百人一首ものがたり 28番 源宗于 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 28番目のものがたり「枝折り」

山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「宗于殿を選んだ理由がお分かりでしょうか」と定家が言うので、心寂坊は「いっこうに分かりませぬが、光孝天皇を祖父に持ちご自身は宇多天皇の甥に当たり、子孫には有名な平兼盛や赤染右衛門がおいでなのですから何とも恵まれたお方だと思います」

「いやいや、恵まれているどころかこの方には果たされぬ夢と不安と悲哀が滑稽なまでに滲んでおります・・・心寂坊殿は『枕草子』の『すさまじきもの』という一文はご記憶でしょうか」

「そればかりは面白く読みましたので・・・除目に外れた方の家の悲しげな様子が記されていたと記憶しております」

「そうそう、そこは次のように記されておりますよ」

 定家は書棚の枕草子の写しをめくって小声で読んだ。

除目(ぢもく)に司(つかさ)得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、出で入る車の轅(ながえ)もひまなく見え、もの詣(まう)でする供に、我も我もと参りつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁まで門たたく音もせず、あやしうなど、耳立てて聞けば、

「ここに目を通しますといつも胸が痛みます。私もこの通りでしたし、源宗于殿もその悲哀を何十年と重ねていたのです」

「源宗于様は官位に恵まれなかったのですか」

「全くその通りです。『大和物語』にはそれがよく記されておりますよ・・・ある時宗于は今度こそ自分は昇進するに違いないと信じていたのにまたも選から落ちてしまった。彼はひどく落胆しておりましたが、ある日、紀伊の国から源宗于の叔父にあたる亭子の帝(宇多天皇)に石のついた海松を奉ってきた。そこで大勢の歌人が集まって歌を詠みましたが、宗于も天皇に気持ちを伝えたい一心で歌を詠みました。その歌は、

 沖つ風ふけゐの浦に立つ浪の

なごりにさへやわれは沈まむ

 歌の意味はと言えば、沖風が浦に吹き付けて浪が立ちますが、私は石のついた海松のようなものですから、風がいくら吹き付けても砂浜に打ち寄せられることもなく、底に沈んだままでいるのでしょうか、というほどのものです」

「何とも哀れな歌でございますが・・・亭子院は何と」

「怨みがましいとしか思わなかったようですよ。しかし宗于はあきらめず、また亭子の帝に歌を奉りましたが、その歌は、

 哀れてふ人もあるべく武蔵野の

草とだにこそ生ふべかりけれ」

「どうも難しい歌でございます」

「亭子の帝も、『何を言っているのかわからぬ』とにべもなく申されたそうですが、歌の意味をよくよく考えてみれば、『武蔵野の草にでも生まれていれば、哀れな草だなと言う人もあるだろうに、私は見捨てられたままだ・・・』という嘆きでしょうか」

「どうにも情けない気持ちがいたします」

「そうでしょう。しかし反対の面から見れば、そこが面白いとも申せます。寛平の御時といえば『寛平御時后宮歌合』が華々しく開催された夢のような時代でしたが、そのような時に生まれ合わせて、しかも親王の御子としてお育ちになったお方でも、これほどみじめな思いをしている人もあったのだと思うと、人間というものは、お釈迦様が申されているように、四苦八苦から逃れられないのだなと、つくづくと思い知らされるのです」  そう言って、定家は巻物を机の上に広げて見せた。

第28番目のものがたり 「枝折り」 )

 秋の夕暮れ歌書を書写していると、屋敷の門のあたりで人声がして、ドサリと何かが落ちたような音がした。しかし宗于は何も聞かふりをして筆を動かし続けた。

『梅津より御舟を装い仕立てて、船頭を召して、夕月夜小倉山のほとり、行く水の川辺あたりをゆくと、久方の空にはたなびける雲もなく流れている水の底にも塵ひとつ見えず、帝のお心にかなうあたりの様子である』

 延喜七年の秋、宇多上皇は大勢の公卿の他に貫之・躬恒などの歌人を引き連れて大井川に御幸をなされたが、上皇はその時の歌を冊子にまとめ提出するようにと貫之にお命じになられた。貫之は早速それらの歌に仮名の序文をつけて差し出したのだが、宗于はその御幸に随行することはできなかったので、どうしてもその歌集が見たいと常々貫之に頼んでいたところ、ようやく写しを貸してくれたのだ。ひと目見て、文章の見事さに深く心打たれた。舟の中の楽しげな様子が手に取るように目に浮かぶ。法皇様をとりまく公卿たちの晴れやかな様子、御舟に散りかかる紅葉の風情。

『我ら心あさはかな者が秋の風情を求めてあちらこちらと惑い行くと、ひとりでにつたない言葉が吹く風の空に乱れるように乱れて歌となり、草の葉の露が落ちるように涙があふれ、岩に浪がうち寄せるように、喜ばしい心が繰り返し繰り返し立ち返ってくる。このような中で詠まれた言の葉は世の末までも残り、今を昔にくらべて、』

 嗚呼このような御幸に随行できなかったとは・・・宗于は今更ながら悔しく、情けなくて、涙がとめどなくこぼれ落ちた。

 ふと気がつくと家人が大声で騒いでいた。またあいつか・・・あのように声高に騒いでは他の屋敷にまで聞こえるではないか。宗于は腹立ちのあまり立ち上がろうとしたが気持ちを抑えて筆を握りしめ、貫之の歌を口ずさんだ。しかし詠い終えぬうちに家人が小走りに来る気配がして、

「忠棟様がお戻りになりましたが酔っておいでになられまして」

「かまうでない。ほっておきなさい」

「しかし大層お吐きになり、いつもとはだいぶ様子が違いますので」

 宗于は筆を湿った布で拭いて筆箱に収め、立ち上がった。

 息子の忠棟は台所の床に大の字に転がっていた。汚物が首から床一面に垂れ、くさい息を吐いている。しかも狩衣の替わりにみすぼらしい女物の夜着のようなものを身につけ、藁紐で腰を巻いている。何という醜態。博奕に負けて憂さ晴らしに酔って帰ってくることはこれまでにも数え切れぬほどありはしても、これはあまりにもひどい。宗于が言葉を失って見下ろしていると、忠棟は寝ころんだまま、両目を七分ほど開けて、

「ご覧の通りでござりまする」

「何としたことぞ」

「博奕に負けました」

「そなたは何度愚かなまねをすれば気が済むのだ」

「死ぬまでやりとうござりまするな。酒もまだ飲みたりませぬ女もまだ味わい尽くしたとは言えませぬ」

「何を申す!」宗于はギリギリと歯を噛んだ。「博奕に負け、身ぐるみ剥がれて、しかも親にそのような口を利くとは」

 これを聞くと忠棟は下から眠そうな目で父親を見上げて、

「酒を飲むのが何故悪いのでござりまするか・・・宇多法皇様は河原院に大酒飲みの殿上人を八人も召し出して呑み比べをさせたと聞き及んでおりますぞ」

「そんなことは、知らぬ」

「父上は存ぜずとも大変な評判でござりまする。酒飲み共は鯨の如くに酒を飲んで、八人で一石に及ぶといえども、砂に水を注ぐが如く飲みに呑んで、したたかに酩酊して庭や御殿の中をはいずりまわり、果ては苦しみのたうち回り、池の水を飲むものあり、松の木にすがるものもある。その様子を法皇様や公卿たちが腹を抱えて笑って見物なさったそうな。何故酒飲みの私がその場に呼ばれなかったのか、残念至極にござります」

「そなたという奴はまだ恥の上塗りをしたいのか」

「父上が何と申されようと、酒は飲みとうございます」

 吐物の匂いがいちめんに漂っている。忠棟は己の吐いた黄色い水の中に頭を埋めたまま、口だけはやけに達者だ。

「父上様は私の博奕をお咎めなさいますが、それはどうかと思いますぞ。法皇様はしばしば競馬をご覧になり、大臣や公卿たちと勝ち馬を争っておられる。相撲もまたその通り。これまた博奕ではござりませぬか。しかしこの私は法皇でもなし、親王や公卿でもありませぬので競馬や相撲を楽しむことは出来ませぬ。せいぜい自分の懐の貧しい金で博奕をして、負ければ金は無論、身につけていたもので支払って戻るまででございます。この世には上も下も楽しみと言えば酒と博奕より他に無し・・・そのように恐ろしいお顔をなさいまするな」

 忠棟は目を三分ほどに細めて父親を見、唇にうっすらと笑いを浮かべて、大きなあくびをした。宗于は怒りを押し殺して、

「私はそなたが幼い頃から、出来うる限りの学問を授けた。物心つかぬ頃から歌も琴も教えたつもりだ。それというのに・・・今のそなたの有様を見ると、ただ嘆かわしいと思うばかりだ」

 これを聞くと忠棟は半身を起こし、くさい息を吐きながら父親をつくづくと見た。

「いかにも父上は私を情けなくお思いでしょう。しかしながらこの私も常々あなた様を拝見しながら、何と嘆かわしい父であろうかと、ため息ばかりついておりまする。それ、ついこの間のことでごさりましたな、法皇様が「紀の国より石つきたる海松(みる)をなむたてまつりける」を題として歌を詠めと申された時、父上は おきつ風ふけゐの浦に立つ浪の などと妙な歌を詠まれた。ご自分の身分がいつまでもあがらず、あちらこちら権守を渡り歩いたあげくにようやく右京太夫にはなったものの、公卿にはどうしてもなれない、その嘆きを訴えておられるのでしょうが、法皇様はこれをみて腹の中でお笑いになられたでしょう。子の私からしても、これはあまりにも情けないなさりよう。まったくこれが光孝天皇の孫にあたるお方であろうかと涙ばかりこぼれます」

「黙れ、忠棟、そのようなことを父たる私に向かって申すとは、己をわきまえよ」

「いいえ、ここまでもうしたのですから最後まで申し上げましょう。あなた様はいつもご自分の身分にご不満であられる。そのご不満を子に向ける。こちらはたまったものではありませぬ。あなたの父は光孝天皇の第一子の是忠親王、今の宇多法皇は光孝天皇の第七子、事の成り行き次第では宇多法皇と地位が逆転していたかも知れませぬ。いいや、たとえそのような僥倖が起きずとも、天皇の孫という今の立場からすれば、平城天皇の孫であられた在原業平様と同じ身分。故に、もっと優雅に日々をお送りになれたはず。ところがあなたはいつも法皇にへつらうばかり。腹の底では法皇の仕打ちに腹を立てながら、歌は浅ましいばかりに媚びている。こんな歌もございました。

 時雨のみ降る山里の木のしたは

をる人からやもりすぎぬらむ

(時雨ばかりふっている山里の木の下には、そこに暮らしている人が日の目をみようとして木の枝を折ったからでしょうか、その折った木の枝の間から雨がしきりに漏ってくることですよ)

 法皇様は「宗于の歌は何の事を言っているのかいつもながら全くわからぬ」とあきれられ、あなた様はしたたかに面目を潰された。父上はなぜこれほど卑屈になられるのか私には理解できませぬ」

 忠棟はそう述べて鼻をすすった。これを見て宗于は、

「そうか、そなたは酒を飲み、博奕をして身を持ち崩しているのも私のせいだともうしたいのだな」

「左様。毎日毎晩説教ばかりされてはたまりませぬ」

 忠棟は頷いたが同時に口から黄色い水が流れ出た。

「水をくれ、苦しくてたまらん」忠棟の声に家人はあわてて水を椀に入れて持ってきた。

「渡すでない」宗于は強い声で言った。「このような者に飲ませる水はない。出て行け!」

「・・・この私を追い出すというのですか」

「いずこへなりと出て行け!最早親も子もない」

 忠棟は唇をゆがめて宗于を見上げた。家人たちも驚いて二人を見ている。宗于はきびすを返して部屋に戻った。

 夜、歌書を引き写つそうとしたが少しも書けない。横になると、夢を見た。舟に乗っている。大勢の歌人たちに混じって自分が法皇の脇に座って紅葉の川を下っている。水の中は色とりどりの紅葉で埋め尽くされている。左右の川岸から張り出した枝が帯のように頭上で枝を交わし、真っ赤に染まった空はまるで錦の天の川のようだ。遠く近くで猿が鳴いている。山奥で小さく侘びしげに鳴く声がするかと見ると、山あいの猿が悲鳴のように答える。これをお聞きになって、法皇様は、「誰ぞ詠って見ぬか」と申された。宗于は、この時とばかりと口を開こうとすると、前の席から凡河内躬恒が、

 わびしらにましらな鳴きそ足引きの山のかひあるけふにやはあらぬ 

(猿よ、そんなに侘びしそうな声を出して鳴いてくれるなよ、あしひきの山の狭間に暮らすお前達にとっても、上皇様をお迎えした今日こそ、良い声で鳴いて鳴き甲斐のある日ではないか)

 法皇は大いにお慶びになられて、躬恒に打掛を引き出物に賜った。宗于はエーイ儘よ、と口惜しく思っていると、舟は急に動かなくなった。紅葉が川面に一面に散り敷いて、柵のようになって舟をひきどどめている。どうしたものかと見ていると、法皇様は船端をまたいで紅葉の川に降りられた。不思議なことに、紅葉が筏のようになって少しも沈まない。公卿たちも後に続いたが、まるで川の上に紅葉の橋が出来たようでなんとも美しい。宗于も後に続くと、いつの間に山に入った。みんなうちそろってゆるゆると坂道を上る。どこを見てもまばゆいばかりの紅葉だ。日の光が紅葉に透き通って黄金色に輝いて公卿たちの衣を染めている。ああ、まぶしい光だ。宗于は思わずつぶやいて目を閉じた。

 目を開くと、誰もいない。宗于はただ一人で紅葉の山を歩いている。いったいどこに行ってしまったのか、あちらの岩陰、こちらの谷間を探したが、誰もいない。呆然と尾根に立っていると、風が吹いてきた。紅葉が小鳥のように空一面に舞い上がる。紅葉の川が山々から空に向かって、一筋、また一筋と流れて行く。やがて幾筋もの紅葉の川が虚空に消えてしまうと急にひっそりとした。

 いずれの木にも一枚の葉もない。見渡す限り枯れ木の山だ。猿が悲しげに鳴いている。いったいどうしたのだ。私ひとりを置いて、みんなどこへ行ってしまったのだ。宗于は石につまずき谷を渡って探して歩いた。誰もいない。鳥がホーホーと鳴いている。いったいここはどこなのだ。紅葉の山は・・・雪だ。真っ白い雪があたり一面を覆い尽くし、山も木々も見えなかった。

 

 物音に目を覚ますと、家人が青ざめた顔をしていた。

「どうしたのだ」

「出て行かれました」

「何のことだ」

「忠棟様が出て行かれました」

 宗于は目を閉じた。目の底に寒々とした冬景色が見えた。それから数日後、忠棟の友人が文を届けてきた。忠棟の歌が書き付けてあった。

しおりしてゆく旅なれどかりそめの

命知らねばかへりしもせじ

(親に叱責され、家を追われて出て行く旅なのですけれど、また戻ってくることもあろうかと、目印に枝折りして行こうと思います。しかしはかない命はいつどうなるものか分からないものですから、都へはもう戻ってこられるかどうかわかりません)

 そうか、あの枯れ山で迷っていたのは私ではなく息子だったのか・・・そう思うと涙がこぼれたが、文を見返しても「よその国へ参ります」とだけ記されているだけだった。

雪が舞うようになった。このような寒さの中どこでどうしているだろうかと物思いに耽っていると、忠棟が長年通っていた嵯峨野女から使いの者が文を持ってきた。そこには、

「あのお方は亡くなられました」とあり、歌が添えてある。

 今来むといひて別れし人なれば

限りと聞けどなほぞ待たるる

(すぐに帰ってくるからと言って別れた人ですから、死んだと聞いてもきっと帰っておいでになるとそう思えてなりません)

 宗于はすぐに支度をして嵯峨野に向かった。女の家をようやく尋ね宛てると、門は閉まって、雪が降り積もった庭に(かれ)(むぐら)が倒れている。築地の破れ間から入ってみたが人の気配はさらにない。雪が夕暮れの空を灰色の雲が流れている。

 ・・・忠棟、そなたはどこの国に行き倒れてしまったのだ。誰がそなたの遺骸を葬ってくれたのだ。

 風が冠に吹き付けて、雪が襟首に刺さるように入り込む。宗于は雪の降る荒れ野に呆然と立っていた。

 山里は冬ぞさびしさまさりける ひと目も草も枯れぬと思へば