百人一首ものがたり 25番 三条右大臣

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 25番目のものがたり「観音かづら」

名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「私は定家様が三条の右大臣をなにゆえにお選びになったのかいろいろと考えて見たのですが」と心寂坊は薬を混ぜながら言うので、

「どのような薬を混ぜているのですか」

「葛の根に芍薬の根、それに干した生薑と芹の一種の川キュウという草の根などでござります」

「今度は効いてほしいものです」

「何とかよい薬をこしらえたいものと試みておりますが、思うように生薬が手に入りません。葛にしても昔は大和に『大和葛』があり専門に頼んでいた者たちがおりましたが戦乱の世になってからは採る者もなくなり、他の生薬も同様の有様です。しかし今日お作りしておりますのは知人が手を尽くして手に入れたものを分けてくれたものです」とこのように言うので、定家は喜んで、白湯に溶いた薬湯を一息に飲み干して、懐紙で口を拭いながら、

「さて心寂坊殿、さきほどの話はどうなりましたか」

「さきほどとは」

「右大臣藤原定方を百人の一人に選んだ理由です・・・心寂坊殿は何故に選ばれたとお考えになったのですか」

定家はなんともその答えが楽しみだという風に目を細めている。そこで心寂坊は薬箱を隅に片付けると、

「恐れながら我が考えついた理由は、まず第一にこの方の歌は古今集に十七首ほど取られ、全て良き歌でございます。また周囲の人々を見てみますと、これがなかなか大変なものでござります」

「なるほど」

「系図によりますれば、定方様の腹違いの姉胤子(たねこ)様は宇多天皇の妃となり、醍醐天皇の母となっておられる」

「いかにも」

「次に、定方様の孫の宣孝殿は、紫式部の夫になっておられる」

「それは申すまでもないこと」

「また定方様は、従兄弟の兼輔様と共に、紀貫之、凡河内躬恒などの庇護者となり当時の歌壇が百花繚乱と咲き乱れるその礎を築かれた。こうしたことを逐一考えてみますれば、定方様が選ばれるのは当然かと思われます」

 心寂坊がこう述べると、定家は微笑して、

「それだけでございますのか」

「・・・これでは不十分だと・・・」

「いかにも物足りないご説明ですな」

「何かまだ足りませぬか」

「まるで足りませぬ・・・お分かりになりませんかな・・・肝心なのは物語です。いかに優れた歌詠みであろうと、その人物にまつわるまたとない出来事や面白い話がなければ取るに足りません」

「では、定方様には、そのような物語がございますのか」

「無論、巷の子どもでさえよく知っている話です」

「子どもまでが存じているほどの話とは・・・、さて」

「竹取物語ですよ」

「何と、竹取物語が定方様と関わりがあるのですか」

「大ありです。定方様はかぐや姫の息子と言っても間違いではないのです」

「かぐや姫の、御子?・・・いくら中納言様のお話しでもこればかりは信じられません。月に帰った女に子があるなどと」 

 心寂坊が憮然としているのを見て定家は、

「確かに世に広まっている物語のかぐや姫に子はありません。しかし実際には子が生まれたのです」

「???」

 心寂坊がますます怪しむ様子なので、定家は次のような話を話して聞かせたのだった。

                

 『定方様の父上は藤原高藤と申されて内大臣になられたお方ですが、若い頃はすこぶる生気にあふれた若者で、たくさんの部下を引き連れて山に入り、鷹狩りをするのが得意でした。その高藤がまだ十五、六の頃、いつものように配下の者を引き連れて鷹狩りに出て、山また山を越えてゆくと如何にも景色の良いところに出た。見とれていると突然激しい雨が降ってきた。車軸を流すという言葉そのままで、部下たちは蜘蛛の子を散らすように木陰に逃げ込んでしまったので高藤は帯刀(たてわき)という馬周りの者一人を従えて雨宿りが出来そうなことろはないものかと馬を急がせた。しばらく行くと竹藪の中に大きな屋敷が見える。門の奥には立派な母屋の棟が雨に黒々とそびえている。これほどの屋敷を構えている者であれば雨宿りをさせてくれるであろう。高藤が門の前で馬を止めると帯刀は中に入って、

「ご主人が雨で困っておられる。雨宿りをさせてもらいたい」と頼んだ。

家僕が帯刀に、「あなた様のご主人はどのようなお方なのですか」と訊く。そこで帯刀は事情を伝えると家僕は驚いたように小走りに中に入って行ったが、すぐさま戻ってきて、「このような卑しいところではございますが、雨露はおしのぎになれましょう。」と主従を導き入れた。

 家の中を見回すと如何にも由緒ありげな有様で、天井は檜網代を張り、床には高麗縁の畳を敷き詰め、周りには網代屏風が立ててある。高藤が安堵してくつろいでいると家の主が正装姿で挨拶して、「このような山家に大臣家の方々がおいでになられるとは、これに過ぎた名誉はありません。どうぞごゆるりとお休みください。狩衣や指貫が濡れておられますので、私どのもので乾かす間、こちらの衣装をお着けいただきたいと存じます」と言って真新しい衣服を差し出し、濡れた衣を宝物のように大切に別室に持っていった。

 しばらくすると引き戸がおずおずと開いて、高藤よりも一つ二つ若い、十三、四の若い女が片手で高坏を捧げ、左手の扇で顔を隠して現れた。貴公子など見たこともないためか緊張して足取りがいかにも危うい。娘はようやく高藤の前まで来ると高槻を恐る恐る差し出したが、すぐに部屋の隅まで後ずさりして恥ずかしそうに扇で顔を隠して息を潜めている。高藤は興味をそそられて「近くに寄りなさい」と命じたが少しも動かないので近寄って見ようとしたが扇で隠しているので顔が見えない。高藤は女の手を押さえて扇に隠れている女の顔をのぞき込んだ。と・・・これは何という美しさだ。天女とはこのような女を言うのではなかろうか・・・高藤は瞬きするのも忘れて見とれてしまった。女は恥ずかしがって両手で顔を隠して、這うようにして逃げてしまった。やがてさまざまなご馳走が出たので、食べているうちに夜になった。見事な寝所に案内されて横になったがどうしても眠れない。高藤は主人を呼んで、

「物思いで眠れないので、先ほどお会いした娘と話がしたいのですが」と頼むと承知して、ややしばらくしてから娘がやってきたので、引き寄せて抱き寝をした。娘の肌は清らかな香りを放っている。何という香木か想像もつかない。高藤はすっかり魂を奪われて、末変わらぬ契りを繰り返し語り合って、一夜を明かした。こうして暁時になったので、高藤は女に太刀を与えて、

「これを私の形見に持っていて下さい。私は必ずそなたを迎えに来るから、親が何と言っても決して他人の妻になってはいけません」と言い残して都に戻った。

 邸では家中の者が、若君がゆくえ知れずになってしまった大騒ぎして八方手を回して捜し回っていたので、高藤は父の良門に呼びつけられ『これからは二度と鷹狩りに出てはならぬ』と申し渡され、付き人の帯刀は若君を迷わせた咎で六年の追放となった。

 時を経ずして父の良門が他界し高藤が跡を継いだ。亡くなった良門は藤原北家を隆盛に導いた左大臣藤原冬嗣の子であったので、高藤には次々と役割が与えられた。高藤は与えられた役職をいともやすやすとこなした。すると太政大臣良房は高藤の叔父であったが、高藤の器量を見込んで後見人となってくれたので、高藤は朝廷で重きをなすようになり、責任も重くなって、夢の内に六年の歳月が経った。そうしたある日追放されていた帯刀が戻ってきた。高藤は帯刀の姿を見るなりそれまで忙しさに取り紛れて忘れていた鷹狩りの時の娘の事を思い出して胸が痛くなって、

「帯刀、お前はあの屋敷への道筋を覚えているか」と訊ねると、

「よく存じております」と言う。二人はすぐに支度して出かけた。山を越え、阿弥陀の峰を越えて行くと、見慣れた景色だ。

「あの時のままだ」と高藤は喜んで竹藪に囲まれた屋敷に近付いて、中を垣間見た。すると、あの時、一夜の契りを交わした女が立っているではないか。その姿は六年前と少しも変わらぬ美しさで、都でもこれほどの美女はみたことがない。女の側に五歳ほどの可愛らしい女の子が鞠をついている。高藤は思わず知らず近寄って、

「なんと美しい女の子だろうか。いったいこれは誰の子なのですか」と傍らに立っていた女に尋ねた。

女は俯いて袖で顔を隠して涙を流した。「どうなさいました」高藤が狼狽していると、屋敷の中から主人が姿を現した。

「お久しぶりにお目にかかりますが、まばゆいばかりに立派な貴公子におなりになられ、まずはおめでとうございます」

 高藤は「久しくおたずねできなかったこと、お許しください」と詫びてから「しかしあの折の事を忘れたことはありません。しかしあの時、子はおられなかった。この子はどなたの子ですか」

 これを聞くと主人は高藤を屋敷の中に案内して、

「あなたさまが都へお帰りになられ後、娘は邸に籠もり、誰からの文であろうと読みもせず、男が近づこうとしても逢おうともいたしませんでした。と申しますのも、あなた様がお戻りになられてから直ぐ後に、懐妊したことが知れたのでございます」

「では、この子は・・・」

「まことに、あなた様の子でござります」

 高藤が夢見るような気持ちで黙っていると、主人は二人が共寝をした部屋の奥の間に案内した。形見に残した太刀が飾ってある。高藤はつくづくと女を見つめた。

「待っていてくださったのですか」

「・・・はい・・・」

「ああ、そうと知ったら、一日も早くあなたに合いに来たものを・・・この子は、あの時に宿した子なのですね」

「はい」

「なんとも不思議な話だあろうか・・・こうした話を昔語りに聞いたような気がするが、我が身に起こるとは夢のようだ」

高藤が感涙にむせんで女の肩を抱きしめると、女は嗚咽して高藤にすがりついた。  二人はその晩寝もやらず女と語り明かした。翌日、帯刀が迎えの牛車と従者たちを連れて戻って来たので、高藤は一家を牛車に乗せ、都へ連れて戻った。』

「高藤様の話はこうした次第なのです」

「何とも、夢物語のようなお話でござりますが、その、田舎の屋敷の主というのは、どのような身分の者でございますか」

「郡の大領の宮道弥益(みやじのいやます)という者です」

「高藤様は、その庶民の女を妻にしたのでございますか」

「そうですとも。高藤様は宮道の女をひたすら愛して、やがて男の子が生まれました。それが定方様ですよ」

「右大臣・藤原定方さま・・・では、右大臣の母は、田舎の宮道の娘でござりますのか」

「そうですとも」

「では、高藤様が帯刀に導かれて二度目に宮道家を訪れた時に母の側で遊んでいた女の子は、右大臣の姉ということでしょうか」「まことにその通り。このお方が胤子様です。胤子さまは母に似てまことに美しく育ち、宇多天皇に入内いたしました。そして誕生なされたのが、醍醐天皇なのです」

「・・・・・・」

「信じられないというお顔ですね」

「いや、まさしく、醍醐の帝のお母君が、名もない田舎の娘であったとは・・・それは、確かな事でございますか」 「私が今語りましたのは、ほんとうの事です。こうした話が種となって世間で取りざたされ、やがて竹取物語が生まれたものと思われます。かぐや姫の話では帝がかぐや姫を妃にと申し込んでもこれを拒んで月に戻ってしまうという筋書きになっていますが、定方様のような話は夢のまた夢なのですから、庶民には、かぐや姫のような筋書きのほうが受け入れやすかったのではないでしょうか」

第25番目のものがたり 「観音かづら」 )

 定方はうとうとと昼寝をしていたが、従兄弟の中納言兼輔が夕暮れの庭をぶらぶらと歩いて来たのでぼんやりと目を開いた。「そのお顔では良い夢をごらんになっておられたようですな」そう言いながら兼輔は縁に上がって手に持っていた藤袴を手近な竹筒に生けると、「この花は女に見立てたらどのような姿の者であるとお思いですか」と聞く。だが、定方はまだぼんやりして、夕暮れの庭に焦点の定まらぬ眼差しを向けている。

「まだ桃源郷に遊んでいるとは羨まして限り。一体どのような夢を見たのです?」

「いや、どのようなと聞かれても」

「あまり良い夢なれば人に語るのが惜しいのでござりましょう」

「いいやそうではありません。常になくあまりにはっきりと見たものですから夢であったのか現なのか妙な気分なのです」定方がこう言うと、兼輔はいよいよ身を乗り出して、

「それは是非とも聞かずにはおられませぬ」と側に腰を下ろした。東山に半月が上り草むらで虫が鳴いている。物語にはふさわしい秋の宵だ。そこで定方はぽつりぽつりと語り始めた。

「そなた様も存じておられるように、私はひと月ほど前から本院の侍従のもとに付け文を届けておりましたが言い寄る者が多いため決して逢ってはくれませぬ。それでこのままでは深草の少将のように恋路に果てるばかりなのかと自らを哀れんでおりましたがやはりあきらめきれず、つい先日の雨の晩、宵の口から丑の刻まであの方の門前に牛車をつけて篝火を焚いて、門の扉の間から文を差し入れて「ひと目だけども」と言い送りました。しばらくして童子が文を持って来たので見ると、「あなたさまの真心は心にしみてありがたく存じております。けれど私も内裏にお勤めする身の上、屋敷の内外にさまざまな方々の目があります上に、年来の思いを掛けて文を送り続けておいでの方々も少なからずありますために、なかなかお逢いすることもできませぬ。でももしあなたさまが他の方々の目を忍んでおいでになることのできるすべをお持ちでしたら、どうぞ、誰にも知られず忍んでまいって下さい。」

 この文を見て大いに落胆し、また憤慨もしました。無論私は女のもとに大勢の男が言い寄っていることぐらいはよくよく承知しています。色事にかけては名うての平貞文までもが通い詰めているというのですから容易ではありません。しかしそれだからこそ恋心はいよいよ高まるというものではありませんか・・・ところがこともあろうに、誰にも知られぬ術を使って忍んで来るなら逢っても良いとはあまりの言い草。もしもそんな便利なものがあったなら千金を積んでも世の男どもは殺到するであろう。

 戻る道々もう望みはないものと半ばあきらめかけて下京の四つ辻を通りかかると、小さな観音堂がある。あたりは清げに飾られて紙燭の明かりに観世音菩薩様がうっすらと笑みを浮かべてこちらをごらんになっている。それでふと思い立って、「私はふだんより不信心で観音様へのお参りもご無沙汰いたしておりましたが、もし私を哀れと思し召されましたらどうか望みを叶えて下さい。願いが叶ったその時は観音堂を立派に立て替えることをお約束いたします」と祈願しました。

 次の日、何かいい頼りはないものかと待ち兼ねておりましたが何も来ないので、やはりだめなのだなとがっかりして、夕暮れの景色を眺めているうちに眠ってしまったのです。

 夢を見ました。本院の侍従があでやかな微笑を浮かべて御簾の中から私を見つめてこう申すのです。

「私と睦み合いたいと心からお望みならば、どうか逢坂山のさねかづらを取ってきていただきたいものです」

 これを聞いて心の中で小躍りしました。それはあまりにもたやすい事ではないか。かぐや姫が蔵持の皇子たちに出したような難題ではどうすることもできまいが、逢坂山のさねかづらなど、すぐにでも手に入れることが出来るであろう。すっかり嬉しくなって身支度を整えて出かけました。

 山を分け入って行くと折しも秋は半ばを過ぎ、あたりはいちめんに紅葉して、山道はいろとりどりの葉で埋め尽くされている。歩くたびにはらはらと小鳥の羽ように落ち葉が降ってくる。この世とも思えぬ美しい山道を、どこまでも登って行きました。すると目の前に真っ赤な実をつけたさねかづらが山毛欅の大木から房を作って下がっているのを見つけました。それは見事なさねかづらで、一本の蔦に何千何万と実がなっている。私は声もでないほど喜んでその蔦を採ろうと手を伸ばしました。その時、女の声がしたのです。

「その蔦は私のものです」

振り返ると若い女が立っていましたが、驚いたことに観音堂の菩薩様にそっくりなのです。

「その蔦をどうなさるおつもりですか」彼女は私に尋ねました。私は包み隠さず訳を話しました。聞き終えると女は、

「いとしいお方のためにこのように山深いところまでやってこられたとは、ほんとうに心根の優しいお方ですね。どうぞお望みのままにお持ちになって下さいまし。」

 許しを得たので有頂天になり、目の前のさねかづらを切り取りました。と、すぐそばにもっと良いかづらが見える。それを切ると、また隣に美しいかづらが実をつけている。こうして次々に切っているうちに日が暮れてしまいました。

 女は、「これほどにお切りになったのですから満足でしょうね。でも日が暮れましたので今夜は私の家においでなさい」

 私は女に導かれるままついて行きました。紅葉の木の間隠れに瓦葺きの屋根が見え、門を入ると山の中とは思えない立派な屋敷。召使いに奥の間に通され、やがて大勢の女房たちが酒やご馳走を次から次へと運んできました。最初は遠慮しておりましたが腹が空いていたのでご馳走を頬張り、酒を含むと陶然として、その後は何もかも分からなくなってしまったのです。

 気がつくと、女と共に寝ていました。女の白い手が私の首に巻き付き、両足が私の足に絡まって、ぴったりとくっついている。その気持ちの良いことは何にも喩えようもありません。私は恍惚として時を過ごしました。それが一晩であったのか何日も続いたのかさえ分からなかったのです。私はふと我に返って起き上がろうとしました。ところが身動きができない。全身にさねかづらが巻き付いて指一つ動かないのです。恐ろしくなってあたりを見回すと、一面の雪でした。

 どこもかしこも雪に覆われ、屋敷もなければ女もいない。ただ一面に真っ白い雪が降り積もり、私は雪の中に横たわっていたのです。私は驚いて叫びました。このままではさねかづらに取り殺されてしまう・・・私は夢中で身に巻き付いているかづらをふりほどきました。するとかづらはまるで雪のように溶け落ちて、この縁先で夢を見ていたのです」

 定方がこう話しをすると、兼輔は信じられぬという顔をしていたが、ふと定方の方の衣の折り目に手を伸ばして何かをつまみ上げた。

「はて・・これは、あなたが山で見つけたさねかずらの実ではありませんか」

 兼輔の手の平に紅色の丸い実が氷ったように光っている。

「何と、確かに、これは、女の山で見たさねかづらの実だ」

「それなら、先ほどの話は夢ではない。定方殿はさねかづらの女に逢っていたのだ、その女と逢瀬を重ねていたですよ」

  これを聞くと定方は縁先から飛び降りて走り出した。

「どこへ行かれる・・定方殿・・・」

 兼輔の声も聞こえず、定方は一散に走った。途中から雪が降ってきてたちまち一面雪景色になり、下京にさしかかった時には二寸あまりも積もっていた。定方は四つ辻の観音堂にたどり着くと紙燭が灯っている。扉は閉ざされて中は見えない。定方はちょっとためらったが思い切って扉を開いた。淡い光の中に観世音菩薩が立っていた。そして何と、その体にはさねかづらが巻き付いていたのだ。呆然と立ちつくす定方の耳に、女の声が聞こえてきた。

名にしおはば逢坂山のさねかづら

人に知られで来るよしもがな

 定方はこの歌を聞いて初めてこの観音堂を訪れた時の約束を思い出した。彼はすぐさま大工たちに頼んで立派な観音堂を建立し、御堂の中にさねかづらの巻き付いた観音菩薩を安置して、耳に響いた歌を柱に刻み込んだ。この話は誰語るとなく大評判となり、恋の成就を祈る若者たちが夜昼なくお参りするようになったので、たちまちのうちに観音堂は大伽藍となり、参拝客は絶える事がなかった。ところが定方が五十九才で世を去ると、観音菩薩に巻き付いていた蔦もいつの間に消え失せ、観音像も朽ち果ててしまった。そのためあれほど足繁かった参拝客の足も途絶え、寺は廃寺となった。しかしあの歌だけは長く人の口の端に上り歌われ続けたのである。