百人一首ものがたり 13番 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 一番目のものがたり「(ちょ)(れき)

筑波嶺の 峰よりおつる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「心寂坊殿はいつもの如く、まるで分からぬ、とそう言いたげなお顔ですね」と定家は心寂坊の顔を愉快そうに眺めた。夏椿が日差しに堪えて赤く燃えている。心寂坊は少し口ごもって、

「・・・これまでも思いがけない方ばかりでしたが、陽成院はとても評判のお悪い帝でございますから、どう考えてよいものやら思案の外でござります」と告白した。定家は心寂坊のその素直な困惑ぶりがなんとも憎めないのだという風に微笑して、

「陽成院がどなたの皇子であられたのか、ご存じでしょう」

「・・確か・・・清和天皇の皇子でしたでしょうか・・・」

「いかにも・・では、母君はどなたでしたでしょう」

「分かりませぬ」

「いいや、よくよく知っているお方です」

「そう申されましても、とんと見当も・・」

「では、この歌はどうでしょう・・白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを」

「その歌なら在原業平様が高貴な女を盗み出して逃げたとき、背負われていた女が詠った歌でしょう」

「そうですとも、伊勢物語にある歌ですが、業平が恋に落ちたのは高子(たかいこ)という女性でした。彼女は太政大臣良房の養子・基経の妹でしたが、業平と恋仲になりました。これを知った良房と基経は大いに腹を立てました。というのも高子はやがては皇后となるべき娘です。それを業平風情に奪われてなるものか。というのも、業平の祖父は平成天皇ですが、薬子の乱の後は蚊帳の外に置かれ、当時の業平の官位は従五位下ですからね。地位も権力も財力も何一つない。そんな男にどうして藤原の美女をやれようか。基経は警備の者を配置して近寄れないようにしてしまった。しかし恋する者同士はなんとしても艱難をくぐり抜けるものです。とうとう業平は彼女を背負って逃げ出した。知らせを受けた基経はすぐさま大勢の追っ手を繰り出して高子を連れ戻し、業平を東国へ追いやってしまったのです」

「唐衣着つつ慣れにし妻あれば・の歌はその時に」

「いかにもそれは業平が東国を放浪していた時の歌です。しかし面白いのは、業平は後に許されて朝廷に戻り、左兵衛権佐・右近衛権中将などを歴任して元慶三年(879)には蔵人頭という重職についたのですからね、このあたりが平安の御代とそれ以前の時代の相違です。昔でしたら直ぐさま殺されていたでしょう。しかも業平が出世したのは業平自身の力ではなく、高子の愛人だったからです。高子と業平の関係は宮中で誰知らぬ者もない程でしたから、もしかすると、陽成天皇の父は、清和天皇ではなく、業平だった可能性も無きにしも非ずなのです」

「・・・そのお話はどこまで信じても良いものでしょうか」

「さてどうでしょうか」  定家が意味ありげに微笑したので、心寂坊は、なるほどそれで陽成天皇が選ばれたのか、訳が分かりましたとばかりに、大きく頷いたのだった。

第13番目のものがたり 「(ちょ)(れき)」 )

「あっ」と大きな悲鳴を挙げて手の平で両眼を押さえ、毛氈の上に大仰に倒れたので、女官たちはあわてて駆け寄ったが、綏子(すいし)内親王様はひとつもお騒ぎにならず陽成院様のご様子を眺めておられる。陽成院様は女官たちに抱えられてようやく起きあがったが、両眼は手でおさえたままで、よたよたした足取りで綏子様の前にたどりつくと、どっかりと腰を下ろした。

「ああ、痛い痛い、綏子、わしの目はつぶれてしもうたぞ」

「まあ、それは大変、犯人はどなたですか」

「鶏じゃ、鶏の奴めがわしの目を食いよったわい」

「まあまあ、何と憎い鶏でしょう、すぐに大炊の者に捕えさせて、腹から院のお目を取り返させましょう」

「無論そうせねばならぬよ」

「でも、あなた様の目を食べた鶏はいずこにいるのですか」

「あれじゃ、あの鶏よの」

 院が指さす方に目をやると、壁に大きな軸が下がっている。明神様の社の鳥居のあたりには大勢の人々が群れて口々に叫んでいる。群衆の真ん中の土俵で二羽の鶏が睨み合っている。右の鶏は首から血を流し、左の鶏は、鶏冠を食いちぎられて鬼のような形相だ」

「どちらの鶏に食べられたのですか」

「左の意地悪そうな奴じゃ、強そうな面構えをしているからな、どれほどの爪を持っているか確かめようと近寄ったところいきなり嘴でわしの目を食ったのじゃ」

「まあ面白い。絵の中の鶏にお目を食べられてしまうなぞ、油断しすぎなのですよ。相手は鶏とはいえ、名人の絵師・巨勢金岡が描いたのですからね」

綏子内親王は、ほほほと愉快そうにお笑いになられた。陽成院も目から手を離し、楽しそうに微笑なさった。

「そなたとこうしていると心が晴れ晴れとするぞ」

「うれしい。陽成院様はいくつになられても、まるで子供のようなお心をお持ちですもの、私はそのようなお方にこうしてお側に置いていたけるだけで幸せでございます」

「・・・そうか・・・子供のう・・・そうともわしは子供なのじゃ。今、そなたとこうして日々を過ごすようになってはじめて子供であることの楽しさがわかった。子供が子供であることを奪われるということは、恐ろしいことじゃ」

 そう言う陽成院の目は霞の彼方に隠れている敵を見ようとするように怪しく光り、額には脂汗がぎらぎらとみなぎっている。綏子内親王は目配せして女官たちを遠ざけた。女たちが急いで姿を消すと院のお顔はまた別人のように穏やかになった。

「そなたは頭がよい。心も広く、春の日のようにあたたかい。わしが何を望んでいるか、言わずともなにもかもわかってくれる」

「・・・」

「わしはそなたの事ばかり思っているのじゃよ」

「いいえ・・・私ではありませぬ」

「では、誰じゃ?」

「業平様」

「・・これは驚いた・・・よくわかったな」

「わからないで何としましょう、色に出ておりますもの」

「色に出ていると?・・・さもありなん、なにしろ、もしかしたら、業平はわしの父かも知れぬ人物じゃからな」

「陽成院様、そのようなことを大きな声でおっしゃられてはなりませぬ」

「かまわぬではないか。わしは脳を病んで舎人(とねり)どもを何人も手にかけた暴君なのだからな。その故に廃帝とされ、このように誰も寄りつかぬところに押し込められておる」

「そのようなお話、どうかおやめになって下さいませ。綏子は悲しくなりまする」

「そうか・・・悪かった・・・そなたの哀しい顔を見るとわしも泣きとうなる・・・じゃが、わしの心も分かってくれるのであろうな」

「申すまでもないことでございます。院と私との間だけの話でしたら、どのようなことでもお聞きいたします。」

「そうか、それなら綏子の申す通り、誰にも聞こえぬよう、小さな声で話をすることにしようぞ」

 陽成院はこう言って、綏子様の耳に囁いた。

「かわいいわしの綏子よ、わしの考えは愚かであって、脳が腐れているからかも知れないが、そうではないのかも知れないのだぞ。そうであろう、何しろ、わしの父、清和の帝が皇太子に定められたのは、生まれて間もないわずか九ヶ月の赤子の時じゃぞ。そして九才にして即位。しかもその子供である我が父は、太政大臣基経の妹の高子(たかいこ)とめあわされた」

「・・・承知しております・・・」

「高子は父の九才年上、宮廷でもぬきんでた美貌・・・その美しい年頃の娘が、九才の父と、どうして夜を共にすることができる?・・・この時業平は三十四才。臣籍に降下したとはいえ、桓武天皇の曾孫であり、美貌、才知は宮廷で並ぶ者なく、立ち居振る舞いのひとつひとつに女官たちは身も心も震えていたという。その業平に私の母・高子は恋をした。そして二人は忍び逢うようになった」

「・・・」

「噂では母がまだ独り身で、二条の宮と言われていた時期の出来事であったという。しかしどうであろうか、このような話は信じるにたるであろうかな。というのも、いくら業平に才知と美貌があろうとも、高子の兄は基経じゃ。基経は妹の高子と共に叔父の藤原良房の養子となって良房の屋敷に暮らしておった。良房は太政大臣。そのような天下を握る権門の屋敷に、業平はいったいどのようにして忍び込むことができようか」

「でも、女房たちは、良房様のご寛大なお心によって、築地の崩れからお通いになられたと申しておりまする」

「世間がどのように申しても、そのようなことはあり得ぬことではなかろうか」陽成院はそう言ってふと庭のかきつばたに目をやった。

「一輪、取らせましょうか」と綏子は言った。

「いいや、後にしよう、さて、どこまで話したか」

「いくら業平様でも太政大臣良房さまのお屋敷に忍び込んで高子さまと逢瀬を重ねることなどできないのではと・・」

「そうだとも、それはとても出来ぬ。いや、できたのかも知れぬ。それは秘密じゃよ。しかし基経と良房にとって、業平は邪魔だった。高子はやがては天子の皇后にならねばならぬ。天子と夫婦のちぎりが為される前に、万が一業平の子を産むようなことがあったら・・・基経と良房は陰謀をめぐらし、二人を引き裂くことにした・・・幸い基経には口実があった。業平は、清和天皇の兄、惟喬親王と親しかった。惟喬親王はそなたも知っているように、文徳天皇の第一の皇子。皇太子の地位に就くべき立場であった。ところが藤原一族はこぞって反対し、四番目に生まれた私の父を、生後九ヶ月で皇太子につけたのだ。なにしろ父は藤原良房の娘・明子が生んだ子。良房の孫に当たるのだからな・・・だが、第一の皇子を差し置いて生後九ヶ月のわしを皇太子にするのは如何にも無理がある」

「一歳にもなっておられなかったとは」

「良房の横暴に惟喬親王は悲憤慷慨したが太政大臣を恐れて慰めてくれる者は一人もない。そのような中で業平だけは親王の渚の院に通っていた」

「わたくしは何度もその渚の院の噂を耳にしましたが、山崎のはるか先の、淀川を渡った西の小さな村であるそうですね」

「そうとも、わしは二三度訪ねたことがある・・・ある夜のことだ。寝ようとしていると、(くろ)人頭(うどのとう)が来て《お迎えがまいりました》という。見ると、庭先に見事な輿がある。乗り込むと、大勢の供が松明を掲げて行くといかにも美しい夜でな、蛍が川柳に翡翠のようにゆらめいているのだ」

「まあ、私もこの目で見とうございました」

「波がざぶんとうち寄せて、月が波に映っていたぞ。」

「寂しいところのようでございますね」

「狐も居ろう。人を化かす(むじな)さえいるかも知れぬ。そのようなところに押し込めるとは、まるで流罪ではないか」

「どうかお声を静かになされませ、誰かの耳に入りますと面倒なことになりまする」

「何、かまうものか。もの狂いのたわごとだからな・・・陰険な奴らよの。惟喬親王を流罪にしただけでは足りず、見舞いに行く業平を憎んであらぬ事をいいふらした。〈業平という者は生まれながらにして陰謀の種を宿している。というのも、業平の祖父は薬子(くすこ)の乱』を起こした首謀者の平城天皇・・・在原業平は惟喬親王と親しく、幼い清和天皇を廃し、惟喬親王を帝位につけようとしているらしい、決して油断めさるなよ〉

 こうした風聞に惑わされて惟喬親王と業平は孤立無援になってしまった。しかし業平は素知らぬ顔で親王のもとに通い続けていたのだ・・・綏子(すいし)、そなたは業平が詠んだ歌を覚えておるか」

「はい」

「では聞かせてくれ」

 世の中にたえて桜のなかりせば

春の心はのどけからまし 

「この歌を、そなたはどう思う」

「調べも景色も美しゅうございます」

「わしは穏やかならぬ歌と思うぞ」

「まあ、なぜでございます」

「この桜を、藤原とみなしたらどうか、

「 世の中にたえて藤原のなかりせば

春の都はのどけからまし

     と、こうなる」

「どうか、そのような恐ろしいお話はおやめ下さい」

「まあ、良いではないか」陽成院は綏子の手を握って、こう歌った。

 散ればこそいとど桜はめでたけれ

憂き世になにか久しかるべき

  権勢並ぶものなき藤原とて、憂き世にいつまでもいられるものではない。散ればこそ、権力のあるものは、いさぎよいとされるものではないのか、と、業平は言いたかったのではないか」

「知りませぬ。ご心配申し上げておりますのに、そのような」

「わかった、わかった。そのようにふくれずとも・・・しかし考えれば考えるほど頭の中が変になるのじゃ・・・そうであろう、なにしろわしの憎む基経は、わしの母・高子の兄でありわしの叔父じゃ。その基経はわしが母の腹の中にいた頃からわしを利用し、生まれると道具となし、三ヶ月で皇太子に仕立てた。それだけではない。わしの父を廃帝にしようと画策しよった。それというのも、父が長ずるに従い基経を嫌うようになったからだ。丁度その頃、疫病飢饉が相次ぎ、蝦夷地だけでなく、下総でも反乱が起こり、兵を差し向けるという事態になった。その上大極殿が炎上するという大事件が起きた。その時わしは近くでその火事を見たが、地獄とはこのことであろうとも思えたものじゃ」

「・・・」

「火は小安殿をひとのみに飲み尽くすと、真っ赤な舌を七つにも枝を広げて、蒼竜楼、白虎楼へと燃え広がり、さらに延休堂から北門へと飛び移って、火炎を夜空に舞挙げたが、その恐ろしさは百の火山が一度に爆発するような有様で、火の手は際限なくもえ広がって、北と西のさまざまな建物を百までも緋の衣で包んで、何もかもが灰燼に帰した。太政大臣基経はこうした事件は天皇に徳がない故であるとして父から帝位を奪い、九才のわしを即位させた。正月の二日、文武百官に見守られて、豊楽院で即位したのだ」

「そのご様子を綏子もひと目拝見しとうござりました」

「見るまでもない・・・わしは天皇になったが、宮中の者は誰一人としてわしの言葉に耳を貸さぬ。何をしては駄目だ、こうしなされ、このようでなければならぬ、いちいち指図する。そこでわしは何でも反対のことをすることにした。ある日池の蛙の声を聞いていたら『蛙に近寄っては生臭くていけませぬ』、というから、池に入って百匹も捕まえて、新築なった大極殿に放してやった。女房共は悲鳴を上げて逃げまどったから、面白くてたまらなかった。それから『犬と猿とは犬猿の仲といって決して仲良くはできぬものでごさります、人間も、決して交わってはならぬ人間があるものでございます』と儒者が物知り顔で申すから、『犬と猿とはそれほど仲が悪いとは妙な話だ。桃太郎では、雉と猿と犬が仲良く鬼ヶ島へ鬼退治に行ったではないか』、と言ってやると、『それは物語でござります』というから、わしは本当のことを知りたいと、猿と犬を連れてきて顔を合わせてやったのだ」

「ま、どうなりましたのですの」

「双方とも、すぐに逃げた。ところが基経は『陽成天皇は(おつむ)がおかしいようだ』いいふらしてそれ以後何一つわしには知らせぬように取りはからった。それで癪に障ったから仙術を身につけ、基経を懲らしめなければならぬと考えて、道術をよくするという評判の紀正直を呼んで、修行をしようとした。すると直ちに検非違使の役人が紀正直を捕らえ、島送りにしたのだ。」

「院は本気で仙術を習おうとされたのですか」

「綏子、考えてもみよ、わしはその時十二、三ぞ。子供ではないか。ところが基経はわしの反抗を面白く思わず、わしを廃帝にして、次の帝位につけるべき親王を捜しておった。そして目にとまったのが、仁明天皇の皇子であられた小松宮の時康親王、すなわち、そなたの父、光孝天皇じゃ」

「ほんとうに、太政大臣基経様が大勢の公卿を伴ってお出でになられたときは、驚きました」

「わしは、その話を聞いた時、十七であったが、はらわたが煮えくりかえりそうになって内裏を飛び出して、気がつくと、そなたの屋敷に忍び込んでいた。無論、傷つけようなどとは思わぬが、いったいどのような悪人が基経と手を組んだのか見届けたかったのじゃ。ところが見るとひどい荒ら屋で、屋根も縁も腐って、池には水藻が繁茂していたが、そなたの父は縁に座って、静かに蓮の花を眺めておった」

「私をご覧になられたのも、その時なのですね」

「ひと目見たとき、帝位などくれてやるとそう思った。それほどそなたは美しかった」

「院は庭の茂みからつかつかと私に近寄られて、いきなりお歌を私に差し出された。あの歌はどこでお作りになられたのですか」

「それはな、そなたを木の葉の間から忍び見ていた時じゃよ。そなたを想い思っているうちにひとりでに出来たのじゃ」

「嘘、歌はひとりでには出来ませぬ」

「それはそうじゃ・・・実はの、高橋虫麻呂が教えてくれたのじゃ」

「虫麻呂は帝にどのように教えてくれたのですか」

「聞きたいか?」

「はい。院は私のためにそのお歌を詠んでくださったのですもの、幾度でもお聞きしたいのです」綏子は院の膝に手を差し出して甘えるようにこう言った。陽成院は綏子の手を握って、

「それでは話してやろうぞ。昔、常陸国の国守に仕えていた高橋虫麿は、筑波の山に歌合いがあると聞き、見物に出かけることにした。

 筑波の山は、女神と男神が宿っているが、二人の神はいつも抱き合ってうっとりと雲に包まれている。春秋には、麓の村の男女が山に登って、歌を競う。女が歌い、男がその歌に和して、互いに良い歌だと気に入ると、抱き合って夜を過ごすというのだ。虫麿はその歌合いに出て、すっかり心奪われて、歌を詠んだ。

 男神に雲たちのぼりしぐれふり濡れとおるともわれ帰れめや 

「なんと不思議な響きのある歌でしょうか・・・わたくしもその山に行ってみたい」

「わしもそう思ったのだ。そなたをひと目見たとき、決心したのもそのことだ。世の中に黒雲が恐ろしげに立ちのぼり、どれほど冷たい雨でわしをつつんだとて、それが何だというのだ。わしはもう後へは引かぬ。何も恐れぬ。お前一人が側にいてくれれば他には何も望むまい。そこでわしは基経に言った。

『欲しくれば、帝位もやろう。わしが暗愚であるという噂を流してもいっこうにかまわぬ。その替わり一つだけ欲しいものがある』

 すると基経は怪訝そうにわしを見つめて、

『欲しいものとは、馬でしょうか、それとも、闘鶏に強い鶏でしょうか』と聞くから、わしは腹を抱えて笑った」

「それでどうなさりましたのか」

「わしは言ってやったのだ・・・わしがほしいものは、小松宮の綏子、その他のものは何もいらぬとな」

「幾度お聞きしても気恥ずかしいお話」

「何が恥ずかしいものか、基経は狐につままれたような顔をしておつたよ。だからわしは歌を目の前で書き付けて、奴の烏帽子にくっつけてやったのだ。公卿共は、やはり、といいたげに見ていたが、わしはこの歌は在中将にも勝ると信じているぞ」

 陽成院がこう言って歌を詠むと、綏子も院に和して美しい声で歌った。明るい日差しが縁に差し込んで、二人は手を取り合って、幾度も幾度も詠ったのだった

 

  筑波嶺の峰よりおつる男女川 恋ぞつもりて淵となりぬる