百人一首ものがたり 24番 菅家 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 24番目のものがたり「紅姫」

このたびは幣もとりあえず手向け山 紅葉の錦神のまにまに

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「道真公が太宰府に流された真の理由というのは何であったのでございましょうか」心寂坊が真剣な表情でこう訊ねるので、

「そうお尋ねになられるからには、心寂坊殿は左大臣時平が道真公の権力拡大を嫉妬して無理矢理陰謀罪をねつ造し死に追いやった、と、このような世間の噂は信じがたいとお考えなのですね」定家がこう言うと心寂坊は声をひそめて、

「道真公は死後天神様にお成りになったほどの不世出のお方です。道真公を側近としておられた宇多天皇の御代は「寛平の治」と呼び習わされ、長い平安時代でも特に繁栄と平和を謳歌したまたとない時でした。そのような時代を担った人物が殺されるというようなことは信じられないのです。左大臣時平様とてそれは同様で、道真公の人徳には感服していたのではないかと、私にはそのように思われてならないのですが・・・」心寂坊がこう云うので定家は、

「道真公がどれほど優れた人物であったかいくら語っても尽きることはありますまい。なにしろ道真公の出自は学者の家に過ぎませんがいかに並外れた才能の持ち主であったかは、科挙よりも困難とされていた修士の試験を易々と突破して文章生となり、更に殿上人に取り立てられて公卿に取り立てられました。文章生から殿上人となった人物は暁天の星よりも少なく、まして参議にまでなったのは、道真公以前は小野篁ただ一人です。しかも道真公は右大臣の位に就かれた。これほどの出世は公自身にも信じられぬことであって『臣は貴種にあらず、家はこれ儒林』と卑下し、自分はあるべき地位を超えてしまっていることを自覚していたのです、というのも、当時公卿に列することが出来るのは親王が臣籍降下して源氏となった者、あるいは藤原氏のいずれかであって、それ以外の家門の者が議政官に連なることなどあり得ない話です。それゆえ道真公の異例の出世は周囲の者にも異常な事態と映っていたようなのです」

「・・・」

「当時、第一の論客として知られていた儒家の三善清行(きよつら)は書簡を道真公に送って『来年は辛酉の年である。よって異変が起きることが予測される。おさおさ身の警戒を怠ってはならぬ。この際、自らの栄誉栄達を捨て、官職を去って詩文の日々を送る道を選ぶべきではないか』と忠告した程です」

「しかし・・・そのように名門でなければ議政官になれず、公卿にも列することが出来ないような国では、人材は世に出られず、やがて疲弊してしまうのではありませんか」

「勿論その通りです。宇多天皇が即位なさるまで国政は摂政良房と太政大臣基経に牛耳られ、幼い天皇が次々に擁立されました。宇多天皇はこのような藤原氏の横暴を嫌い、多くの英才を積極的に登用したので多士済々が才能を競い、文化の花が一斉に開いたのです。しかし道真公の力が増すにつれ、周囲の者たちにはその存在が限度を超ていると見なす者が多くなったのも否定できません。その原因の第一は、宇多天皇が道真公をあまりにも寵愛し、上皇になって後は彼一人に頼るようになった事です。上皇はある時醍醐天皇を密かに呼んで、『私は今後の国政を議政官たちではなく、道真一人にゆだねるべきであると心に決めているのだが、天皇もそのように心得てもらいたい』とこのように申されたと伝えられています」

「それは真実なのですか」

「ほんとうですとも。しかし申すまでもないことですがこれは大問題です。一人で国政を決するとなれば独裁ということになりますから到底許されることではありません。無論道真公は恐懼してこれを辞退しました。しかしこの事はたちまち朝廷全体を震撼させ、事件に発展しました。

 成り行きを知った左大臣時平は源光と善後策を密談しました。源光は仁明天皇の第三子でしたが、頭脳明晰なこと道真公と雌雄を争うほどと噂されていた人物です。その秀才ぶりは『妖魅ヲ洞察シ、以テ時人ノ惑ヲ解ク』と評判され「大日本史贊藪」という書物にもその天才ぶりが記されているほどです。つまり彼は人々が見えぬものを洞察し、惑いの闇に光を当てることのできる傑物だったのです。

 源光は時平に道真の処置ついて相談を受けると即座に「道真の横暴を容認すれば、世は乱れ、鬼の跳梁する場となりましょう、見逃すわけには行きません。日本国と朝廷を安泰に保つためには道真を追放する事が至当の策でしょう」と答えました。

 源光がこれほどきっぱりと断言したのは、道真公の娘衍子(えんし)は宇多上皇の妃となっておりましたが、衍子は斉世(ときよ)親王を授かっていたからです。もしも道真公が醍醐天皇を退位させ斉世親王を即位されることになれば、世は道真公の思うがままということになります。時平は源光の意見を容れ『道真を陰謀罪で捕らえよ』と命じました。道真は『醍醐天皇を廃し、己の娘衍子と宇多上皇の間に生まれた斉世親王を即位させようと謀った陰謀の罪』によって太宰府に流され二年後に亡くなりました。しかし世間は悲劇の主人公である道真公にもっぱら同情が集まったので、時平一族もその怨霊によってたたり殺されたと噂されたのです」

「・・・私はその噂はいかがかなものかと思っております。人の死は日常茶飯事ですから恨みを抱いて死んだ者の霊が現世にたたりを成すとすれば、この世は死者に支配されることになりましょう。まして一国の右大臣であった者が日本国に災いをもたらすなどとはあり得ぬことと存じます」

「なるほどそれは医師である心寂坊殿に相応しいご意見ですが、慈円殿も愚管抄の中で『もしも道真公が天神となって、その怨みを晴らすために時平一族を呪い殺すというのであれば、すべての藤原氏は天神の敵であり、滅ぼされてしかるべきであるのに、事実はそうではなく、時平の弟の貞信公が後を継ぎ、内覧、摂政の地位に就いて、その後、子孫絶えることなく、数百年の繁栄を保っている。このことを深く考えて見ると、日本のように小さな国に内覧する大臣が二人もいると問題が起きやすいと日本の神々天照大神、鹿島の建御雷神もお考えになられて、大織冠藤原鎌足の後裔こそ、内覧の地位にあるべきであるとお考えになり、ひとまず時平の讒言によって道真を朝廷から遠ざけ、その後、道真を追った罪によって時平の命を奪い、このようにして、国家の憂いを断った後、貞信公に後を継がせたのである。つまりこれは、日本の安定を保つための神々の叡慮であった』と述べられているのです」

「・・・では、慈円様は道真公の死は、神々がこの国を守るための配慮の結果であったと申されているのですか」

「慈円殿は、日本の国は、天皇家を大織冠藤原鎌足の後裔が支えて保たれるべき国であって、その藤原家を敵と見なすようなことがあれば、それは国が滅ぶ時であろうと、このようにお考えになっておいでなのです」

「では、中納言様もそのように・・・」

「心寂坊殿、私は天神様をあしざまにお話するほどの者ではありません。しかし、もし、宇多上皇が望まれていたように、仮に道真公が太政大臣になったとして、果たして時の朝廷は安泰であったでょうか。もしそうなれば醍醐天皇は廃されたのですから、古今集は生まれなかったということになります。また、御堂関白道長公も世に出られず、日本は全く違った国になっていた可能性があったのです。しかし、そうはならず、その後、二百年、泰平の世が続きました。そのことを考えると、慈円殿のもうされることも、なるほどと思えることも確かなことなのですよ」

 定家はこう述べたが心寂坊はまだ納得できかねる様子で、

「それにしましても、菅原道真公と申せば学問の神様、天神様にもおなり遊ばしました。それなのに、どうしたわけか、道真公の残された文なり書物というものはいかにも少ないように思えます。漢詩文に優れ、大学者でもあられた方の筆跡がどのようなものであろうかと興味を持っている方々も多かろうと存じますが、お目に掛かった事がありません。中納言様は何かご存じでございましょうか」とこのように訊くので、

「それにつきましては、慈円殿が愚管抄に『すべて北野の御事、諸家・官・外記の日記を皆焼け』と申されたと・・」

「焼けと申された、時平様がお命じになられたのですか」

「・・・いや、愚管抄には、帝と書いてありますから、醍醐天皇の命であったのでしょうが・・・しかし、帝はその時、十七歳という若さですから左大臣時平殿がそのように取りはからったのではないかと思います。けれど心寂坊殿の申される通り、あれほどの人物が書き残したものをすべて焼き捨ててしまったというのは大きな過ちであったというべきでしょう」  定家はそう言いながら、文箱の蓋を開けたのだった。

第24番目のものがたり 「紅姫」 )

 道真は太宰府の荒ら屋で熱にうなされながら夢を見ていた。門の中に大勢の人々が入ってきたかと見る間に松や梅、楓などの木々をどしどしと掘っている・・・あれは父が大切にしていた松・・・あの楓は祖父が長年いたわってきた植木だ。

「あなた方は何をするのです」年老いた召使いが必死で止めようとしている。

「右大臣様が大切になさっておられた植木を掘り出すとは、許されないことですぞ」

「うるさい奴だな」人足の頭が目をぎょろりと剥き出した。

「右大臣などもうどこにも居らぬ。謀反の罪で太宰府送りとなった。主のいない屋敷に植木は不要であろう。中納言国経さまのお申し付けで御屋敷に運ぶところだ」人足の頭はそう言って老人を『邪魔だ』と突き飛ばした。老人は松を掘り出した穴の底にドスンと落ちてしまった。

 北の門からは牛車が幾台も出入りして、長持ちや屏風、道具類をどんどん運び出している・・・。

 罪が晴れて都に戻る日があっても、帰る屋敷はもうどこにもないのか・・・呆然としていると、荒れ果てた庭の片隅で老いた婦人が地面に両膝をついて、召使いの女と共に何か掘っている・・・あれは、私の妻ではないか・・・。

「ほら大きな生薑(しょうきょう)が掘れましたよ」

「奥方様がこのようなことを自らなさるとは」

「道真様は私がお送りする生薑をお喜びなさるでしょう。あのお方は冷え性でお弱いのですから、せめてこの生薑で身体を暖めて養生していただかなければ」

 召使いは両手を顔に当てて泣いている。その泣き声を咎めに検非違使がやって何か叫んでいる。叫び声はますます大きくなり、耳をつんざくばかりになった・・・。

 目を覚ますと秋の風が粗末な天井を吹き抜けていた。

「おとうさま」声がするほうを見ると、幼い紅姫がこっちを見ている。

「紅姫、隈麿はどうした」

 紅姫は顔を両手で覆って声もなく泣き出した。涙が両手の指からあふれ、膝にポタポタと落ちる。その涙を見て、道真は思い出した・・・死んでしまった。私と共に太宰府に流された幼い隈麿は死んでしまった。あれほどに聡明で元気な息子が・・。

 夜中に目を覚ますと、灯火の中に小さな包みが見えた。開くと、生薑だった・・・妻が送り届けてくれた生薑だ・・・道真は神に祈った。

『どうか私を都にお戻し下さい。何としても都に戻って身の潔白を証明しなければなりませぬ。どうかお助け下さい』

 彼は起き上がって身支度を調えた。傍らを見ると、紅姫はいつの間に旅支度を整えて父を見上げている。

「これから都に戻るのだよ」

「はい」

 ふたりは誰にも気づかれぬように夜の道を急いだ。関守に見とがめられぬように山道を辿って博多へ行き船を雇って防府に渡ろう。彼は紅姫を背負ってひたすら先を急いだ。

「あ、蛍」と紅姫が叫んだ。夜の闇に沢山の光が見える。大勢の人が二人を遠巻きにして黙って見ている・・・何としたことだ。

「博多へ通じる道はどの道ですか」

 男たちは黙っている。彼はため息をついて詠った。

あしひきのこなたかなたに道はあれど

都へいざといふ人ぞなき

(山のこちらにもあちらにも道はあるけれど、これが都への道ですよ、さあ、いっしょに都へ行きましょう、と言ってくれる人は誰一人いないことだ)

 道真は紅姫を背負い夜道を急いだ。明け方に大きな沼に出た。一面に氷っている。足の下で氷が不気味な音を立てる。道真は紅姫を背負って恐る恐る渡って行った。と突然氷は割れて、二人は沼の中に飲み込まれた。道真は胸まで水につかりながら神に祈った。

「私は無実の罪で太宰府に流され、成人した子どもたちは五つの国へ流刑となって、百人に余る門人もばらばらにされ、妻は生きる望みもなく苦しみ、流刑地まで連れてきた幼い息子は死に、今また、私は最後に残った娘と共に見知らぬ沼で溺れようとしてます。どうか、哀みをお与え下さい。罪を晴らさねば、死ぬこともできません。どうか、私のこの願いを聞き届けてください」

 彼は胸まで沈みながら歌を詠った。

 天の原茜さし出づる光には

いづれの沼か冴え残るべき

(大空を茜色に染めて上ってくる日の光はあたたかいので、どのような沼であろうと氷ったまま見捨てられることはない。そのように天の神々の恩寵の光は、罪を着せられて死のうとしている私をお見捨てになられることはないでしょう)

 歌が口から漏れると、凍り付いた沼はたちまち消えて、道真は紅姫を背負って山の中を歩いているのだった。

 雲がしきりに行き来して、やがて山の後ろに隠れて見えなくなった。紅姫は背中から指さして、

「あのお山は雲さんのお家なのね」

 彼は涙をこらえて、

 山別れ飛び行く雲の帰り来る

影見る時はなほ頼まれぬ

(山から別れて飛んでゆく雲は、いつの間にまた帰ってくる。その様子を見ていると、私もやがて都に戻れるのだなと頼みにしてしまうことだ)

 日が暮れた。彼は紅姫を抱いて枯れ葉の中に体を埋めた。月の光が紅姫の顔を照らしている。

「あのお月さまはどこへ帰るの」

「西のお山に帰るのだよ」

「それから」

「また明日の晩、私たちのところに戻ってくるよ」

「じゃあお月様は私たちを見捨てないのよね」

 紅姫の目に月が浮かんでいる。彼は涙をこらえ娘の顔を抱きしめて詠った。

 月ごとに流ると思ひし増鏡

西の浦にも止まらざりけり

(月は毎夜出るごとに西の空に向かって流れてゆく、そのように思っていたけれど、増鏡のような月は、西の海に沈んでもそこには止まらないでまた東の空から美しく上ってくる。そのように、私はまだ西の海の流刑地から出られないでいるけれど、きっといつの日か都に戻れるに違いないのだ)

 山道を行くと雪が降ってきた。紅姫は小さな手で雪を追いかけて、

「都の家にも雪が降っているのかしら」と言うので、

 花と散り玉と見えつつあざむけば

雪ふる里ぞ夢に見えける

(雪が美しい桜の花と惑わせて空に舞い、草葉の上に玉のように輝いて降っている。ああ故郷が雪の中に夢に見えるようだ)

 こうして幾日も歩いて行くと大勢の人がまるで刈萱の関所のように立ちふさがっているのが見えた。これを見て詠った。

 刈萱の関守にのみ見えつるは

人も許さぬ道べなりけり

(刈萱の関守はどんなものでも厳しく見張っているから私が逃げようとしてもけっして許してはくれないのだな) また詠った。

 筑紫にも紫生ふる野辺はあれど

なき名悲しぶ人ぞ聞こえぬ

(都の人は一本の紫の草を見ても一面の紫の野を思い浮かべて哀れと嘆いてくれるのに、この筑紫の国では、紫の生える野辺を私が無実の罪で迷っていても哀れと見て悲しんでくれる人はどこにもいないのだなあ)

 この歌を聞くと人々は恥じて煙のように消えてしまった。日が沈む頃海辺に出た。紅姫は波打ち際で貝を拾った。月の光が貝の滴に宿っている。道真は紅姫の着物の裾に寄せてくる波を見ながら、もし私が罪人ならこの水の中に浸かって身を清めよう。だが私には何一つやましい心がないのだから、どうして身を清めることがあろうかと思って、

 海ならず湛へる水の底までに

清き心は月ぞ照らさん

(海よりも深い思いを湛えている私の心はどこまでも潔白だということを、月の光はきっと照らしてくれるだろうよ)

 このように詠って夜空を見上げると、天の川が流れている。紅姫は美しい星空を指さして、

「彦星さんはどこにいるの。織り姫さんはどの星なの」と聞くので、

 彦星のゆき逢ひをまつカササギの

()渡る橋をわれに貸さなん

(彦星が織り姫と逢うためにカササギが架けた天の川の橋を、この私にも貸してくれないか、海を渡って都へ帰ろうとしているこの私に)

 冬の夜の海辺を歩いてゆくと、渚に木ぎれがながれついている。白い骨のように波に洗われて、流木はころころと転げる。波がざぶりと覆い被さる。

「あれは何」紅姫の指さす方を見ると、塩焼く煙が幾筋も空に立ち上っている。道真は詠った。

 流れ木と立つ白波と焼く塩と

いづれか辛きわたつみの底

(故郷を離れて朽ち果てて見知らぬ浜辺に流れ着いた流れ木と、無意味に海原を彷徨っている白い波と、海からくみ上げられて火に焼かれている塩と、いずれが辛いと誰が言えようか、だがそのようなおまえ達と比べても比べようもないほど、私は誰にも知られぬ海の底のように深く辛い思いを味わっているのだよ)

 歌の心が通じたのか、流木はたちまち美しい船となり、紅姫と道真を乗せ、潮風を帆に孕んで松の生い茂る明石の浜に着いた。

 須磨を過ぎる頃、紅姫が「おとうさま、筑紫に下るとき見た松の木が見えます」と言うので近寄ると、苔の生えた幹には大きな瘤が出来て、高く天に伸びている。道真は龍の背のような肌に触って、

「そなたはこの二年のうちにますます生き生きとしているが、私は悲しさの余り髪がすっかり白くなってしまった」と嘆いて、

 老いぬとて松は緑ぞまさりける

わが黒髪の雪の寒さに

(松は老いてしまったけれど、生気にあふれてますます緑を深くしている。それに比べて私の黒髪は寒さと悲しみの余り雪のように白くなってしまったことだ)

 峠を越えると遠くに比叡の山が見えた。

『ああとうとう戻って来た』そう思ったとたん涙が止めどなく流れる。

「どうなさったのです、おとうさま」

「見えないのだよ。日が沈んでしまったからね」

「いいえ、日は頭の上に輝いていますよ」

「ほんとうか、だが私には見えない」

 ああどうしたことだ。どちらへ行ったら私は都へ入れるのだ。・・・手探りで暗い霧の中を歩いたが、何かにつまづいてよろよろと冷たい岩の上に倒れた。息が苦しい・・・。

「おとうさま、おとうさま」紅姫の叫び声が聞こえる。「おとうさま、おとうさま、ああ誰か助けて。私のおとうさまを助けて」

 その声がだんだん遠くなる。

『このまま死ぬわけには行かぬ。このままでは・・・』

 道眞は最後の力を振り絞って立ち上がった。

「紅姫、どこにいるのだ」

「おとうさま、ここにいます」

「紅姫、私の顔を都の方に向けてくれないか、ほら、私の手を握って、都を見せておくれ」

 紅姫が父の手をとると、道真は呟くような声で詠った。

 霧立ちて照る日の本は見えずとも

     身は惑はれじ寄る辺ありやと

(霧がたちこめて日本の国が私の目にはっきりと見えないけれど、もう惑うまい。私のよりどころとするところがあるかないかなどと、思い惑ったりはすまい)

 彼は冷たい岩の上に横たわった・・・人の声が聞こえる・・・華やいださざめき・・・目を開けるといちめんの紅葉の山だ。錦の帯を敷き詰めたような山肌が日の光に映えて輝いている。穏やかな秋風に色とりどりの葉が空に舞う。狩衣をまとった人々が詠っている。輪の中に二人の人物が立っている。一人は尊い色の袍を纏った宇多上皇、もう一人は右大臣菅原道真。

 ふたりはにこやかに談笑して紅葉を見上げている。やがて上皇が何事か仰せになられた。道真は畏まって頷いた。

 耳元で誰かが泣いている。

「誰なのだ、泣くのは、このような錦の山の中で」

「おとうさま、おとうさま」

「ああ、紅姫」

「おとうさま」

「私はとうとう帝にお会いすることができた。このような美しい紅葉をお側で眺めている。そなたには見えるか」

「ああ、おとうさま、おとうさま」

「そなたには聞こえないのか、神々の声が。そら聞こえないかね、紅葉の山を讃える歌が」

 

 このたびは幣もとりあえず手向け山

紅葉の錦神のまにまに  延喜三年二月二十五日、道真が太宰府で息を引き取った時、枕辺にいたのは紅姫と数人の付き人だけだった。傍の架上には雨だれで染みついた恩賜の衣が冬の風に冷たく揺れ動いていた。右大臣菅原道真、享年五十九才。