恨みの和歌とは」

「そのような事はもうどうでもよい。それよりそなたに話して置かねばならぬ事がある。私が見たもう一つの夢の話だよ」

「どのような」

「そなたの夢だ」

「私の」

「私の死後、そなたが、私の家司・民部卿文範と結ばれる夢を見た」

「何を申されます」

「そなたは夢の中で、文範と幸せそうであった・・・そなたは既に文範と逢瀬を忍んでおるのであろうが、私がこの世を去れば忍ぶことはない・・・幸せになるがよい」

「・・・」

「そなたと私とは、決して浅い縁ではなかった。そなたは醍醐の帝の皇子、保明親王の妃であったのだが、私はひと目見て忘れられず、幾年も情を通わしていた。そうしている間に保明親王が亡くなられたので、私はそなたといっしょになったのだ。ところが今度は私がこの世を去る番が来てしまった・・・実の父から左大臣が母の腹の中の私を盗み、親王の妃を私が盗み、私の妻を家司が盗む・・・三世因果とはよく申したものだ・・・誰も恨む気にもなれぬ。母も父も大納言も、みな良い人であった。ただ、口惜しいのは、最早、和歌を詠む暇が残されていない事だ・・・そなたと忍び逢っていた頃がいちばんの幸せであった・・・」

 敦忠は遠い記憶の中をさまよっていた。木霊のような響きが聞こえる。あれは鳥の声か、それとも、風が洞に鳴る音か。

 彼は妻の顔を見、何か言おうとして何も言えず、目を閉じた。その耳に、かすかに歌が響いてきた。はるかな遠い昔、ああ、それは、あの夢の日々の歌だった。

 逢ひ見ての後のこころにくらぶれば 昔はものを思はざりけり