百人一首ものがたり 17番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 一番目のものがたり「武蔵(むさし)(あぶみ)

ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 からくれなひに 水くくるとは

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「いよいよ業平様でござりますね」心寂坊がそう言うので、

「そう思って書き始めましたがどうにもうまく行きません・・・しかし業平のいない百人一首など意味もありませんので、あれこれと悩んだ末・・・伊勢物語を本歌取りすることにしたのです」

「伊勢物語の本歌取りとは・・・」

「この物語はたくさんの話が端切れのようになっていますからいくつかの話を取り込んで、ひとつの物語にできないかと、そう思ったのですよ」

 定家は言い訳じみたことを述べて巻物を広げた。

第17番目のものがたり 「武蔵(むさし)(あぶみ)」 )

 男は意味のない言葉を呟きながらあてどなく歩いた。夜になり、木の根を枕に眠ると、女が鬼に胸を踏みつぶされて頭から食われている夢を見た。女は男のほうへ両手を伸ばし、「あなた」と叫んだが、すぐに鬼の口の中に消えてしまった。

 目を覚ますと、ぐっしょりと汗をかいていた。ああ、私も鬼に食われればよかったと男は泣きながら歩いた。岩だらけの山があった。噴煙を激しく吹き出している。「あれは何という山ですか」樵に尋ねると「浅間の嶽だ」と言うので、男は 

 信濃なる浅間の嶽に立つけぶり

         をちこち人の見やはとがめぬ

 (信濃の国の浅間嶽が煙を吹き上げている。怪しげな山だ) と詠んで登って行った。噴煙の激しさといい、山の恐ろしげな有様といい、この世に鬼の棲むところがあるとしたらこの山の他にはあるまいと、そう思ったからである。しばらく行くと、あたり一面に噴煙が立ちこめ、溶岩が降ってきたかと思うと足下が突然崩れ、真っ暗な穴に落ちていった。

 気がつくとあたりはいちめんの溶岩。どろどろと不気味な音を立てて燃えている。鬼どもが男を取り巻いて相談の最中らしい。赤鬼が、

「この男を殺すのはたやすいが、女を我らが食い殺したと思われているのは面白くない」と言うと青鬼が、

「大臣の兄弟がさらっていったものを、鬼が食ったと信じ込むとはけしからん」

「全くだ」

 鬼がこんな話をしているので男は「教えてくれ!あなた方は鬼が食べたのではなく、基経・国経兄弟に連れて行かれたのか」

 鬼は男をジロリと見おろして、

「そうとも、お前が雷鳴に驚く隙に、奴らは裏門から忍び込んで妹を連れ去ったのだ。しかも奴らはお前をたぶらかすために、女の髪の毛を落として行った。果たして貴様はその髪の毛を抱きしめて『あなたは鬼に食われたしまったのですね』と泣き叫ぶとは、アハハ、貴様は何とも間抜けな奴だ」

「そうとも、ウッフッフ、何とも滑稽な奴だ」

「しかし、私の目には確かに鬼が雷鳴と共に降りて来るのが確かに見えたのだ」

「人間共は迷信を信じているからそのように見えるのだ。もっとも我らは閻魔大王の手先であるから、閻魔帳に載っている者共を地獄に連れて行くのが役目ではある。時には雷鳴と共に地上に降りることもある。寿命が尽きた者は直ちに引っさらって連れて行くし、善人は丁重に連れて行く。だが極悪人共はまず首を食いちぎって絶命させ、頭から喰って腹の中に納め、閻魔庁へ着いた時に吐き出して、大王の前に引き据えるのが役目よ。しかしむやみに引っさらったりはせぬ。閻魔帳に載っていない者を勝手に殺したりしたその時は、俺たち自身が阿鼻地獄行きだからな、アハハハ」鬼たちは愉快そうに笑った。

「では、お前たちはあの方を喰わなかったのだな」

「うるさい奴だ。喰わぬと言ったら喰わぬ。女は兄弟に連れ戻され、太政大臣良房の屋敷で安楽に暮らしておるわい」

 これを聞くと男は穴から走り出そうとしたので鬼は男の帯をぐいとつかんだ。

「どこへ行くつもりだ」

「あの方を取り戻しに行くのだ」

「何を馬鹿な、大臣の家に近寄れば、貴様は牢に繋がれ、二度と日の光は拝めぬぞ」

「覚悟の上だ」

「愚かな奴め、貴様の名はまだ閻魔帳には見えぬ。むざむざ死ぬと分かっている場所へ送り出すわけには行かぬ」

「何と言われようと、私はあの方の元へ行くのだ」

「おい、女は警護を固めた屋敷にいるのだぞ。大臣は妹を天皇の后にと目論んでいるのに裸同様のお前に何が出来る」

「たとえそうであっても私はあの方に会わねばならぬ」

「なぜそれほどまでに会いたいのだ」

「なぜ会いたいのかと?」

「そうとも。人間は貴族でも路傍の貧民でも死を恐れている。俺たちが連れに行くとみな悲鳴を上げる。『どうか食べないで下さい』手を合わせて命乞いをする。ところが貴様は死ぬと分かっているのに女に会いに行くという。これは解せぬ。わけを聞かせてもらおう」

「聞いてどうするのだ」

「もしも貴様が真実を語るなら、考えてやってもよい」

「ほんとうだな」

「鬼の約束に偽りはない」

「それなら聞かせよう。私は恋する女と歌のために生きている」

「ふーむ?それは何のことだ」

「人は今盛んに見えてもたちまち於いて灰となる。千万の敵を殺し、金科玉条の法定め、万里の長城を築いたとて、たちまち土饅頭に埋められる。人の営みは全てむなしい。だが、一つだけこの世から失せぬものがある。それは」

「何だと、いかなる宝玉の持ち主とて死ねばこの世から消える。それなのに失せぬものがあるとは、何のことだ」

「知りたいか」

「知らずには居れぬ」

「歌だ」

「・・・」

「そんなものが何になるとというのだ」

 鬼たちは怪訝な顔で業平を見た。「俺たちをたぶらかす気ではなかろうな」

 業平は鬼たちがざわつくのを気にも掛けず、歌った。

 八雲立つ出雲八重垣妻籠めに

   八重垣造るその八重垣を

「この歌をうたったのは誰有ろう、スサノオだ」

「スサノオ・・・牛頭天王様 この世で最も恐ろしく、尊い神」

「そうとも、スサノオはアマテラスとともにイザナキが黄泉の国が戻ったときにこの世に生まれた。だが黄泉の国の神が取り付いていたため、アマテラスの国を破壊し、アマテラスを岩屋に閉じ込めたので、神々は怒ってスサノオを追放した。スサノオはあてもなく流浪していたが、ふと、美しい乙女・櫛稲田姫に心奪われ、この乙女が八岐大蛇の生け贄になると知ると、たちまち八岐大蛇を退治し、出雲国を建国した。さきほどの歌は、身ごもった櫛稲田姫のために産屋を作る喜びを歌ったものだ。」

「牛頭天王様が・・・歌を」

「この歌は日本最初の歌であり、出雲国の神歌でもるから、この世がなくなっても歌は消えることはない」

「消えることはない!」

「ではなぜ消えないのか。それはスサノオの櫛稲田姫を思う思いが言葉になって生まれた歌だからだ。故に、スサノオが老い、櫛稲田姫が身罷っても、歌だけは生きている。いつまでも生きて、スサノオの櫛稲田姫への愛をささやき続けるのだ」

「なるほど、牛頭天王様の歌の命が絶えることはないということはよく分かった。だが、お前は人間だ。人間が歌を詠めるものか。詠んだとして、それが消えぬ物となるとは信じられぬ」

「では私を試して見よ」

「試すとはどのように」

「お前がこのような歌を詠んで見ろ、と云えば、即座に歌を詠んでみよう」

「ふーむ、お前はよほど自信があると見える。そこまで言うのならひとつ試してやることにしよう・・・」「鬼たちは相談していたが、一斉にこう叫んだ。

「貴様がどれほど女を思っているのか、その気持ちを詠んでみろ」

 これを聞くと男は詠った。

 秋の夜の千夜を一夜になずらへて

    八千夜し寝ばやあく時のあらむ 

(男女の仲は秋の訪れと共に縁が薄くなってしまうものですが、千度秋がめぐってきても、あなたと過ごしていればそれはまるで一夜のように思えます。そして千の夜を共寝して、千回の逢瀬を一つを数えて、それが八千にもつもったとしても、飽くということがあるものでしょうか)

 鬼たちは驚いた。

「これは大した歌詠みだ。人間にしておくには惜しい奴だ」

「まったく、人間らしからぬ」

 一同が大いに感心していたが、やがて大鬼が、

「今の歌はお前が女を思って歌った歌だ。では今度は、反対に、女の心を歌ってみせてみろ」とこう云うので、男は、

  秋の夜の千夜を一夜になせりとも

     ことば残りて鳥や鳴きなむ

(秋の夜は長いと申しますが、長い秋の夜を千夜重ねて、一夜にして、愛の言葉を交わしていれば、二人の言葉が尽きぬ間に、朝を告げる鶏が鳴いてしまうことでしょう)

 これを聞いて大鬼は、「なるほどお前の歌の腕前は大よそ知れた。だがいくらそのような歌を作ってみせても、所詮は作り事だ。女は王宮に連れられて行き、お前のことなど米粒ほども覚えてはいまい。それどころか、恐らく女は天皇の后になろうと決めているに違いない」とこのように云うと、

「いいえ、あの方は必ず私を想っている」

「なぜそのように断言できる?」

 大鬼がそう訊くので男は「ではこの文をあの方に届けてもらいたい」と言って「武蔵鐙(むさしあぶみ)」と書いて差し出した。

「これはいったいどういう意味だ」

「武蔵の国の鐙は頑丈で、人は鐙に足を掛けて馬に跨るが、右の足と左の足とは大きな馬の背で隔てられてしまう。しかし足は離れても身は一つ。私とあの方とは今は離ればなれに見えていても、実は身も心もしっかりと結ばれている、と、そうことを意味している。あの方がまだ私を恋していれば、この文字を見て歌を返してくれるだろう。もしそうでなければ、返歌は作らぬ。その時は死ぬばかりだ」

 これを聞くと大鬼はたちまち空を飛び、宮殿に入っていった。朝廷では大勢の殿上人や公卿が集まって儀式を執り行っていたが突如清涼殿に鬼が現れたので、仰天して大騒ぎになった。女も息絶えそうに床に伏している。鬼は女に近寄って、

「この文字に見覚えはないか」と尋ねた。

 女は破鐘のような声に身震いするばかりだったが、ふと見ると、あの方の文字だ。女は恐ろしさも忘れて、

「あの方は生きているのですか」

「生きている。だが、お前に会えなければ死のうとも言っている。それ故、もしもお前がまだ男を思っているのなら、歌を書け」と大目玉をぎょろつかせた。女は筆をとって歌を書くと、

「どうぞ、この歌をあの方におとどけ下さい」

 鬼は女から文を受け取ると浅間嶽の噴火口に立ち戻り、男に紙を手渡した。開いてみると歌が書いてある。

 武蔵鐙さすがにかけて頼むには

    問はぬもつらし問ふもうるさし

(あなたが鬼に託した武蔵鐙の文を見た時の私の驚きと喜びは言葉に表すことはできません。でも気懸かりなのは鐙を支えるさすがの革ひもがあなたさまと私をしっかりと結びつけてくれているかどうかです・・・それを確かめてみたいとは思いますが、はっきりと知るのも辛いことですし、鬼にあなたの様子を尋ねるのも、恐ろしいのです)

 そこで男は直ぐさま歌を鬼に託した。

   問へばいふ問はねば恨む武蔵鐙

      かかるをりにや人は死ぬらむ

(あなたは武蔵鐙を支える革紐が二人を結びつけてくれるか疑っておいでのようです。私の真心が疑われるのは心外ですが、それがあなたの本心なのですから恨んでも仕方ありません。私とあなたとは天地ほどに隔てられていることを知りました。この苦しみに耐えられなくなった時、私は死ぬでしょう)

 女は文を抱いて泣き伏した。鬼は女の背に「お前が望むなら俺の許に連れて行こう」と声を掛けたが女は泣くばかりだ。そうする間に宮殿の内外には武者共が満ちあふれ、弓矢を構えて鬼を射殺そうとしている。鬼はこれを見て大きく息をつい込み、一吹きすると、あたりの者はみな腰が抜けて気を失ってしまった。

 大鬼は浅間嶽に戻ってくると、「お前を女のもとに連れてゆこう、俺の背に乗れ」と大きな背中を差しだした。男は歓喜して鬼の背におぶさった。鬼は夜空をどこまでも飛んでやがて屋敷に降り立ったが夜の帳が降りて何も見えない。しかしどうやら几帳の陰に女が横になっているようだ。男はとうとう逢えたのだなと思うとただ嬉しいばかりで涙に暮れていたが、女が目を覚まさないのでその横に添って体を横たえると、いつの間に眠ってしまった。

 やがて一番鶏の声がした。女はとろりと目を開けて男の首に手を回しながら、

 なかなかに恋に死なずは桑子にぞ

     なるべかりける玉の緒ばかり

(長い間都の男に逢いたいと、胸を焦がして死ぬような思いをしていましたが、死なないでこうしてあなたと一つ床に入ることができて、夢心地です。桑子は一つの繭の中で一生涯暮らしますけれど、そのようにあなたと私は、玉の緒よりもぺたりとくっついて、毎夜を過ごしたいものです)

 男はこれを聞いて身震いした。『何と下卑て恐ろしい響きの歌だ。どうしてこんな女と一夜を共にしてしまったのだろう』。男が途方に暮れていると二番鶏がコケコッコーと鳴いた。男は床から逃げようとした。女は男の衣の裾をぐいとつかんで乱暴な声で、

 夜もあけばきつにはめなでくたかけの

    まだきに鳴きてせなをやりつる 

(憎らしい腐れ鶏のやろめ、夜が明けたらぶち殺してくれようぞ。二人がいい気持ちで布団に入っているというのに鳴きやがったから、私のいい人が出ていっちまうじゃないか)

 これを聞いて男は、この女は山姥(やまんば)だったのだ、と仰天して死にものぐるいで逃げて、一日中走り通して森の中で倒れてしまった。

『ああこんな目に遭うとは・・・あれはほんの少し前の事だったのに、もうずいぶん昔の事のようだ・・・あの時私はあの方を負ぶって、屋敷を逃げ出して、ようようの思いで芥川の畔へたどり着いた。あの方は、草の上に宿った夜露を見て、「あれは何」と聞いたのだった。私は逃げるのに無我夢中だったから答えられなかったけれど、今こうしたみじめな身となってみると、あの時が夢のように思える』

 男は当時を懐かしんで歌を詠んだ。

 白玉か何ぞと人の問ひしとき

    つゆとこたへて消えなましものを

(あの方が草の露を、あれは何と尋ねたとき、あれは私たちの涙が露となって宿っているのですよ、と答えて、そのまま二人で死んでしまうべきだった)

 男は歌を詠って絶望して倒れてしまった。冷たい風が耳に鳴る。目を覚ますと、鬼の背だった。鬼は高い空を飛んでいた。男は鬼に「あなたは私をずいぶんひどい女に逢わせましたね」と言った。鬼は苦笑して「あの女は生涯まじめに暮らしてきたが、常々生涯で一度でもいいから都の貴公子と共寝をしたいと願っていた。女は三十年の間朝昼に天地の神々に祈り続けた。そこでお前を宮殿に連れて行く前に、神仏の命令で俺はお前を連れて行ったのだ。いくら思っても思いが通じない相手より、本心思ってくれる女のほうが良いのではないかと考えたのでな・・・しかしどうやら間違いだったらしい・・・償いに俺はお前の願いを叶えてやろう。下を見ろ。大臣の屋敷だ」

 見ると大勢の女官や公卿に取り巻かれて、女が十二単に正装して帳の中に座っている。笙の音が響き、錦の旗や虹色の布が軒先を美しく飾っている。

「あそこで何が始まるのですか」

「清和天皇と女の婚礼だ」

「・・何と、あの方は、入内(じゆだい)なさるのですか」

「そんなことは知らぬ。俺はあの女を攫ってやろう。お前はあの女と共に暮らせばよい」

 これを聞いて男は涙を流した。

「どうか、私を、誰もいない山奥へ連れて行ってくれないか」

「何だと?あの女を欲しくはないのか・・・あきらめるのか」

「尊い入内の式典を壊すことはできない・・・早く、遠い山の彼方へ連れて行ってくれ・・」

 男は鬼に背負われてどこまでも遠く飛んでいった。風がヒューヒューと鳴る。身が凍えて意識がもうろうとした。

「おい、生きているのか」声がするので男が目を開けると、眼下にもみじの山が広がっていた。山や丘、谷や尾根は高く低く盛り上がり、照り映える木々が風に揺れると、赤や黄色の葉が日の光を遮るばかりにひらひらと舞い上がる。男は胸の苦しみに耐えきれなくなり、思わず吐息を漏らした。男の吐いた息は風に舞う木の葉のように山にさらさらと響き渡った。鬼は錦の山をぐるぐると舞い、男は涙を流しながら詠ったのだった。

 ちはやふる神代も聞かず竜田川

       からくれなひに水くくるとは (私のように悲しい目にあった男の話は神代の昔から伝え聞いた者はない事でしょう。竜田川が綾錦のように鮮やかに染まっているのは、私の血の涙が水と混ざり合って流れているからなのですよ)