百人一首ものがたり 16番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 一番目のものがたり「まつとし聞かば」

たち別れ 因幡の山の 嶺に生ふる まつとし聞かば いま帰りこん

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

 しきりに雨が降る。十日前から降り続けている雨が降り続けている。北陸では雪や霰が降ったという。嵯峨野でもこれほどに寒いのだから、北の国々ではまた飢饉は必定だ。家司の忠弘が家僕たちを使って北庭を掘り、麦畑となして凶年に備えようとしているが、それぐらいで助けになるものか・・・しかし忠弘にすれば他に方法がないのだからこうするのも仕方がないのだろう。鎌倉の者は戦ばかりは得意だが、民政に優れた官吏は一人もいないらしい。幕府の失政によって諸国は常に飢饉に脅かされている。

 これまでさまざまな経験したが、七月の末に綿入れの衣をまとって書写した記憶はかつてない。冷たい雨に打たれてせっかく見事に咲いた夏椿も萎れてしまった。稲も草木すらも立ち枯れているのだから、花が枯れたと不平を言うわけにもゆくまい。

 都では群盗共がいよいよ跳梁跋扈して、時にはいついつ押し入ると予告して暴れ込むということだが、検非違使も居ないも同然の有様では防ぎようもない。噂では阿波に配流されている土御門上皇の皇女が亡くなったということだが、旅路が危うくて誰も見舞いにはゆけぬという。

 先日から源氏物語を筆写している。虫歯が痛むのは仕方のないこととしても、夜眠れないのが何とも辛い。早く夜が明けて、心寂坊殿が顔を見せてくれないかと待ち遠しい限りだ。

 痛みに堪えてうとうととしていたら、忠弘が「お待ちかねのお方がお見えになりました」というので、急に元気が出た。心寂坊殿の話では、やがて天地異変が起こるであろうと預言するオンミョウジが現れたという。そのオンミョウジは、近く天の星が爆発して、世は暗闇に覆われるであろうとも預言しているという。

「鎌倉の世となれば少しは泰平が訪れるかと期待していたものもありましたろうに、この有様では末世も極まるのであろうかみなみな心配しておりまする。かつて豪壮を極めた神社仏閣も寄進が途絶え、領地も奪われましたので、僧侶も神主共も食うに困り、或者は盗賊の一味に加わり、或者は高利貸しの手先となって金を取り立てて歩いて居りますので、やがて大地が裂けて、この世の者共はこぞって地獄へ堕ちるのではないかと恐怖するものもおりまする。かくのごとき人心の不穏を捨て置いて、北条とそのご家人達は互いに内紛に明け暮れているそうですから、何とも鎌倉も情けないとしか申しようがありません」

 心寂坊殿がこう言うので、私は、

「武士というものは刀や弓を取って初めて生き甲斐を感じるたぐいの者共です。そのような無頼の者が国を治めようと言うのですから国は困窮するのが当たり前です。このままでは国は滅びましょう・・・しかし後悔先に立たずとは真の事。こうなったら有能な人材が鎌倉を仕切ってもらわねばなりません」

「しかし、いったいそのような有能な者は居るのでしょうか」

「大江広元が亡き今、鎌倉の事は少しもわかりません。ただもしも・・・たとえばの話ですが、中納言在原行平殿のようなお方がおられたら、あるいは助かるかも知れません」

「中納言在原行平殿・・・まさかそのお方は・・わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答えよ・・とお読みになった中納言のことでござりましょうか」

「いかにも左様です。あの方ならきっと良い知恵を出してくれることでしょう」

「それは意外な言葉をお聞きするものです。行平様は在原業平様のお兄上。そのような身分の方が、飢饉を救う手だてをご存知だとは、如何なる根拠に基づくものなのでしょうか」心寂坊殿はいよいよ信じがたいという顔つきなので、私はこんな話をしたのだった。

 行平様は若いときに因幡の守として二年ばかり赴任し、その後、築紫の太宰府権帥に任じられたのです。当時は対馬国に五穀が育たないため、筑前・肥後など六カ国の穀物を運漕していたのですがこの仕事は大きな犠牲がつきものでした。というのも、遣唐使船を思い出してみればお分かりの通り、玄界灘の荒波は如何にも厳しく、運漕する船にも容赦なく襲いかかりますのでのそれらの船の六七割は沈没して毎年多くの船人の命を失っていたのです。

 行平殿は太宰府に赴任すると直ちにこの有様を知り、早急に改めなければならないとお考えになり、次のような方法を考案したのです。まず、六カ国からの運漕をただちに中止させました。しかし中止したままでは対馬国は干上がりますから、その方策としてまず、筑前の農民を壱岐国に渡海させ、水田の経営に当たらせたのです。もともと壱岐にも水田はありましたが、小さな規模でしたので、これを何倍にも増やし、収穫した穀物を対馬に運漕させたのです。壱岐と対馬はさほどの距離はなし、航海も筑前・肥後から対馬にわたるのと比べれば遙かにたやすい。こうして壱岐国が対馬国を助けた見返りに、それまで壱岐から都に運んでいた年貢米は免除して、替わりに肥前、筑前など六カ国に壱岐の持ち分の年貢米を分担させて運ぶことにしました。こうすれば、筑前・肥前などの国々は海難から救われ、壱岐国は遠路穀物を都へ運漕する手間が省け、対馬国は安心して年糧を得ることができる。行平様はこうしてそれまで長い間人々を悩ませていた難題をたちまちにして解決したのです。人々は大いに感謝し、その名声は都にまで轟いたということです」

「・・・驚きました。中納言行平というお方がそれほどまでに民政に長けたお方であったとは露程も存じませんでした」

「この事は恐らく今の人は誰も知りません。ただ歌だけが残っているので大いに誤解されているのです。しかもついでですから申して置きたいのは、行平殿の功績はこれだけにとどまなないということなのです」

「それはどのような」

「肥前の国の松浦群にヒラ・チカという二島があるということですが、この島には古来より奇岩や香料、薬料などが豊富に産したのです。ところがこれらの産物が存在することをそれまでの国司は調査もせず放置しておりましたから、朝廷もこれを知らず、警戒もしなかったのです。ところが海賊共はこれをちゃんと知っていました。国内の海賊ばかりではありません。唐の海賊共も堂々とやってきては思うがままに盗んでいったのです。というのも、大陸ではこれらを磨いて玉としたり、精錬して銀などを取りだしたりして高く売れましたから、海賊共は幾たびとなくこの島々を侵略したのです。

 行平殿はこの地方を巡検してそれまでの怠慢を大いに怒り、そのありさまを漁民や島民からつぶさに聞き出して書き記し、朝廷に書き送りました。しかし朝廷からの命令が来るまで待っていては時既に遅しという事にもなりかねないというので、警備の者を送って島を防備させると同時に、二島二郷を会わせて一つの島として郡領を置き、産物に対する正税を定めて、その詳細を朝廷に報告したのです。朝廷はこれを見て初めて事態を知り、その功績を高く評価して、行平殿を中納言に昇進させたのです」

「行平様が中納言になったのにはそのようないきさつがあったとは・・・しかし」

「しかし、まだ何か疑問がござりますかな」

「はい・・・私のおぼつかない記憶では、行平様は須磨に流されてお寂しい日々をお送りになられたと聞いておりますが・・それほどの功績を挙げた人物が、何故流刑などにされねばならなかったのでしょう」

 心寂坊殿がいかにも良いところを突くので定家は深く頷いて、「真実は定かではありませんが、行平殿はおそらく、太政大臣基経には目障りだったのです。中納言の地位は議政官ですから朝政に参加できる公卿です。ところが有能な公卿は時には邪魔になるのです」

「何故に邪魔だったのですか」

「行平殿には夢がありました。しかしその夢は基経の気に入らないものだったのです」

「・・太政大臣が気に入らない夢とは・・何でござりますか・・」「学問芸術の興隆です。行平殿は在原一門の学問所として奨学院を創設し、子弟の学問を指導しました。また、彼は自邸で歌合せを主催していますが、これは「民部卿行平歌合」と呼ばれており、日本で最初に行われた歌合せなのです」

「・・・本当でござりまするか・・・歌合わせというものは、中納言行平様が始めたものなのですか」

「左様です。日本で初めて正式の歌合わせを開催したのは、中納言行平だったのです」

「・・・」

「彼はしばしば歌合わせを催し、左大臣源融殿も参加なされたようですから、当時としては大変に話題を呼びまた、大きな影響を与えたのでしょう」

「何一つ存じませんでした。汗顔の至りでございます」

「なに、どなたもそのようなことは知りませんよ。ただ中納言行平殿の不幸は、そのような催しが太政大臣基経を刺激して、口実を設けられ、配流の身となったのです」

「どうも分かりかねます・・・何がそれほどまでに目障りだったのでしょうか」

「権力者は、能力のある者を恐れます。自分をいつか凌駕するのではないかと疑念を抱くのです。しかも中納言行平は曾祖父が桓武天皇、祖父は平城天皇ですから、今は権力の中枢にはないとは言え、名門であることは否定できません。もしも在原一門の学問所から優秀な人材が輩出したら、やがて藤原を脅かす存在になるやも知れぬ。また、歌合わせというような場を巧みに使い、反藤原の陰謀を練るかも知れぬ。その兆しは、歌会に、左大臣源融がしばしば出席していることにも見える。この際、その種が芽を出さぬうちに葬った方がよかろう・・・・と、おそらくこのように考えて、基経は中納言行平を失脚させたのでしょう」

「・・・何と・・」

「この出来事は中納言行平殿には不運でしたし、朝廷にとっても有能な人材をまた一人失ったのですから、不幸なことであることは確かです。しかし、そのお陰で、須磨を巡って優れた物語や歌が生まれました。私は、これほど優れた歌を詠むためだったら、配流の見になっても良いと、それぐらいに中納言行平殿をうらやんでおりますよ」  定家はそう言い終えると文箱から巻紙を取りだして、物語を読み始めた。

第16番目のものがたり 「まつとし聞かば」 )

 行平様が都を追われ、須磨に配流になって一年が過ぎたある夜、目を覚ますと小童が入ってきて『お見えになられました』というので、びっくりして起きあがって髪を整えていると、狩衣姿のあの方が烏帽子を脇の下にはさんで入って来られたのでした。

「いつお戻りになられたのです」と私は驚きと喜びで胸が押しつぶされそうになって、ようやくの思いでそうお尋ねすると、

「つい今し方戻ったばかりだ」と行平様は申される。言葉のご様子ではご自分のお屋敷にもまだ知らせていないらしい。私はこれは夢だろうか、それとも現だろうかと信じられない思いでしたが、行平様のお顔をそっと見ているうちに心の底から抑えがたいうれしさがこみ上げてきて、胸にすがりついて涙にくれておりました。

 冬の風が蔀戸を揺すっているけれど、少しも寒いとは感じない。いつもは厚い蒲団を蒸すほどに敷いていも手足が凍えて眠れないのに、今は肌がこんなにも柔らか・・これほど違うものなのかしら。

 あまりにも嬉しくて、心がときめいているうちに、緊張が解けたせいか、ふと眠ってしまった。あわてて目をさまして、先ほどのは夢で、行平様はいないのではないかしらとまさぐると、ちゃんとおいでになる。私は嬉しくて、また涙を流して袖を濡らしてしまった。

「どうしたのだ」行平様が顔をのぞき込むので、恥ずかしくて、袖で隠しながら、

「私は毎夜毎夜、あなた様を思わぬ時はありませんでした。でもその思いが叶ってこうしてここにおいでになられる。あなた様は夢ではなく、本当に、戻っておいでなのですよね」

 これを聞くと行平様は、

「歌を詠んだのだよ」と突然こんな話をさなれた。

 私は配流の須磨の庵でいつもいつもあなたの事だけを思っていた。そして夜のなると〈都に帰る日を夢に見させてください〉と神に祈って衣を枕に目を閉じるのが常だった。そんなある日の晩、突然誰かが庵戸を叩く。起きあがって戸を開くと、

「太政大臣様がお呼びになっておられます」と使いの者が言う。

「ほんとうですか」

「はい、お供してお連れするようにとのお達しでした」

 松明をかざした男達が十数人、闇の中で腰をかがめている。

 私は腰に乗せられて松林をどこまでも運ばれていった。どれほど過ぎたのか、突然、目の前に壮麗な屋敷が現れた。

 輿を降りると男達はどこかに姿を消し、白砂をしきつめた庭の中程に美しい女官が私を待っていた。

「ようこそおいで下さいました」女官は裳裾を翻して、夜の庭を先に立って案内した。大勢の女官が従っている。

 案内されて両側が竹の林になっている路地をしばらく行くと松の美しい庭があって、枝が生い茂る奥のあたりに楼閣が見える。灯籠には火がともり、火影が池の水に映って海の漁り火のようだ。

「こちらへどうぞ」と女官が楼閣の扉を押し開いた。

 階段を上がってゆくと、更に高い階段がある。次第に高い回廊に上ると、香ばしい香りが霧のように降ってくる。これはまるで天上の世界か極楽ではないのか。そう思いつつ私はおそるおそる階段を上がって行った。

 やがて一番高い楼閣にたどりついてあたりを見渡すと、松の林は遙かに眼下に黒く静まり、都王路も寺々の大伽藍も夜の闇につつまれている。遠い山の端に半月がかかっている。雲が銀の光に縁取られて細長くたなびき、その尾が山の中腹に腹帯のように巻き付いている。これほど神秘に満ちた景色を見たことはない。見とれていると、女官が「こちらへどうぞ」と部屋の中へ招き入れた。

 天井の高い部屋には薫香が焚きしめられ、床には西域から渡来したものだろうか、豪奢な緋色の毛氈が敷いてあって、天上から釣り香炉がかぐわしい香りを漂わせ、緑の御簾の向こうに淡い人影が見える。

「お待ちもうしておりました」と御簾の向こうから美しい声がした。

「かねてよりあなた様の歌は弟君・業平様のお歌に優るとも劣らぬと聞き及んでおりましたが、私はとても信じませんでした。私は業平様の歌こそが天下第一の歌であると信じておりましたから、まさか業平様の歌に優る歌を、その兄である中納言行平様がお歌いになろうとは信じたくはなかったのです。でも、あなたは須磨でお歌になられた。

  わくらばにとふ人あらばすまの浦に

   もしほたれつつわぶとこたへよ

 私はこの歌を聞いた時、身震いするほどの胸騒ぎを覚えました業平様はあの時、お歌いになられた。

 春やあらぬ月や昔の月ならぬ

我が身ひとつはもとの身にして

 私はこのお歌を聴いた時と同じ胸騒ぎを感じたのです。それで私はどうしても貴方にお会いしたかった。そして、歌をお聴かせいただきたいと思い、こうしてお招きしたのです」

 私はお話を聞いているうちに、この高貴な女性が、疑いもなく、弟の業平が恋に落ちた太政大臣基経の妹の高子様であり、清和天皇の后であられると悟りました。

 高子様の髪の毛は毛氈の光に菩薩のように浮き立ってとても人間の美しさとは思えません。私が呆然としておりますと、女官が見事な硯を運んで参りました。高子様は私を見つめて、

「何か一つお歌をお書きになっていただけませんでしょうか」と申されました。そこで私は、

「あなた様は弟の歌と私の歌をお比べなされようとしておられる。しかしながら、歌というものは、心から生まれるものでございます。このようなところで歌を詠む気持ちにはとてもなれませんので、どうかご容赦下さい」

 私がこう言うと、御簾の中の貴婦人は何事か傍らの女官にささやいた。すると御簾が少しばかり上がって、瓶子が出てきた。御簾のこちら側の女官がカワラケを私に持たせてると、瓶子からなみなみと酒を注ぐ。これはと思う間に「さあ、召し上がれ」と誘う。あまりにも良い香りなので一口飲むと、また注ぐ。飲むまいと思うのだが、まるで極楽の蓮の花の滴はこのような味であろうかとおもうほどの甘露さで、私は知らぬ間にすっかり酔ってしまった。御簾の中の高子様はそんな私を微笑んで眺めておりましたが、

「さあ、そのように夢心地になられたのですから、もう一つぐらいお歌をお歌いになれるでしょう」

「いいえ、詠えませぬ」私がそう答えると、女官はまた私に酒を飲ませました。するとどうしたことか、酔いが身体全体を飲み込んで、不意に気を失って眠ってしまったのです。

 どれほどの間そうしていたのだろう。はっと起きあがると、頭はすっきりしている。目の前には御簾が降りて、高子様が静かにこっちを見ている。私は筆をとって歌を書いた。

 恋しきにきえかへりつつ朝露の

けさはおきゐむ心ちこそせね

 「まあ、すばらしい書とお歌」高子様が驚いた声を出された。「夢から覚めたらこんなすばらしい歌を読むとはどうしたわけなのです」

 そこで私は答えました。

「国に残している想う人の夢を見たのです」

「それほど思う方がおられるのですか」

「はい。私がいましがたうたた寝をしますと、その人の姿が見えました。女は衣を片敷いて独り寝をしていました。彼女は夢を見ながら吐息を漏らし、独り言を呟いておりました。

 『ああ、私はがどれほどあなたをお待ちしているか、私の心を伝えることができたらいいものを・・・でも私はもう生きていられない、朝が来ても起きあがる気力がない。目を開ける気持ちが萎えてしまった。あの方が居ない世界など見たくはないのだもの』

 私は女のため息を聞きながら、ここに私が書きました歌を詠んだのです」

「では、この歌は、あなたの歌ではなく、夢の中の女があなたを想って詠んだというのですか」

「左様でございます。私は想う人の口から聞いた歌を書き付けたに過ぎません」

 私がこう説明すると、高子様は白い頬に涙を流して深い吐息をおもらしになられた。

『私にもそのような無垢な気持ちで業平様を愛した時がありました・・・どうか、あなた様は、そのお方を片時も肌からお離しになられませんように』

 その声が途絶えた途端、私はここに運ばれていたのだよ」

「まあ、では、それは夢だったのでしょうか」

「さて、夢とも思えるが、私は確かに須磨にいたのだよ。そして輿に乗せられて楼閣に上り、歌を詠んだ。それは確かなことだ。それなのに、今は、そなたと共にここにいる。不思議としかいいようもない」

「でも、ここにおいでのあなた様は、確かに行平様なのですね」

「そうとも、私は、そなたの行平だ」

「そうですわ。そうですわね」

 女は男の胸に顔を埋めて眠ってしまった。行平は女を抱きしめながら、高子様の言葉を思い出していた。

『私にもそのような無垢な気持ちで業平様を愛した時がありました・・・どうか、あなた様は、そのお方を片時も肌からお離しになられませんように』

 そうとも、もう離れるものか。ようやっとまたここにたどりついたのだからな。行平は初めて女と別れて因幡の国で過ごした日々のむなしさを思い出した。戻りたい、戻りたい、何度さけんだことだろう。

 東の空に紅色の横雲がたなびいている。行平はその雲の波を見つめながら、遠い日々に詠った歌を思い出していた。

  たち別れ因幡の山の嶺に生ふる 

まつとし聞かばいま帰りこん