百人一首ものがたり 15番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 一番目のものがたり「月の桂」

君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

〈この娘は私を丸裸にするつもりか〉定家は青い吐息を漏らした。関白九条道家の娘、仁子が後堀川天皇の中宮として入内するについて、定家の長女が女房として仕えることになったのだが目が飛び出るほどの物入りで、家司の忠弘は、

「このようなことが重なりますととても家をまかないきれません」と悲鳴を上げたものだが、何しろ朝廷の女房として出仕するには生半可な出費ではない。

紅梅一亘鸚鵡唐草織の表着、萌木二亘ス鼈甲ノ唐衣、外衣は薄色、紅梅、木、蘇芳、カントウ(蕗)、、青キ単衣、シフの裳、紅の張袴、シフの裳は綾の上に銀泥を塗り、金青を以て水文を直し、錦を以て腰となす・・というようなもので、さしたる領地もない中納言風情では一枚揃えるだけでも腰を抜かすほどの出費だ。無論落ちぶれた朝廷が支援してくれようはずがなく、すべてあれこれと金策してまかなわねばならない。その上、季節季節にさまざまな衣装や装飾が入り用となって、その度に頼られるのでこのままでは立ちゆかなくなるという忠弘の言い分は尤もだ。

〈この年になってまで金策に追われるとは〉幾度もため息をついていると、為家から書状が届いた。都の荒れようをさまざまに書き記し、

「最近は長人が出て人心は畏れ戦いております。身の丈二丈余り、頭は青く、小山のように巨大で、周りに大小の鬼を従え、松明をかざしてあちらこちらと歩き回るので、恐ろしくて出歩くこともできない」などと述べている。おそらく夜盗の群れがおもしろ半分に化け物を作って驚かせているのだろうが、こんな者が出没するという評判が立つ事自体、世の有様がいかに荒んでいるかをよくよく物語っている。

 丁度心寂坊殿が見えたので為家の書状を見せると「化け物までが徘徊するようになりましたか」とため息を漏らすので、

「実は昔もそのような話があったようなのです」と、『日本三代実録』で読んだ話をしたのだった。

「今から三百年あまり前、藤原基経が太政大臣であった頃、内裏の武徳殿の東、宴の松原に鬼が出た事が記されております」

「内裏に・・・鬼が」

「武徳殿のそばには内膳司があり、松原の東は造酒司、左右には左兵衛府と右兵衛府が並んでおりますから、外から侵入することなど出来るものではありません。時は光孝天皇の御代でしたから、今から思えばのどかな時代であったのです。それがある夜、女房が三人、話をしながら歩いていると枝振りの良い老松の下に貴公子が物思わし気な様子でたたずんでいる。女房たちが近寄ってみると、見たこともない若者なので、興味を抱いてあれこれと話をしているうちに年嵩の女房がすっかり気に入って恋を語り始めた。それで二人の女房は遠慮して少し離れた松の下にたたずんで待っていたがいつまでたっても戻って来ない。待ちきれなくなって近寄ってみると、男の姿は見えず、女の手足だけが草の上に食いちぎられたように転がり、首と胴体はない。女房たちが悲鳴をあげると、守衛の者たちが駆けつけて捜索したが犯人の姿はどこにもなく、女は死んでしまったというのです」

「信じられない話ですが、平穏な光孝天皇の御代に何故そのような事件が起きたのでしょう」

「私も不審に思い調べてみたのです。するとその時代もさほど平和であったとはいえなかったようなのです。この鬼の話が記されている元慶八年には天地異変がうち続いて大地震が各地で頻発して多くの家屋が倒壊し、津波が襲って多数の死者が出、その上五月から八月まで雨が降り続き、鴨川は氾濫して橋が流されて不通となり、飢え死にするものが絶えぬという有様でした。このような世情を光孝天皇は大いに嘆きましたが少しも改善されませんでしたので、天皇はとてもお悩みになられたようなのです」

「まさか、『君がため春野のに出て・・』の歌の主がそのようにお悩みが深かったとは全く想像もしませんでした」

「私も同様です。しかし改めて光孝天皇の御製を見直してみますと、良い歌がいくつもあるものの・・・たとえば・・・〈君がせぬわが手枕は草なれや涙のつゆの夜な夜なぞおく〉・・・この歌は新古今集を編纂している時に私と家隆殿それに有家殿の三人が選んだ歌でしたが・・・今あらためて詠んでみますと、天皇の孤独な思いがひしと伝わって来るように思えましてね・・・」定家はそう言いながら物語を読み始めた。

第15番目のものがたり 「月の桂」 )

 女は時康親王の胸の中で小刻みに震えていた。暗がりで風が吹いても、戸が少しきしんでも、びくっとしてすがりつくのだった。時康親王の住んでいる小松殿は朝廷の方々にはすっかり忘れられ、所領も僅かなものであったので、御簾もところどころ破れ、壁も古びてあちらこちら落ちかけているので、ただでさえ侘びしげなのに、秋の夜風が吹き込む季節になると、どこからか絶えず不気味な音が響いてくる。それで女はその妖怪がこの小松屋敷にも出るのではないかとおびえているのだ。噂によれば、妖怪は姿を消して都を徘徊し、美しい女を見つけると容姿の良い男に化けてたぶらかし、女が恍惚となっている間に食うのだという。

「すでに何人もの女が食べられたと人は噂しておりまする」女がおびえるので、時康は困ったなというように微笑んだ。

「この世に鬼や長人などいるものではない。家人に屋敷の中をくまなく調べさせたが、何事もなかったではありませんか」

「いいえ、あれ、あのように奇妙な音が聞こえまする」

「あれはどこかの戸が風で擦れ合っているのですよ」時康はやさしく女を慰めた。けれども女は心底おびえきって、

「先日は東寺に近いお屋敷にも怨霊がとりついて女を取り殺したそうですし、内裏の紫宸殿の前で、何者かがしきりに呻いている声がしたと申します」

「そのような事を言いふらす者はよほどの愚か者でありましょう」

「でも、愚か者の仕業とも思えませぬ・・・あれは承和の変で殺された橘逸勢様の怨霊ではないかと申すものもござりますし、桓武の帝の時に非業の死を遂げられた崇道天皇や伊予親王、その母吉子さまなどの魂が彷徨っているのだと申す者もございます」

「そのように考えてはいけません。それらの方々の霊は神泉苑の御霊会でお慰め申しあげたのですから怨霊などになる道理がないのです。第一、橘逸勢殿は三筆の一人なのですから、そのようなお方がこの世に祟りをなすとは考えられないではありませんか」親王は女を抱きしめながらやさしく言い聞かせた。

 橘逸勢は桓武天皇の御代に最澄・空海と共に第十六次遣唐使船に乗って大唐国へ渡り、帰国後は嵯峨天皇に仕えて大いに寵を得、古今まれなる筆致によるその書は嵯峨天皇、弘法大師と並んで三筆と讃えられるほどであった。それほどの秀才が謀反の疑いで捕縛され、伊豆国へ流される途次に憤死したのは承和九年、今から四十年あまり前の事である。

 事件の発端は古から続く皇位争いだった。仁明天皇の後継者には二人の候補があった。一人は仁明天皇の兄・淳和天皇の皇子で已に皇太子の地位についておられる恒貞親王。橘逸勢・伴健岑らは親王の側近だった。もう一人は仁明天皇の皇子で元摂政太政大臣良房の妹・順子が生母の道康親王である。

 承和七年、親王の父淳和天皇が没し、二年後、嵯峨上皇が身罷ると橘逸勢らは陰謀の罪で捕らえられた。皇太子恒貞親王を擁して東国に赴き皇位を窺おうと謀ったというのである。皇太子・恒貞親王は廃され、通康親王は即位して文徳天皇が誕生した。しかし天皇は健康が優れず、三十二の若さで病死したので、たった九才の清和天皇が帝位にお就きに成られた。しかし不吉な事件は止む気配は見えず咳風は何千という人の命を奪い、地震がうち続き、果ては応天門が焼けて、さらに待賢門の火災、春宮院の火事、淳和院の火事、冷然院の火事、大極殿の大火と災厄は止まることを知らなかった。。

「これほどの災いが何の謂われもなく起こるとはありえません」女が小声でそう言った時、遠くでなにやら悲鳴のような声がしたので女は気絶するほど驚いてしがみついた。人声がこちらに近づいてくる。やがて側近の和泉少将が、

「お庭に入り込んでおりました者を捕らえました。いかがいたしましょう」

「庭にの・・・で、それはどのような者か」

「乞食法師のようでござります」

「・・・手荒く扱ってはいけない。その縁先に連れてきなさい。事情を聞いてみましょう」親王が和泉少将に命じると女は、「私は恐ろしくて生きた心地も致しません」と言うので、

「法師は仏の道を志す善人です。どうしてそのように恐ろしがることがありましょう」

 

 縁先にぼろ切れをまとった法師が引き据えられた。秋の終わりの夕暮れのコオロギが絶え絶えに鳴いている。

「常日頃より御屋敷の築地が壊れているのを良い事に、そちらこちらから怪しげな者が庭に忍び込んでおりましたが、今日は物陰から見張っておりましたので捕らえる事ができました。籠の中を調べますと五辛の根がございました。僧侶がこうしたものを食らうのは禁じられておりますのに、この者は破戒僧でこざりましょう」

 五辛とは大蒜(にんにく)・茖葱(らつきよう)・慈葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)・興渠(にら)の事である。しかし法師の縛めを解くように命じて、

「お名は何と申される」と尋ねた。法師はおずおずとした声で「願覚と申します」と答えた。親王はこれを聞くと大いに驚いて、

「あなたは確かに五辛の根を求めておいでになったのですか」と尋ねると、願覚と名乗る法師は黙って頷いた。親王はますます驚いて、

「このお方にお布施を差し上げなさい。それから十分な穀物と私の衣類を幾枚も差し上げてください」と命じたので辺りに集まっていた人々は仰天してしまった。

 一同が去った後、女は「親王様はなぜあのような事をなさったのです」と尋ねた。親王は遠いところを見るような眼差しで、

「昔読んだ本に、先ほどの法師と同じ、願覚という法師の話を読んだことがあるのです。その法師は大和の国の高宮寺の円勢師について学んでおりましたが、円勢師は百済から渡ってきた有徳の僧侶でした。ある日弟子の一人が願覚の部屋を覗きますと不思議な光が満ちあふれていました。そして間もなく亡くなったので火葬にして手厚く葬ったのですが、後日人の噂に、願覚が近江の国に托鉢をしているというので行ってみると、紛れもない願覚なので円勢師の弟子は驚いて、願覚が聖者の生まれ変わりであることを知ったのです。願覚は五辛を好んで食べておりました。これらは修行の妨げになるとされておりますので仏法で禁じられておりますが、聖にはさわりがないのです。ですから私は、先ほどの僧侶もまた聖者の生まれ変わりであると知ったのです」

 親王はこのお話をする時にとても澄んだ眼差しで、少しも人を疑っている気配がない。女はそれを見て、このお方は常の人ではなかったのだ、と心からそれまでの己を心から反省した。何か言いしれぬ清いものが流れこんで、周りの世界がとても美しく見えるのだった。

 それからというもの、女はまるで人が変わったようになった。女房たちの先に立って破れた御簾を直し、職人たちに申しつけて壁の穴を塞ぎ、雨漏りを修理させた。そしてその支払いには惜しげもなく自らの衣装を下げ渡したので職人たちは大いに感謝して仕事に励んだのである。

 女は親王のお体に良いものを求めて野邊に出、野草を摘み、薬草を探して大炊の者にいいつけて調理させた。女はその日も野辺に出て薬草を摘んでいたが、山椒の葉に揚羽蝶の卵が生み付けてあるのを見て、放っておけば幼虫に葉が食べられてしまうと思ったけれど、この小さな卵が美しい蝶になって空に飛んで行くのだと思うと急に愛おしくなって、

『蝶々の卵さん、私はあなたを取りません。でも私のお願いも聞いてください。私の恋しい時康親王は今の帝の第三皇子であられるのに、兄の文徳天皇には忘れられ、その子の清和天皇は目もくれず、陽成天皇は昔々のおじいさんとからかっておられます。でも私は時康親王ほど素敵なお方を知りません。どうか、あのお方に幸運をお授け下さいな』

 女がこう言うと、蝶々の卵は一斉に光ってうごめいたように見えたけれど、何の答えも聞こえなかった。けれど女はそれからも毎日野に出て薬草を摘み、親王に差し上げたので親王はとても健やかになられた。

 親王はこのような女の優しさに心から感謝したが、ふと不安になった。というのも、大昔、難波の長柄の豊前の宮で天下をお治めになられた孝徳天皇の御代、漆部の側女で高雅な気性の者が春の野で野草を摘んでいる時、その中に仙草が混じっているのを知らずに食べて仙女と化して天に昇ったという話があるのを思い出したからである。そこで親王はその話を女に聞かせて、

「もう私のために野に出て野草を摘まなくても良い、私にとってはそなたが側にいてくれるほうがどれほどうれしいかわからないのだからね」 でも親王が自分が摘んできた野草をおいしそうに食べるのを知っていたので、女は親王がまだぐっすりと眠っている隙に野に出て野草を摘むのだった。そんなある朝、草の中から薬草を見つけて摘んでいると、山椒の木があった。良い香りが漂っている。女は身をかがめ、香りをかいだ。葉の陰に美しい蝶が留まっていた。蝶の模様は時康親王が願覚にご下賜になった衣装に似ていた。蝶々は女を見つめて、

『そなたはいつぞや親王に幸運をと願っていたが、それは本心からか』

『はい』

『命に代えてもか』

『はい』

『ではそなたの願いを叶えよう』

 蝶がこう言うと、何万という蝶々が女を取り巻いた。女は天女の羽衣のように蝶の羽を靡かせて空高く舞い上がった。野原には魂の抜けた亡骸が横たわっていた。

 親王は女の突然の死に動顛し、嘆き悲しんで、

 きみがせぬわが手枕は草なれや涙のつゆの夜な夜なぞおく

(あなたが私の手を枕にして寝てくれませんので、自分でする手枕はあなたを思う涙でしっとりと濡れているのです)

 しかし朝廷では女の願い道り事が進んでいた。元慶八年二月、陽成天皇が退位すると直ちに皇位後継者の人選に入っていたのである。左大臣源融が最有力とされていたが、誰からともなく時康親王の声が上がり次第に有力になった。しかし親王はそんなこととは関わりなく、女の死を嘆き悲しむ日々を送っていた。

涙のみうき出づる海人の釣り竿のながき夜すがら恋つつぞぬる

(海人の長い釣り竿の浮きだけが海の上に頼りなく浮かんでいるように、私の心の憂き思いは涙の海にぽっかりと浮かんでいます。私は長い夜をこのような思いを抱いて居なくなったあなたを恋いこがれながら独り寝の時を過ごしているのです)

 そんなある夜、時康親王は夢を見た。粗末な庵に座っていた。あたりは松の林がどこまでも続き、風が瀟々と渡っていた。日が落ち夜が来て、静かに歳月が過ぎていったある日、外に出てみると目の前には海が広がっていた。一面の銀の波。広い砂浜に輝く波が打ち寄せている。青く透き通った波頭が金銀に染まり、渚に押し寄せて足を洗い、さらさらと流れる。なんと清らかな波だろう。彼は腰を屈め、波に触れた。するとそれは波ではなく、笹の葉の風に靡く姿だった。

 銀の笹の葉風にさらさらと鳴って香しくそよいだ。葉擦れの音とふくよかな香りに誘われて、彼はどこまでも歩いていった。しかしふと気がつくと・・・それは笹の葉ではなく、人の手だった。死んだ人々が身体を半分土に埋め、笹の葉のように手を突き出して救いを求めている。愕然として立ちすくんでいると、《恐れることはありません。すぐに向こう側にお渡しいたします》鬼が立っていた。鬼は太政大臣基経にそっくりだった。鬼は莞爾として親王を抱え上げ、対岸に渡した。そこは月の世界だった。蒼い光の中に、桂の木が亭々と聳えていた。桂の枝に一匹の蝶が留まっている。風が吹くと蝶の羽がゆらめき、桂の木ははらはらと葉を落とした。その葉を拾ってみると、歌が書き付けてあった。

  月のうちの桂の枝を思ふとや涙のしぐれふる心地する

 何と・・・私の歌ではないか・・・誰がこの歌を月の世界まで・・・親王が呟いた時、蝶は桂の木はるかに飛び立った。そこで夢が覚めた。

 翌日、僧正遍昭が訪ねてきた。遍昭は桓武天皇の孫に当たるが、時康より十四年上である。遍昭は時康の父・仁明天皇の側近だったが天皇が亡くなると直ぐさま出家し、最近は時康の弟の建てた雲林院に入り修行三昧の日々を送っているという。

 時康は遍昭に夢の話を語った。「妙な夢であった。基経は太政大臣として生きているというのに、鬼になって私を助けてくれるとは、いったいどのようなことであろうか」

 これを聞くと遍昭は深々と平伏すると次のように奏上した。

「その夢はまさに、親王様が皇位にお就きになられるという徴でありましょう」

「何と・・・滅多なことを申されるな」

「いいえ、確かに親王様は天皇に即位なされます・・・親王様は幼い頃から聡明さにかけては抜きんでておられました。嘉祥三年に我が国を訪れた渤海国の使者王文矩は多くの親王や公卿の子弟の中に混じっておられた親王様の姿をひと目見て、供応役の蔵人に、『あの皇子は優れて尊いお姿をなされておられます。時が至れますれば必ず皇位に上り給わられること必定でございます』と申したと伝えられております。

 また嵯峨天皇の后嘉智子様は親王様の才能にお目をかけられ、宴には必ず親王様を主役にとお選びになさいました。それと申しますのも、親王様が主役になられると自ずと席が穏やかに楽しくなるからなのです。親王様のご人徳でござりましょう。しかしなによりも重要なことは、夢に大鬼が出たことでこざります」

「鬼に意味があると申されるのか」

「いかにも。鬼は人を食うのがつとめでござります。ところが、そなた様は基経の鬼に助けられて対岸に渡され、誰もが憧れている月の桂を間近にごらんになられた。月の桂とは、皇位のことでござります。夢は太政大臣基経が親王様を皇位におつけしようとしていることの証しでござりましょう」

 遍昭の予言は真実となった。基経は文武百官を引き連れ、時康親王が再三辞退するのを説得し、御輿にお乗せして内裏にお連れした。こうして光孝天皇が誕生したのである。

 帝位に就いた光孝天皇の御代も災害はうち続いたが天皇が全国の社寺に命じて国家安寧を祈らせ、自らも経典を書写して平安を祈った甲斐あって、やがて穏やかな日々を取り戻した。天皇は文芸を愛し、僧正遍昭らと歌を詠んだ。

 ある時遍昭が伺候すると帝が書物を読みながら涙を流しておられるので、「どうかなさいましたか」と尋ねると、

「多羅常という禅師がおったら、愛しい人も助かったであろうに」と申された。その書物によれば多羅常という人は百済の僧で持統天皇の御代、高市郡の法器山寺に住んでいたが、病人を直すのを専門にして居た。多羅常が呪文を唱えて祈ると死人すらも蘇った。治療に柳の枝が必要な時には錫杖を立ててその上に乗って枝を折り、高い枝を採る時には錫杖の上に他の錫杖を真っ直ぐに立てて上って採るのだった。遍昭は帝が昔失った寵姫を今なお愛しているのを深く感じて、

「今の世にはこのような高徳の僧はおりませぬが、帝のお心はどこまでも通じるものと存じます」

「左様であろうか」

「後世、三世にも届くと心得ます」

「・・・私は時々夢を見る。あのひとが私のために野に出て野の草を摘んでいる・・・雪が舞っている。彼女は雪を頬に受けながら籠を下げて歩いている・・・そして夢の中で、私は彼女と雪の野を歩いているのだよ」

 帝は縁先に出て雪雲に煙る空を見上げた。遠い空から、歌が舞いながら降ってくるようだった。

 君がため春の野にいでて若菜つむ

わが衣手に雪はふりつつ