百人一首ものがたり 10番 蝉丸 

目次

  1. 小倉庵にて 権中納言定家と主治医・心寂坊の対話
  2. 十番目のものがたり「胡蝶の夢」

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

 

百人一首ものがたり

小倉庵にて (ごんの)中納言(ちゅうなごん)藤原(ふじわらの)定家(ていか)と主治医・(しん)寂坊(じゃくぼう)の対話

「中納言様が厠で倒れ、意識を失われております」と家人の忠弘が息せき切って心寂坊の庵にやってきたので駆けつけるとすでに正気を取り戻して床に伏せっていたが、顔は真っ青だ。苦しそうに腹に手をやり、海老のように体を曲げて、眉を寄せている。

 心寂坊は手持ちの薬箱から丸薬を取り出し、白湯に溶いて、

「中納言様、どうぞお飲み下さい。楽になりましょう」

 定家は苦しそうに息をしていたが、家人に支えられてようやく起きあがると、心寂坊の差し出した椀から薬を飲んだ。

「これは飲みやすい薬でございますな」定家はかすれた声で言った。

「芍薬と桂枝でございます。過日、公経様がどこぞより取り寄せた桂枝を和気貞行様がいただきましたものをお裾分けいただきましたので、丸薬にして、芍薬に配合いたしました」

「それはありがたいことですが、公経様はどこからそのような薬の山を手に入れたのですかな」

「さあ、私のような者には思いも寄りません」

「庶民飢え苦しんでいる時に、このような薬を手に入れることが出来るのは、確かに公経様より他にはありますまい」と定家は少し痛みが引いて楽になったのか、眉を開いて心寂坊を見つめた。

「公経様は、昔、河原(かわらの)()大臣(だいじん)が為されたようにひと時の夢の世界に生きようとしているのかも知れません。北山に宮殿のような別郷を建て、牛車の列を仕立てて滋賀の海より巨石を運ばせ、庭園には四丈五尺の滝をしつらえ、林の中には西園寺を造り、阿弥陀如来を安置して、極楽往生を願って居られる」

「・・・」

「仏事もしばしば行っておられますが、読経の声が止むと、すぐにその場が博打場となるのですから、あきれてものも言えませぬ」

「その噂を知らぬ者はおりません。博打に賭ける品物もそれは大層なものであるとか・・・」

「私も一二度のぞいただけなのですが、本堂の床には、絹、砂金、剣、金銀をちりばめた料紙などが山のように積まれ、博打に興ずる者どもの哄笑や怒号が天井を貫かんばかり、その有様は愚かも愚か、言葉もありません」

 定家は小女の持ってきた布で顔を拭き、庭の木々に目をやった。

「少し横になられたほうがよろしいかと」

「ええ、そうしましょう」定家は横になったが、痛みが引いたせいか、やがて寝入ってしまった。

 心寂坊が庭に出て少し色づき始めた楓を眺めて一回りして戻ると「心寂坊殿」と縁側から声がする。見ると定家が縁先に出てこっちを見ている。

「ご気分はいかがですか」

「それはともかく、これをごらんください」机の上の紙に『蝉丸』の文字が見える。

「・・・蝉丸・・定家様は、蝉丸をお書きになったのですか」

「実は、昨夜ようやくできました」

「それは、ようござりました。しかし・・」

「しかし、何です」

「私のような者が中納言様に申しあげるのは口はばかられることですが・・・蝉丸という方が選ばれるとは思いもよりませんでした」

「心寂坊どのはなぜそのように思われるのですか」

「新古今集には蝉丸の歌は二三取られているようですが、今、中納言様が選集されておられる百人一首の第九番目は小野小町でございました。ですから十番目はいったいどのようなお方であろうかと、私は内心あれこれと想像していたのでございます。しかし蝉丸というお方の名が出ようとは思いよりませんでした」心寂坊がこう述べると、定家不意に声を改めて、

「心寂坊殿はこの世で最も大きな悪は何だとお思いか」と訊ねた。

「・・・それは申すまでもなく、戦でござりましょう」

「いかにも・・・しかし戦がなくなれば全て解決するかといえばさにあらず、悪はどこまでも生き続けます、なぜなら、人には欲望・嫉妬が寄生虫のように宿っておりますから悲劇の種は尽きることはありません」

「・・・」

「私がなぜ蝉丸という人物を小町の次にあげたのか、その理由は蝉丸の生涯を見ればすぐに納得していただけるでしょう」

「・・・」

「蝉丸は言い伝えによれば醍醐・朱雀天皇の御代に活躍した方ですから、紀貫之が古今集を編纂し竹取物語が流布した頃に生きていたのです。文化の華が繚乱と咲き乱れていた時代に生きることができたのですから、これにまさる幸運はないと申せましょう。ところがそのような世にあっても人の世には悲しみや苦しみが尽きることはありませんでした。今の世は末世も極まって、阿鼻地獄そのままの姿ですが、蝉丸の世ですら、苦悩とは無縁で生きることはできなかった・・・それを象徴する出来事が『安和の変』です」

「・・」

「蝉丸はこの事件の渦中にあったお方に仕えていたために涙で目が見えなくなり、放浪して、逢坂山で琵琶を弾きながら命を終えたということです。しかし、息を引き取る前に流泉・啄木の秘曲を醍醐天皇の孫の源博雅朝臣に伝えました。その甲斐あって、秘曲は人の世から消えずに伝えられております。私は体がこのようになっても日々、源氏物語や伊勢物語、和漢朗詠集などの古典を書写するのを止めないのは、蝉丸の思いを継ごうとしているからかもしれません。また、この小倉山は蝉丸が仕えていた源兼明様が庵を編んでおいでだったのですから、これも何かのご縁なのでしょう」

      ≋

 定家が心寂坊に語り聞かせたところによれば源兼明は安和の変によって失脚した源高明とは異母兄弟。二人とも醍醐天皇の皇子で七歳の時に臣籍に降って源を名乗った

蝉丸は醍醐天皇の弟・敦実親王に仕えていたので、源兼明の人となりについてはよく知っていた。兼明は生来博学多識、人格も優れていたので長じて左大臣になった。しかし太政大臣の藤原兼通はこれを不快な目で見ていた。

「兼通の娘は円融天皇の皇后。その権力は天にも届くばかりで、堀川に構えた屋敷は皇居をもしのぐほど、あまりの豪華絢爛ため有様にこれを誹る者も少なくなかったと伝えられていた程です」

 そこで兼通は批判する者を抑える為、密かに武将・源満仲を雇って誹る者を捕らえ獄に繋いだので、人々は恐れて「寧ろ乳虎を見るも兼通の怒に値う無し」(日本国史略「円融天皇」の項)と懼れた。兼通は源兼明の名声が日々に高くなるのを大いに目障りとして、兼明から左大臣の位を奪い、親王に戻してしまった。親王には政務に携わる権限はない。左大臣の地位を追われた兼明は小倉山に庵を編み、詩歌管弦に日々を送ったという。

「この源兼明様を源氏物語の光源氏に見立てる人もないわけではありません」

「まことでござりますか?」

「そのように驚いた顔をなさいますな。一つの説でございますよ。何しろ源氏物語は紫式部が書きつづった物語ですから、現実をそのまま描いたわけではありません。しかし、蝉丸は兼明様の境遇を身近で見ていたことは確かなのです。それから、蝉丸はもうひとつ、同じような悲劇を見ています。それは源兼明と異母兄弟の源高明様の身に降りかかった『安和の変』事件です。高明様も大層な学者で、人望も厚く、左大臣になりましたが、謀反の罪を着せられ、太宰府に流されました。陰謀の首謀者は実は藤原北家の陰謀でした。左大臣源高明の権力が拡大するのを恐れ、罠を仕掛けて失脚させたのです」

 源高明・兼明兄弟を追放すると、藤原家は権力を一手に掌握しました。ところがそうなるとたちまち藤原家内部の暗闘が繰り広げられたのです。実頼の子、伊尹・兼通・兼家は互いに争い、兼家が兄弟をけ落として勝利すると、その子道隆・道兼・道綱・道長もまた互いに激しく戦い、そして最後に、道長ひとりが残りました。

この世をば我が世とぞ思う望月の

欠けたることのなしと思へば

誰もが知っているこの歌はこうした暗闘の末に生まれたのです。

「世の有様を蝉丸は何もかも見てしまいました。そして、もはや何も見たくないと思い続けた時、盲いたのでしょう」  心寂坊は夕暮れ時まで定家の側で看病し、夜になって自分の庵に戻った。翌日、昼過ぎに小倉庵を訪ねると、定家はすっかり元気を取り戻して、庭の萩が少し咲き始めたのを眺めていたが、心寂坊の姿を見ると「ものがたりを仕上げてみましたよ」と引き出しから巻紙を取り出したのだった。

第十番目のものがたり  胡蝶の夢)

 蝉丸は逢坂山の庵でひっそりと暮らしていた。とある日、醍醐天皇の皇孫に当たる博雅(はくがの)三位(さんみ)が馬に乗って訪ねてきた。供の者はわずかに数名、一人は琵琶を携えている。草庵を包む春の尾根は若葉が緑の滝のように幾層にも重なり合って目を奪うばかりに美しい。粗末な床に座るなり博雅は襤褸をまとった蝉丸の方に身を乗り出して、「せっかく世捨て人の境遇をお楽しみになられておいでの蝉丸様のお心を煩わせるのは無風流のこととは重々存じてはおりますが、是非ともお願いいたしたいことがございました故、こうしてお訪ねいたした次第です」と慇懃に頭を下げた。年老いた蝉丸はその声の響きに少しも偽りがないことを感じて、盲た目をしばたたかせて、

「このようなむさ苦しい山の庵に親王様がお訪ね下さるとは思いも寄らぬことです。何のおもてなしもできませぬが、私のような者に何をお望みなのでしょう」と嗄れた声で言った。博雅は冠を傾けて、

「ご承知の通り、私の叔父源兼明は左大臣の地位を追われてから小倉山に隠棲し、詩歌管弦に心を慰めておりましたが、その時、琵琶の秘曲、流泉・啄木を会得したと聞き及んでおります。私もまたこの道には長らく心を惹かれておりましたので、ずいぶんと試みてまいりましたが、どうしても納得ゆくように弾くことができません。世に知られる名手を招いて尋ねましたが、一人として弾けません。それでもう秘曲は絶えてしまったのかと失望しておりましたところ、ある人が『もし本当に流泉・啄木の秘曲を学びたければ、逢坂山に隠棲している蝉丸を訪ねなさい。蝉丸をのぞいて、流泉・啄木の秘曲を弾ける人物はおりますまい』と教えてくれましたので、矢も楯もたまらず、お訪ねした次第です」

 蝉丸はこれを聞くとふと微笑して、

「実を申しますれば、昨夜、私はあなた様がおいでに成られる夢を見たのでございます」

「私の夢を」

「はい。私は若い頃、宇多天皇の皇子・敦実親王様にお仕えし、親王様が奏でられる琵琶の音を階の下で密かに聞いて日々を過ごしておりました。親王様は私が琵琶を好きになったのをごらんに成られて「ここへ上がりなさい」と仰せになり、私の手をとって教えてくださったのです。私は畏れて、手が震えて、幾度も撥を取り落としましたが、親王様は「芸の道に人の上下はありませぬぞ。そなたは良い耳をしている。私よりも優れた弾き手になるやも知れぬ」と申されて、熱心にお教え下さったのでございます。私はありがたくて涙せぬ時はありませんでしたが、あまりに涙を流しましたので、このように盲目になってしまいました。しかしその甲斐あって琵琶の道をいささか究めることができるように成ったのでございます・・・親王様がお亡くなりになってからは隠遁して琵琶を弾きながら生きて参りましたが、そのような因縁が博雅様をここまでお導きになられたのでござりましょう・・・また、この琵琶の曲には忘れられぬ出来事がござりましたので、そのことをお話申し上げましょうか」

 蝉丸はこう行って、次のように物語ったのだった。

      

 はるか遠い昔、私が十九になった春先のことでございましたでしょうか、敦実親王様が私をお呼びになり、立派な錦の袋をお持ちになられて「この琵琶を甥の兼明殿に届けなさい」と手渡されましたので、私はすぐにあなた様のお父上の兼明様の御屋敷に参りました。庭の方から御殿の階の下に近づきましたところ、お部屋には兼明様と異母兄弟で同じ年の源高明様がおいでになっておられ、お二人でなにやら議論をなさっている。そのお二人のご様子があまりに真剣なものでしたから、お邪魔をしてはと思い、階の下に坐ってお話しが終わるのを待っておりました。

 春のうららかな陽射しが庭一面に降り注いで、桜のつぼみが今にも弾けそうにふくらんでなんとも言葉に言い表せぬのどかさ。私は琵琶の袋を抱いたままその場もわきまえずついついうとうとしてしまったのです。そしてなにやら気配を感じてはっと目覚めると、お二人が階の上から私を見下ろしておいででした。

「ここにあがりなさい」と高明様は申されました。恐る恐る上がりますと、私が持って参りました錦の袋の紐を解いて、

「そなたは敦実様の琵琶を夜な夜な聞いて、いつの間に名人になったと聞いている。そこで頼みがある。この琵琶で長恨歌をひいてもらえないか」。

 私は驚いて「そればかりはどうかお許し下さい」とお断り致しましたが、何としても弾きなさいと仰せに成られますので、覚悟を決めてお聞かせ致しました。するとお二人ともいかにも上機嫌のご様子で、兼明様は「白氏文集の琵琶行に見る『銀瓶乍破水漿迸(銀色に輝く白瓶が破れ、水晶のような水がほとばしる)』このことであるな」と微笑されました。私はなんと申しあげればよいのかわからず黙っておりました。すると高明様は深いまなざしで私を見つめられて、

「今、そなたは琵琶を抱えている。が、そなたはその琵琶を弾いたのであろうか。それともこれから引こうとしているのであろうか」と奇妙なことをおっしゃる。私は意味が分かりませんでしたので、

「私はつい今しがた弾き終えたばかりでございます。それは殿下もお聞きになられた通りと存じますが」と訝ると、

「いや、聞いたような気もするではないが、まだ聞いてないような気もする。果たしてどちらがほんとうであろうか」と申されるので、私は身分を忘れてむきになって、

「どうぞおたわむれはお止め下さい。私は確かに今、弾き終えたばかりでございます」と申し上げますと、高明様は兼明様と顔を見合わせて微笑すると、

「私はそなたをからかっているのではないぞ。実は私たちが先ほどから議論していたのはまさしくそのことであったのだ。此の世に物事が生起するとはいかなる事であろうか、天台の教えの通り、全ては空であり、全ては仮であり、空でもなく仮でもなく、中なるものなのであろうかと、このような議論であったのだ」

 このように申されても、何のことかますます分かりませぬので、目をしばたたせておりますと、高明様はにっこりとなさって、

「そなたも荘子の『胡蝶の夢』については聞いたことがあろう」

「いいえ」

「では聞かせよう。昔、梁の恵王の頃、荘周という人物がおった。荘周は夢を見て、夢の中で胡蝶となっていた。その時彼は喜々として胡蝶そのままとなって心ゆくまで花の間を飛び回っていた。自分が荘周であることなどすっかりわすれていたのだ。ところが、ふと目覚めてみると、自分は、荘周であることに気づいた。そこで荘周は考えたのだ。確かに自分は夢の中では胡蝶であった。だが今は人間荘周として目覚めている。この夢の中の自分と、目覚めている今の私と、いずれが真実の自分であるのだろうか。胡蝶であった私は存在しなかったのだろうか。それともそうではなく、確かに私は胡蝶であったのだろうか。これが『胡蝶の夢』の話だ」

「そう申されても、何のことかますます分かりません」

「そうであろうかな。実は、そのことが私たちにも疑問であったので、そなたに琵琶をひいてもらったのだ。そなたが琵琶を弾いたことは、確かなことのように思える。だが、今、美しかったその音色はもはやどこにもない。琵琶を弾く前には音はなく、弾いた後にも、その音の痕跡も残らない。今、そなたが弾いたということを証明するものは何物もないのだ。ということは、そなたが琵琶を弾いたということは、胡蝶の夢とさして変わらぬのではないか。

 此の世にあることは、すべてそのように起きては消える。あるように見えるのもほんのわずかの間だ。白楽天も歌っている。

 あしたにもまた群に随って動き

     暮れにもまた群に随って動く

 栄華は瞬意の間にして

 求め得たるもはた何をもってせん

 形骸と冠蓋と 仮に合して相い戯弄す

 なんぞ異ならん睡著の人

 夢はこれ夢なるを知らず

 兼明様も和してお歌いになられた。

 ひと生まれて、百歳七十はまれなり。

 たとい汝に七十の期を与うとも

  汝今すでに年四十四、脚後二十六年なり  

 幾ばくの時ぞ

 汝おもわざるか、二十五、六年のこのかたの事を

 疾速、倏忽(しゅくこつ)たること、ひとい寝するが如きことを

 往かん日、来たらん日、みな瞥然たり

 なんすれぞ自らその間に苦しむ

 楽天楽天 大いに悲しまざるべけんや

 私はお二人のお歌いになる有様を呆然として眺めておりました。おふたりともに此の世に皇子として生まれてなにひとつ不足ないばかりか、博学多識は並ぶ者なく、文章博士もお二人の前に出る時には口を閉じ、また姿の秀麗なることは内裏の女房たちの口の端にその噂がのぼらぬことはない。そのお二人が〈この世に有るとは如何なる事か〉というような議論に熱中し、私のような者を近くに呼んで琵琶を弾かせて白楽天を詠ったりなさる。これはいったいどのように考えたらよいのだろうか。

 

 私は御屋敷を辞した後もどのようにこの出来事を考えたらよいのか、なにひとつ理解できなかったのです。やがて高明様は藤原氏出身の公卿たちも嫉妬するほどの勢いでご出世なさり、二十六歳で参議に列し、右大臣師輔様の娘を妻として、左大臣にお上りなされた。まさにこのお方こそこの国の柱になるお方と誰しもが思ったものでした。ところが突如、高明様は謀反の罪に問われ、太宰府に流されておしまいになられた。また、兼明様も、後に左大臣の地位にお上りになられましたが、突然皇族に復帰されられ、閑職に甘んじる日々となりました。皇族は議政官に列することは出来ませんから、藤原氏はいかにも巧みな計らいをしたものでござります。親王様は慷慨して小倉山の山荘で「莵表賦」(ときゅうのふ)をお書きになり、詩歌音楽にお心を慰めておられましたが、失意の親王様をお訪ねする者は絶えてござりませんでした。

 私が逢坂山に籠もりましたのはその頃でござります。草庵に坐っておりますると、お二人が琵琶を奏でながらお歌いになられた白楽天の詩がこの耳に聞こえるのでごさります。あの時に少しも分からなかった胡蝶の夢を私は毎日見ているのでござりまする。

 博雅様、琵琶には何の難しいこともありませぬ。心のままに弦に触れさえすれば、音はひとりでに木の葉を揺らし、葉が散ると、何もないのでごさります。

 蝉丸は琵琶を抱え、弦をそっと触った。

 楽天楽天 来たれ汝と言わん 

 汝よろしくつつしんで身を終うるまで行うべし

物に万類あり、人をつなぐこと鎖のごとく

事に万感あり 人を熱すること火のごとし

万類たがいに来たりて、汝が形骸をつなぐ

 汝をしていまだ老いざるに、

形枯れて柴のごとくならしむ、

 万感互いに至って汝が心を火の如くにす

 汝をしていまだ死せざるに、

心化して灰とならしむ

 楽天楽天、大いにかなしまざるべけんや、

   汝なんぞむかしに懲りて、

ゆくさきをおもわざる

 蝉丸の声は谷の木々の中にひそかに降りて春の木の芽を揺すっている。博雅はただ声もなく涙して、いつまでも耳を傾けていたが、ふと気づくと蝉丸の姿は見えず、夏草の茎に歌がひとつ、結ばれているばかりだった。

  

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関